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2020/09/26

金玉ねぢぶくさ卷之八 今川の鎧、鳴動の事

 

   今川の鎧、鳴動の事

 礼記(らいき)にも、

「國家、正に起らんとするに、貞祥(ていしやう)あり。國家、正にほろびんとするに、夭(よう)げつあり。」

とかや、宣(のべ)たまひしが、誠に、大人〔だいじん〕の滅(ほろぶ)る時は、かならず其きざし、まへにあらはるゝ事也。聖人、なんぞ亡語(もうご)をのべたまはんや。然〔しかれ〕ども、是を知ると知らぬとは、おのれが賢愚に、よれり。其國をほろぼし、その家を破り、其身を失ふに到(いたつ)ては、跡に悔(くやめ)ども、後悔、先にたゝず。夭は德に不ㇾ勝(かたず)といへば、もし、あやしき事を見る時は、

「天より、しめし下さるゝ禍(わざはひ)の前表(ぜんへう)ぞ。」

と、こゝろへ、ずいぶん、身を愼(つゝしむ)に、しくはなし。

 するがの國、今川義元(よしもと)、敗軍の砌(みぎり)、近習(きんじう)の人々、

「此度〔このたび〕の一戰に勝利なき事、昨日より、皆々、しれり。」

と語る。

 其故は、君〔きみ〕の祕藏し給ひし鎧、何事もなきに、櫃(ひつ)の内にて、おのれと鳴(なり)初〔はじむ〕。鳴出〔なりだ〕しは、少しづゝ、

「がらがら」

と、なりしが、後には、おびたゝしく、やうやう、二時〔ふたとき〕ばかりして鳴(なり)やみぬ。

 家老のめんめん、智ある人は、

「是、たゞ事ならず。」

と、君(きみ)を諫(いさ)めて、

「明日(あす)の軍〔いくさ〕、味方、利、あるべからず。今少し、時節の至らんを待給へ。」

と、諫めしかども、佞人(ねいじん)ども、愚蒙(ぐもう)に迷ひ、其理非(りひ)は明〔あき〕らめずして、然〔しか〕も、其詞(ことば)は、たくみに、

「『國家まさにおこらんとする時にも貞祥あり』と、いへり。今、味方、武威(ぶい)さかんに、向ふ所を席(せき)のごとくに卷(まき)せむるに、とらずといふ事なく、戰(たゝか)ふて、かち給はずといふ事、なし。此度〔このたび〕の合戰に勝利を得て、家を起し給ふべき前表ならん。其うへ、鳴(なる)事は吉(きつ)にして、㐫(けう)にあらず。雷(らい)は、天になつて、百里をおどろかす、今、君にも、いきほひ、五畿内にふるふて、天下をおどろかし給はんとの、しるしなるべし。か程の吉瑞(きちずい)を、何の、恐るゝ事あらんや。」

といひしかば、義元、是に順(したが)ひ、終に賢臣の諫(いさめ)を用ひず、家をほろぼし給ひぬとなん。

 それ、「好事(こうじ)もなきにはしかず」と、いへり。たとへ、天から小判がふらふとも、常にあらざる事は、夭怪(ようくわい)と、しるべし。額(ひたい)に一角(かく)ある馬を見よふとも、とかく目なれぬ、あやしひ事ならば、これ、天道より㐫を示し給ふ所と心得て、よくよく、其身を愼むべきものなるをや。

 

寳永七九月吉祥日

 

[やぶちゃん注:思うに、作者は相応に構成を考えて作っていることが判る。本書中の白眉は巻之一の「讃州雨鐘(あまがね)の事」であることに異論を挟む方はあるまいが、その地中から響く即身仏に成り切れなかった快僧の鉦を打ち鳴らす怪しい金属音は、この櫃の中の鎧の立てる不気味な音と遠く通底しているからである。読むに従い、教訓臭が加速してくるのは甚だ残念であったが、相応によく書けている。但し、教訓を引き出すことに熱心な余り、怪奇談としての面白みがやや減衰している嫌いがあるとは言える。

「礼記(らいき)にも……」これは四書の一つである「中庸」の一節。戦国時代の孔子の孫である子思の著と伝えられるが、本書はもと、五経の一つである「礼記」中の一編であったので誤りとは言えない。後に朱熹が「中庸章句」を作ったことから、分離されて儒教の根本書の一冊として掲げられるようになった。原文は以下の第二十四章。

   *

至誠之道、可以前知。國家將興、必有禎祥。國家將亡、必有妖孽。見乎蓍龜、動乎四體。禍福將至、善、必先知之、不善、必先知之。故至誠如神。

(至誠の道、以つて前知すべし。國家、將に興らんとすれば、必ず、禎祥、有り。國家、將に亡びんとすれば、必ず、妖孽(えうげつ)あり、蓍龜(しき)に見(あら)はれ、四體(したい)に動く。禍福、將に至らんとすれば、善も、必ず、先づ之れを知り、不善も、必ず、先づ、之れを知る。故に至誠は神(しん)のごとし。)

   *

「蓍龜」とは、キク亜綱キク目キク科ノコギリソウ属ノコギリソウ Achillea alpina とカメ。直立するその茎から、その枝葉を取って乾燥させたものを、古くは筮竹(ぜいちく)として使用したことから、筮竹や卜筮(筮竹を使って占うこと)のことを「蓍(めどぎ・めとぎ)」とも言う。後者は御存じの通り、亀卜(きぼく)に用いた。されば、ここは「占い」の意である。「四體に動く」は卜筮をするシャーマンの身体のちょっとした動きにも吉凶の詳細が示されることを指す。

「貞祥(ていしやう)」「貞」は「神の真意を正しく聴く」・「正しい」の意であり。「祥」は「目出度いこと」・或いは「その目出度いことの前兆・吉兆・瑞兆」、広義には「吉凶の前兆」の意もある。

「夭(よう)げつ」漢字・ルビはママ。漢字は「妖孽」が、読みは歴史的仮名遣で「えうげつ」が正しい。意味は「あやしい災い」或いは「そうした不吉なことが起こる前触れ」の意。「孽」は「災禍・罪業・悪因・禍根」の意。

「亡語(もうご)」「妄語」が正しく、歴史的仮名遣も「まうご」である。嘘をつくことを指す。

「夭」ママ。「妖」。

「今川義元」(永正一六(一五一九)年~永禄三(一五六〇)年)戦国武将。今川氏親(うじちか)の三男。兄氏輝の死で駿河・遠江を領国とする家督を継ぐ。太原崇孚(たいげんそうふ)に補佐され、織田氏を攻め、三河をも支配して今川家の全盛時代を築いた。北条氏康・武田信玄と三国同盟を結んで東方を安定させた後、永禄三年、西へ向かい、尾張に侵攻したが、織田信長の奇襲を受けて桶狭間で、豪雨(雹交じりだったともされる)の中、同年五月十九日(グレゴリオ暦六月十二日)に討ち死にした。享年四十二歳。なお、ここに出る鎧が鳴ったという奇談は特に知られた話ではないようである。

「近習(きんじう)」ルビはママ。「きんじふ」が正しい。

「二時」四時間。

「佞人(ねいじん)」心が邪(よこしま)で人に諛(へつら)う人。この時、義元は連戦の勝利に気をよくしていた。それにつけ込んで主君の関心を引かんがために、無批判に彼の意志をよいしょしようとした者は、当然、いたであろう。

「愚蒙(ぐもう)」愚かで道理が判らないこと。愚昧に同じい。

「席(せき)のごとくに卷(まき)せむる」「席巻・席捲」(せっけん)の意。この「席」は「蓆」で「むしろ」。莚(むしろ)を巻くように領土を片端から攻め取ること。はげしい勢いで自分の勢力範囲を拡大すること。「戦国策」の「楚策」からの成句。

「㐫(けう)」ルビはママ。「凶(きよう)」の異体字。

「天に、なつて」「天に、鳴つて」。

「夭怪(ようくわい)」ママ。「妖怪(えうくわい)」。

「見よふとも」ママ。「見ようとも」。

「あやしひ」ママ。「怪しき」。

「寳永七庚寅九月」「庚寅」は「かのえとら/カウイン」。同年九月は閏八月があったため、九月一日はグレゴリオ暦で既に一七一〇年十月二十二日である。なお、冒頭注で述べた通り、国書刊行会本は最後の刊記のみを初刷のものに変えてあるので、以下のようになっている(恣意的に概ね正字化した。なお、後の三人の板元は実際にはクレジットの下部(二字上げインデント)に並んでいる)。

   *

   元祿十七年

    申ノ

     正月吉日

             江戶

              万 屋 淸 兵 衞

             

              上 村 平左衞門

             大坂

              雁金屋庄左衞門

   *

 以上を以って「金玉ねぢぶくさ卷之八」は終わって、「金玉ねぢぶくさ」全篇の終わりである。なお、底本には巻終了の記載はないが、「江戸文庫」版には「金玉ねぢぶくさ八之終」とある。]

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