畔田翠山「水族志」 (二五五) イソツビ (イソギンチャク類)
(二五五)
イソツビ【紀州若山】一名ケツビ【紀州田邊】ムマノシリノス【筑前福岡】イネツビ【紀州海士郡大川村】[やぶちゃん注:原本はここ。行末で、以下、本文に入るものと採れるから、一字空けた。] 海巖ノ間ニアリ春日潮干テ其袋大ニナリ圓ク桃栗ノ大ノ如シ白色柔軟ニ乄褐色ノ縱條アリ
○やぶちゃんの書き下し文
(二五五)
イソツビ【紀州若山。】・一名「ケツビ」【紀州田邊。】・「ムマノシリノス」【筑前福岡。】・「イネツビ」【紀州海士郡大川村。】 海巖の間にあり。春日〔しゆんじつ〕、潮、干〔ひ〕きて、其の袋、大になり、圓〔まる〕く桃・栗の大〔おおいさ〕のごとし。白色、柔軟にして、褐色の縱の條〔すぢ〕あり。
[やぶちゃん注:刺胞動物門花虫綱六放サンゴ亜綱イソギンチャク目 Actiniaria のイソギンチャク類であるが、本文末の「褐色の縱の條」を持つ種というのは、本邦では全国的に潮間帯の岩礁や貝殻上に普通に見られる、
イソギンチャク目尋常イソギンチャク亜目ヒダベリイソギンチャク上科タテジマイソギンチャク科タテジマイソギンチャク属タテジマイソギンチャク Haliplanella lineata
であろう(この項での分類は日本動物分類学会誌『タクサ』(二〇一九年第四十六号)の泉貴人・藤井琢磨・柳研介氏の共同論文「最新のイソギンチャク分類体系の紹介とそれに伴う和名の提唱」に拠ったので、従来の図鑑類や分類表及びネット上の記載とは異なる)。但し、私はイソギンチャクというと、幼少期の初見参に遡るからか、まず、
尋常イソギンチャク亜目ウメボシイソギンチャク上科ウメボシイソギンチャク科Anthopleura 属ヨロイイソギンチャク Anthopleura uchidai
次に、
同属ミドリイソギンチャク Anthopleura fuscoviridis
その次に、
同上科ウメボシイソギンチャク科ウメボシイソギンチャク属ウメボシイソギンチャク Actinia equina
を想起するのを常としており、タテジマイソギンチャクはその後である。以上の四種で概ね、通常、人々が想起するイソギンチャクをだいたいカバー出来ると私は思う。但し、項の頭に並ぶ異名は、それらのどれでもあるかも知れぬし、或いは、どれでもない可能性もあることを押さえておく必要はある。
「イソツビ」「ウミシカ(アメフラシ)」では、まずはおとなしく「磯螺」か、などと言ったがここはもう百%「磯玉門」「磯𡱖」(孰れも「いそつび」と読む)である。「つび」は女性生殖器の外陰部の古名である。触手を開いたイソギンチャク類を、そのシミュラクラとしたもので間違いない。いや、寧ろ、私は、触手を閉じた瞬間の収縮過程の内腔が覗けている時の方が、その形容に最もマッチすると考えている。完全に閉じてしまった(海水を逃がさないように密閉した状態)のイソギンチャクはどれでも却って似ていない。
「紀州若山」何度も出た和歌山市和歌の浦。
「ケツビ」「ツビ」は同前。「ケ」は「毛」で前者との関係から触手を陰毛に喩えたものかも知れない。
「ムマノシリノス」これは「馬(むま)の尻の巢」で「巢」は「穴」の意であり、「ウマの肛門」の意である。実はこれは「筑前福岡」でこれでも大人しい言い方で、同じ福岡県の柳川などの有明海沿岸では、「ワケノシンノス」(若い衆の尻(けつ)の穴)という、恐らくは江戸時代まで華やかだった若衆道の名残とも感じられる。そして、このイソギンチャクは、当地で食用にされている、
ウメボシイソギンチャク上科ウメボシイソギンチャク科 Gyractis 属イシワケイソギンチャク Gyractis japonica sensu
であろうと思うのである。
「イネツビ」「イネ」は不詳。
「紀州海士郡大川村」旧海部(あま)郡大川浦、恐らくは和歌山県和歌山市大川(グーグル・マップ・データ)ではないか。]
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