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2020/09/25

金玉ねぢぶくさ卷之八 蜘の智惠の事

 

   蜘(くも)の智惠の事

Kumonotie

[やぶちゃん注:国書刊行会「江戸文庫」版の挿絵をトリミングした。]

 

 人は、五尺のからだに方寸の心法あつて、いろいろの欲をおこし、さまざまの謀(はかりごと)をなせり。尤〔もつとも〕人は万物の霊(れい)なれば、いふにおよばず、五分の虫にも寸の魂(たましい)ある事、あきらけし。

[やぶちゃん注:「心法」広義の心の動きや在り方。

「魂(たましい)」ルビはママ。]

 

 ある人、庭ぜんのさゑんをし、朝毎〔ごと〕に出〔いで〕て、其根に土かひ、靑葉を詠(なが)む。

 或夕暮、蜂一疋、とび來〔きたり〕て、桃の枝なる蜘の巢にかゝれり。くもは、是を見て、とびかゝり、糸をくり出して、まとはんとし、蜂は針をのべ、くもをさして、網をのがれんとす。彼〔かの〕人、杖を以て巢を破り、蜂を放しければ、いづくともなく、とびうせぬ。

[やぶちゃん注:「さゑん」茶園。茶の木を植えた庭園。

「かひ」「飼ひ」であろう。土を盛っては養うの意でとっておく。]

 

 此〔この〕くも、いかゞ思ひけん、枝より、糸を延(のべ)て、下なる蕗(ふき)の葉へ舞(まい)おち、葉の緣〔ふち〕を、一遍、廻(まはつ)て中へ入り、内より、糸をしめければ、彼ふきの葉、しぼんで、袋の口をしめたるがごとし。所々、葉の行〔ゆき〕あはぬ邊りをば、あつく、巢をはつて、おのれは、其内に、こもれり。

「ふしぎの事をする物かな。」

と詠め居(い)ければ、暫く有〔あり〕て、右の蜂、友を、二、三十ひき、卒(ひき)來〔きたつ〕て、彼桃の木を、かぶより、枝まで、さがせども、右のくもを求(もとめ)かねて、糸をつたい、臭(か)をたづね、終に、くものかくれたるふきの葉に群(むらが)り集(あつま)り、十方より、針をのべて、ふきの葉ごしに、さし通し、『もはや仕返しをして、本もう、とげぬ』と、はちは、悉(ことごと)く、とびさりぬ。

[やぶちゃん注:「舞(まい)おち」ルビはママ。

「居(い)ければ」ルビはママ。

「つたい」ママ。「傳ひ」。

「臭(か)」臭い。

「本もう」ママ。「本望(ほんまう)」。]

 

 立〔たち〕よりて見れば、蕗の葉は鹿子(かのこ)のごとく、穴、あきて、あみの目を見るが如し。

「さだめて、中なる蜘は、みぢんにもや成らん。」

と、少し破(やぶつ)て、中をのぞき見れば、上より糸をのべて中にまい下り、四方・上下の葉(はを)離るゝ事、一寸あまりにして、さ程、まはりより、蜂のさしたる針は、一筋も身に不受(うけず)。終に、害をまぬかれたり。

[やぶちゃん注:「上より糸をのべて中にまい下り」これは蕗の葉に降り下った際のこと。ダブりだが、そう気にはならない。

「葉(はを)」送り仮名を含んだルビ。]

 

 此智惠をかへり見れば、五尺の「人」は還(かへつ)て、およばず。もし、しいて是を人に比せば、蜂の、また來らん事をさつしたるは、長良が奇謀(きぼう)に等しく、ふきの葉を城(じやう)くわくとせしは、楠(くすのき)がちはやの城を守りしに不異(ことならず)。

 誠に、「一さい衆生悉有(しつう)佛性(ぶつしやう)如來常住無有(むう)變亦(へんやく)」とは、かやうの事を說(とき)たまひしものか。

[やぶちゃん注:「長良が奇謀」「長良」は張良の誤り。(?~紀元前一六八年)は漢の高祖の功臣。非常な才覚の持ち主で、軍師としては様々な奇略を立案したことで知られる。ウィキの「張良」を読まれたい。私は古今東西で最高の智将として挙げるに躊躇しない。

「楠」楠正成(?~延元元/建武三年五月二十五日(一三三六年七月四日))。彼は幕府滅亡後の僅か三日後に足利尊氏・足利直義兄弟らとの「湊川の戦い」で敗北、自害した。

「ちはやの城」千早城。正成が、凡そ三ヶ月半に及んだ籠城戦に成功した「千早城の戦い」では、多彩な奇策を講じたことはよく知られる。ウィキの「千早城の戦い」を見られたい。そこには書いてないが、私が真っ先に思い浮かべるのは、熱湯・糞尿を振りかけるという奴。「千早城の戦い」が終わった十二日後の五月二十二日に鎌倉幕府は滅亡した。

「一さい衆生悉有佛性如來常住無有變亦」「大般涅槃経」の「獅子吼菩薩品」の一節であるが、「一切衆生悉有佛性 如來常住無有變易」が正しく、最後は「へんにゃく」(現代仮名遣)と読むのが習わしである。後半部は「衆生を済度することを願って如来となった仏の本質は常住であって、決して変わることがない」の意であるが、前半部は曹洞宗の道元のそれと、それ以前の浄土教での解釈は異なる(はずである)。則ち、普通は「一切の衆生は悉(ことごと)く佛性(ぶつしやう)有り」(一切の生きとし生けるものは総て仏性を持っている)と返読するのだが、道元は「正法眼蔵」に於いて、これを「一切の衆生は悉有(しついう)の佛性なり」(総ての衆生の存在と彼らがいる存在世総てが、これ、仏性なのである)と採ったのである。これは謂わば、根本的な思想の転換、一種の止揚(アウフヘーベン)であると言えると私は考えている。]

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