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2020/09/07

金玉ねぢぶくさ卷之五 現業の報 / 金玉ねぢぶくさ卷之五~了

 

   現業(げんごう)の報(ほう)

  佛(ほとけ)、善巧方便(ぜんけうはうべん)して、六種の群類を度(ど)し、衆生、三世〔さんぜ〕の因果を信じて、捨悪修善(しやあくしゆぜん)のこゝろざしをなす。誠に佛法流布の御代とて、老たるも、病者(べうじや)も、いとけなきも、かた輪(わ)も、疊の上にて定業(でうごう)の壽命をつくすは、あり難かりける事どもなり。世に生死(しやうじ)のおきてなく、人にゐんぐわのおしへなくんば、つよき盤(は)、よはきをしのぎ、長きは、みじかきをまき、さかんなるは、おとろへたるをあなどり、智あるは、おろかなるを欺(あざむ)き、たがひにあらそひ、互にうばい、世は皆、盗(ぬすびと)のよりあひにして、すなをに商(あきない)をし、職をいとなみ、耕作をなすものは、あらじ。農・工・商のそれぞれの家業をいとなみ、さいしを養ひ、親へ孝行をつくし、他人をうやまひ、おのれを愼み、ほしけれども、ぬすまず、おしけれども、てばなして、道に背ける欲をおもはず、あるひは、ひきやくに渡して、江戶へ遣〔つかは〕す金銀(きんぎん)も、とゞき、大𢌞(〔おほ〕まは)りにつんで、長崎まで下〔くだ〕す荷物も、おくり狀一枚にて、慥(たしか)にとゞくは、みな人、ゐんぐわを知り、欲をおさへ、我まゝをせぬに、よれり。儒佛(じゆぶつ)のおしへ、立(た)ち、天下泰平にして、然(しか)も天道(てんだう)も立〔たち〕、因果も立〔たて〕り。されば、ゐんぐわの理(り)は、人(ひと)・物(もつ)、いひて、たがひに應對するがごとし。

[やぶちゃん注:冒頭から教訓が長々と続いて怪奇談としては失敗である。言っていることも如何にも一般的で凡庸であり、読んで飽きてくる。私には、だ。標題も「現業」は「げんごふ」でないとおかしい。

「善巧方便(ぜんけうはうべん)」通常は「ぜんげうはうべん(ぜんぎょうほうべん)」と読む。仏教用語で、臨機応変に巧みに手だてを講じて、人を導くことを指す。

「六種の群類」輪廻転生の因果に囚われた六道(天上道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)の六種の時空間(境涯))にいる六つのグールプの衆生群。

「三世」前世(ぜんせ)・現世・後世(ごぜ)。

「定業(でうごう)」ルビはママ。歴史的仮名遣は「ぢやうごふ」が正しい。前世から定まっている善悪の業報 (ごうほう) 。

「生死(しやうじ)のおきて」生・死という二種の生命体の持つ絶対様態。

「ゐんぐわ」「因果」。

「おしへ」ママ。「敎(をし)へ」。以下同じ。

「盤(は)」は「は」の草書の崩しであるが、わざわざそれにルビが振られているだけのことである。だったら、難しい草書を使うな! と言いたくなる。それでなくても退屈な冒頭なのに!

「うばい」ママ。

「すなを」ママ。

「商(あきない)」ルビはママ。

「ひきやく」「飛脚」。

「大𢌞(〔おほ〕まは)り」ここは広島で、前に江戸を出しているから、まずは大坂から長崎への西回り廻船、或いは、それに接続させてあるさらに東の江戸と大坂間の菱垣廻船(樽廻船)を加えて考えてもよかろう。それでこそ「大𢌞り」と言える。

「天道(てんだう)」ここは仏教と異なる、それ以前の中国からあった、自然に定まっている天然自然の道理。

「人(ひと)・物(もつ)」ルビは確かに「ひともつ」とあるので、かく分解した。人間間に於いても、それ以外の生物や物質間に於いても、の意でとる。

「たがひに應對する」人間だけでなく、万物は中国の陰陽五行説に依れば、互いに関連を持っており、相生相克することは、御承知の通りである。それを指して言っているととる。にしても、全く以って、くどいが、退屈な前振りだ。]

 

 さんぬる貞享年中、藝州廣嶋(ひろしま)に、「大坂や休圓(きうゑん)」とて、うとくなる禅門、実子一人有〔あり〕て、然(しか)も男子なりしが、いさゝか、心にいらざりけるにや、十三の年、かんだうしけるを、

「いまだ、よう少なれば、たとへ、いかやうの不孝あればとて、かん當(だう)とは、がてんゆかず。ずいぶん、きびしく仕付(しつけ)をして、行義(ぎやうぎ)を直(なを)させ給へ。我々もともに、いけんをくはへ、けう後(こう)は放逸(ほういつ)なる心も止(やめ)させ、てならい・學問をも情(せい)出して、とかく何やうの事成〔なり〕とも、おや達の御意〔ぎよい〕を背かせ申まじき。」

よし、一もん中、いろいろ、わび事すれども、彼(かの)禅門、曾て、せうゐんの色なく、終(つい)に他人を養子にして、それに嫁を迎へ、一せきをゆづり、夫婦ともに法體(ほつたい)をして、うき世のせ話(わ)をのがれ、殊にぼだい心ふかく、不斷、參り、下向を所作とし、

「尤〔もつとも〕實子に緣はうすけれども、誠に入まいのよき老の果報。」

と、人、是を、うらやみぬ。

[やぶちゃん注:「大坂や休圓(きうゑん)」「大坂屋休圓」。あんまり、こんなけったいな屋号付きの禅僧の法号称というのは聴かない。

「うとく」「有德」。

「実子一人有〔あり〕て」出家得度する以前に出来た子であれば、江戸時代でも問題はない。

「心にいらざりけるにや」何か、余程、気に入らぬ許し難い所業があったものか。

「かんだう」「勘當」。

「よう少」「幼少」。

「がてんゆかず」「合點行かず」。承服出来ないことである。

「ずいぶん」「隨分」。みっちりと。きっちりと。

「行義(ぎやうぎ)」「行儀」。

「直(なを)させ給へ」ルビはママ。「直(なほ)」が正しい。以下同じ。

「いけんをくはへ」「意見を加へ」。訓戒を与え。

「けう後(こう)」ママ。「向後」で歴史的仮名遣は「きやうこう」(現代仮名遣「きょうこう」)が正しい。今後。

「放逸(ほういつ)」ルビはママ。歴史的仮名遣は「はういつ」が正しい。

「情(せい)」漢字表記はママ。「精」。以下同じ。

「一もん」「一門」。ここは親族一族の意。

「せうゐん」「承引」(承諾すること)だが、歴史的仮名遣は「しよういん」でよい。

「終(つい)に」ママ。以下同じ。

「一せき」「一籍」。僧籍のことであろう。

「せ話」「世話」。世間一般の日常的瑣事。

「不斷、參り」日々、欠かすことなく、僧としての勤行を怠らず。大坂屋休円が主語。

「下向を所作とし」「下向」は「げかう(げこう)」であるが、ここは「還向」(くわんかう(かんこう))の意で、寺社仏閣に参拝して帰ることを指す。「所作」は日々の決まった成すべきこと、ルーティン・ワークのこと。

「入まいのよき」表記の「入まい」からは「入米」で「実入り・儲け」の意のように見えるが、これはそれと同時に「老いの入舞(いりまひ)」の意がもとで、年老いてから最後の一花を咲かせること、ここは日常の煩瑣な出来事に一切、悩まされることなく、好きな信仰への傾注のみに過ごせることを羨んで述べたのであろう。。]

 

 然るに、彼(かの)かんだうを受(うけ)し実子を、暫くは親類中にかくまい置(おき)しが、ぜんもん、ことの外、腹立(ふくりふ)せらるゝにつき、蜜(ひそか)に江戶へ下〔くだ〕し、かさねて、

「きげんの直(なを)るまで、時節(じせつ)を相〔あひ〕まち、勘氣(かんき)をゆるさせ申〔まうす〕やうに。」

と、だんがう、極〔きは〕め、慥成〔たしかなる〕便(たより)を求(もと)めて、江戶へ下しおきぬ。

[やぶちゃん注:「蜜(ひそか)に」漢字表記はママ。

「きげん」「機嫌」。

「ゆるさせ申〔まうす〕やうに」の「申す」の用法は近世以後の単なる丁寧語としての用法。「勘当をやめて許すようにさせますからね」。]

 

 しかるに、此もの、成人するにしたがひ、親のこゝろに背き、かく、一生、かんだうを請〔うけ〕て、不孝の罪を得し事を、ざんぎし、終(つい)に江戶にて出家をとげ、學もん、情(せい)を出(いだ)し、よき法師となりて、おりおり、國への便〔たより〕に、さまざま、わび事のふみをのぼせ、

「佛は『父母恩重經(〔ぶも〕おんぢうけう)』をときたまひ、聖人は、『刑のたぐひ、三千、罪(つみ)ふかうより、大(おゝ)ひ成(なる)はなし』と、いましめ給ふ。わたくし、幼少にて御きげんを背き、不孝の身となりし事を後悔し、せめては、『一子、出家すれば、九族、天に生ず』とかや承(うけたまは)り、棄恩入無爲(きおんにうむい)、しんじつほうおんしやの身と罷成〔まかりなり〕、二親のぼだいをとひ參らせ、御おんをおくりまいらせ候。あはれ、御〔ご〕かんきを御〔おん〕ゆるし、老少不定(らうせう〔ふ〕でう)のしやばにて候へば、御存命の内、今一度、たいめん仕〔し〕たき。」

よし、經文(けうもん)を引〔ひき〕、神妙成(しんべう〔なる〕)ふみども、たびたび、のぼせ、おりおりは、

「御明(〔お〕みあか)しにしたまへかし。」

とて、文にすこしづゝ實(み)を入〔いれ〕ても、おくりしが、いかゞしたりけん、此法師、江戸にて仕(しあわせ)よく金銀をため、

「京都へ、りん旨(じ)を、てうだいに上〔のぼ〕る。」

よしにて、廣嶋(ひろしま)へ來り、おぢ・伯母・從弟(いとこ)・諸(しよ)親類にたいめんすれば、いづれもよろこび、

「兩親も、もはや、老年、二人共につゝがなき内に、片時(へんじ)もはやく、たいめんさせ度〔たく〕おもひしに、よき折ふしの御〔おん〕のぼり、定(さだめ)て親達にも、久々にてのたいめんなれば、さぞ、滿足に、おもはるべし。」

とて、禅門へ其通(〔と〕をり)をいへば、禅門、にがにが敷(しく)、

「ぞんじとも、よらぬ事。たとへ、出家となり、いか程(ほど)出せいたし候とも、昔、かれを、かんだうせし時、今生(こんじやう)にて再び對めん仕〔つかまつ〕るまじき旨、かたく、佛神(ぶつしん)へちかひを立〔たて〕おき候へば、おもひとも、よらず。」

と申せしを、一もんは、いふにおよばず、隣家(りんか)の町人まで、あいさつに入〔いり〕、

「それは、あまり、かた過(すぎ)たる御分別。その時は、やうやう十三歲の時(こと)なれば、よいが、よいにも、惡〔あし〕ひ、あしひにもたゝぬ、東西不知〔しらず〕のおさなごなり。今、不孝の心をあらため、殊(こと)に出家して、あまつさへ、正しければこそ、自身、出世して、長老にまで成〔なり〕たまふ。況(いはんや)、出家は佛(ほとけ)のかたちなれば、佛を子に持(もち)給ふ事、此うへの悦び、あるべからず。ぜひとも、不敎(ふけう)をゆるされ候へ。」

とて、理(り)をつくして親父をいけんし、しかと得心(とくしん)せざれども、無理におさへて、彼(かの)僧をよびよせ、親子たいめんの盃(さかづき)をさせければ、禅門、ぜひなく、又、おや子の緣を結んで、さすが、おんあいの因果なれば、貌(かほ)を見てから、忿(いかり)の心も、やみ、四、五十日、とゞめて、さまざま、もてなし、其のち、彼(かの)ほうしは、また、別れて、江戸へ下りぬ。

[やぶちゃん注:「ざんぎ」「慚愧」。現行では「ざんき」と清音だが、古くはこの通り、「ざんぎ」とも読んだ。「自分の見苦しさや過ちを反省して心に深く恥じること」を言う。

「おりおり」ママ。

「父母恩重經(〔ぶも〕おんぢうけう)」ルビはママ。正しくは「ぶもおんぢゆうきやう」でなくてはならない。正しくは「仏說父母恩重難報經」で「父母恩重經」「父母恩重難報經」とも呼ぶ、ただひたすらに父母の恩に報いるべきを説いたかなり儒教臭の強い教えを説いた中国で出来たと思われる偽経。

「刑のたぐひ、三千、罪(つみ)ふかうより、大(おゝ)ひ成(なる)はなし」親不孝の罪は、あらゆる処刑に値する三千(多数の・総ての意の比喩表現であろう)の罪科の深さよりも重く大きな罪悪であり、これ以上、最大最悪の罪はない、の謂いであろう。

「せめては」せめてものことに。

「一子、出家すれば、九族、天に生ず」一人の者が正しく道に達して、出家したとなら、その者を含む一族は総て天上道の転生することが出来ると言った意味であろう。「一子出家すれば、七世の父母(ぶも)、皆、得脫す」など、まことしやかに僧や研究家が「仏教で言っている」などと記しているが、出典は経典ではなく、唐代の禅僧黄檗希運(彼は本邦の禅宗の一派黄檗宗とは関係がないので注意が必要)が母の死に当たって炬(きょ:松明(たうまつ))を持って、「一子出家すれば、九族、天に生ず。もし天に生ぜずんば、諸佛の妄言なり。」と称えて引導し、母が夜魔天宮に上生(じょうしょう)したという故事に基づいたものである(「浄土宗大辞典」の「引導」に拠る)。

「棄恩入無爲(きおんにうむい)、しんじつほうおんしや」「棄恩入無爲 眞實報恩者」。「恩を棄(す)て無爲に入るは、眞實報恩の者」の意。「恩愛の情(愛執)を捨てて世俗の執着を断ち切ることで無為たる悟りの道に入ることは、まっこと、真正にあらゆる対象に対する恩に報いる存在となる」の意であろう。上記の音読みで用いられ、特に出家受戒の際に唱えられることで知られる。「淸信士度人經」なる経文にある言葉などと言われるが、当該経典は現存せず、怪しい。

「老少不定(らうせう〔ふ〕でう)」ルビはママ。正しい歴史的仮名遣は「らうせうふぢやう」である。人の寿命に老若の定め、老いた人間が若い者より先に死ぬというような物理的法則はないことを指す。

「おりおり」ママ。

「御明(〔お〕みあか)し」神仏に供える灯火であるが、ここは、それにとして献ずる金品(後に出る「實(み)」がそれ)のことを指す。

「りん旨(じ)」「綸旨」。

「てうだい」ママ。「頂戴」。歴史的仮名遣は「ちやうだい」。

「其通(〔と〕をり)」ルビママ。「と」は脱字であろうが、「とほり」が正しい。

「ぞんじとも、よらぬ事」「そんなことは知ったことではない!」。

「出せいたし候とも」「出世致し候ふとも」。

「あいさつ」「挨拶」であるが、ここは説得の意。

「よいが、よいにも、惡〔あし〕ひ、あしひにもたゝぬ、東西不知〔しらず〕のおさなごなり」何だか表記も気になるが、まあ、「何でも倫理的に良いことが正しく良いことであり、悪いことは、どうころんでも、悪いことだという認識も持ち得ぬ、東も西も判らぬ幼子であったのですぞ、の意。それにしても、なかなか出さないねぇ、不孝の理由を!

「長老」ここは高僧の意。天皇の綸旨を拝領する役であるから、腑に落ちる。

「出家は佛(ほとけ)のかたち」僧は三宝の一つであるから、正しい謂いである。

「不敎(ふけう)」ここは「不興(ふきやう)」の意であろう。「不敎」でも「ふきやう」だが、「敎へざること」では意味が通らぬし、誤字であろう。後に出る真実の伏線とも言えない。

「しかと」は「得心(とくしん)せざれども」の意。

「おさへて」我慢させて。辛抱させて。]

 

 しかるに、それより百日あまりを經て、彼(かの)禅門久圓を、「大事のめし人(うど)」のよし、江戸より、御たづねあそばされ、夫婦共に江戶へ御めし被成(なされ)候ゆへ、何(なに)とも、がてんゆかざれば、

「さだめて、人たがへにてあるべし。」

と、近所の者も、さたし、勿論、一もん・けんぞくは、なを、以て科(とが)の品(しな)を、しらず。

 國においても、ふしんながら、御せんぎを遂(とげ)られ、

「身に覺へなくば、江戶にて首尾よく申分(〔まうし〕わけ)仕〔つかまつり〕、罷歸(〔まかり〕かへり)候やうに。」

とて、夫婦(ふうふ)ともに、きびしき籠輿(らうごし)に入れ、

「大事の科人(とが〔にん〕)なれば。」

とて、宰料(さいれう)もあまた付〔つけ〕られ、

「自然(しぜん)、道にて、わづらふ事もや。」

と、醫(い)しやまでをそへ、道中は宿次(しゆくつぎ)に人足五十人づゝかゝり、所々(ところ〔どころ〕)の地頭より、與力・同心數(す)十人にて、其領分を通る間、彼(かの)召人(めしうど)をけいごし、其きびしき事、いふばかりなし。

[やぶちゃん注:「久圓」ママ。こういう人名表現の異同が甚だ多いのは本書の特徴。作者はそういう点で気配りの働かない不思議な人物である。

「大事のめし人(うど)」大層な重罪の捕らえられるべき咎人(とがにん)の謂いであろう。但し、本来は「囚人(めしうど)」は「既に囚えられた人」を指す。

「ゆへ」ママ。以下同じ。

「何(なに)とも、がてんゆかざれば」「何とも、合點行かざれば」。何としても、どうして彼が捕われなくてはならぬのか、さっぱり合点がゆかなかったので。但し、休(久)円を除いて、である。

「人たがへ」人違い。

「科(とが)の品(しな)」罪科の中身。

「國」安芸国広島藩。

「ふしん」「不審」。

「御せんぎ」「御詮議」。彼を藩として訊問したのである。但し、その時の扱いは決して厳しいお調べではなく、丁重なものであったのであろう。でなくては、「身に覺へなくば、江戶にて首尾よく申分仕、罷歸候やうに」という声掛けはあり得ようがない。無論、幕府直々の、しかも重罪の容疑者であるからして、護送が厳しいのは当然である。というより、江戸に送る前に藩の取り調べ中に拷問死したり、護送中に病死したりすれば、それは藩の責任になり、とんでもない字体が出来(しゅったい)するからの配慮でしかないものではある。

「籠輿(らうごし)」通常はこれで「かごこし」と読む。竹製の粗末な駕籠 (かご)で、特に粗い折りの伏せ籃状になったもの。古くから罪人の護送に用いられた。

「宰料(さいれう)」「宰領」金、或いは「采配料」の縮約であろう。江戸までの護送送致完了に至るまでの実務費用の全額である。

「宿次(しゆくつぎ)に人足五十人づゝかゝり」山陽道から東海道までの宿場を継いで罪人の駕籠を運ばねばならないので、それぞれの宿駅で新たな人足を新たに雇う必要があり、それだけでも毎宿場で五十人が必要であったのである。

「地頭」江戸時代は領主や一部の代官の別称。

「與力・同心數(す)十人」これも相当な費用と事前の依頼が必要となる。この護送だけで恐らくは想像も出来ない莫大な藩費が使用されたことが判る。

「けいご」「警護」。]

 

 一もん・親族(しんぞく)、此體(てい)を見て、

「これは不慮成〔なる〕さい難(なん)、さりながら、天道、誠をてらしたまへば、すこしもきづかいし給ふな。科(とが)なき段を申〔まうし〕ひらき、やがてめで度(たく)歸りたまへ。」

[やぶちゃん注:「きづかい」ママ。

 以下、休(久)円の長い告白となる。]

 

Gengounohou1

ぶちゃん注:国書刊行会「江戸文庫」版の一枚目をトリミングした。]

Gengounohou2

[やぶちゃん注:これは二枚目で同前。配置は以下の告白の江戸を出るところに配されてあるが、訳の分からない挿絵である。これは、寧ろ、前の実子を勘当したシーンのそれとしか私には思われず、絵師が基本的に本文をよく読まずに勝手に描いたものとしか私には思えない。適合する箇所がない、場違いな挿絵である。]

 

 禅門、

「いや。左(さ)にはあらず。江戶より遙々(はる〔ばる〕)めさるゝ事に、何か卒尓(そつじ)のあるべきぞ。思ふに、彼(かの)いつぞや、のぼりしほうしが勘氣(かんき)をゆるし、おやこのちなみをなしけるゆへ、さだめて、天下に並(ならび)なき程の大惡事を仕出(しいだ)し、其わざはひが、三族に及び、親なれば、かく、御たづねなさるゝと覺へたり。江戶へ下(くだ)つて、万に一つも助りは、せじ。これが、おのおのへの今生(こんじやう)のいとまごひ、かならず悔(くやみ)給ふべからず。とても、我身(わがみ)はころさるゝ命(いのち)、いづれもへ、さんげの爲(ため)、因果の道理の、のがれ難き、慥(たしか)成〔なる〕せうこを語りきかすべし。是(これ)にて我(が)をおり、おのおのにも惡心(あくしん)あらば、やめたまへ。

 我(われ)、わかき時、惡性(あくしやう)の數(かず)をつくし、大坂にて、おやより讓(ゆづ)りの金銀(〔きん〕ぎん)・家財(やざい)を殘りなく、つくしあげ、諸(しよ)しん類にも、うとみ果(はて)られ、身のおき所のなきまゝに、友達(ともだち)どものあわれみをもつて、僅(わづか)の路錢(ろ〔せん〕)を用意し、一まづ、身上(しんしやう)かせぎの爲(ため)、江戶へ下(くだ)つて、十年あまりの光陰をおくりしが、其内(うち)に、仕合(しあわせ)わろく、一錢のたくはへも不出來(できず)。

 あまり、故鄕(こきやう)のなつかしさに、今一度大坂へ歸り度〔たく〕、路錢(ろせん)なければ、中仙道より、袖〔そで〕ごひをして、のぼりしが、信州の山中において、今、俗(ぞく)にいふ『高野ひじり』の商人法師(あきんどほうし)、東國へ下り、荷物、のこらず、賣〔うり〕しまひ、たゞ今、都へ歸ると見へて、明(あき)たるおいを、道のかたはらにおろし、前後もしらず、ふし居〔ゐ〕ければ、我〔わが〕心に惡心(あくしん)おこり、

『誠〔まこと〕や。此商人聖(〔あきんど〕ひじり)は、大ぶんの荷物を仕入(し〔い〕)れ、國々をめぐつて、みやこへ戾る時には、其銀(かね)を、はだにつけて居(を)るよし。我、此まゝにて大坂へ歸り、元手(もと〔で〕)なければ、何を商(あきな)ふべき志學(しがく)も、なし。いざや、此ほうしをころし、彼(かの)銀(かね)をうばひとらん。』

と、前後を見れば、おりふし、二里・三里の内には徃來(わうらい)の人かげも、見へず。

『よき首尾なり。』

と、かたなを拔(ぬい)て、まくら元により、既にころさんとせしが、よくよくおもへば、

『ぬすみは不義の第一。其うへに人をころし、あまつさへ、出家といひ、科(とが)に、とがを重ね、重罪に五逆(ぎやく)をつんで、たとへ、長者になればとて、未來の程(ほど)も、おそろしし。よしや、大坂へ歸り、たとへ、袖(そで)ごひをせうとも、今生(こんじやう)は僅(わづか)の間、それから、それまでのしやば。』

と明(あき)らめ、ぬいたる刀を、さやへおさめ、まくら元を立〔たち〕のきしが、能(よく〔よく〕)思へば、

『江戸に十年餘(よ)の星霜をおくり、大坂にて、いにしへの親しき友も、うとふなり、諸親るいとは、久しく、ちなみを斷(たち)ぬれば、せつかく、此たび、のぼりても、立〔たち〕よるべき心あての宿(やど)もなし。いやいや。是〔これ〕は、天のあたへ。切〔きり〕ころして銀〔かね〕を取〔とら〕ん。』

と、又、立歸り、寢貌(ねがほ)を見れば、いかにしても、後生(ごしやう)の程(ほど)のおそろしさに、念佛申〔まうし〕、あく心〔しん〕をやめ、それより、十町ばかりあゆみて、道(みち)すがら、おもへば、

『どうでも此銀(かね)をぬすまいでは、故(こ)きやうへも歸られず。』

と、又、引戾(〔ひき〕もど)すうしろ神に、

『よしや。未來は無間(むけん)ならくへも、落(をち)ば、おち、不便(〔ふ〕びん)ながらも、かれを殺し、これを元手に、かせぎ、ふやし、追善にて、此おんを、おくり、未來のつみをも、かろくせん。』

と、また立歸り、やうすを見れば、いまだ、ほうし、目をもさまさず、よねんなく臥(ふし)居(い)ければ、はるか、脇より、目をふさぎ、はしりかゝつて、切付〔きりつけ〕しに、あやまたず、大けさにかゝり、乳(ち)の下まで、切下(〔きり〕さげ)たり。

 其時、ほう師、

『むくむく』

と、おき、眼(まなこ)を見ひらき、一目〔ひとめ〕、にらみし、其ありさま、身の毛もよだち、五體もすくみて、絕入(たへ〔いる〕)程におそろしかりしが、終(つい)に、深手(ふか〔で〕)なれば、うごきもやらず、見て居(い)る内に、いきたへしかば、立〔たち〕よりて、はだを、さぐり、三十五兩の金子をとり、大坂へ上〔のぼ〕り、安堵をすへて、商ひも仕合(しあはせ)よく、だんだんに、かせぎ、ふやして、今の女房と夫婦の語らいをなし、一人の子を設(もうけ)しに、彼(かの)昔、道中にて、ころせし、ほうしの形(かたち)に、すこしも、違(ちが)はず。成人する程、よくよく、似ければ、我〔わが〕因果にて彼(かの)ほうしの、子と生れ來たる事を知り、恐しく思ひし所に、十三の歲、惡(わる)させしを呵(しか)りければ、少(ちいさ)き眼(まなこ)を見ひらき、我を、にらみ付〔つけ〕たるありさま、彼(かの)聖(ひじり)の、さいごに、にらみたるに、少しも、かはらず。其おそろしさ、いふ計(ばかり)なく、追付(おつつけ)、我〔わが〕命をとらん事をおそれ、何とぞ、親子の緣を切度〔きりたく〕、かんだうを致せしかども、因果なれば、のがれなく、勘當をゆるすやいなや、今、かやうのあだを、なせり。

 先日、たいめんの時、成人の像(かたち)をみれば、法しとなりて、みぢんも違(ちがひ)ひし所なく、いにしへ殺(ころ)せし聖(ひじり)なれば、我、二目〔ふため〕と得〔え〕見ず、眼(まなこ)をふさいで、あひしなり。此度〔このたび〕、江戶へめさるゝは、待(まち)もうけぬる因果のむくひ。」

と、覺語を極め下〔くだ〕りしが、あんのごとく、謂(いひ)しに不違(たがはず)、彼(かの)ほうしが重罪をおかし、三族を御成敗にて、しらが首(くび)を、討(うた)れしと也。

 

 

金玉ねぢぶくさ五終

[やぶちゃん注:ちょっと浄瑠璃っぽく最後の逡巡部分がくだくだしくてリアルでない感じがする。滑稽感が高まってしまって、スプラッターの残忍さ、怪奇性が萎んでしまった嫌いがある。どうも好きになれない話である。

「卒尓(そつじ)」「卒爾」。「尓」は「爾」の略字。突然で失礼な異常なこと。

「三族」身近な三つの親族。広義には父方・母方・妻の一族を、或いは、父・子・孫、父母・兄弟・妻子などを指す。

「さんげ」「懺悔」。江戸以前の日本では清音が正しい。

「せうこ」ママ。「證據」。「しようこ」でよい。

「家財(やざい)」ルビはママ。

「つくしあげ」「盡し上げ」。使い尽くしてしまい。

「諸(しよ)しん類にも、うとみ果(はて)られ」とあるからには、この当時の彼の放蕩ぶりを知る親族はここには既に一人も生きていないということが判る。されば、この男、かなりの年嵩でないとおかしいことにはなるという気がする。というより、彼の親類はこの広島には妻の縁者以外にはいないのではなかろうか? 彼は以下、若い時にいたのは大坂とし、実家もそこにあったと考えられるからである。であれば、異様に年嵩にとる必要もなくなる。

「あわれみ」ママ。

「仕合(しあわせ)わろく」ルビはママ(以下同じ)。どうにもやることなすこと、皆、裏目に出て。

「袖〔そで〕ごひ」乞食をすること。

「『高野ひじり』の商人法師(あきんどほうし)」ママ(先より言っている通り、「はふし」が正しい)。平安末期から増えた聖(ひじり)の中で、高野山を本拠とする集団。厳しい念仏修行をする一方、妻帯したり、生業を他に持つなど、半僧半俗の生活を営み。特に鎌倉以後は諸国を回国し、弘法大師信仰と高野山への納骨を勧め、霊験譚を広めた。また、橋や道路を造ったり、造塔造仏の勧進にも勤め、各地の「別所」と呼ばれる所に住んだ。高野山中では小田原聖、萱堂(かやどう)聖、千手院聖(時宗聖)などが南北朝時代には時宗の宗徒化した。しかし、中世末から高野聖の勧進活動は行き詰まり、中には商僧(まいす)化する者も多く、笈(おい)に呉服を入れて売り歩く呉服聖、信仰にかこつけて各種の物品を売ることを主とした行商聖、全く行乞(ぎやうこつ)を業(わざ)とする名目ばかりの乞食僧など、俗悪化が進み、本来の姿を失ったまま、江戸末期まで続いた。墨染の衣を裾短(すそみじ)かに着、檜笠を被って笈を背負う特徴的な姿は、各地の参詣曼荼羅などに頻出する(以上は平凡社「百科事典マイペディア」に拠った)。ここに出たのも、そうした零落した売僧である。

「明(あき)たるおい」ママ。「空きたる笈(おひ)」。

「志學(しがく)」辞書的意味ではなく、巷間の生き延びる「才覚」の意。

「二里・三里の内には徃來(わうらい)の人かげも、見へず」そんな距離は見えませんて! 阿呆か!!

「五逆」仏教用語。一般には、「父を殺すこと」・「母を殺すこと」「阿羅漢(僧の中で悟達した者)を殺すこと」・「僧の和合を破ること」・「造詣された仏身を傷つけること」を指す。一つでも犯せば。無間(むけん)地獄に落ちると説かれる。

「おそろしし」最後の「し」は副助詞で強調。

「よしや」副詞。たとえ。仮に。

「うとふなり」ママ。「疎(うと)うなり」。すっかり縁遠くなり。

「親るい」ママ。「るゐ」が正しい。

「ちなみ」「因み」。関係。

「せつかく」「折角」。

「十町」凡そ一キロメートル。

「ぬすまいでは」「盜まずては」。盗まなかったなら。

「うしろ神」「後ろ神」。後戻りして殺生を誘惑する鬼神。

「よしや」「縱(よ)しや」。副詞。「仕方ない!」「ままよ!」の感動詞的な用法。

「無間(むけん)ならく」「無間奈落」。八熱地獄の第八番目で最下底の究極の地獄。閻浮提(えんぶだい)の地下二万由旬(十六万キロメートル)にあるとされ、五逆の大罪を犯した者がここに落ち、一劫(いっこう:ある換算では四十三億二千万年)の間、間断なく責苦を受ける地獄の底にあるとされる地獄の最下辺。

「すへて」ママ。「据えて」。

「語らい」ママ。

「設(もうけ)し」ママ。

「呵(しか)り」「叱り」に同じい。

「得〔え〕見ず」本書に頻繁に出る不可能の呼応の副詞「え」に漢字を当ててしまったもの。

「眼(まなこ)をふさいで、あひしなり」嘘つくな! 「四五十日」も一緒だったじゃねんかッツ!

「三族」この場合は、父母と養子の男子と妻までであろう。にしても、養子夫婦は、とんだ、哀れだ。それにさ!――しかも、実子の犯した罪が示されていない! これって、ダメでしょウ! この怪談は、ゼンゼン!]

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