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2020/09/20

金玉ねぢぶくさ卷之七 伊吹山の水神

 

        伊吹山の水神

Ibukisuijin

[やぶちゃん注:国書刊行会「江戸文庫」版をトリミングした。]

 江州伊吹山(いぶきやま)には百草あつて、いにしへより、端午(たんご)の朝(あした)、皆人〔みなひと〕、山に分(わけ)入、和藥(わやく)をもとむ。

[やぶちゃん注:「伊吹山」滋賀県米原(まいばら)市(山頂部はここに含まれる)及び岐阜県揖斐(いび)郡揖斐川町(ちょう)・不破郡関ケ原町にまたがる伊吹山地の主峰で最高峰。標高千三百七十七メートルで滋賀県最高峰。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

 

 守山の宿(しゆく)に、玄仲(げんちう)とて醫者あり。ある時、藥草を求むとて、彼〔かの〕山へ入りしに、いづくともなく、猿一ぴき、來り、裾をくはへて引〔ひき〕ければ、玄中、こゝろにおもひけるは、

『さだめて、世につたはらざる名草有〔あり〕て、是を知らしめんため、かくは、するならん。』

と、猿の道引〔みちひく〕かたに行〔ゆけ〕ば、遙(はるか)おく山に至(いたつ)て、一つの洞(ほら)のまへに數(す)十疋のさる、群り集れり。見れば、其中に一ぴき、妻猿(めざる)あつて、たゞ今、さんにのぞめり。しかれども、難產ゆへ、「これをすくへ」とて、我を迎(むか)へし、と見へたり。をりふし、懷中に「さんの藥」并〔ならび〕に「はやめ」を所持しければ、是をあたへしに、事ゆへなく、早速、平さむ、したり。

[やぶちゃん注:「守山」現在の滋賀県守山市(グーグル・マップ・データ)であろう。

「玄仲(げんちう)」ルビはママ。「げんちゆう」でよい。以下の「玄中」などの表記違いもママ。

「さんにのぞめり」「產に臨めり」。

「ゆへ」ママ。

「さんの藥」「產の藥」。漢方系の薬物は多くの症状に対応するものがあり、仕事柄、彼がここで所持していても何らおかしくはない。

「はやめ」「速目」で急性疾患に対応する救急薬か。実は「并」で「ならびに」と読み、「にはやめ」「にわやめ」などの文字列で漢方用語を探ってみたが、見当たらないのでかく処理してみた。誤りとあれば、御教授戴きたい。

「平さむ」ママ。「平產」。]

 

 玄仲それより立歸らんとするに、來りし道をわすれしかば、彼(かの)さるに迎(むか)ひ、

「是より里に出〔いづ〕る道を、しらず。なんぢ、我を迎ふる智惠あり、我を道びいて、始(はじめ)のごとく、里まで、おくり返せ。」

といへば、始迎へに來りし猿、立〔たち〕て、送らんとす。

 既にわかるゝに及んで、中にも古(ふる)きさる、座を立〔たち〕、「難(なん)ざんをすくひし恩を謝する」と見へて、一つの香ばこの口を能(よく)ふうじたるを取出〔とりいだ〕し、玄中にあたへて、「かならず、口をひらきたまふな」といふやうすに見へければ、玄仲、

「此ふたを明(あけ)まじきや。」

と、問ふ。

 彼(かの)さる、うなづいて、さりぬ。それより、道をわけ、ふもとへ下(さが)り、

「もはや、是より先(さき)は、まがひ道もなし。」

とて、彼おくりの猿を、もどしぬ。

[やぶちゃん注:「迎(むか)ひ」ママ。「向かひ」。

「道びいて」「導いて」。

「見へて」ママ。

「香ばこ」「香箱」「香盒」。

「此ふたを明(あけ)まじきや」「この蓋を決して開けてはならぬと言うのじゃな?」。

と、問ふ。

「まがひ道」「紛ひ道」。間違って迷い込むような脇道。]

 

 心ぼそく、獨(ひとり)、道をもとめてたどり出〔いで〕しに、かたはらに大きなる渕(ふち)あり。其まへを通る時は、やうやう暮に及びしが、彼池水、俄(にわか)に動ようして、水中より五斗俵(〔ご〕たうべう)のごとくなる物、あらはれしに、玄中、おどろき、たましひも身にそはず、「觀音普門品(くわんをんふもんぼん)」をとなへ、

『蚖(ぐわん)じや及(ぎう)ぶくかつ。』

と、こゝろに念じて、息をばかりに、はしり、やうやうにして麓の里にいたり、ある人家に入〔いり〕て、家(やど)をもとめければ、あるじ、ふしんを立〔たて〕、其ゆへを、とふ。

 玄中、右のおもむきを、くはしく語りければ、あるじ、聞〔きき〕て、大きにおどろき、

「扨も。せうしなる事どもかな。其池にはぬし有〔あり〕て、神靈(しんれい)、はなはだ、猛(たけ)し。若(もし)、人しらずして、池の邊(ほとり)に至れば、かならず彼(かの)大じやに、とらる。もし、たまたま、希有(けう)にして其場をのがるゝといへども、一度、彼〔かの〕かたちを見たるものは、終にとられずといふ事、なし。御身もこよひ中〔ぢゆう〕には、とられ給ふべし。痛(いた)はしながら、右の仕合〔しあはせ〕なれば、死人に宿(やど)を參らする事、かなひがたし。」

といふ。

 玄中、せん方なく、

「しかれども、最早、夜(や)ゐんに及び、宿を不得(ゑず)ば、いよいよ、其害をのがるゝ事、あたはじ。せめては、家(いへ)の内にて、ともかくも成〔な〕りさふらはゞ、後(のち)の世までの御ほうしなるべし。爰(こゝ)をあはれみ、おぼしめせ。」

と、ひたすらになげゝば、あるじも、あはれの事に思ひ、

「さ程に思召〔おぼしめ〕さば、われわれ一家のものは他所(たしよ)へうつり、御身ばかり、此家〔このや〕に宿〔しゆく〕し參らせ候べし。ずいぶん、佛神へ、きせいをかけ、のがるゝやうに、祈り給へ。」

とて、一家の男女〔なんによ〕、隣家(りんか)へ行(ゆき)、家(いへ)ばかりを借(かし)あたへぬ。

[やぶちゃん注:「動よう」ママ。「動搖(どうえう)」。

「五斗俵(〔ご〕たうべう)」ルビはママ。「ごとへう」が普通の表記。江戸時代の一斗は約二十キログラムであるから、百キログラム相当となる。

「觀音普門品(くわんをんふもんぼん)」ルビはママ。「くわんおんふもんぼん」が正しい。法華経」の「觀世音菩薩普門品第二十五」。観世音菩薩が神通力を以って教えを示し、種々に身を変えて人々を救済することを説き、観音を心に念じ、その名を称えさえすれば、如何なる苦難からも逃れることが出来ることを説く。その中の「蚖(ぐわん)じや及(ぎう)ぶくかつ」は「蚖蛇及蝮蠍」で現代仮名遣で音写を示すと「がんじゃぎゅうふっかつ」で、フレーズとしては以下は「蚖蛇及蝮蠍 氣毒煙火燃 念彼觀音力 尋聲自迴去」(けどくえんかねん/ねんぴかんのんりき/じんしょうじえこ)で、「蚖」(蜥蜴(とかげ)で毒蜥蜴か)や大蛇及び蝮(まむし)・蠍(さそり)のように、毒気(どくき)を煙火が立ち燃えるように吐く邪悪なるものにとりまかれたとしても、ひたすらに観音の力を念ずれば、その声をがあそなたの耳に届いた途端、それらのものは忽ち、走り去る」というのである。

「ふしん」「不審」。

「ゆへ」ママ。

「せうしなる」「笑止なる事」。この場合は深刻な謂いで「大変なこと・奇怪なこと」の意。

「仕合〔しあはせ〕」事情・事態。

「死人」既にして彼がその大蛇に襲われて死ぬことは完全に決まっているものとして主人は対面しながら語っているのである。

「夜(や)ゐん」ルビはママ。「夜陰(やいん)」。

「不得(ゑず)ば」ルビはママ。

「ともかくも成〔な〕りさふらはゞ」「ともかくも泊まらさせて戴けることとなりましたならば」。

「後(のち)の世までの御ほうしなるべし」「それでも、そのように私めが襲われて命を落としたと致しましてても、それはそれ、一宿の恩義は後世(ごぜ)まで貴方さまの恩にご奉仕し致しますことを誓いまする」とでも訳しておく。「御ほうしなるべし」の訳としては我ながら不満があるものの、そもそも喋っている彼自身が激しく動顚しているから、論理的に正しい理屈を尽くして述べているとは私は思っていない。

「きせいをかけ」「祈誓を懸け」。]

 

 玄中、彼家に心ぼそく、たゞ一人、燈(とぼしび)をかゝげ、先(さき)に山中にて猿のあたへし香ばこを取出〔とりいだ〕し、

『「是は、かならず、ふたをひらくな」といひしかど、たとへ如何なるたからにもせよ、今宵(こよひ)かぎりの命なれば、あけて中のやうすを見ばや。』

と、おもひ、ふうを切〔きり〕、ふたをあけぬれば、中より、少(ちいさ)き百足(むかで)一疋、這(はい)出〔いで〕て、壁へ、つたひ、まどへ登り、いづくともなく、はいうせぬ。

[やぶちゃん注:「這(はい)」ルビはママ。後の「はいうせぬ」もママ。]

 

 夫(それ)より、次第に夜ふけ、夜半のころ過〔すぐ〕るまで、別の子細もなかりしが、既にうしみつ過るころに至〔いたり〕て、彼(かの)まどの外にて、おびたゝしく、物のひゞく音し、家も、うごくばかりなれば、

『はや、變化(へんげ)に命をとらるべき刻限になりぬ。』

と、性根(しやうね)も身にそわず、ひとへに普門品を讀誦(どくじゆ)し、命の終るを待居(まちい)けれども、別(べち)の子(し)さいもなく、家鳴(やなり)もしづまり、しのゝめもたな引〔びき〕ければ、邊(あたり)の民家より、人、あまた集り、

「さるにても、こよひのたび人は、水神のために命をとられぬらん。」

と、彼(かの)家に來り、やうすを見れば、つゝがなく、いねぶり居(い)たり。

[やぶちゃん注:『はや、變化(へんげ)に命をとらるべき刻限になりぬ。』心内語とした。こうした最悪の事態を諦観した不吉な内容は言上げしてはならないのが民俗社会の掟であるからである。

「そわず」ママ。「添はず」。

「待居(まちい)」ルビはママ。「居(い)たり」の同じ。]

 

 皆人(みな〔ひと〕)、ふしぎの事に思ひ、彼まどのもとを見れば、宵に、香ばこより出〔いで〕たる百足、一尺ばかり成〔なる〕小へびをくわへて、百足も、へびも、ともに死せり。

 いかなる事とも、其故をしらず。

 それより、彼池に惡神(あくじん)たへて、近隣の村里、永く、わざはひをまぬかれたり。

 

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