畔田翠山「水族志」 (二五一) ウミミミズ (ホシムシ・ユムシ・ギボシムシ)
(二五一)
ウミミヽズ[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]【紀州田納浦】 土笋 海底ニ生ス形狀蚯蚓ノ如ク太ク大ニ乄節アリ半ニテ大ナル節ハ𢌞リ三寸許頭尾ノ節次第ニ小也。肉色ニ乄長サ一尺許閩小記曰予在閩常食土笋凍味甚鮮異但聞其生於海濱形類蚯蚓不識何狀五雜組曰又有土笋者全類蚯蚓按嶺南雜記嶺南人喜食蛇易其名茅曰鱔[やぶちゃん注:「鱔」は判読不能であったが、「嶺南雜記」を江戸時代の翻刻本で確認して当てた。後注する。]食草螽易其名曰茅蝦鼠曰家鹿曲蟮曰土笋以此考ルニ土笋ハ蚯蚓ナリ然則海ミヽズハ即海產土笋也土笋海底泥中ニ產ス㋑一種ウミミヽズ海濱砂泥中ニ生ス穴ヲ發乄之ヲ捕フ長サ二三尺ニ至ル閩中海錯疏ニ土鑽似砂蠶而長紀州若浦毛見浦等ニ產者アリ長サ二三尺蚯蚓ノ如シ臭氣アリテ手ニ觸レハ臭氣移リ去リガタシ
○やぶちゃんの書き下し文
(二五一)
ウミミヽズ【紀州田納浦。】 土笋〔ドジユン〕 海底に生ず。形狀、蚯蚓〔みみづ〕のごとく、太く、大にして、節あり。半〔なかば〕にて、大なる節は、𢌞〔めぐ〕り、三寸許〔ばか〕り、頭尾の節は、次第に小となる。肉色にして、長さ一尺許り。
「閩小記〔びんしやうき〕」に曰はく、『予、閩に在りて、常に「土笋凍〔どじゆんとう〕」を食ふ。味、甚だ鮮にして異なり。但し、其れ、「海濱に生じ、形、蚯蚓に類す」と聞く。何〔いか〕なる狀〔かたち〕かを識らず』と。
「五雜組」に曰はく、『又、土笋なる有るは、全〔すべ〕て蚯蚓の類なり』と。
按ずるに、「嶺南雜記」に『嶺南人〔れいなんひと〕、喜んで蛇を食ふ。其の名を易〔か〕へ、「茅鱔〔チセン/チタ〕」と曰〔い〕ふ。草螽〔サウシユウ〕を食ふ。其の名を易へて、「茅蝦〔チカ〕」と曰ふ。鼠、「家鹿〔カロク〕」と曰ひ、曲蟮〔キヨクセン/キヨクタ〕、「土笋〔ドイン〕」と曰ふ』と。此れを以つて考〔かんがふ〕るに、「土笋」は蚯蚓なり。然らば、則ち、「海みゝず」は、即ち、海產「土笋」なり。土笋、海底の泥中に產す。
㋑一種、「うみみゝず」あり。海濱の砂泥の中に生ず。穴を發〔おこ〕して之れを捕〔とら〕ふ。長さ、二、三尺に至る。「閩中海錯疏〔びんちゆうかいさくそ〕」に、『土鑽〔どさん〕、砂蠶〔ささん〕に似て、長し』と。紀州若浦・毛見浦等に產する者あり、長さ、二、三尺、蚯蚓の如し。臭氣ありて、手に觸〔ふる〕れば、臭氣移り、去りがたし。
[やぶちゃん注:原本はここから次のページにかけて載る。これは既に「大和本草卷之十三 魚之下 むかでくじら (さて……正体は……読んでのお楽しみ!)」で訓読文を電子化しているが、今回、新たに原文を示し、さらにゼロから訓読した。さても、そこで私は、総体に於いて、これを、
環形動物門 Annelida の星口(ほしくち)動物 Sipuncula(嘗ては星口動物門Sipunculaとして独立させていた)の一種
とした。その同定比定に私は今も問題を感じない。対象種は本邦産種や漢籍の中の記載された種を含めると、かなりの複数種を候補としないとだめで、また、この痩せた記載では同定は不可能と言える。実際、ただの海の生き物好きの方では、まず、「ああ、あれね!」と想起出来る方は、恐らく日本では少ないと私は思う。「あの、マジ、ミミズっぽい感じの奴?」と言う方は、多分、当たっている。私自身、金沢八景で妻と友人夫婦とで潮干狩りをした時にたまたま発見した程度で、ユムシ(環形動物門ユムシ目ユムシ科ユムシ属ユムシ Urechis unicinctus。漢字では「螠」。韓国で好んで食用とされ、私も日本でとある店主に韓国から取り寄せて貰って刺身で食べたことがある。貝のようで、まことに美味い。本邦でも北海道などで珍味として食すようではある。なお、同種は嘗ては「ユムシ動物門 Echiura」として独立していたが、現在は環形動物門 Annelida に吸収された)の子どもかと最初は誤認した(恐らくはその形状からスジホシムシ綱フクロホシムシ目スジホシムシ目スジホシムシ科スジホシムシ Sipunculus nudus か、或いは近縁種のスジホシムシモドキ Siphonosoma cumanense だったのではないかと踏んでいる。なお、スジホシムシはミクロネシアフィリピンでは食用にされている)。それでも全世界の潮間帯から超深海まで広く分布し、その数、凡そ十七属二千種以上、本邦では十四属約五十種が報告されている(以上の数値は西村三郎編著「原色検索日本海岸動物図鑑[Ⅰ]」(保育社平成四(一九九二)年刊)に拠っているので、今はもっと種数が増えている可能性が高い)。相模湾・三重県鳥羽市沖。砂泥中・海藻の根元などに潜んでいるか、岩礁や珊瑚礁の岩盤に穴を掘って生活し、有機物の細片を摂餌している、地味な連中である。のっぺりとした円筒形の、ごく細いソーセージ状の蠕虫で、見た目はミミズ或いはヒルに似ている。大きさは数ミリメートルから五十センチメートルまで多様はであるが、我々が目にする種は三~十センチメートル程度のものが多い。体は体幹部と陥入吻(かんにゅうふん)から成り、陥入吻は胴部に完全に引き込むことができ、その先端に口があって、その周囲又は背側に触手が多数ある。和名の「星口」は、この口の周囲で触手が放射状に広がる種のそれを星に見立てたドイツ語名「Sternwürmer」(シュテルンヴルマァ:「星型の蠕虫」)に由来するようである。その中でも、特に中国などで食用とされているのは、
サメハダホシムシ綱サメハダホシムシ目サメハダホシムシ科サメハダホシムシ属(漢名:「土筍」或いは「可口革囊星蟲」)Phascolosoma esculenta
が代表種である(「閩小記」「五雜組」に出る「土笋」は本種が確実に含まれていると考えてよい。和名はなく、データシステム「BISMaL」(Biological Information System for Marine Life)のツリーでも同種は挙っていないから、本邦には棲息していない可能性が高いので、厳密には畔田の記載はやや混同が見られると考えるべきであろう。なお、「笋」の音「ジユン(ジュン)」は慣用音であって正しくは「シユン(シュン)」が正しい)。ウィキの「土筍凍」を見よう。閩南語(福建省南部で話される方言で福建語とも呼ぶ)で「thô·-sún-tàng」(トースンタン)、北京語で読むと「tǔsǔn dòng」(トゥースエンドン)。他に「塗筍凍」とも書く。中国福建省の泉州市やアモイ市近郊の郷土料理で、『星口動物のサメハダホシムシ類を煮こごりにした料理』とある(「凍」が「煮凝り」で腑に落ちた。なお、種は中文の同ウィキの記載でも確認した)。『浙江省から海南省にかけての近海の砂地に生息する星口動物サメハダホシムシ目サメハダホシムシ科』Phascolosomatidae『の「土筍」』(別名は「塗筍」「塗蚯」「海沙虫」「沙虫」「泥蒜」「可口革嚢星虫」とするが、総てが生物学上の同一種を指すとは思われない)を一日ほど、『泥を吐かせ、さらに押して内臓の中から異物を出した後、繰り返し洗い、水でぐらぐら煮てから、碗やバットに入れ、冷やし固めたもの』。『この「土筍」にはコラーゲンが多く、煮ることによって煮汁に溶け出してゼラチンとなり、冷やすとゼリーのように固まる。貝の出汁と塩などで薄味を付けておき、そのまま、または酢、酢醤油をつけて食べる他、唐辛子味噌、おろしまたは刻みニンニク、辛子などの調味料や、コリアンダー、トマト、酢漬けのダイコン』やニンジンなどの『薬味と合わせて食べることも行われている』。『もともと、晋江市安海鎮周辺の郷土料理であったが、現在は泉州市、アモイ市の多くの海鮮料理のレストランで食べることができる。また、泉州市の中山路、晋江市の陽光路などの繁華街、アモイ市の歩行者天国となっている中山路などでは露天商もこれをよく売っている』。『大きさには』一、二匹が入った直径四センチほどの猪口(ちょく)サイズの小さなものから、数匹が入った直径六センチほどの中型のもの、十数匹が入った直径八センチ以上の茶碗サイズの『大型のものなどがある。大型のものは、切り分けて出されることもある』。『作られ始めた時期は不明であるが、清代には記録があり』、周亮工(一六一二年~一六七二年)は随筆「閩小記」(畔田が引いたそのものである)の中で、『「予は閩でしばしば土筍凍を食すが、味ははなはだうまし。だが海浜にいると聞き、形はミミズに似たナマコである」』『などと記していることから、少なくとも』三百五十『年以上の歴史はある』。『厦門で現在のような丸い碗入りのものが普及したのは』、一九三〇『年代に安渓県出身の廖金鋭』(りょうきんえい)『が厦門の篔簹港』(うんとうこう)『で採れた「土筍」を使って作り、市内を売り歩いたのが大きいとされる』。『味が良いと評判で、中山公園西門付近で売っていた事が多く、「西門土筍凍」と呼んで、他のものと区別された。後に、廖金鋭から仕入れて、自分の店に置いて売る者もいくつか現れた。晩年、中山公園西門付近の斗西路に店を構え』、一九九〇『年代に廖金鋭が亡くなると、息子の廖天河夫妻が跡を継ぎ、現在も人気店として営業をしている』。『廖金鋭が存命の時期でも、厦門の埋め立てや都市化が進んでほとんど「土筍」が採れなくなり、福建省北部から仕入れるようになった。近年は福建省各地の工業化が進んで、「土筍」の漁獲量が減ったため、浙江省などからも運ばれており、浙江省温嶺市などでは人工養殖も行われている』。『素材である浙江省温嶺市産の冷凍「土筍」の営養素を分析した例では、次のような結果であった』。『水分80.97%、タンパク質12.00%、ミネラル2.13%、炭水化物1.58%、脂肪1.26%。また、脂肪分の内訳では、脂肪酸が84.93%、コレステロール15.07%と、比較的低コレステロールであった。総脂肪酸の内、アラキドン酸が20.11%、エイコサペンタエン酸(EPA)が4.14%、ドコサヘキサエン酸(DHA)が2.04%と不飽和脂肪酸が高かった。また、アミノ酸では、必須アミノ酸のすべてを含み、特にグルタミン酸、グリシン、アルギニンを多く含む』とある。中国人の動画が多数あるので現物を見るのは簡単であるが、採取から加工までのものはニョロニョロ系が苦手な人は見ない方がいいかも知れない。大丈夫ならば、それらの過程が総て映っている非常に綺麗な画像の、YouTube の中国江西网络广播电视台 China Jiangxi Radio and Television Networkの「【非遗美食】美食精选: 土笋冻」がお薦めである。せっかく煮凝りとするためにセットしたものを、お孫さんがちょこちょこっと、傍から出て来て、勝手に開けて「ぱくぱく!」っていかにも美味しそうに、そ奴を食べちゃうところが、とっても、いい! さて、では、畔田の言っている本邦の畔田が頭に挙げた「ウミミミズ」は何かということに帰結するが、ここはやはりホシムシであろうと考える。但し、先に示したスジホシムシだと、「一尺」というサイズが、やや大きい(スジホシムシは最大でも二十センチメートル)。ところが、そこに並べたスジホシムシモドキは最大で四十センチメートルに達するので、これを第一候補としてよいように思われる。
「紀州田納浦」この地名では現認出来ない。思うに和歌山県和歌山市田野(たの)(グーグル・マップ・データ)のことではあるまいか。漁港名は「田ノ浦」であり、畔田が盛んに採取地として挙げる、「雜賀崎浦」と「若浦」(和歌の浦)の丁度、中間に当たる海辺に当たる。
「閩小記」筆者周亮工と以下の引用部については、既に「ナマコ」の注で電子化してあるので参照されたい。但し、ここには複雑な勘違いが含まれているので、やや面倒である。周は閩でサメハダホシムシの仲間を製した「土筍凍」を食べたが、後に閲(けみ)した「寧波志」に載っている「沙噀」(これはナマコを意味する)の記載を読んで、「私が食べた『土筍凍』は、この『沙噀』のことだったのだ!」と合点したところが、大間違いだからである。そちらには「塊然一物如牛馬腸髒」とあるわけであって、サメハダホシムシ類とナマコ類を並べたら、凡そ牛や馬の汚れた腸のようには見えるのは、ナマコに決まっていることは誰もが請け合うはずである。いや、私は勘違いした周を責めている訳では、実は、ない。寧ろ、その矛盾が判っていたはずである畔田が、「閩小記」の記事の都合のいいところだけを抜萃・分離して、「ナマコ」とこの「ウミミミズ」の項に分けて出したことを非難しているのである。まあ、次の「五雜組」のような記載を読んでしまうと、みんな、ミミズにしか見えなくなるという気持ちは心情的には判らぬではない。しかし、やはり、「私が一目置く博物学者畔田翠山にして、ここまでやるか?」と言わざるを得ないのである。
「五雜組」「五雜俎」とも表記する。明の謝肇淛(しゃちょうせい)が撰した歴史考証を含む随筆。全十六巻(天部二巻・地部二巻・人部四巻・物部四巻・事部四巻)。書名は元は古い楽府(がふ)題で、それに「各種の彩(いろどり)を以って布を織る」という自在な対象と考証の比喩の意を掛けた。主たる部分は筆者の読書の心得であるが、国事や歴史の考証も多く含む。一六一六年に刻本されたが、本文で遼東の女真が、後日、明の災いになるであろうという見解を記していたため、清代になって中国では閲覧が禁じられてしまい、中華民国になってやっと復刻されて一般に読まれるようになるという数奇な経緯を持つ。同所の「巻九 物部一」に(「中國哲學書電子化計劃」のものに手を入れた)、
*
南人口食可謂不擇之甚。嶺南蟻卵・蚺蛇、皆爲珍膳。水雞・蝦蟆、其實一類。閩有龍虱者、飛水田中、與灶蟲分毫無別。又有泥筍者、全類蚯蚓、擴而充之、天下殆無不可食之物。燕齊之人、食蠍及蝗。餘行部至安丘、一門人家取草蟲有子者、炸黃色入饌。餘詫、歸語從吏、云、「此中珍品也、名蚰子。縉紳中尤雅嗜之。」。然餘終不敢食也。則蠻方有食毛蟲蜜唧者。又何足怪。
*
とある。これはどう見ても、次の「嶺南雜記」の強い傍証となるところを、何故か畔田はカットして引用を貧弱にしている(但し、話がゲテモノ食のエゲツない方へと脱線してしまうと考えたせいかも知れない)。
「嶺南雜記」「嶺南雜記」清の呉震方撰になる嶺南地方の地誌。この原文(江戸時代の原本縮刻版「雜記五種」の内)部分は下巻の物産類に出、早稲田大学図書館「古典総合データベース」のここで視認出来る。
「茅鱔」「茅」は「茅葺の粗末な家」の意があるから、恐らく、「田舎の」或いは「粗末な」・「貧乏人の」の意味するかと思われる。「鱔」魚は中国語で、中国や台湾で広く食用とされる条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目タウナギ目タウナギ科タウナギ属タウナギ Monopterus albus のことを指す。捌いてしまえば、蛇もタウナギに化けよう。
「草螽」は直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目キリギリス下目キリギリス上科キリギリス科ササキリ亜科ササキリ族ササキリ属 Conocephalus を指す。本邦に棲息するササキリ Conocephalus melaenus も中国に分布するので、それを候補としてもよかろう。「蝦」はエビ類を指すから、「茅蝦」は腑に落ちる。脚の刺がややきついけれど、イナゴを茹でたり、唐揚げにしたものは、エビのような感触になると知人は言っていた。ネットで調べると、イナゴは基本、エビの味で、後にお茶のような香りが残るとあり、オンブバッタの方が茶の香りが濃厚で美味いと書いてあった。昆虫嫌いの私は勘弁だが、敦煌に行く前に北京で北京ダックの飾りに出たサソリの唐揚げ確かに全くエビの味であった。ツアーの二十人の内、食べたのは僕と小学校生の男の子だけで、二人で「美味い! 美味い!」と声を合わせて言って、八匹ほど添えられていたそれを二人で平らげたのを思い出す。ただ、私は尻尾の針がそのまんまであったのに、初めはちょっと戸惑ったのだけれど。
「家鹿」腑に落ちる。
「曲蟮」中国語の現代口語では真正のミミズを指す。
『「海みゝず」は、即ち、海產「土笋」なり。土笋、海底の泥中に產す』これを以って果して畔田が正確にホシムシ類を名指しているいるかどうかは、ちょっと疑問ではあるが、そうでないと否定は出来ない。
『㋑一種、「うみみゝず」あり。海濱の砂泥の中に生ず。穴を發〔おこ〕して之れを捕〔とら〕ふ。長さ、二、三尺に至る』これは長さが半端なくある。これは先に挙げた環形動物門ユムシ目ユムシ科ユムシ属ユムシ Urechis unicinctus とするには、長過ぎる気がする(通常個体は幹体長三十センチメートル。但し、吻を伸ばすのでユムシも候補にはなる)。今一種、希少種となってしまったが、日本固有種で一属一種のサナダユムシ科サナダユムシ属サナダユムシIkeda taenioides なら、体幹長は四十センチメートルだが、吻を十分に伸ばすと一メートル五十センチメートルに達すると、先の「原色検索日本海岸動物図鑑[Ⅰ]」にはあるから、まず、これを第一候補とすべきであろう。しかし……
「閩中海錯疏」明の屠本畯(とほんしゅん 一五四二年~一六二二年)が撰した福建省(「閩」(びん)は同省の略称)周辺の水産動物を記した博物書。一五九六年成立。中国の「維基文庫」のこちらで全文が正字で電子化されている。また、本邦の「漢籍リポジトリ」でも分割で全文が電子化されており、当該の「下卷」はこちらである。但し、引用は部分的で、名義標題は『泥笋 沙蠶 土鑽』で、以下のようにある。
*
泥笋其形如笋而小生江中形醜味甘一名土笋
沙蠶似土笋而長
土鑽似沙蠶而長
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しかし、これをユムシのみに同定比定してよいかどうかは、ただ「長い」とあるばかりで、難しい。「沙(砂)蠶」は漢籍ではゴカイ一般を指すからである。考証は次の注に続く。
「臭氣ありて、手に觸〔ふる〕れば、臭氣移り、去りがたし」私は生時のホシムシの臭いを嗅いだことがない。この臭気が残って去らないというのは、釣りをしたことがある方なら、ゴカイ類で腑に落ちるであろう。特有の磯臭さ、腥(なまぐさ)さがあり、海水で洗ったぐらいでは、なかなか臭いは取れない。……しかし……私は考えた。強烈な臭いだ――腥さなら、海産生物を扱ってきた畔田が「手で触れただけで臭気が移り、それが長く続いて、なかなか消えない」と書くのは解(げ)せない。――ゴカイ類は、釣り餌として針につける際に、彼らの体液に触れることで、あの臭みは移る。触っただけでは、移らない――触れるだけで――もの凄い、ある臭気を放つ物質が――その長さが六十~九十センチメートルに及ぶ長いミミズ様の海産生物から移る――そうだ! これはもしかすると、諸図鑑に於いて、虫体が独特の強い「ヨードホルム」のような臭い発すると記されてある、
半索動物門腸鰓(ギボシムシ)網 Enteropneusta 或いは同綱ギボシムシ科 Ptychoderidae のギボシムシ類
ではないか? 私は生憎、彼らの糞の山は見たことがあるものの、虫体は標本しか見たことがなく、臭いも嗅いだことはない。但し、二十五年ほど前、妻と義父とで知多半島の先の方で潮干狩りをした(誰もいなかった。大バケツ二杯分のアサリを獲った)際、潮が引いたところを深く掘り下げた時、得も言われぬ鼻をつく強い薬物的な臭いが辺りに充満したことがあった。その時は、どしどし獲れる貝漁りが面白く、その臭いのもとを探ることはしなかった。沢山の色とりどりのヒモムシ(紐形動物門 Nemertea)がおり、使用していた園芸スコップでそれらが千切れるから、彼らの体液臭かと思ったが、実はギボシムシを掘り当てていたのかも知れない。ギボシムシは、その形態(後述する)や黄色い体色も見た目で「海蚯蚓」と呼びたくなる生物に相応しいと私は思う。本邦産で潮間帯から潮下帯に棲息する種は、
ギボシムシ科ヒメギボシムシ属ヒメギボシムシ Ptychodera flava(通常は十センチメートル以下だが、潮下帯から採集される個体では時に五十センチメートルに達する)
ギボシムシ科オオギボシムシ属ワダツミギボシムシ Balanoglossus carnosus(全長一メートル、太さ一センチメートルを超す大型種)
オオギボシムシ属ミサキギボシムシ Balanoglossus misakiensis(体長は四十センチメートル以下。千葉県南部の館山以南の太平洋や瀬戸内海に分布する日本固有種)
が和名のある代表種である。虫体は細長いミミズ様で、動きは鈍く、砂泥底に潜って自由生活をし、群体は作らない。先端の吻部はその外形がドングリや擬宝珠(ぎぼし)に似ており、後者が和名のもとになった。その吻部に続いて、「襟」(collar)が短い円筒形をしており、前後が多少くびれたようになってはっきりと帯状の部位が現認出来る。これがまた、成体のミミズが体幹の前方に持つ帯状の部分(先端から三分の一付近で幾つかの体節に跨った肥大した帯状を呈したところ。この箇所は外見上では体節が見えず、そこだけが幅広くなった「節」か「腫れた膨らみ」のように見える)があることは御存じだろう。これを「環帯」(clitellum)と呼ぶが、あれに非常によく似ているのである。その点だけでも私は「ウミミミズ」の名を拝領してよいと考えているのである。さて、その強力な臭いであるが、先の「原色検索日本海岸動物図鑑[Ⅰ]」によれば(以上の各種データもそれを参照した)、『虫体が発する“ヨドホルム臭”と形容される独特の強いにおいは』、『ハロゲン化フェノール類やハロゲン化インドール類によるものである』とある。ウィキの「腸鰓類」(=ギボシムシ類。ニョロニョロ系の実写画像が苦手な人はこのウィキの博物画を見るとよい)によれば、『食餌による供給によらず』、ギボシムシが生来、『臭素を含むブロモフェノールを生成排出し、粘液や砂泥のモンブラン』・『ケーキ状の糞塊もヨード臭・薬品臭を放つ。ブロモフェノールは抗菌作用があり、傷つきやすい皮膚の感染防御と治癒効果を』持つと考えられているとある。さて、ここで畔田は、この「海ミミズ」の一種を、前のホシムシと同じく、「紀州若浦・毛見浦等に產する者」としている。「原色検索日本海岸動物図鑑[Ⅰ]」の「ヒメギボシミムシ」の解説には、通常のギボシムシは棲息している砂泥の穴の口部分に直径五~六センチメートルの糞塊を作るのに、『本種の潮間帯における分布北限である和歌山県串本では』、『おもに転石下に潜み、糞塊を築かない』。『また』、『前後に』二『分された体がそれぞれ失った部分を再生することがここでは頻繁に起きている』とあるのである。この再生も興味深いのだが、ここでは、そのロケーションを見て貰いたいのである。和歌山県串本は紀伊半島の先端のここ(グーグル・マップ・データ)で、その北西九十四キロメートルの位置(「和歌山市」とあるその東直近の海岸線)に「紀州若浦・毛見浦」はあり、南限を厳密に捉えないなら(本州の坂本から南日本の太平洋側及び暖海である瀬戸内海(ミサキギボシムシも候補となる))、この和歌の浦辺りにヒメギボシムシがいた(いる)としてもおかしくないのである。しかも前掲書には『本種のトルナリア』(Tornaria:ギボシムシ類の幼生の名)『幼生は』三ヶ月半から九ヶ月『間浮遊できるので』、『その長距離分散の結果』、『広域分布がたっせされるのであろう』ともあるのである。或いは、この種の一般的な潮間帯個体の長さにやや不足を感ずる向きもあるかも知れぬ。その場合は、横綱級のワダツミギボシムシが控えている。前掲書によれば本種は『館山以南の太平洋岸に生息するが』、『近年』、『個体数が減少した』とある。奇体なギボシムシ類の研究は、実は今まではそうは上手く進んでいなかった。さて、当該書は一九九二年の出版であるが、「東北大学・浅虫海洋生物学教育研究センター」公式サイト内の「半索動物Hemichordata」の千葉県南部の館山以南の太平洋岸に分布が限定されているはずの「ミサキギボシムシ」の解説には『Balanoglossus misakiensis』(斜体でないのはママ)『ギボシムシ網ギボシムシ科オオギボシムシ属』。『海底の砂底に穴を掘って生活している体長』二十センチメートル『くらいの細長い動物』で、『夏』、『浅虫サンセットビーチで海水浴をしていても決して目にすることはないが』、『実はあなたの足下の砂中にはこの奇妙で興味深い動物が密かに生きている。大潮の最干潮の時』、『膝くらいの深さのところで砂底を掘ってみれば、運が良ければ見つけられるかもしれない』。『図鑑には「ヨードホルム」臭を発すると書かれているが』、『確かに強烈なにおいである』。『においも強烈だが』、『その鮮やかな黄色の体色も鮮烈』。『ギボシムシは半索動物というグループに属する』。『半索動物は棘皮動物(ウウニ・ヒトデ・ナマコの仲間)と脊椎動物(ホヤ・ヒトを含む仲間)の両方と近縁であり』、『我々・脊椎動物の進化を考える上でとても重要』な現生生物の一群なのである。『最近は世界中にギボシムシに注目する研究者が増えている』。『長らく』、『能登半島と房総半島より北には生息が確認されていなかったが』二〇一二年、『我々は本種が陸奥湾にも生息することを明らかにした』とある。則ち、ギボシムシ類が本州北部や日本海側にも棲息する可能性が出てきたのである。ミミズみたようなギボシムシとヒトを含む生物進化についてより詳しいものとしては、日本農化学学会の『化学と生物』(第五十五巻・二〇一七年)の田川訓史(くみふみ)氏の「ギボシムシ 海砂泥地に潜む面白い新口動物群」(PDF)がよい。なお「腸鰓類」変わったという呼称は、消化管が開始する部分の咽頭が、数対の鰓孔で貫かれていることに由来する。種によっては、この部分が大きく裂き切られたように広がって見え、異様に感じられることがある。]
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