畔田翠山「水族志」 (二四八) ウミシカ (アメフラシ)
[やぶちゃん注:これ以降は「水族志」にある返り点は省略するので(横書の返り点はどうも気持ちが悪い。教員になった時、漢文を全部、横書きにする女生徒を大声でしかりつけた残念な思い出があるので厭なのだ。ごめんね、あの時は。足代さん)底本と必ず対照されたい(ここ)。但し、漢文部分の訓読は必ずしも畔田の返り点に従っていない箇所もある。本文には句読点がなく、畔田自身の平文(カタカナ使用)でも殆んどルビはないので、非常に読み難いことから、現行では不全と思われる箇所は送り仮名や助詞を添え、句読点を適宜打ち、難読と思われる箇所や読みが振れると私が判断した箇所には〔 〕で推定で歴史的仮名遣で読みを添えた(一つの読み以外の可能性がある場合は、「/」で切って別な読みを添えた。読みに疑義のある方は御指摘戴きたい)。各種記号も自由に用いた。生物名やその異名のカタカナは、基本、そのまま用いた。漢籍由来などの一部の漢字の音読みの読みをカタカナで表記した箇所がある。なお、この注は、原則、ここにしか附さない。]
(二四八)
ウミシカ【大和本草】イソネズミ【紀州若山】一名ベチナベ【同上田邊】ウミ子コ【伊豫西條】ナメクジ【備前岡山】イチツボ【紀州海士郡加太浦】イソツビ【同上】オハグロ【同上雜賀崎浦】子ズミ【同上新宮】チモリ【讚州八島】ヒヨリジケ【備後因島漁人云此者多ク海上ニ浮メハ天色變ス故名】ウミウサギ【土佐浦戶淡州都志】アメフラシ【尾州智多郡小野浦】海蠶 海底ニ居ス大サ六七寸形狀蛞蝓ノ如シ頭ニ二ノ軟角アリ長サ一二寸尾ニハ角ナシ背肉左右ヨリ埀下乄泥漳[やぶちゃん注:ママ。「泥障」が正しい。訓読では訂した。]ノ如シ内ニ腹アリ背色黃褐ニ乄褐斑アリ又黑色多キ者赤色ノ者アリ此ニ觸ルレハ忽チ紫黑血出炮炙論血竭ノ條ニ勿用海母血ト云此也【海母ハ海粉母也】大和本草ニ「ウミジカ」色黑シ切レハ鮮血多クイツ形ヨリ血多シト云リ其子ヲ產スルヿ透明ニ乄絹糸如シキヌイトノリト云卽海粉ナリ紅黃紫綠白ノ數色アリ嶺南雜記曰海粉是海邊虫食海菜之糞虫如蛞蝓大如臂食綠則綠食紅則紅但綠色者多以淸脆而佳若黃色𨆇結[やぶちゃん注:注で示した江戸期の日本で翻刻された原拠に従い、「爛結」に読み換えた。]不貴矣紅者可治赤痢正字通曰海粉母如墨魚形大三四寸冬畜家中春種海濱田内色綠似荷包飮從此入溲從此出今海粉即所溲也故吐海粉者謂之母或曰挿竹枝田中母緣枝吐出成粉【品字箋同之】居易錄曰海蠶大如蠶靑黑色頂有一竅温台人取置塘中挿竹如林蠶食水草久之則緣竹而上自竅吐粉凝於竹末粉盡蠶入水死即海粉也廣東新語曰海珠狀如蛞蝓大如臂所茹海菜於海濱淺水吐絲是爲海粉鮮時或紅或綠隨海菜之色而成曬晾不得法則黃有五色者可治痰或曰此物名海珠[やぶちゃん注:原拠ではここに「母」が入る。訓読では挿入した。]如墨魚大三四寸海人冬養於家春種之瀕海田中遍挿竹枝其母上竹枝吐出是爲海粉乘※[やぶちゃん注:「※」は「溼」の(つくり)の「一」が「亠」となったものであるが、原拠を調べたところ、「濕」の異体字「溼」の誤活字と推定されたので、訓読では「濕」に代えた。]舒展之殆不成結以㸃羹湯佳
○やぶちゃんの書き下し文
(二四八)
ウミシカ【「大和本草」。】・「イソネズミ」【紀州若山。】・一名「ベチナベ」【同上田邊。】・「ウミネコ」【伊豫西條。】・「ナメクジ」【備前岡山。】・「イチツボ」【紀州海士〔あま〕郡加太浦〔かだうら〕。】・「イソツビ」【同上。】・「オハグロ」【同上。雜賀崎浦〔さいかざきうら〕。】・「ネズミ」【同上。新宮。】・「チモリ」【讚州八島。】・「ヒヨリジケ」【備後因島〔いんのしま〕。漁人、云はく、「此の者、多く海上に浮〔うか〕めば、天の色、變ず。故に名づく」と。】・「ウミウサギ」【土佐浦戶〔うらど〕。淡州都志〔つし〕。】・アメフラシ【尾州智多郡小野浦。】・海蠶〔カイサン〕
海底に居〔きよ〕す。大いさ、六、七寸。形狀、蛞蝓〔なめくぢ〕のごとし。頭〔あたま〕に二つの軟らかき角〔つの〕あり。長さ、一、二寸。尾には、角、なし。背肉、左右より埀下〔すいか〕して泥障〔あふり〕のごとし。内に腹あり。背の色、黃褐にして、褐〔かつ〕の斑〔まだら〕あり。又、黑色多き者、赤色の者、あり。此れに觸るれば、忽ち、紫黑の血、出づ。「炮炙論〔はうしやろん〕」の「血竭〔けつけつ〕」の條に『海母の血を用ふる勿〔なか〕れ』と云ふは此れなり【海母は海粉母なり。】。
「大和本草」に、『「ウミジカ」。色、黑し切れば、鮮血、多く、いづ。形より、血、多し』と云へり。
其の子を產すること、透明にして、絹糸のごとし。「キヌイトノリ」と云ふは、卽ち、「海粉〔かいふん〕」なり。紅・黃・紫・綠・白の數色あり。
「嶺南雜記」に曰はく、『海粉は、是れ、海邊の虫なり。海の菜を食ふところの糞虫なり。蛞蝓のごとく、大いさ、臂〔ひぢ〕のごとし。綠を食へば、則ち、綠、紅きを食へば、則ち、紅〔くれなゐ〕たり。但し、綠色の者、多く、以つて、淸く、脆くして、佳〔よ〕し。黃色のごときは、爛結〔らんけつ〕にして貴〔たふと〕からず。紅の者は赤痢を治すべし』と。
「正字通」に曰はく、『海粉母〔かいふんぼ/あめふらし〕は、墨魚〔いか〕の形のごとく、大いさ、三、四寸。冬、家の中に畜〔か〕ひ、春、海濱の田の内に種〔ま〕く。色、綠にして、荷包〔かはう〕に似る。飮むに、此れより、入れ、溲〔いばりす〕るに、此れより、出だす。今の海粉、即ち、溲〔いばり〕する所〔ところ〕のものなり。故に海粉を吐く者を、之れの母と謂ふ。或いは曰はく、「竹の枝をして田中に挿せば、母、枝に緣〔よ〕りて吐き出だし、粉と成る』と【「品字箋」、之れに同じ。】。
「居易錄〔きよいろく〕」に曰はく、『海蠶は、大いさ、蠶〔かひこ〕のごとく、靑黑色。頂きに一つの竅〔あな〕有り。温台人、塘〔たう〕の中に取り置き、竹を挿〔さ〕して、林のごとくにす。蠶〔さん〕、水草を食ふこと、之れ、久しくせば、則ち、竹を緣〔たより〕として上〔のぼ〕り、竅より、粉を吐く。竹の末に粉として凝〔こ〕れば、盡くの蠶、水に入りて死す。即ち、これ、海粉なり』と。
「廣東新語」に曰はく、『海珠は、狀、蛞蝓〔なめくぢ〕のごとく、大いさ、臂〔ひぢ〕のごとし。海菜を茹〔くら〕ふ所のものなり。海濱の淺水に於いて、絲を吐く。是れ、「海粉」と爲〔な〕す。鮮なる時は、或いは紅、或いは綠にして、海菜の色に隨ひ、而して、成る。曬〔さら〕し晾〔かげぼし〕するの法を得ざるものは、則ち、黃なり。五色を有する者は、痰を治す。或いは曰はく、「此の物、海珠母と名づく。墨魚〔いか〕のごとし。大いさ、三、四寸。海人、冬、家に養ひて、春、之れを瀕海〔ひんかい〕の田中に種〔ま〕く。遍〔あまね〕く、竹の枝を挿す。其の母、竹の枝に上り、吐き出す。是れを、「海粉」と爲す。濕〔しつ〕に乘じて、之れを舒〔の〕べ展〔ひろ〕ぐ。殆んど結を成さず。以つて羹湯〔あつもの〕に㸃じて佳なり」と』と。
[やぶちゃん注:一般に代表種とされるのは、
腹足綱異鰓上目後鰓目無楯亜目アメフラシ上科アメフラシ科アメフラシ属アメフラシ Aplysia kurodai
であるが、本邦でよく見かけるのは、これの他に、同属の、
アマクサアメフラシ Aplysia Juliana
クロヘリアメフラシ Aplysia parvula
ミドリアメフラシ Aplysia oculifera
ジャノメアメフラシ Aplysia argus
の他、一種だけアメフラシと呼ばれないアメフラシの仲間である、
アメフラシ科タツナミガイ亜科タツナミガイ属タツナミガイ Dolabella auricularia
(立浪貝)がエントリーされると思う(他にも数種がいる)。タツナミガイはアメフラシと近縁だが、大型であること、皮が硬く、柔かなアメフラシに比すと遙かに柔軟性がないことなどから、恐らく見かけても、アメフラシの仲間(アメフラシ科 Aplysiidae)とは思わない人が殆んどであろう。私自身、二十代の半ばまで、海産生物フリークとしてはお恥ずかしいことに、何度も磯観察で見つけて、弱った個体を手にとったりしたのだが、それを小さな頃から図鑑で見ていたタツナミガイ(しかし大体が海藻の生えた塊り見たような写真が多かった)だとは思わず、「ある種のウミウシか何かが特殊な病気で硬化して死んだんだろう」(後鰓目 Opisthobranchia ではあるから、全くの的外れではなかったが)ぐらいにしか思わず、結局、真剣に考えなかったほどだからである。後にうっかりタイド・プールにいた彼を踏みつけ、アメフラシ同様の紫の液汁を出るのを見て、遅ればせながら、タツナミガイとして認知したのであった。なお、何故、彼らだけが「カイ」で呼ばれているかについては、ウィキの「タツナミガイ」から引いておく。『アメフラシと同様、殻は退化して薄い板状となり、外からは見えない。ただし』、『アメフラシのそれが膜状に柔らかくなっているのに比べ、タツナミガイのそれは薄いながらも』、『石灰化して硬い。時に砂浜にそれが単体で打ち上げられることもある。そのため』、『貝類図鑑にも載ることがある』。『その先端に巻貝の形の名残があって渦巻きに近い形になっている。タツナミガイとは立浪貝の意味で、この殻の形を波頭の図柄に見立てたもの』なのである。
なお、今一つ、アメフラシ科でありながら、不当な和名をつけられている種に顕花植物であるアマモの葉状に特化して棲息する、全国的に見られる、
アメフラシ科ウミナメクジ属ウミナメクジ Petalifera punctulata
がいるから、彼もアメフラシの一種だから(アメフラシには見えないけどね)挙げておこう。可哀そうな和名を告発するためにも。
「ウミシカ」「海鹿」。私の栗本丹洲の「栗氏千蟲譜」巻八の「海鼠 附録 雨虎(海鹿)」の電子化の、彼の挿絵(四葉ある)を、是非、見て戴きたいが、その体型が鹿をシミュラクラさせることは間違いない。丹洲のアメフラシの図は出色の出来と思う。
「大和本草」「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 海鹿」で既に電子化注済み。そこには大島の「ウミヤウジ」(「海楊枝」で二本の触角を楊枝に喩えたものと思われる)の異名が示されてある。
「イソネズミ」「磯鼠」。しかし、これでは「海鼠(なまこ)」と混同してしまう。
「紀州若山」和歌山。しかし、こうは普通、書かない。
「ベチナベ」漢字表記不詳。現行では生き残っていないか。一つ、畔田は挙げていないが、アメフラシの一方の異名には「海牛」があり、そこから牛のかなりメジャーな方言名(特に東北)の「ベコ」があり、この「ベチ」は「ベコ」の再転訛かも知れないと、ふと思った。なお、「海牛はウミウシだろ!」と突っ込む方に言っておくと、英語ではアメフラシは「sea cow」で「海の牛」だが、一般のウミウシ類を英語では「sea slug」で「海のナメクジ」と呼ぶと答えておこう。個別分類に概して弱い一般英語であるが、これは珍しい。ウミウシはアメフラシと近縁で同じ異鰓上目 Heterobranchia ではあるが、現行では裸鰓目 Nudibranchia に別れている(永く馴染んできた後鰓類(Opisthobranchia)は現在はタクソンとして立てなくなってしまった)。事実、闘牛の盛んな島根県隠岐諸島隠岐の島町ではアメフラシを「ベコ」と呼び、他でも「イソウシ」(磯牛)の異名がある。
「田邊」南方熊楠先生の本拠地。
「ウミネコ」「海猫」。腑に落ちる異名である。
「伊豫西條」現在の愛媛県西条市(グーグル・マップ・データ)。藩制期には西条藩が置かれていた。
「ナメクジ」「蛞蝓」。不当。遙かに可愛い。
「イチツボ」「一壺」か。外見上、口腔のみが目立つからであろう。後に「一竅」と出る。
「紀州海士〔あま〕郡加太浦〔かだうら〕」現在の和歌山県和歌山市加太の加太湾及び加太沿岸(グーグル・マップ・データ)。
「イソツビ」まずは「磯螺」か。腹足類であるから、分類学上は腑に落ちる。体内に殻の痕跡を有するが、殆んどのアメフラシ類のそれは、寧ろ、斧足類(二枚貝)の貝殻の一枚のように見えるものが多い。但し、私は一見した瞬間に、「磯玉門」「磯𡱖」(孰れも「いそつび」と読む)を想起した。「つび」は女性生殖器の外陰部の古名である。襞状のアメフラシの背部は、そのシミュラクラとして非常に相応しいと考えるからである。
「オハグロ」「鉄漿」。体色由来と思われる。
「雜賀崎浦〔さいかざきうら〕」は和歌山県和歌山市雑賀崎(さいかざき)(グーグル・マップ・データ)。和歌山市街の西南端。南東直近に歌枕として知られる「和歌の浦」がある。
「チモリ」「血盛」か。多量に噴出させる紫色の液汁を血に喩えることは以下にも出る。
「讚州八島」源平合戦で知られる屋島壇ノ浦、現在の香川県高松市屋島(グーグル・マップ・データ)。
「ヒヨリジケ」以下の割注から「日和時化」である。なお、注意しなくてはならないのは、しばしば言われるかの紫色の曇り(「アメフラシを脅して紫の液体を噴出させると雨になる」という伝承は全国的にある)からではなく、「此の者、多く海上に浮〔うか〕めば、天の色、變ず。故に名づく」とあることで、これは、空は晴れていても、離れた低気圧によって海が荒れ、それがやや離れた海域の浅海の海底をも攪拌し、アメフラシが水面に浮かび出るという、ある程度、科学的に説明可能な根拠に基づくものである点である。
「備後因島」現在の広島県尾道市に属する島嶼である因島(いんのしま)(グーグル・マップ・データ)。
「ウミウサギ」「海兎」。私はこれが一番好き。彼らの可愛らしさに相応しいからである。しかし、本州南部以南に棲息する殻が白く美しい大型の巻貝に、腹足綱直腹足亜綱新生腹足上目吸腔目高腹足亜目タマキビ型下目タカラガイ上科ウミウサギガイ科ウミウサギ属ウミウサギ Ovula ovum がおり、こちらの方が、名にし負う点でしっくりはくる。但し、貝のウミウサギは生時は黒い外套膜で殼部分を全面的に覆っており、外見上は「海の兎」には見えない。
「土佐浦戶〔うらど〕」高知県高知市浦戸(グーグル・マップ・データ)。坂本龍馬像があることで知られる。
「淡州都志〔つし〕」兵庫県洲本市五色町都志(グーグル・マップ・データ)。
「尾州智多郡小野浦」愛知県知多郡美浜町大字小野浦(グーグル・マップ・データ)。
「海蠶」意味は分かるが、これは寧ろナマコに相応しく、実際に「海蚕」は海鼠の異名にもある。また、現代中国ではゴカイ類にもこれを当てる。
「泥障〔はふり〕現代仮名遣「あおり」で、「障泥」とも書く。馬具の付属具の名で、鞍橋(くらぼね)の四緒手(しおで)に結び垂らし、馬の汗や蹴上げる泥を防ぐためのもの。下鞍(したぐら)の小さい「大和鞍」や「水干鞍」に用い、毛皮や皺革(しぼかわ)で円形に作るのを例としたが、武官は方形とし、「尺(さく)の障泥(あおり)」と呼んで用いた。場所と形が頭に浮かばぬ方は、参照した小学館「デジタル大辞泉」の「あおり」の解説の下の画像をクリックされたい。
「紫黑の血」発生器官を紫汁腺と呼ぶ。「アメフラシ」は「雨降らし」で、鮮やかな紫色の液体が海中で放出されると雨雲のように群ら立つことによる。この液体にはフィコエリスロビリン(Phycoerythrobilin:光合成に於ける主要な集光色素の一つである蛋白質の一種。則ち、これは摂餌する藻類由来である)とアプリシオビオリン(aplysioviolin:同前の物質)という二つの成分が含まれており、この二種はアメフラシの天敵である大型甲殻類に対して、強い摂食阻害活性を示し、防禦物質としての役割を持っていることが、近年、判った。毒々しい紫色は単に偶然のもので、目隠しをしたカニ類で実験しても、反応は同じだったという専門家の記載があるから、結構、強烈だわさ!
「炮炙論」南宋の雷斅(らいこう)が漢方に於ける炮製(ほうせい:漢方薬の製剤過程に於いて薬剤から不要な成分を除去して有効成分を抽出する便宜のため、或いは原対象物が持つ毒性の軽減などを目的として一定の加工調整を行うことを言う)を特に扱った専門書「雷公炮炙論」のことであろう。
「血竭」龍血(りゅうけつ)の異名。古来、洋の東西を問わず、貴重品として取り引きされ、薬用やさまざまな用途に用いられてきた、赤みを帯びた固形物質の称。参照したウィキの「竜血」によれば、中国では「麒麟竭(きりんけつ)」などとも呼ばれる「龍血」が『古くから知られ、漢方にも用いられてきた』。一九七二年に中国国内で「竜血樹」(単子葉植物綱キジカクシ目キジカクシ科スズラン亜科ドラセナ属 Dracaena の一種)が『発見されるまでは、血竭の需要は東南アジアとアフリカからの輸入に頼っていた。アフリカではリュウゼツラン科』(単子葉植物綱ユリ目リュウゼツラン科 Agavaceae)の『植物の幹から血竭をとり』、二千『年以上の歴史がある」とする資料がネット上には見られる』。『現在は、Dracaena cochinchinensis(剣葉竜血樹』『Cochinchinaはベトナム南部を指す旧称)とDracaena cambodiana(海南竜血樹)の』二『種がおもに利用され、東南アジアや中国南部で血竭が生産されている』。明の李時珍の「本草綱目」には、『「騏驎竭」として記載があり、さまざまな資料を引いて』、『おおむね「松脂のような樹脂の流れてかたまったもの」として』おり、これは「龍血樹の龍血」に『ついて解説していると見て間違いがないが』、十一世紀に北宋の宰相で科学者でもあった蘇頌(そしょう)が記した「本草図経」からの『引用として「今南蕃諸国及広州皆出之」とする』。『しかし同書にはまた別資料からの引用として「此物出於西胡」ともある』。『いずれにしても現在の中国で漢方薬、民間薬、その他に利用される』ところの「麒麟竭」は、『ドラセナ属とは全く別種の植物・キリンケツヤシDaemonorops dracoの実から精製したものが最も多い』。『ちなみに、ドラセナ属由来のものとキリンケツヤシ由来のものとを混同しているような様子は全く見られない』が、しかしまた、『両者を区別して用いることはあまり行われていないようである』。「本草綱目」によれば、「騏驎竭」の『主治は』「心腹卒痛、金瘡血出、破積血、止痛生肉、去五臟邪気」とあって、「活血の聖薬」であるとしている。『おもな方剤には七厘散(しちりんさん)などがあ』り、また、『民間薬としては創傷、打撲、皮膚癬などに外用することもある』。『その他、西洋の竜血と同様に塗料や着色の用途にも用いられる。春節や慶時に使う紅紙』『(ホンチー)の着色にも用いるという』とあった。
「其の子を產すること、透明にして、絹糸のごとし」不審。以下に記される通り、色彩変異が多いが(一般には黄色系が多い)、透明ではない。グーグル画像検索「ウミゾウメン アメフラシ 卵」を見られたい。
「キヌイトノリ」検索したが、この呼称は現在、生きていない模様である。私自身、初めて聴いた。
「海粉」はアメフラシ類の卵塊(通称で「海素麺(うみぞうめん)」と呼ぶ。なお、「ウミゾウメン」は紅藻植物門紅藻綱真性紅藻亜綱ウミゾウメン目ベニモヅク科ウミゾウメン属ウミゾウメン Nemalion vermiculars の正式和名であるので、混同しないように(後述する通り、アメフラシ類の卵塊には毒性のあるものがあるからである)注意が必要である。)を乾燥させたもの。本邦では一般的には食用としないが(後述)、中国では漢方生薬の材料として古くから知られている。中文サイトの中医薬のサイトの「海粉」を見られたい。因みに、ここの解説に原材料を産む種として示されているのは、アメフラシ科フウセンウミウシ属フウセンアメフラシ Notarchus punctatus である。所持する現行で最新最大の学術的海岸動物図鑑である西村三郎編著「原色検索日本海岸動物図鑑[Ⅰ]」(保育社平成四(一九九二)年刊)によれば、相模湾・三重県鳥羽市沖の菅島(すがしま)・紀伊半島・富山附近に分布するとある。但し、同書では本種を「フウセンウミウシ」としており、私は戴けない(同様の記載はネット上にもあるが、アメフラシとして復権させるべきである)。なお、ウィキの「アメフラシ」によれば、まず、アメフラシ本体は一般的には食用にしない。『卵は食糧難の頃などは食用にされたことはあるが、美味しいものではなく、毒性の問題もあり』、『通常は食用とされない』、しかし、『島根県の隠岐島や島根半島、鹿児島県の徳之島、千葉県いすみ市(旧大原町)、鳥取県中西部などでは身を食用にする。隠岐島では「ベコ」と呼ばれる。産卵期の春~初夏に採取して、臭いが強い内臓を除いて湯がき、冷凍しておく。調理は、刻んで柚子味噌あえなどにする。身自体は無味に近く、酒のツマミなどとして食感を楽しむ』。『ただし、アメフラシがシガテラを吸収した毒を持つ海藻類を食べていると』、『その毒がアメフラシに蓄積されている可能性があるため』(卵も同様)、『注意が必要。食用している海域では毒の元となる海藻類が無いとされているため食せるが、気候変動等により海藻の植生が変化している可能性もある。味はほとんどない』とある。私は八年前に、知夫里島に行った際、教育委員会制作のアメフラシの料理法を興味深く読んだが、夏の暑い盛りで、遂に食べる機会を逸してしまった(旬は春である)。悔やまれる。私の「隠岐日記4付録 ♪知夫里島のアメフラシの食べ方♪」で電子化してある。
「海粉母」後で出るが、「海粉」を生む「母」の意でアメフラシ成体を指す。但し、アメフラシは雌雄同体である。頭部の方に♂の生殖器官が、背中に♀の生殖器官を有する。春から夏にかけて、前方の個体の♀の器官に、後方から来た個体が♂の器官を挿入する形で交尾が行われるが、これが一組ではなく、何個体もが後に繋がって交尾することがよく知られている(私も数回、現認した)。これを「連鎖交尾」と称する。
「嶺南雜記」清の呉震方撰になる嶺南地方の地誌。この原文(江戸時代の原本縮刻版「雜記五種」の内)部分は下巻の物産類に出、早稲田大学図書館「古典総合データベース」のここと、ここで視認出来る。「而佳」が「爲佳」、「𨆇結」が「爛結」と、若干の異同がある。「𨆇」は「康煕字典」を見ると「這い足」の意であるから、外套膜の歩足様の部分を指すのかと思ったが、こちらの「爛結」で、見た目が爛れて結節を生じているように見えるものは、品質が落ち、価値が劣る、の謂いで、ずっと腑に落ちる。
「糞虫」「糞」は単なる「下等な」のニュアンスであろう。
「正字通」明の張自烈の著になる字書であるが、後に清の廖(りょう)文英がその原稿を手に入れて自著として刊行した。十二支の符号を付した十二巻を、それぞれ上中下に分け、部首と画数によって文字を配列して解説を加えたもの。形式は、ほぼ、明の梅膺祚 (ようそ) の「字彙」に倣いつつ、その誤りを正して訓詁を増したものであるが、本書自体にも誤りは少くない。「字彙」とともに「康煕字典」の基礎となった。「中國哲學書電子化計劃」で原本画像が視認出来、「卷八」の「粉」部のここと、ここに出る。
「墨魚〔いか〕」烏賊。頭足綱鞘形亜綱十腕形上目 Decapodiformes のイカのこと。しかし、イカに似ているとすれば、形ではなく、色と柔軟さかなぁ。
「冬、家の中に畜〔か〕ひ、春、海濱の田の内に種〔ま〕く」「田」はこの場合、海水を引き込んだ人工のタイド・プールである。しかし、中国で古くからアメフラシを飼育し、ウミゾウメンを産まさせて、それを漢方薬剤として卸していたとは! 正直、魂消た!!!
「荷包」財布にするような入れ口が一つの小袋、巾着のこと。
「飮むに、此れより、入れ、溲〔いばりす〕るに、此れより、出だす。今の海粉、即ち、溲〔いばり〕する所〔ところ〕のものなり。」「溲〔いばりす〕る」は小便をするの意。この部分、読まずんばならざる故に、強引に訓じたもので、全く以って自信がない。謂わば『「ためにする」訓読』であることを自白する。かく読んで、意味が腑に落ちたのかと詰問されれば、黙るしかないのだがが、取り敢えずは「アメフラシは一箇所の小袋の口のような穴から物を飲み込み、排泄する時も同じ穴から出す。今、海粉と呼んでいるものは、則ち、その排泄物由来の物なのである」という謂いを念頭に置いて訓じてはいる(無論、口と排泄腔は別であり、肛門と生殖巣の出産孔は別であるが、ごく近接しており、しかも両者は外套腔の中に開いているから、見かけ上では、排泄と出産の方は同一部分から行っているようには見える)。今一つ、読みにブレがある気が強くしている。どうか、お知恵を拝借したく存ずるものである。
「品字箋」清の虞徳升著で虞嗣集補註になる韻書。「中國哲學書電子化計劃」のこちらの検索結果で当該部が判る。
「居易錄」清の王士禎の著になる随筆。巻二十四の冒頭にドンと出る。リンク先は維基文庫の縦書電子化。
「温台人」温州と台州(だいしゅう)の人民。現在の浙江省東南沿海に位置する温州市と、その北に接する同省の台州市。ここ(温州市をグーグル・マップ・データで示した)。
「塘〔たう〕」ここはタイド・プールのこと。言っておくが、アメフラシは汽水域では生きて行けないから、しっかり海水を引き込まなくではならず、泥底の潟でもだめである。
「水草」海藻或いはアマモなどの海草。
「竹を緣〔たより〕として上〔のぼ〕り、竅より、粉を吐く。竹の末に粉として凝〔こ〕れば、盡くの蠶、水に入りて死す」この辺りでアメフラシ(厳密にはアメフラシの卵塊)の独特の養殖法が見えてくる。竹の枝の途中にカマキリの卵のように産ませるというのである。そのまま抜き出して、吊るして乾せばいいから、一石二鳥ではある。しかし、都合よくアメフラシが挿した枝を登ってそんな風に産むもんだろうか? 普通は、岩場の潮間帯に産むけどなぁ? 海の傍でないと実験は出来んしなぁ。今一つ考えているのは、残酷だけど、竹の枝で海底にアメフラシの体を貫いて刺すというのはどうか? いやいや、それでは交尾が出来ない。では、ただ刺し貫いて、動けるようにしてはおく、というのはどうか? 孰れにせよ、子孫を皆、薬にされてしまい、「ああ、可愛そうなは、アメフラシでござい……」だなぁ……なお、通常のアメフラシ類の寿命は一年から二年である。
「廣東新語」清初の屈大均(一六三五年~一六九五年)撰になる、広東に於ける天文・地理・経済・物産・人物・風俗などを記す。「広東通志」の不足を補ったもの。全二十八巻。早稲田大学図書館の「古典総合データベース」の原本画像のここで見られる。
「海珠」中文サイトの「海兔毒素」のページに「海兔」(うみうさぎ=アメフラシ)の別名として出る(しかし添えてある図は確かであるが、下方の写真のそれはアメフラシではなく、明らかにウミウシの一種である。あかんね)。そこに出る、Stylocheilus longicauda は、アメフラシ科クロスジアメフラシ属 ヒメミドリアメフラシで当該種は本邦にもいる。
「茹〔くら〕ふ」「食らふ」に同じい。
「海菜」やはり、海藻或いは海草。
「曬〔さら〕し晾〔かげぼし〕する」漢字の意義を調べ、訓読み風にした。
「瀕海〔ひんかい〕」臨海に同じい。
「濕〔しつ〕に乘じて」と読んではみたものの、意味不明。湿「気を含んだ活きのいい卵塊を何かに載せて」の謂いか。
「殆んど結を成さず」乾燥すると、殆んど凝固はしない、の意か。そうした性質ならば、ばらばらにはし易いし、粉にもし易かろう。
「羹湯〔あつもの〕に㸃じて佳なり」初めてアメフラシを食用として示したものが最後に出た。「羹湯」は魚や鶏肉などを入れた熱いスープのこと。因みに、私の見た原拠では最後は「佳」ではなく、「作」であった。まあ、「作る」「作(な)す」で問題はない。]