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2020/09/21

金玉ねぢぶくさ卷之七 鼡の鐵火の事 / 金玉ねぢぶくさ卷之七~了

 

   鼡(ねづみ)の鐵火(てつくわ)の事

 洛陽ぎおんの社僧に、天性(てんせい)、鼡(ねずみ)を愛せし法師あり。つねに米をまき、食(しよく)をあたへて、なつけしかば、人をもおそれず、晝も出〔いで〕て、おゝく集(あつま)る。然〔しかれ〕ども、家内(けない)の下々(したじた)までをせいし、かたく、是を、おはしめず。不斷、米をまきて、餌(ゑ)にとぼしからねば、鼡おゝしといへども、物をあらす事、なし。元より、猫は寺の近所へもよせねば、寺中の鼡ども、いたちにおはれて、皆、此寺へにげ來〔きた〕れり。

[やぶちゃん注:「洛陽ぎおんの社」ママ。歴史的仮名遣は「祇園(ぎをん)」が正しい。現在の京都府京都市東山区祇園町北側(ぎおんまちきたがわ)にある八坂神社の旧称。元の祭神であった牛頭天王が祇園精舎の守護神であるとされていることから、元来、「祇園神社」「祇園社」、神仏習合期には「祇園感神院(かんしんいん)」(これがここでの住持の寺名と考えてよかろう)などと呼ばれていたが、慶応四・明治元(一八六八)年の神仏判然令(神仏分離令)によって現在の社名に改名された。公式サイトの「歴史」によれば、『創祀については諸説あるが』、斉明天皇二(六五六)年、『高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座したという素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まると』される他、貞観一八(八七六)年に、南都の僧円如』(法相宗興福寺の僧とされる)『が建立し、堂に薬師・千手などの像を奉安して、その年の六月十四日に『天神(祇園神)が東山の麓』の『祇園林に垂跡したことに始まるとも』される。なお、『伊利之来朝のこと』及び『素戔嗚尊が御子の五十猛神とともに新羅国の曽尸茂梨(そしもり)に降られたことは』、孰れも「日本書紀」に記されており、「新撰姓氏録」の『「山城国諸蕃」の項には渡来人「八坂造(やさかのみやつこ)」について、その祖を「狛国人、之留川麻之意利佐(しるつまのおりさ)」と記してある。この「意利佐」と先に記した「伊利之」は同一人物と考えられている。伊利之の子孫は代々八坂造となるとともに、日置造(へきのみやつこ)・鳥井宿祢(とりいのすくね)・栄井宿祢(さかいのすくね)・吉井宿祢(よしいのすくね)・和造(やまとのみやつこ)・日置倉人(へきのくらびと)などとして近畿地方に繁栄した』とある。

「なつけしかば」「懷(なつ)けしかば」。元来は「馴付けしかば」で「馴れ付く」を他動詞化し縮約したもの。人に馴れるようにさせたので。

「おゝく」ママ。以下同じ。

「下々(したじた)」ルビはママ(後半は原本では踊り字「〲」)。下々(しもじも)の者。下役僧や神人(じにん)、下僕に至るまで総ての者。

「せいし」「制し」。鼠を退治することを禁じ。

「いたち」食肉(ネコ)目イヌ亜目イタチ科イタチ亜科イタチ属ニホンイタチ(イタチ) Mustela itatsi (本州・四国・九州・南西諸島・北海道(偶発的移入):日本固有種:チョウセンイタチ Mustela sibirica の亜種とされることもあったが、DNA解析により、別種と決定されている)。彼らの食性は主に動物食の雑食で、ネズミはその主対象で、他に鳥・両生類・魚・カニ・ザリガニ・昆虫類・ミミズや、動物の死体など、何でも御座れである。詳しくは私の「和漢三才図会巻第三十九 鼠類 鼬(いたち) (イタチ)」を参照されたい。]

 

 しかるに、如何(いかゞ)したりけん、ある日、住持の祕藏せられし紋白(もんじろ)のけさ一でう、鼡にくらはれて、以ての外に忿(いか)り、

「悪(にく)き事かな。我、かれを愛し、餌(ゑ)をあたふる事、數年(すねん)、終に今まで何を引(ひか)れし事もなかりしに、如何にちく類なればとて、ずいぶん不便(〔ふ〕びん)をくわへし其おんをしらず、還(かへつ)て、かく、物に害をなす事のうたてさよ。爰(こゝ)を以ておもへば、みな、世上に猫を飼(かい)、『升(ます)おとし』をして、人の嫌ふも斷(ことはり)なり。」

とて、それより、米をも、まかせず、鼡の引べき物を用心して、ふつと、かれを愛する心、やみしかば、寺内(じない)の鼡、餌にかつうへしと見へて、一日、數(す)千疋、むらがり出〔いで〕、大きなるかはらけをくはへ、座しきのまん中へ直(なを)しおき、口々に水をふくみ來り、彼(かの)かわらけへ吐(はき)出せば、初(はじめ)の程は、燒土(やけつち)へ水うつやうに、悉(ことごと)くしみこみしが、後(のち)には次第にしめり合(あい)、水、八分(ぶ)程たまりし時、床(とこ)の上なる紙一束(そく)を、あまた集り、或は、いたゞき、あるひは、捧げ、又はくわへ、又は引〔ひき〕て、彼(かの)かはらけの側(そば)まで終に引付〔ひきつけ〕、大小の鼡、不殘(のこらず)、皆、北向(きたむき)に並び、一疋づゝ、右のかはらけの中へ、はいり、四足(そく)を水にひたして、紙の上へ飛(とび)あがり、左の方(はう)へおりて、みなみむきに並(なら)びぬ。

 都合、八十一疋の鼡、八十疋まで如此(かくのごとく)して、ぬれ足(あし)にて右の紙をふめども、曾て其足跡、つかず。しまひに當りたる一疋の大鼡、ふ笑ぶ笑に立〔たち〕て、「おのれが番なれば、ぜひなし」といふ體(てい)にて、土器(かはらけ)の水に足をひたし、彼(かの)紙の上へ、とびあがれば、おびたゝしく足跡ついて、紙、一、二帖、水にひたせり。是を見て、殘る鼡ども、むらがり寄(よつ)て、終に彼大鼡をくらひ殺しぬ。

 是、俗にいふ、「鐵火の吟味」なるべし。

 終に、おのれが中間(なかま)にて、彼〔かの〕けさをくい破りたる大鼡をせんぎ仕出(しだ)し、住持の目のまへにて、其罪を正し、仕置(しおき)に行ひ、皆、それぞれの住家住家〔すみかすみかへ〕、歸りぬ。

[やぶちゃん注:「紋白(もんじろ)」寺紋などを白く染め抜くか或いは織り出した「五条袈裟」のこと。平安時代には法皇などの貴族や高僧のみに着用が許された。単なる五条袈裟は三衣(さんえ/さんね:僧が着る袈裟の種類を言い、正装たる僧伽梨(そうぎゃり)=大衣(だいえ)=九条と、普段着に相当する鬱多羅僧(うったらそう)=上衣(じょうえ)=七条、及び、作業服に相当する安陀会(あんだえ)=中衣(ちゅうえ)=五条の三種を指す。この「条」とは襞の数ではなく、小さな布を縦に繋いだものを横に何本繋いだかを示す語で、この数が多い方がより正式・高位を示すこととなる)の平服であるが、紋白となると別格であるので注意。

「けさ」「袈裟」。

「一でう」ママ。袈裟の助数詞は「領(りやう)」が正しい。袈裟の部分名である(前注参照)「條(条)」に引かれて誤ったか(「條」は歴史的仮名遣で「でう」である)。

「ちく類」「畜類」。この場合は仏教で言う畜生、一般の獣類のそれ。

「くわへし」ママ。

「うたてさ」嘆かわしいこと。情けないこと。

「飼(かい)」ルビはママ。

「升(ます)おとし」「升落し」。鼠取りの仕掛けの一種。大き目の枡を斜め下向きにして棒で支え、その奥に餌を置いて、鼠が棒に触れると、枡が落ちて捕らえるようにした罠を指す。

「餌にかつうへし」ママ。不詳。但し、一つの可能性として、音読みの「飢(かつ)える」の平仮名書きをし始めながら、当時、既に口語としてあったと思われる「餓(う)える」を「うへる」と誤って(この誤記は筆者に非常に多く見られる)繋げてしまったものかとも思えなくはない。

「かはらけ」釉薬をかけていない素焼きの土器。ここは後のシーンから見て(後注する)中皿ほどのものであろう。

「直(なを)しおき」ルビはママ。「なほし」が正しい。たまたま銜(くわ)えてそこへ漫然と放り出したというのではなしに、何らかの目的があるものと見えて、確かにそれをしっかり銜えて入って来ると、座敷の真ん中へ、きちっと配するように置いたことを言っている。

「しみこみしが」「滲み込みしが」。

「しめり合(あい)」「濕り合ひ」。湿り気を含み始めて。

「八分(ぶ)」実際の単位としての「八分」では、二・四センチメートルとなって、鼠が銜えて持ってくる皿となると、えらく大振りの皿になっておかしいから、これはその中皿の縁一杯になる前の八分目(ぶんめ)の謂いでとっておく。

「床(とこ)の上なる紙一束(そく)」床の間に置かれてあった紙一束。

「不殘(のこらず)、皆、北向(きたむき)に並び、一疋づゝ、右のかはらけの中へ、はいり、四足(そく)を水にひたして、紙の上へ飛(とび)あがり、左の方(はう)へおりて、みなみむきに並(なら)びぬ」南北の意味は判らぬ。単にその踏み絵が終わったものを区別するためと思われる。北面するのは誠実に従属する臣下の君子に対する際の方位であるから、祈誓の姿勢であるとも言えるが、それに拘ってしまうと、南向きの説明が出来なくなる(と私は思う)。

「ふ笑ぶ笑」ママ。原本では後半は踊り字「〲」。国書刊行会「江戸文庫」版では『不笑不笑』(後半は踊り字「〲」)である。まあ、「ふ」は「不」の崩しが最も知られているから、それでもいいが、それではあまりに洒落が狙い過ぎていて、却って厭味があるように感じられるので、私は、かくした。勿論、「不承不承」の当て字である。

『「おのれが番なれば、ぜひなし」といふ體(てい)にて』という描写部こそが、実は直後の顚末の展開よりも、遙かに、本篇の眼目であると私は感ずるのである。怪奇談のキモの部分とは、実際の怪奇現象を引き起こす契機となるリアリズム――その境界的体験――その真犯人の大鼠の怯えた全体の動きやヒゲの震えや、諦めの眼つきが、あたかも現実のそうした人間の仕草のように見えてくる瞬間――異界の現実への侵犯――が起こることにあるのである。これはかの三島由紀夫が評論「小説とは何か」(昭和四三(一九六八)年五月から二年後の一九七〇年十一月まで『波』(新潮社)に連載されたが、著者の自死によって中絶)の中の一節で、「遠野物語」の一節を引いて語っていることと同じである。私の『佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 一七~二三 座敷童・幽霊』の「二二」の私の注で引用しているので見られたい。

「鐵火の吟味」これは「盟神探湯(くがたち)」の変形であることが判る。「ブリタニカ国際大百科事典」の同項から引くと、古代において行われた神判法で、「日本書紀」はこれを「盟神探湯」と表記しているが、「くか」は「けが」や「けがれ」と同語で「罪 (つみ)」というに等しく、「たち」は「断」「裁」であって「決定」の意であると考えられる。「隋書」の「倭国伝」には蛇による神判(毒蛇を甕(かめ)の中に入れておき、判ずべき対象者に手で蛇を摑ませ、もし、手を咬まれれば、その者の主張は偽りであるとする神判。古代インドにも毒蛇を用いた同様のそれがあり、貨幣を甕に投じて、その対象人に取り出させるという毒蛇神判があったという)のことが見えているから、「くかたち」なるものは、多種類の神判を総称する語であって、「日本書紀」がこれに「盟神探湯」なる漢字を当てたのは、探湯神判が大和周辺の氏族の間で行われた代表的神判形式であったからであろう。「くかたち」は原則として、裁判に際して、事実の存否が明らかでない場合に両当事者に科せられた。その様式は、第一に「わが言虚なれば,神罰をこうむらん」と誓う宗教的告白過程を行い、第二に正邪を分ける呪術的弁別過程を経て決せられる。その第二の様式はさまざまであり、盟神探湯の場合は、沸騰した湯の中の泥土又は小石を探り取らせ、その火傷の有無によって罪を判定したのであった、とある。私の知っているものでは、熱して真っ赤になった鉄棒を握らせて判ずるというそれを知っており、この言葉はそれによく合致する。

「中間(なかま)」ママ。「仲間」。

「くい破りたる」ママ。

「せんぎ」「詮議」。

「住家住家〔すみかすみかへ〕」助詞の「へ」は私が特に送ったものである。]

 

 住持、是をかんじ、

「誠(まこと)にちくしやうなりといへ共(ども)、物をしる事、人間に、おとらず。物をしるものは、かならず、恩を知れり。」

とて、又、元のごとく、米をまき、餌(ゑ)をあたへて、いよいよ是を愛しぬ。

 誠に、物のせんぎは、人間に取〔とり〕ても、いにしへより、難(かた)き事にして、奉行・頭人(とうにん)の智をつくせり。然〔しか〕るに、今、かれが罪科有〔ある〕をゑらみ出〔いだ〕せし成敗(せいばい)の作法(さほう)、還(かへつ)て、おろか成(なる)人間には增(まさ)るべきものか。

 

金玉ねぢぶくさ七終

[やぶちゃん注:「頭人」ある集団の頭目たる管理責任者のこと。

「かれ」鼠たちを指す。

「作法(さほう)」ルビはママ。正しくは「さはう」。]

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