北原白秋 邪宗門 正規表現版 鈴の音
鈴 の 音
日は赤し、窓(まど)の上(へ)に恐怖(おそれ)の烏(からす)
ひた默(つぐ)み暮れかかる砂漠(さばく)を熟視(みつ)む。
今日(けふ)もまたもの鈍(にぶ)き駱駝(らくだ)をつらね、
一群(ひとむれ)のわがやから消(き)えさりゆきぬ。
もの甘き鈴の音(おと)、ああそを聽(き)けよ。
からら、からら、ら、ら、ら……
暮(く)れのこるピラミドの暗紅色(あんこうしよく)よ。
そが空のうち濁(にご)る重き空氣(くうき)よ。
いづこにか月の色ほのめくごとし。
からら、からら、ら、ら、ら……
かの群(むれ)よ、靄(もや)ふかく、いまかひろぐる
色鈍(にぶ)き、幽欝(いううつ)の毛織(けおり)の天幕(てんと)。
駱駝(らくだ)らのためいきもそこはかとなく。
からら、からら、ら、ら、ら……
もの靑く暮れてみな蒸しも見わかね。
饐(す)え温(ぬ)るむ空(そら)のをち、薄(うす)らあかりに、
ほのかにも此方(こなた)見るスフィンクスの瞳。
からら、からら、ら、ら、ら……
あはれ、その靜(しづ)かなるスフィンクスの瞳。
ああ暗示(あんじ)……えもわかぬ夢の象徵(シムボル)。
またくいま埃及(えじぷと)の夜(よ)とやなるらむ。
からら、からら、ら、ら、ら……
烏いまはたはたと遠く飛び去り、
窓(まど)にただ色あかき燈火(ともしび)點(とも)る。
四十一年八月
[やぶちゃん注:第五連二行目「をち」は「遠(を)ち」。「遠方」(をちかた(おちかた))。遠くの所。ずっと向こうの方。]