大和本草卷之十三 魚之下 彈塗(めくらはぜ) (ムツゴロウ・タビラクチ)
【外】
彈塗 筑紫海ノ斥地ニ多シハゼノ形ニ似タリ前ニ二足
アリテヲドル潮退キテ見ユ目高ク出ツ不可食三才
圖繪四十巻ニノセタリ其圖ニモ二足アリ目出タリ○
寧波志彈塗一名闡胡
○やぶちゃんの書き下し文
【外】
彈塗(めくらはぜ) 筑紫〔の〕海の斥地(かた〔ち〕)に多し。「はぜ」の形に似たり。前に二足ありて、をどる。潮、退〔(の)〕きて、見ゆ。目、高く出づ。食ふべからず。「三才圖繪」四十巻に、のせたり。其の圖にも二足あり。目、出(いで)たり。
○「寧波志」〔に〕、『彈塗〔(ダント)〕。一名、闡胡〔(センコ)〕』〔と〕。
[やぶちゃん注:これはもう、
スズキ目ハゼ亜目ハゼ科オキスデルシス亜科ムツゴロウ属ムツゴロウ Boleophthalmus pectinirostris
でしょう。しかし、困るんだな、先の「大和本草卷之十三 魚之下 むつ (考えに考えた末にムツゴロウに比定)」でそっちを迷った末に、ムツゴロウにしちゃったからね。しかし、あらゆる点で、これは第一にムツゴロウに同定して間違いない。まず、益軒の誤りを正しておく。彼は「寧波志」に『彈塗〔(ダント)〕。一名、闡胡〔(センコ)〕』とあると記しているが、この「闡胡」は「闌胡」の誤りである。「寧波志」は明の張時徹らの撰になる浙江省寧波府の地誌「寧波府志」のことで、「早稲田大学図書館古典総合データベース」のこちらで、原本(一五六〇年序)を見ることが出来たので、探してみたところ、「物土志」の「卷十二 志九」の「物產」の「鱗部」のここ(右頁四行目)に、
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闌胡【形如小鰍而短大者如人指長三五寸計潮退數千百跳躑塗泥中、土民施小鈎取之一名彈塗】
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とあるからである。自然勝手流で訓読すると、
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闌胡(ランコ)【形、小さき鰍(シウ)のごとくして、短し。大なる者、人の指のごとく、長さ三、五寸計(ばか)り。潮、退(ひ)けば、數千、百、跳(をど)り、躑(しやが)み、泥中に塗(まみ)れるとき、土民、小さき鈎(はり)を施(はな)ちて、之れを取る。一名「彈塗」。】
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で、「鰍」は国字としては「カジカ」を指すが、ここは中国語であるから「ドジョウ」のことである。ドジョウみたいな形態で、潮が引いた干潟で、数百匹、数千匹が、盛んに跳躍し、しゃがみこんでは、泥に塗れるという特徴的行動と、小さな釣り針だけを仕掛けたものを投げて、それを引っ掛ける漁法といい、「彈塗」を中文サイトで検索すると、台湾のサイト「國家重要濕地保育計畫」内の湿地(潟)の生物を紹介するページに「大彈塗」として、ムツゴロウの学名と写真が出るから、もう絶対間違いないわけよ! 因みに、ムツゴロウは日本では有明海・八代海にしか棲息しないが、東アジア全般(日本・朝鮮半島・中国・台湾)に広く分布しているので誤解のないように(ムツゴロウを日本固有種だと思っている日本人は結構多いのだ。学名もリンネの命名だよ)。
「めくらはぜ」ギョロ目が目立つのに、目が見えないかのようにのたくるからであろうか。差別呼称で滅亡する異名である。但し、「川のさかな情報館」こちらのページで、
ハゼ科オキスデルシス亜科タビラクチ属タビラクチ Apocryptodon punctatus
の異名として出るので、本種も本項に含まれるとした方がよい。同種は干潟に棲息する海産のハゼの仲間で、日本では有明海・八代海・瀬戸内海で、他にフィリピンやインドにも分布する。体長六センチメートルで、体色は淡褐色。体側に暗色斑が、複数。並ぶ。下顎は上顎より短い。左右の腹鰭は吸盤状となっている。なお、本種はテッポウエビ類(軟甲(エビ)綱十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目コエビ下目テッポウエビ上科テッポウエビ科テッポウエビ属 Alpheus 或いは同属の最大種テッポウエビ Alpheus brevicristatus)の生息孔の中に潜んで、共生(これは数少ない真の共生と思われ、視覚がよいハゼ類が敵を見つけてテッポウエビに知らせ、テッポウエビが作り上げた巣穴にともに隠れる)していることで知られる。
「斥地(かた〔ち〕)」本来の漢語では広く開拓地を指す語であるが、ここでは益軒は「かた」とルビを振っており、潮が引くと見ることが出来る、と言っているからには、これは明らかに「潟」の「かた」である。
「前に二足ありて」ムツゴロウは干潟では胸鰭をあたかも手か足のように器用に動かして盛んに這ったり、全身を使ってかなりの高さまで飛び跳ねて移動する。彼らが干潟上で生活出来るのは、皮膚と口の中に溜めた水で呼吸しているからだとされる。
「食ふべからず」おかしいなぁ? 益軒先生、美味いのに!
『「三才圖繪」四十巻に、のせたり。其の圖にも二足あり』「四十巻」というのは不審。私の調べたところでは、七十一巻の「鳥獸五卷」の「彈塗」である。国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像の一六〇九年序の以下である(トリミングした)。
「寧波府志」を参照しているのが見てとれる。電子化する。
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彈塗
一名闌胡形似小鰍而短大長三五寸計潮退數千百爲群揚鬐跳擲海塗泥中作穴而居以其彈跳于塗故云
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同前で訓読してみる。
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彈塗
一名、「闌胡」。形、小さき鰍(どぢやう)に似て、短かく長くして、三、五寸計り。潮、退けば、數千、百、群れを爲し、揚がる。鬐(たてがみ)あり。跳び、擲(なげう)ち、海の塗(まみ)れる泥の中に、穴を作りて居(きよ)す。其れ、塗(まみれ)に彈(はじ)けて跳(をど)るを以つて、故(か)く、云ふ。
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しかし、この絵は、イモリかカエルの幼体のようにも見える。まあ、いいか。]