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2020/09/09

金玉ねぢぶくさ卷之六 箕面の瀧は弁才天の淨土

 

   箕面(みのを)の瀧は弁才天の淨土

 攝州箕面山(みのをさん)は、ゑんの行者の開基、本尊は弁才天女、山は峨々として、卷石(けんせき)、峙(そばだ)ち、瀧はたうたうとして、布をさらせり。行者、びん究(ぐう)無福(ふく)の衆生〔しゆじやう〕のために、弁才天を祈(いのり)たまへば、八臂(ぴ)の天女、出現ましまし、江州竹生(ちくぶ)嶋、かまくらの榎(ゑ)の嶋、あきのいつくしま、紀州の天の川、ともに日本に五ヶ處の天女、ちん座の㚑地〔れいち〕なり。

[やぶちゃん注:「箕面山(みのをさん)」ルビはママ(以下同じ)。現行では「みのおやま」と読み、歴史的仮名遣でも「みのお」である。ここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。標高三百五十二・三メートル。ここにある現在は天台寺門宗の独立寺院である箕面山(みのさん)吉祥院瀧安寺(りゅうあんじ:以上は公式サイト表記)の原型は、白雉年間 (六五〇年~六五四年) に役小角 (えんのおづぬ(おづの):生没年未詳。七世紀末に大和葛木(かつらぎ)山にいたという呪術者。「続(しょく)日本紀」によれば、役君小角(えのきみおづぬ)と称し、秩序を乱したことから、文武天皇三(六九九)年に伊豆に流されたが、鬼神を使役し、空を飛び、自由に往来したとされる。修験道の祖とされる) が開基した(公式サイトは斉明天皇四(六五八)年とする)と伝えられる修験道の霊場で、本邦の修験道では最も古い修行地の一つである。後醍醐天皇の時、付近の瀑布の勝景に因み、瀧安寺と号した。本尊の弁財天はここに出る通り、琵琶湖の竹生島・鎌倉近郊の藤沢片瀬にある江ノ島安芸の宮島の厳島の弁財天とともに四所弁財天と称され、古来民間の信仰が厚い。この弁財天像は役の行者自身が報恩感謝のもとに、自らを作製し、箕面大滝の側に祭祀して箕面寺と称したのが、現在の瀧安寺の始めと伝えられている。

「弁財天」「弁才天」とも書く。インド神話のサラスバティーを漢訳し,女神の姿に造形化したもので、もとはインドのサラスバティー川の河神であり、後にのブラフマー(仏教で梵天となる)の妃となったが、広く信仰され、これが仏教に取入れられ、音楽・弁舌・財富・知恵・延寿を司る女神となった。「金光明最勝王経」の「大弁財天女品(ぼん)」によると、頭上に白蛇をのせ、鳥居をつけた宝冠を被った八つの腕を持つ女神で、多様な武器をそこに持った戦闘神である(後注する)。密教に入ってからは、琵琶を持った姿で胎蔵界曼荼羅外金剛部院にいる。眷属 には善財童子を加えた十六童子がある。日本では七福神の一つに数えられ,敵を滅ぼし、福徳や財宝を授ける女神として信仰される(以上は主文を「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「卷石」本来は浄土と俗世界の区別をする境界石を指し、墓地の境域や区画を示すのに用いる人工的な境界石の石組みを指すが、ここはそれに喩えて、俗界と聖地を隔てる「如くに」巻き上がったように聳える岩石の謂いととる。

「びん究(ぐう)無福(ふく)」よく判らぬが、或いは「貧窮無福」のことではないか? 「究」は「きはめる」で「窮」に通じ、実際に「貧窮」は、これで「びんぐう」とも読むからである。凡夫にして心身ともに貧しさの限りを尽くしている真の福を手にしたことがない衆生の謂いととる。

「八臂(ぴ)」八臂弁天(はっぴんべんてん)のこと。琵琶を持った天人風のそれではない、今一つの弁天の像形。顔は女形に作るが、八本の手を持ち、それぞれに弓・箭(や)・刀・矛・斧・長杵(ちょうきょ:金剛棒)・鉄輪(輪状外側に角を持った投擲武器)・羂索(けんさく:捕繩(ほじょう))といった武器を保持する戦闘神の示現型である。これは「金光明最勝王経」の記述を元にしたものである。

「紀州の天の川」現在の奈良県吉野郡天川村(てんかわむら)坪内(つぼのうち)にある天河(てんかわ)大弁財天社のこと。ご存知ない方はウィキの「天河大弁財天社」を見られたい。私は行ったことはないが、大好きな円空の傑作とされる「大黒天」が奉納されていることで知っている。

「㚑地」「㚑」は「靈」の簡略の異体字。]

 

  抑(そもそも)、弁才てんの利益(やく)をたづねたてまつるに、本地は十一面觀音、垂迹(すいじやく)を宇賀神將王(うがじん〔しやう〕わう)とあらはれ、ふく德・壽命・弁才・あいきやうを、つかさどり、二世〔にせ〕の悉地(しつぢ)を得せしめ給ふ。

 十五童子、三萬六千のけんぞく有〔あり〕て、この尊(そん)、しんじんの衆生〔しゆじやう〕を守り、どん欲・きかつ・障碍(せうげ)の三惡神(あくじん)を降伏(がうぶく)ましまし、惡事・さい難を拂ひたまふ。

 爰(こゝ)を以て、此天(てん)、信迎(しんがう)の輩(ともがら)は、軍(いくさ)は宝鉾(ほうむ)の御〔おん〕てを借り、

冨貴(ふうき)は金財童子(こんざいどうじ)の御請取〔おうけとり〕、

けんぞくは従者(じゆしや)童子のうけ取、

酒〔さか〕やは酒泉(しゆせん)どうじ、

百姓は、たうちう童子、

智惠は印鑰(いんやく)童子、

舟持(〔ふね〕もち)はせん車(しや)どうじ、

問(とい)やは牛馬(ぎうば)どうじ、

遊女(ゆうぢよ)・申楽(さるがく)はあい敬(けう)どうじ、

學問・手跡(しゆせき)の望(のぞみ)は、筆硯(ひんけん)だうじ、

守りたまふ。

 されば、士農工商の輩(ともがら)、いづれか此〔この〕天の利益(やく)を蒙らざらん。爰を以て、一度〔ひとたび〕、此尊に歸するともがらは、定業(でうごう)の貧(ひん)をてんじ、當來(たうらい)にては無三惡しゆの御願〔ぎよがん〕を蒙る。

 およそ諸佛悲願(しよぶつのひぐわん)、まちまちなれども、さいど利生〔りしやう〕の方便〔はうべん〕、わけていちじるきは、大梵光明如意滿誦福德てん地無上こくう天滿じざい王てん女、十五童子の御本ぜいに極(きはま)れり。

 されば、弘法大師のさいもんにも、諸佛の大事は與樂(よらく)を本〔もと〕とし、衆生の期(ご)する所は、福德を極(ごく)とする。さつたの六度も宇賀(うが)の福田におこり、菩薩の万行も神王(じんわう)の祕藏より出〔いで〕たりと、とかせたまふ。たれか、是を仰ぎ、いづれか、是に歸せざらん。

[やぶちゃん注:読み易さを考え、担う種別の童子を改行して示した。

「宇賀神將王」神仏習合期の本邦で、中世以降に信仰され始めた神で、概ね蛇形を採ることが多い、専ら現生応神で財を齎す福神である。単独ではなく、弁財天とセットされることが多い。ウィキの「宇賀神」によれば、『神名の「宇賀」は、日本神話に登場する宇迦之御魂神(うかのみたま)』(これは「古事記」の記名で、「日本書紀」では「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」とある。「宇迦」は「穀物・食物」の意で、穀物神で、「宇迦」は「うけ」(食物)の古形で、特に本邦の稲作文化を支える「稲霊(いなだま)」を表わし、古くから女神とされてきた経緯があり、女天の弁財天絡みの豊饒=財福で宇賀神と結び易かったのであろう。伏見稲荷大社の主祭神としても広く信仰されている。但し、稲荷の主神として「うかのみたま」の名が文献に登場するのは室町以降のことである。但し、伊勢神宮ではそれよりも早くから「御倉神(みくらのかみ)」として祀られていた経緯はある。以上はウィキの「ウカノミタマ」に拠った)『に由来するものと一般的には考えられている(仏教語で「財施」を意味する「宇迦耶(うがや)」に由来するという説もある)』。『その姿は、人頭蛇身で蜷局(とぐろ)を巻く形で表され、頭部も老翁や女性であったりと』、『諸説あ』って、『一様ではない』。『元々は宇迦之御魂神などと同様に、穀霊神・福徳神として民間で信仰されていた神ではないかと推測されているが、両者には名前以外の共通性は乏しく、その出自は不明である。また、蛇神・龍神の化身とされることもあった』。『この蛇神は比叡山・延暦寺(天台宗)の教学に取り入れられ、仏教の神(天)である弁才天と習合あるいは合体したとされ、この合一神は、宇賀弁才天とも呼ばれる』。『竹生島宝厳寺に坐する弁天像のように、宇賀神はしばしば弁才天の頭頂部に小さく乗る。その際、鳥居が添えられることも多い』。『出自が不明で、経典では穀霊神としての性格が見られないことなどから、宇賀神は、弁才天との神仏習合の中で造作され』、『案出された』神とする説もある』。「塵添壒嚢鈔」(じんてんあいのうしょう:単に「壒囊抄」とも。十五世紀室町時代に行誉らによって撰せられた百科辞書・古辞書)の『巻第四「宇賀神事」には、宇賀神は伊弊冊尊(イザナミ)から生まれた稲作をはじめ五穀や樹木の成育を司る保食神(ウケモチノカミ)と音通であるため福神となったとあり』、八『世紀の『丹後国風土記』のトヨウケビメの羽衣伝説と同様の、「水浴びをしていた天女の一人が老夫婦に衣を隠され天に帰れなくなり、万病に効く酒を造って老夫婦に財をもたらしたが、翁に追い出され、辿り着いた丹後の奈具村で宇賀女神として祀られた」という伝承が紹介され、宇賀能売命が富をもたらしたことから福徳神とみなされ、さらに蛇に変体すると記されている』。江戸中期の国学者で尾張藩士天野信景(さだかげ)による十八世紀初頭に成立した大冊(一千冊とも言われる)膨大な考証随筆「塩尻」の巻四十九には、『神社に祀られている宇賀神像は、老人の顔をした頭部をもつ蛇が蛙をおさえる形をしていて、水を張った器に入れられており』「天の真名井の水」『などという文を唱えて像に水をかけるとあり、熱田神宮の貞享』(一六八四年~一六八八年)『の修理の際にその像が出てきたと記されている。信景は、宇加耶は梵語で白蛇のことだが、密教では人首蛇身ではなく』、『ただ蛇の像を宇賀神としている、人首蛇身は熱田神宮だけでなく』、『山城国の稲荷神社にもあり、蛇首人身の像もある、なども述べている』とある

「弁才」能弁の才能。巧みに話す能力。

「あいきやう」「愛敬」(これだと、歴史的仮名遣は「あいきやう」(現代仮名遣「あいきょう」。以下同じ)であるが、古くは「あいぎやう」(あいぎょう)と濁った。ところが、中世後期以降に清音化が生じ、さらに「敬」の意味が薄れるとともに「嬌」の字も当てられるようになって、「愛嬌」という表記が生まれたのだがが、この場合の歴史的仮名遣は「あいけう」(あいきょう)となるため、表記には混乱が生じている。表情や言動が愛らしく、人好きのされる様子であること。

「二世〔にせ〕の悉地(しつぢ)」現世と後世(ごぜ)に及ぶ悟り。サンスクリット語の「成就」の意の漢音写。「しっち」と清音でも示す。原本は「しつち」であるが、濁音化した。本来は真言の秘法を修めて成就したそれで、しかも最高の悟達が完成する無上悉地に至るまでに、五種の悉地が前段階として立てられるなど、様々な区別や達成別の階層がある。

「けんぞく」「眷屬」。部下。「十五童子」はその上の側近の使者神。

「この尊(そん)」弁財天を指す。

「しんじん」「信心」。

「どん欲」「貪欲」。

「きかつ」「飢渇」。

「障碍(せうげ)」あらゆる障害。

「宝鉾(ほうむ)」邪悪を斥ける神聖なる鉾(ほこ)=武器。先の八臂弁天の注を参照。

◎「金財童子(こんざいどうじ)」「召請(しょうせい)童子」とも呼ぶ。金銀財宝・商売繁盛を司る神とされ、神仏習合では本地を薬師如来とされる。

「御請取〔おうけとり〕」受け持ち。分担。後の「うけ取」も「請取」で同義。

「けんぞく」「眷族」で信仰者の一家眷族の謂いか。次注参照。

◎「従者童子」「從者童子」。別称「施無畏(せむゐ)童子」。一部の記載には経営を司るとあるから、これは一族郎党を束ねて、家や農耕や商売を盛り立ててゆくことと考えれば、前の「けんぞく」が腑に落ちる。本地は龍寿菩薩。「施無畏」は仏・菩薩が衆生の無知ゆえの恐れる心を取り去って救うことを言う(なお、この語は観世音菩薩の異称でもある)。

「酒〔さか〕や」「酒屋」。

◎「酒泉(しゆせん)どうじ」別称「密跡(みっしゃく)童子」酒の神。本地は無量寿仏。

◎「たうちう童子」漢字で表記すると、何故、「百姓」の守護神かが判る。「稻籾(とうちゅう)童子」。別名「大神(だいしん)童子」。五穀豊穣神である。本地は文殊菩薩。

◎「印鑰(いんやく)童子」「鑰」は「鍵」の意。別名「麝香(じゃこう)童子」。悟りと解脱へ導く神。正法(しょうぼう)の確かな験(しるし:手指で示すところの法「印」)と秘蹟を開く「鑰(かぎ)」である。本地は釈迦如来。

「舟持(〔ふね〕もち)」水主(かこ)。

◎「せん車(しや)どうじ」船車童子。別名「光明(こうみょう)童子」。交通安全の神(船旅は最も危険と隣り合わせであるから代表するし、多くの漁民の信仰は弁財天でもある)。本地は薬上菩薩。

「問(とい)や」「問屋(とんや)」。

◎「牛馬(ぎうば)どうじ」別名「膸令(ずいれい)童子」。家畜の愛護神。本地は薬王菩薩。

「申楽(さるがく)」「申樂」。軽業(かるわざ)・奇術や滑稽な物真似などの演芸を行う芸能者。奈良時代に唐から伝来した散楽(さんがく)を母胎に創り出されたもので、鎌倉時代頃から、これを専業とする者が各地の神社に隷属して祭礼などに興行し、座を結んで一般庶民にも愛好された。室町時代になると、「田楽」や「曲舞(くせまい)」などの要素も摂り入れられ、これが観阿弥・世阿弥父子によって「能楽」に大成された。大道芸人は「ほかいびと」の一類であり、激しく差別された。遊女らと同じ、社会の底辺にいた被差別者であった。

◎「あい敬(けう)どうじ」「愛敬童子」。「愛慶(あいきやう)童子」とも書き、別名「施願童子」。愛情・恋愛成就の神とされる。本地は観世音菩薩。

「手跡(しゆせき)の望(のぞみ)」書道上達。

◎「筆硯(ひんけん)だうじ」「ひん」のルビはママ。「筆硯(ひつけん(ひっけん))童子」。別名「香精(こうせい)童子」。学問成就の神。本地は金剛手菩薩。なお、以上で「十五童子」の内、九童子しか挙っていないが、残り六童子を示すと(漢字は正字で示したが、読みは現代仮名遣で附した)、

◎計升(けいしょう)童子。別名、悪女(あくにょ)童子。経理・経済の神で、本地は地蔵菩薩。

◎衣裳童子。別名、除哂(じょき)童子。着衣に不自由させぬ神で、本地は摩利支天。

◎蠶養(さんよう)童子。別名、悲満(ひまん)童子。蚕・繭の神で衣類の神。本地は勢至菩薩。

◎飯櫃(はんき)童子。別名、質月(しつげつ)童子。食物を授与する神。本地は栴檀香(せんだんこう)仏。

◎官帶(かんたい)童子。別名、赤音(せきおん)童子。法を守る神。本地は仏教のカルマ(法)の体現者である普賢菩薩。

◎生命(しょうみょう)童子。別名、臍虚空(せいこくう)童子。長寿の神。本地は弥勒菩薩。

となる。なお、「十六童子」と呼んで、これらの童子の筆頭として十五童子を束ね司る神としての、

●「善財(ぜんざい)童子」が別格で、いる。彼は「乙護(おとご)童子」とも呼ばれ、本地は大黒天である。

「てんじ」「轉じ」。

「三惡しゆ」「三惡趣」。生命あるものが、生前の悪い行為の結果として死後余儀なく赴かなければならない地獄・餓鬼・畜生という三悪道の世界。連声(れんじょう)して「さんなくしゅ」「さんまくしゅ」「三悪道 (さんまくどう)」とも読む。

「御願」そこに堕ちない願いを叶えてくれる仏菩薩の絶対の悲願。

「さいど」「濟度」。「濟」は「救う」、「度」は「渡す」の意で、仏・菩薩が迷い苦しんでいる人々を救って悟りの境地に導くこと。

「利生〔りしやう〕」「利益(りやく)衆生」の意で、仏・菩薩が衆生に利益を与えること。

「方便〔はうべん〕」。原義は「近づく・到達する」の意で、仏・菩薩が衆生を導くために用いる方法・手段、或いは真実に近づくための準備的な加行 (けぎょう) などを言う。

「わけていちじるきは」「別けて著じるき」。別して、特に強力なその法力は。

「大梵光明如意滿誦福德てん地無上こくう天滿じざい王てん女」「大梵光明如意滿誦福德天地無上虛空天滿自在王天女」か。それぞれに意味はあるが(例えば既に述べた通り、弁天は弁才天は梵天神の妃であり、ここは、「天女」=弁財天のもつ広大無辺な法力を讃え飾る修飾辞である。

「本ぜい」「本誓」。仏・菩薩が立てた衆生済度の誓願。本願。

「さいもん」「祭文」。広義の仏神を祀る章句。

「與樂(よらく)」衆生に真の永遠の安楽を付与すること。

「期(ご)する所」期待するところ。

「極(ごく)」究極の対象。

「さつた」「薩埵」。サンスクリット語の「有情」の意の漢音写。ここは「衆生」の意。別に「菩提薩埵」の略で「衆生を救う菩薩」のことも指すが、以下の「六度も宇賀(うが)の福田におこり」というのは、衆生の輪廻する六道に、宇賀神が下り来たって示現し(「おこり」)、「福田」(ふくでん:田が豊饒の実りを生じるように、福徳を生じるもとになるもの)を与え、の謂いと読めるから後者ではない。

「神王(じんわう)」仏教を守護する神。四天王のように甲を着けた忿怒像で描かれ、仏像の天部(毘沙門天・大黒天などの類)の中でも、この形の像形を神王形と呼ぶ。「しんわう(しんのう)」とも読む。

「祕藏」人知を超越した仏・菩薩の有難い奥義(おうぎ)。]

 

 爰に、津國〔つのくに〕、神崎(かん〔ざき〕)の住人、矢野四郞右衞門と謂(いひ)し人、親代〔おやのだい〕まで、商〔あきなひ〕もはんじやうし、萬〔よろづ〕こゝろの侭(まゝ)なりしが、次第に仕合〔しあはせ〕、世に、おちぶれ、

「何とぞ、も一度、ふうきを。」

ねがひ、「定業亦能轉(でうごうやくのうてん)」の御〔ぎよ〕ぐわんに歸依し、每年正月七日の冨〔とみ〕に、あゆみをはこび、終(つい)に一〔いち〕の冨〔とみ〕に突〔つき〕あたりぬ。

[やぶちゃん注:「津國、神崎」近江国にあった旧神崎郡。鈴鹿山脈から琵琶湖に至る愛知川に沿って東西に細長い地域を占めていたが、特にその中心は滋賀県東近江市八日市町(ようかいちちょう)附近(グーグル・マップ・データ)であった。

「矢野四郞右衞門」不詳。

「仕合〔しあはせ〕」世間での巡りあわせ。運命。良い事態、悪い事態ともに用いる。ここは商売が上手く行かなくなること。

「定業亦能轉(でうごうやくのうてん)」ルビはママ。「ぢやうごふやくのうてん」が正しい。「定まった報いを受ける時期が決まっている悪しき行為でさえも、仏の教えを十分に受ける力があったならば、良い方へ転じて、悪しき報いを免れることが出来る」ということを指す偈。菩薩の願いとされる。

「冨〔とみ〕」富籤(とみくじ)のこと。江戸時代に流行をみた、抽選によって当り籤を決める賭博に類似した催し。ここにも出るように、「富突(とみつき)」ともいうが、この呼び名は、抽選の際、籤を入れた箱、櫃(ひつ)の中の木札を錐(きり)を付けた棒で突き刺し、当り番号を決めたことによる呼称である。売り出される札(ふだ)の方は「富札」と称する。富籤の起源は明らかではないが、京・大坂の方が早く、江戸では元禄五(一六九二)年に出された「富突講」に対する禁令からも、元禄(一六八八年~一七〇四年)頃には既に盛ん行われていたと考えられる。その後、幕府は、寺社が自前で出す修復費捻出の手段として、特別に許可するようになった。つまり、第八代将軍吉宗の享保一五(一七三〇)年、江戸護国寺の修復費用に当てるための富突興行を許可したのがそれで、それ以前から、寺社の富突はたびたびの御触れにもかかわらず、存続してはいたが、幕府により公認されてからは急激に盛んになり、文化・文政年間(一八〇四年~一八三〇年)には、三日に一度は、どこかで富籤が催されていたほどであった。ここは近江の津だが、中でも有名なものは目黒不動尊・湯島天神・谷中天王寺(感応寺)のもので、これを「江戸の三富」と称した。抽選の当日は境内に桟敷を設け、興行者側の世話人、寺社奉行の検使らが立ち会い、目隠しをした僧が錐で櫃の中の木札を突き刺した。木札は桐製で、大きさは縦横一寸半(約四・五センチメートル)、厚さ四分(約一・二センチメートル)で、表に番号が記されてあった。これに対応する富札は、長さ五寸(約十五センチメートル)ほどの短冊形の紙製で、表に番号が記され、割印を押した上、札を発行した寺社の管轄名称を記してある。最初に突き上げたのをここに出る通り、「一の富」といい、例えば、これが百両とすれば、二番目が半額の五十両となり、都合、百番まで突いた。一般に賞金額は最初と突き止めの番号が多額であった(以上は主文を小学館「日本大百科全書」に拠った)。

「あゆみをはこび」場所は次段によって、冒頭に出た箕面の瀧安寺と判る。

「終(つい)に」ルビはママ。「つひ」が正しい。以下同じ。

 

 これより、いよいよ、しんがうの首(かうべ)をかたぶけ、同年二月下旬に、禮參りの爲(ため)、一家の男女、のこらず、さんけいし、神前において法施(ほつせ)たてまつり、それより、奧の瀧へのぼれば、草木のけしきまでも、實(げに)外(ほか)とは事かはりて、山は、箕(み)を學(まな)んで、風、木〔こ〕の葉(は)を簸(ひ)、瀧は、ぬのに似て、水聲(すいせい)、碪(きぬた)を、うつ。誠に奇なる風景なり。

[やぶちゃん注:「しんがう」「信仰」。

「法施(ほつせ)」仏に向かって経を読み、法文を唱えること。「ほふせ」の転訛。

「箕(み)を學(まな)んで」よく判らぬが、ここが箕面山であることに引っ掛けて、「箕裘(ききう(ききゅう))」を引き出し、「箕裘を継ぐ」で、矢野が、父祖伝来の商いをそれなりに継いで(以下に見る通り、扱う商品が変わったことを意識しているのかも知れない)、上手くやっていること、を謂ったものであろう。「箕裘を継ぐ」は、「よい弓職人の子は、父の仕事から、柳の枝を曲げて箕 () を作ることを学び、よい鍛冶屋 (かじや) の子は、金鉄を溶かして器物を修繕する父の仕事から、獣皮をつぎ合わせて裘 (かわごろも:革衣) を作ることを学ぶ」という「礼記」の「学記」を出典とする故事成句である。

「簸(ひ)」「簸(ひ)る」は「箕で穀物を篩(ふる)い、塵などを取り除く」の意のハ行上一段活用の動詞。ここは比喩。

「碪(きぬた)」「砧」に同じい。]

 

 しばらく、上の瀧つぼのあたりを、あなたこなたへ徘徊して、草を分〔わけ〕、わらびを折〔をる〕とて、いかゞは、しけん、當年九歲の女子一人、瀧つぼへ轉(ころ)びこみ、

「やれ、やれ。」

といふ内に、さかまく水に舞入(まいいれ)られて、姿(すがた)も見へずなりにけり。

[やぶちゃん注:「舞入(まいいれ)られて」ルビはママ。]

 

 夫婦、大きにかなしみ、里、遠ければ、人をたのみて、死がいを上〔あぐ〕べきやうもなく、其内には、ちひろの底へしづみつゝ、再び、影だに見へざれば、夫婦・上下〔うへした〕、せん方なく、泣々(なく〔なく〕)下向〔げかう〕し、

「扨も。大きなる冨〔とみ〕だゝり。たとへ、御利生にて、如何程〔いかほど〕ふうきになるとても、子を失ひて、何かせん。」

と、明〔あけ〕くれ、歎き、それより、むじやうの心をおこし、

「誠に老少不定のしやばなれば、『さいし珍宝及(ぎ〔ふ〕)王位(わうい)りん命(めう)、終時(じうじ)不隋(ずい)』しや。」

と心得、冨貴の望〔のぞみ〕もやみぬれば、おのづから、家〔か〕げうも、おこたり、次第に身體おとろへ、家もうり、田地にもはなれ、たゝりし冨の入れがへもなく、する程の事は、仕合〔しあはせ〕あしく、歎(なげ)きの内にも、光陰(くわういん)はうつり、はや、七年の星霜(せいざう)を經(へ)たり。

[やぶちゃん注:「ちひろ」「千尋」。滝壺の深さの誇張表現。

「上下〔うへした〕」店の雇い人たち総て。

「下向」寺より帰ったので、かく言った。

「冨〔とみ〕だゝり」「冨祟り」。彼は「一の富」というハレの現象を受けた。ハレは非日常であり、そこにはそれゆえに、真逆の際たるケガレとしての魑魅魍魎が侵入し易くなる。そうした反動的な共感呪術認識が、ここにはある。

「むじやう」「無常」。

「老少不定」「らうせうふぢやう」。人の寿命に老若の定め、老いた人間が若い者より先に死ぬというような物理的法則はないことを指す。

「しやば」「娑婆」。

「さいし珍宝及(ぎ〔ふ〕)王位(わうい)りん命(めう)終時(じうじ)不隋(ずい)」ルビはママ。正しくは「妻子珍寶及王位(さいしちんぽうぎゆうわうゐ)、臨命終時不隨者(りんみやうしゆうじふずいしや)で「大集経」の一節。「妻子・財宝や王位などは、臨終の後にはついては来ない」の意。但し、同句には以下、「唯戒及施不放逸(ゆいかいぎゆうせふはういつ)、今世後世為伴侶(こんぜごせいはんりよ)」(ただ、戒と施と不放逸の三種は、現世の後も伴侶となる)と続く。

「家〔か〕げう」ママ。「家業(かげふ)」。

「入れがへ」「入れが替へ」ではおかしい。「入れ甲斐(がひ)」の誤りではないか? 祟られた結果、富籤への執心も全く無くなり、の意でとっておく。

「星霜(せいざう)」濁音でも読む。]

 

Benzaiten

[やぶちゃん注:国書刊行会「江戸文庫」版の挿絵。一幅のみ。トリミングしただけ。]

 

 しかれども、

「貧(ひん)は我(わが)宿習(しゆくじう)のあしさ。」

とあきらめ、「佛神」と恨(うらむ)るこゝろもおこらず、天女しんじんの誠も、さめず、明くれ、しゆ行の功(こう)をつみしが、

「けふは七囘忌の命日なれば。」

とて、鄰家(りんか)の婦女をよび集(あつめ)、こゝろばかりのついぜんをなせしが、ふしぎや、庭のまん中、三尺四方程、うごき出〔いで〕、土竜(どりう)の土を上(あぐ)るごとくに、下より、

「むくむく」

と、つち起(おき)て、其中より、年の程、十四、五さいの娘一人、あらはれ出〔いで〕、身につきたる土をふるへば、人々おどろき、肝(きも)を消し、

「是は。如何成〔いかなる〕わざならん。」

と、十方(〔じつ〕ぽう)へにげちりしが、暫くあつて、あるじ夫婦、近所の人々、また、ともなひ、恐しながら、内をのぞけば、彼(かの)おんな、竃(かまど)のまへに手便(てづから)、ちやをくみ、あたりを見みまはし、

「何とて、おのおのには、俄(にはか)に爰〔ここ〕を立〔たち〕さり給ひし。今、暫く、語りたまへ。」

と、詞(ことば)をかくる物越(〔もの〕ごし)をきけば、まさしく、箕面(みのを)のたきへ、しづみて相果(あいはて)たる娘なれば、

「さては、幽靈のあらはれしや。」

と、他人は、いよいよ恐れぬれ共(ども)、父母は、なつかしく、能々(よく〔よく〕)見れば、其〔その〕面(おも)ざし、着物(きるもの)のもやう、替りなく、月日を經し程〔ほどの〕成人(せいじん)して、形におとろへたる體(てい)も見へず。たとへ、ゆうれいにもせよ、變化(へんげ)にもあれ、我子の姿に似し人は、恐しながら、嬉しさのあまり、側(そば)へ立〔たち〕より、

「さても、御身は、今、此土中よりは、何として出〔いで〕られしぞ。又、歸るべき中有(ちうう)の魂(たま)か。そなたを失ひ、此年月、泪のかはく隙(ひま)もなく、明くれ、なげき通せしに、たとへ迷途(めいど)の人なりとも、しばらく、此世にとゞまりて、親のおもひを、はらされよ。」

と、なみだと共にかきくどけば、娘はけうざめ㒵(がほ)にて、

「何、おや達には、みづからが、死せしとや。きのふ、箕面(みのを)の御山にて、乳母や母うへにはぐれまいらせさふらひしより、さても、けつかうなる所へ行(ゆき)、そらには羅(うすもの)の網(あみ)をはり、地には七寶の砂(いさご)をしき、銀(しろがね)の山、金の堂塔、こん靑(じやう)の川の表に、玉をゑりたる龍頭(れうとう)の舟(ふね)數(す)百さう、鼻を並べ、錦綉(きんしう)の帆をまきかけ、さんご珠(じゆ)の車(くるま)に、めなふの櫃(ひつ)をつみ、るりや、こはくの牛馬(ぎうば)にかけ、莊(せう)ごん美々敷(びゝ〔しく〕)、あまたの宰料(さいれう)つきたまひ、

『是は、なんぢが親の本へおくり屆(とゞく)る、たからなり。然〔しか〕れども、なんぢが親の過(くわ)、この貧業(ひんごう)つよきゆへ、今、すこし、信心の功をつみ、宿(しゆく)ごうを、はたきつくさせ、おつつけ、さづけあたゆるなり。はやく歸りて、此通りを親に告(つげ)よ。』

と、のたまいしが、あゆむともなく、とぶともなく、此庭へ歸りたり。みづから、親の家(いへ)を離れ、いづくへ歸り可申〔まうすべき〕。」

と、いへば、聞(きく)人、ふしぎの思ひをなし、彼〔かの〕土中を掘(ほつ)て見れば、上〔うへ〕三、四尺程は、土、くづれ、それより下(した)は土(つち)かたく、いづくへ通ぜし道も、見へず。

 扨、だんだんに、仕合、直(なを)り、あきなひをして、買(かへ)ば、あがり、賣(うり)たる物は、その跡(あと)に下り、耕作をすれば、年に水旱(すいかん)のうれへなく、一莖(けう)九穗の五穀、実(み)のり、彼(かの)娘も長命にて、次第にふうきの門(かど)、弘(ひろ)がり、病(べう)げん・惡事・さいなん、なく、子孫はんじやうの家となれり。

 誠に信心けんごなれば、宇賀のせい約、空しからず。

 皆人〔みなひと〕、我〔わが〕宿(しゆく)ごうのあしき事を、しらず。そのまゝ、願ひ、かなはざれば、還(かへつ)てうたがひをおこし、信心をさますゆへ、御内證(〔ご〕ないしやう)に叶ひ難し。冨だゝりといふ事は、自業(じごう)をはたかせ、あるひは、火難、または大〔おほ〕ぞん、一度(ど)に過去の余習(〔よ〕じう)をつくさせ、それより、冨貴をあたへたまふ。難有(ありがた)かりける結(けち)ゑんなり。

[やぶちゃん注:「宿習(しゆくじう)」ルビはママ。「しゆくじふ」が正しい。前世の因果に拠って生じた報いとしての習慣や習性。

『「佛神」と』「何が! 仏だ! 神だ!」と。

「土竜(どりう)」モグラ。

「十方(〔じつ〕ぽう)」ルビはママ。「じつぱう」が正しい。

「手便(てづから)」言わずもがなであるが、二字へのルビ。

「ちやをくみ」「茶を汲み」。

「程〔ほどの〕」躓くのが厭なので、かく読みを振った。

「中有(ちうう)」ルビはママ。「ちゆうう」でよい。「中陰」に同じ。仏教で、死んでから、次の生を受けるまでの中間期に於ける存在及びその漂っている時空間を指す。サンスクリット語の「アンタラー・ババ」の漢訳。「陰(いん)」・「有(う)」ともに「存在」の意。仏教では輪廻の思想に関連して、生物の存在様式の一サイクルを四段階の「四有(しう)」、「中有」・「生有(しょうう)」・「本有(ほんぬ)」・「死有(しう)」に分け、この内、「生有」は謂わば「受精の瞬間」、「死有」は「死の瞬間」であり、「本有」はいわゆる当該道での「仮の存在としての一生」を、「中有」は「死有」と「生有」の中間の存在時空を指す。中有は七日刻みで七段階に分かれ、各段階の最終時に「生有」に至る機会があり、遅くとも、七七日(なななぬか)=四十九日までには、総ての生物が「生有」に至るとされている。遺族はこの間、七日目ごとに供養を行い、四十九日目には「満中陰」の法事を行うことを義務付けられている。なお、四十九日という時間は、死体の腐敗しきる期間に関連するものとみられている(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。

「迷途(めいど)」「冥途」に同じい。

「けつかうなる所」「結構なる所」。とても素敵な所。弁財天の住まう御殿であろう。

「こん靑(じやう)」「紺靑」。

「ゑりたる」「彫(ゑ)りたる」。

「龍頭(れうとう)の舟(ふね)」龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)である。貴人の乗る立派な船。竜の彫り物や鷁の頭を船首・船側に彫り付けた船。「鷁」は想像上の水鳥で鷺に似て大きく、風波に耐えてよく飛ぶところから、水難除けとされる。「龍」は「りょう」、「首」は「す」とも読む。

「錦綉(きんしう)」「錦繡」に同じい。錦 (にしき) と刺繍 (ししゅう) を施した織物。

「さんご珠(じゆ)」「珊瑚珠」。珊瑚のこと。

「めなふ」表記はママ。「瑪瑙(めなう)」。

「つみ」「積み」。

「るり」「瑠璃」。

「こはくの」「琥珀の」。ここ、「牛馬(ぎうば)にかけ」と続くのだが、瑠璃や琥珀で出来た牛馬ではあるまい。牛馬にそれらをふんだんに担い掛けたということであろう。

「宰料(さいれう)」「宰領」金、或いは「采配料」の縮約であろう。送り返すに際しての彼女への餞別及び以下に語られる父母への条件附きの土産としてである。

「過(くわ)」「因果としての過失」或いは「過去の悪因縁」のこと。孰れかであったとしても、結果は仏教の因果律から言えば、同じことである。今までの用法からは前者のように思えるが、最後にしっかり「過去」という単語を用いているから、満更、違うとも言えぬように思われる。筆者は「未來」という熟語もよく用いるしね(江戸期の怪奇談で「過去」や「未來」という熟語は、そうそう出てはこないのである)。

「貧業(ひんごう)」ルビはママ。「ひんごふ」が正しい。貧しくならざるを得ない因業(いんごう)。但し、仏教に於いてそれは、矢野四郎右衛門自身が理解出来るような現在の彼のこれまでの人生の過去に於ける過誤・過失の悪しき行為による結果ではなく、彼には判らない彼の前世(ぜんせ)の悪因縁による結果であることは言うまでもない。現世利益を肯定する場合、つい、そうした解釈をしてしまう傾向が、当時の凡夫もさることながら、寧ろ、現代人に多い勘違いであるので、敢えて蛇足しておく。

「ゆへ」ママ。「故(ゆゑ)」。以下同じ。

「宿(しゆく)ごう」ママ。「宿業(しゆくごふ)」。以下同じ。

「はたきつくさせ」「叩(はた)き盡くさせ」。前世の宿業を現世に於ける信心堅固を続けるて功を積むことで、完全に払い落させて。

「おつつけ」「追つ付け」。副詞。そのうち。間もなく。

「さづけあたゆるなり」「授け與ふるなり」。これも言わずもがなだが、読者の中には、大呆けをかまして、「土から出てきた娘は、どこにそれを持ってるの? 袂にでも入っているの?」などと、考える輩がいないとも限らないから、老婆心乍ら、言い添えると、この娘が見ている珍宝の数々は、その業を叩き尽くした際に、初めて彼に与えられるところの真の富貴のシンボライズされたものであるということなのである。

「のたまいしが」ママ。「宣ひしが」。

「みづから、親の家(いへ)を離れ、いづくへ、歸り可申〔まうすべき〕」「みづから」は自発の意。以下は反語だが、重箱の隅をほじくるようだが、瀧へ落ちた経緯から見ると、「親の家を離れ」という前振りは、状況を論理的につらまえているとは言い難い表現で、私はちょっと躓(つまず)く。

「直(なを)り」ルビはママ。「なほり」が正しい。

「その跡(あと)」「その後」に同じい。

「水旱(すいかん)」旱魃(かんばつ)。

「一莖(けう)九穗(ほ)の五穀、実(み)のり」ルビはママ。「一莖九穗」の歴史的仮名遣というか、読みは「いつけいきうすゐ」が正しい。穀物の一つの茎に沢山の穂がつくほどの驚くべき目出度い豊穣のこと。流れでは、事実の豊作のように語っているが、まんず、万事に於いて、僅かの努力で多くの利益を得たことの喩えである。これは見るからに漢籍由来と見えたので、調べてみたところ、「東觀漢記」(後漢(二五年~二二〇年)の歴史を記した歴史書。元は百四十三巻であったが、後に散佚し、現在は清代以降に集められた佚文のみである)の巻一の「世祖光武皇帝紀」に、後漢の初代皇帝光武帝(紀元前六年~紀元後五七年:姓は劉、諱(いみな:本名)は秀)の誕生の箇所に、「是歲有嘉禾生一莖九穗、長大于凡禾、縣界大豐熟、因名帝曰秀」(彼が生まれたその年、とある県の稲(「禾」)にこれが生じ、大豊作となった、そこで諱を「秀」とした)という貴種誕生奇瑞譚が記されてあった。

「門(かど)、弘(ひろ)がり」門が広くなったというのではなく、一門一族へと富貴が広がり、の意。

「病(べう)げん」「病原」しか浮かばない。根の深い悪い病いの謂いか。

「宇賀のせい約」娘を送り出すに際して宇賀神(=弁天)が告げた内容を指す。

「さます」ここは「冷ます」。

「御内證」仏の真理、或いはそのもとに行われる秘蹟。

「冨だゝりといふ事は、自業(じごう)をはたかせ、あるひは、火難、または大〔おほ〕ぞん、一度(ど)に過去の余習(〔よ〕じう)をつくさせ、それより、冨貴をあたへたまふ」纏めをやらかしたのはいいが、どうも言葉が足りていない感じがする。『「富籖祟(とみくじだたり)り」という一件は、それによって自身の前世からの業(ごう)を起動させる方便であったのであり、それによって、一時は、或いは火難に遭い、又は商売その他で大損をした。しかしそれは弁天様の深い配慮に拠ったものであったのであり、ともかく、積もっている過去の因果の応報たる「貧(ひん)」の習(なら)い(宿命)の残っている部分を、完全に尽きさせてから、やおら、彼にまことの富貴をお与えになられたのである』という謂いである。でもさ! 言っとくけどね、「火難に遭った」なんてこと、書いてないだろ! 悪しき「仕合」の一つだったとここで弁解するなら、一言でいいから、ちゃんと書いとけよ! 作者!!!

「結(けち)ゑん」ママ。「結緣(けちえん)」。

 

 時間が、本文校訂の十倍も、注にかかった。でも、娘が「むくむく」と地面から立ち上がってくるシークエンスは、なかなかいいじゃん! 僕は思わず、小さな頃に観て、今も忘れられない、特撮を巨匠レイ・ハリーハウゼン(Ray Harryhausen 一九二〇年~二〇一三)が撮った、ドン(ドナルド)・チャフィ(Donald Chaffey 一九一七年~一九九〇年)監督の特撮映画「アルゴ探検隊の大冒険」(Jason and the Argonauts:一九六三年公開(本邦公開は翌年)。イギリスとアメリカの合作)で、ヒュドラの歯からアイエテス王が七人の骸骨剣士 (Skeleton army)を生み出すところを、思い出したんだ!! YouTube のAll Boom 氏の「" JASON AND THE ARGONAUTS" (Against the Skeletons)」を、みんなで、見ようよ!! これを見てこそ! イケるだぞ、って!

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