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2020/10/04

北原白秋 邪宗門 正規表現版始動 /函・表紙・背・裏表紙・天・見返し・扉・献辞・「邪宗門扉銘」・序・「松の葉」所収小唄・例言・散文詩(長田秀雄)・「邪宗門秘曲」

 

[やぶちゃん注:北原白秋(明治一八(一八八五)年~昭和一七(一九四二)年)の処女詩集「邪宗門」の正規表現版を始動する。

 使用底本は所持する昭和五八(一九八三)年刊の日本近代文学館刊行・名著復刻全集編集委員会編・ほるぷ発売の「名著復刻 詩歌文学館 紫陽花セット」内の、明治四二(一九一〇)年三月十五日易風社発行(印刷は博文館印刷所で同年年三月十日)の同詩集初版本を用いた。なお、「青空文庫」の新字旧仮名の、こちらにある、kompass氏入力・今井忠夫氏校正になるベタ・テクスト・データを加工用に使用させて貰った。

 私は、本詩集は近代詩集の中でも屈指の美麗な装幀(装幀と主挿画は石井柏亭。他に一作と彫版は山本鼎)と思っている。四六判の角背上製表紙で、アンカット装(セット購入以来、三十七年、この本に関しては現在もアンカットのままである。カットしながら電子化する)、箱型包函入りである。北原白秋、満二十五の春の出版であった。

 ヴィジュアルにも楽しんで戴くため、底本の装幀が判る画像及び挿絵の総てを掲げる。その他、画像が必要と認めた一部の本文の画像も示す。

 傍点「ヽ」は太字に代えた。踊り字「〱」は正字化した。

 禁欲的に注を附す。一部は若い読者を意識して老婆心で注した箇所もある。全篇終了後、ルビ化した一括PDF縦書版を作成し、サイトに配する予定である。【二〇二〇年十月四日始動 藪野直史】]

 

Hako

 

邪 宗 門

 

北原白秋

 

[やぶちゃん注:函(表)。右入れ。画像面にのみ平ラベルで書名(ゴシック)と作者(明朝)が右から左に書かれてある。口の上部には向こう側と対で、御覧の通り、本体を抜き出すだめの、対で釘隠しの花形飾り金具の半片のように見えるカットが入っている。釘隠しと判じたのは「門」に掛けているかと判じたからである。背と裏側表面には何もないので画像は添えない。]

 

Hyousise

 

詩集 邪宗門   北 原 白 秋

 

 

   邪 宗 門

 

   北 原 白 秋

 

[やぶちゃん注:表紙・背・裏表紙及び天(天金)。前の一行は背の(「詩集」は右から左に横書き)、後の二行は表紙の彫字(手書き文字)。孰れも金箔押し。聖書のような強い紅色。表紙は中央に金箔線が入り、右左手に絵の一部(らしきもの)が下地となっていて、そこに右から左に書名と著者名が入る。全く推測であるが、この絵は雰囲気から推すと、本書の奥附の前にある装丁や挿入画等のリストの内、『挿𤲿』と記されてある石井柏亭の「澆季」(げうき(ぎょうき):「澆」は「軽薄」、「季」は「末」の意で、第一義は「道徳が衰えて乱れた世・世の終わり・末世」である)であろうと推定する(後の「邪宗門扉銘」に吉田精一氏の引用を載せたが、それが私の推理を著しく支持して呉れている)。また、表紙右下には金箔押しでマークが示されている。これはカトリック教会で古くから用いられてきたもので、「IHS」(ギリシャ語の「イエス」=「ΙΗΣΟΥΣ」の綴り字の最初の三文字でイエス・キリストのシンボル)の上にギリシャ十字が配されており、下方の三本のマークは、恐らくはヨーロッパで広く言う「chi-rho」(キー・ロー。XPとのモノグラム。「メシア」をギリシャ語で「ΧΡΙΣΤΟΣ」(クリストス)と表現する)の簡略形と思われる。なお、後の「邪宗門扉銘」に吉田精一氏の引用によれば、このマークは長崎の『南蠻寺』の『鐘』に記された『紋章』であるとある。

 以下に天を示した。]

Ten_20201004164001



 

Mikaesiasobi

 

EXLIBRIS

 

HK

 

[やぶちゃん注:見返し。ご覧の通り、「HK」は合字となっているが、表現出来ない。左の遊びの表面上部にカメを拝した蔵書票を模した挿絵。「EX LIBRIS」(エクス・リブリス)は「誰彼の蔵書から」という意味のラテン語で西洋で流行った蔵書票の決まり文句。「HK」は言わずもがな、北原白秋のイニシャル。作者は先のリストから石井柏亭で、標題を『エツキスリブリス』と記してある。「エツキス」は「エスキース」(フランス語:esquisse)で広く「スケッチ」のことを指す(但し、語源的には「下絵」の意である)。]

 

Tobira_20201004163501

 

邪  宗  門

北 原 白 秋 著

 

 

四 十 二 年 三 月

 

東   京

易 風 社 版

 

[やぶちゃん注:扉。石原柏亭の門の絵の中に以上が右から左へ総て赤で印刷されてある。]

 

 

    父 上 に 献 ぐ

 

[やぶちゃん注:父北原長太郎への献辞。北原家は江戸以来、栄えた商家(「油屋」或いは「問屋」(といや)と号した海産物問屋)で、当時は主に酒造を営んでいた。この一目見るなり、非常に贅沢な詩集(定価は一円。信頼出来る換算値で現在の一万一千円弱相当の高価な一冊である)は、総て父からの送金による自費出版であった。以下は、その裏、次の「邪宗門扉銘」(左ページ)のある右ページにある。ポイントは本文活字とは相対的な意味で極く小さい。再現はしていないが、改行はその通りにした。]

 

    父上、父上ははじめ望み給はざりしかども、

    兒は遂にその生れたるところにあこがれ

    て、わかき日をかくは歌ひつづけ候ひぬ。

    もはやもはや咎め給はざるべし。

 

 

   邪 宗 門 扉 銘

 

ここ過ぎて曲節(メロデア)の惱みのむれに、

ここ過ぎて官能の愉樂のそのに、

ここ過ぎて神經のにがき魔睡に。

 

[やぶちゃん注:かく標題された序詩(詩篇本文のポイントが標題より大きい)。「扉銘」は「ひめい」。読みを出しているため、視覚的にバランスが悪いが、除去して再現すると、

 

ここ過ぎて曲節の惱みのむれに、

ここ過ぎて官能の愉樂のそのに、

ここ過ぎて神經のにがき魔睡に。

 

で一行字数が三行総て一致するように詠まれてある。所持する昭和二八(一九五三)年新潮文庫刊の吉田精一「日本(にっぽん)近代詩鑑賞 明治篇」の「北原白秋」で、この「邪宗門扉銘」について、『これはダンテが「神曲」の地獄の門の扉銘に模したのであらう』とあり、また、今野真二氏の論文「イメージの連鎖―詩的言語分析の覚え書き―」(『清泉女子大学人文科学研究所紀要』第三十七号・二〇一六年三月。PDFでダウン・ロード可能)の注(6)に、『周知のように、この「邪宗門扉銘」はダンテ『神曲』「地獄界」第三歌冒頭を模したものと思われる。河村政敏は『北原白秋の世界―その世紀末的詩境の考察』(一九九七年、至文堂)において「原詩を、当時愛読していた上田敏の『詩聖だんて』(明34)か、森鷗外の『即興詩人』(明35)か、いや、おそらくはその双方に学んだのであろう」(二十九頁)と述べている。『詩聖だんて』には「われ過ぎて、歎のまちに、われ過ぎて、とはの悩に、われ過ぎてほろびの民に」(二二〇頁)とあり、『即興詩人』には「こゝすぎて うれへの市に ここすぎて 歎の淵に こゝすぎて 浮かぶ時なき 群に社 人は入るらめ」(上巻八十頁)とある。「邪宗門扉銘」について、河村政敏(一九九七)は「いうまでもなく、『神曲』―「地獄界」第三歌冒頭のパロディである。いずれパロディであるから、「曲節の悩み」「官能の愉楽」「神経のにがき魔睡」などといったところで、特別な意味があるわけではなく、要するにそうした語感を借りて、感覚的・官能的な頽唐世界への志向を語ったまでであった」(二十六頁)と述べている。「特別な意味があるわけではなく」「語感を借りて」「語ったまでであった」はいずれも河村政敏の評価がかならずしもたかくはないことを思わせる。あるいは石丸久は「北原白秋における象徴意識―とくに『邪宗門』系列の場合―」(一九八三年、早稲田大学『国文学研究』七十九号)において、「邪宗門扉銘」について「絢爛たる詞宴の謳いあげにすぎなかった」と述べ、さらに「無思想性」という表現も使う。「特別な意味があるわけではなく」と通うみかたは、白秋の同時代にもなされていた。木下杢太郎は「明治末年の南蛮文学」において、「北原白秋君、長田秀雄君の家などに集り夜は鴻の巣といふ小さい西洋料理屋などに行き、ひるまのうちに読んだものを醗酵させて家にかへつて詩に作りました。然しわたくしは寧ろ材料を集める方で、どうもうまくそれが詩に醗酵しませんでしたが、北原白秋君はそんな語彙を不思議な織物に織り上げました。白秋君の詩には思想的連絡がなく、所謂言葉のサラドといふもので、我々は之を刺繍の裏面の紋様にたとへました。かういふ風なわけでわれわれの南蛮趣味は学問的でも、考証的でも、また純粋のものでもなく、専ら語彙の集積でした。是れは当時日本に紹介せられたパルナシアンの詩、サムボリストの詩からも暗示を受けたわけです。上田敏氏の『海潮音』、蒲原有明氏の『春鳥集』がわれわれに大きな影響を与へました。も一つはフランスの印象派に対するわれわれの偏愛が、その流儀を詩の上で表現せしめたといふこともあるのです。南蛮紅毛趣味、江戸浮世絵趣味、印象派の様式―さういふものがわれわれの南蛮文学の基本調でした」と述べている。ここには「思想的連絡がな」い「言葉のサラド」という表現がみられる。こうした木下杢太郎の発言などが影響を与えているかとも思われるが、稿者は、詩に「特別な意味がなければならない」という「みかた」もさまざまな「みかた」の中の一つの「みかた」にすぎないのではないかと考える』と述べておられる。さらに、ここらで本詩集の南蛮趣味の震源の正体を明かしておくと、吉田氏の前掲書に、明治四〇(一九〇七)年夏、『與謝野寬を中心に、新詩社同人、白秋・杢太郞・長田秀雄・吉井勇等の催ほした九州旅行に於て、彼等は切支丹伴天連の遺跡を見て長崎から天草にわたつて、東西文明の奇妙な混淆のあとに深く感動した。南蠻の異聞、ギヤマン、香料、異酒、奇鳥、更紗等は、何れも彼等の詩的感激の對象であつた。杢太郞の「長崎ぶり」「棧留縞」「あまくさ」等の詩は、白秋の邪宗門中「天草雜詠」の名の下に收めた十一篇の詩と共に、この旅行の收穫であつた。詩集「邪宗門」の題名も亦こゝから來た。のみならずこの旅行が當時の學界の機運と相まつて、杢太郞に切支丹の文學や歷史に關する硏究熱をそゝらせ、或は彼自身及び吉井勇等の數々の切支丹に取材した戲曲の生產となり、下つては芥川龍之介の同種の佳作を日本文壇に殘す機緣をなした。(この旅行を四十一年夏と、木下杢太郞自身が「食後の唄」序や、又改造社の日本文學講座に書いてゐるのは思ひ誤まりである。それに從つて論を立ててゐる人もあるので、この機會に注意して置く。)明洽末期の學界に於ける南蠻熱も、かやうな時代精神の所產だつたといへよう』。『以上の簡粗な說明によつて、「邪宗門」の興味や志向がどこにあつたかを知るに足りるであらう。「邪宗門」は裝幀に於ても異樣な美しさをもつてゐた。血のやうな赤クロースに南蠻寺鈍鉦の紋章を金で押し、一方に外光に狂つた蝮・毒草・麝香猫及び禽獸歡樂の更紗模樣をはぎわけた、「不可思議にして一種莊嚴なる怪しさ」(「邪宗門」三版本例言)をもつてゐた』とあるのが、それである。]

 

 

詩の生命は暗示にして單なる事象の說明には非ず。 かの筆にも言語にも言ひ盡し難き情趣の限なき振動のうちに幽かなる心靈の欷歔をたづね、縹渺たる音樂の愉樂に憧がれて自己觀想の悲哀に誇る、これわが象徵の本旨に非ずや。 されば我らは神秘を尙び、夢幻を歡び、そが腐爛したる頽唐の紅を慕ふ。 哀れ、我ら近代邪宗門の徒が夢寢にも忘れ難きは靑白き月光のもとに欷歔く大理石の嗟嘆也。 暗紅にうち濁りたる埃及の濃霧に苦しめるスフィンクスの瞳也。 あるはまた落日のなかに笑へるロマンチツシユの音樂と幼兒磔殺の前後に起る心狀の悲しき叫也。 かの黃臘の腐れたる絕間なき痙攣と、ヸオロンの三の絃を擦る嗅覺と、曇硝子にうち噎ぶウヰスキイの鋭き神經と、人間の腦髓の色したる毒艸の匂深きためいきと、官能の魔睡の中に疲れ歌ふ鶯の哀愁もさることながら、仄かなる角笛の音に逃れ入る緋の天鵝絨の手觸の棄て難さよ。

 

[やぶちゃん注:自序。標題はない。ポイントはやはりごく小さい。句点の後は有意な字空けがあるので、見かけの印象通りに、空けておいた。

「尙び」は「たふとび」と読む。「貴ぶ」に同じい。

「夢寢」「むしん」と音読みしておく。

「欷歔く」「すすりなく」。前の方は音で「ききよ」(現代仮名遣「ききょ」)。

「埃及」は「えじぷと」。エジプトであるが、本文詩篇内で同単語に平仮名でルビを振っているので、かく示した。

「黃臘」「わうらふ」(おうろう)或いは「くわうらふ」(こうろう)で、蜜蜂の巣から製した黄色の蜜蠟のこと。巣を加熱して圧搾し、水中で煮沸して製する。無味無臭で、化粧品原料・艷出し剤・蠟燭・クレヨンなどに用いられる。腐るものではないそれが「腐れたる絕間なき痙攣」をするという非常に捩じれた表現は、奇異乍ら、思わずはっとさせ、以下に雪崩れる対句表現の眩暈(但し、順位理解し易い比喩となっている)の強烈な効果を最初から意図させており、小憎らしい確信犯である。

「噎ぶ」「むせぶ」。

「天鵝絨」「びろうど」。ポルトガル語の「veludo」やスペイン語「velludo」由来。近世、西洋から渡来した特殊な織り方によって光沢に富む滑らかな表面を出した織物。ベルベット(英語:velvet)。近代に至るまで知られた作家でも「びらうど」と書くことがあるが、あの歴史的仮名遣は誤りである。

「手觸」「てざはり」。]

 

Youjitakusatu

 

[やぶちゃん注:自序の見開きの左ページにある石井柏亭の挿絵。リストによれば、『幼兒磔殺』(やうじたくさつ)。無論、これは神の子であるイエス・キリストのアナグラムである。右ページにある自序も添えておいた。]

 

 

昔(むかし)よりいまに渡(わた)り來(く)る黑船(くろふね)緣(えん)がつくれば鱶(ふか)の餌(ゑ)となる。サンタマリヤ。

              『長崎ぶり』

 

[やぶちゃん注:「幼兒磔殺」の絵の裏に当たるところに記されている。詩文は中央に二行で記されてあるが、ここはブラウザの不具合や、そもそもが繋げて読まれるべきものであるので、特異的に原本に従わずに、かく示した。底本には何も書かれていないので、この小唄を北原白秋の作と思って読んでいる人が多いと思うのだが、これは江戸中期の歌謡集である秀松軒(しゅうしょうけん)の編になる室町末期から江戸の元禄に至るまでに流行歌謡を集成した「松の葉」(元禄一六(一七〇三)年刊。当時の上方で伝承・演奏されていた三味線歌曲の歌詞を分類・集成したもの)の第一巻の「葉手(はで)」の「四 長崎」に載る小唄である。所持する一九三一年岩波文庫刊の藤田德太郎校註「松の葉」には、

   *

○昔より今に渡り來(く)る黑船(くろふね)、緣(えん)が盡くれば鱶(ふか)の餌(ゑ)となる、さんたまりや

   *

と載る。]

 

 

例  言

一、本集に收めたる六章約百二十篇の詩は明治三十九年の四月より同四十一年の臘月に至る、卽最近三年間の所作にして、集中の大半は殆昨一年の努力に成る。 就中『古酒』中の「よひやみ」「柑子」「晚秋」の類最も舊くして『魔睡』中に載せたる「室内庭園」「曇日」の二篇はその最も新しきものなり。

一、予が眞に詩を知り初めたるは僅に此の二三年の事に屬す。 されば此の間の前後に作られたる種々の傾向の詩は皆予が初期の試作たるを免れず。 從て本集の編纂に際しては特に自信ある代表作物のみを精査し、少年時の長篇五六及その後の新舊作七十篇の餘は遺憾なく割愛したり。 この外百篇に近き『斷章』と『思出』五十篇の著作あれども、紙數の制限上、これらは他の新しき機會を待ちて出版するの已むなきに到れり。

一、予が象徵詩は情緖の諧樂と感覺の印象とを主とす。 故に、凡て豫が據る所は僅かなれども生れて享け得たる自己の感覺と刺戟苦き神經の悅樂とにして、かの初めより情感の妙なる震慄を無みし只冷かなる思想の槪念を求めて强ひて詩を作爲するが如きを嫌忌す。 されば予が詩を讀まむとする人にして、之に理知の闡明を尋ね幻想なき思想の骨格を求めむとするは謬れり。 要するに予が最近の傾向はかの内部生活の幽かなる振動のリズムを感じその儘の調律に奏でいでんとする音樂的象徵を專とするが故に、そが表白の方法に於ても槪ねかの新しき自由詩の形式を用ゐたり。

一、或人の如きは此の如き詩を嗤ひて甚しき跨張と云ひ、架空なる空想を歌ふものと做せども、予が幻覺には自ら眞に感じたる官能の根抵あり。 且、人の天分にはそれそれ自らなる相違あり、强ひて自己の感覺を尺度として他を律するは謬なるべし。

一、本來、詩は論ふべききはのものにはあらず。 嘗て幾多の譏笑と非議と謂れなき誤解とを蒙りたるにも拘らず、予の單に創作にのみ執して、一語もこれに答ふる所なかりしは、些か自己の所信に安じたればなり。

一、終に、現時の予は文藝上の如何なる結社にも與らず、又、如何なる黨派の力をも恃む所なき事を明にす。 要は只これらの羈絆と掣肘とを放れて、予は予が獨自なる個性の印象に奔放なる可く、自由ならんことを欲するものなり。

一、尙、本集を世に公にする事を得たる所以のものは、これ一に蒲原有明、鈴木皷村兩氏の深厚なる同情に依る、ここに謹謝す。

 

  明治四十二年一月    著  者  識

 

[やぶちゃん注:やはり標題をと最後のクレジットと署名を除く本文は有意にポイントが小さい。序と同じく句点の後は有意な字空けがあるのを再現した。底本では柱の「一」が頭抜けて以下は一字下げであるが、再現していない。

「明治三十九年」一九〇六年。

「臘月」十二月の異称。

「殆」「ほとんど」。

「昨一年」「をととし」と読んでおく。

「百篇に近き『斷章』と『思出』五十篇の著作あれども、紙數の制限上、これらは他の新しき機會を待ちて出版するの已むなきに到れり」これは二年後の第二詩集「思ひ出」(明治四四(一九一一)年六月東雲堂書店刊)として世に出た。私はこのブログ・カテゴリ「北原白秋」で既に「北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版)」として全篇の電子化注を完了している

「無みし」「なみし」。無いものとして無視し。

「闡明」「せんめい」。明瞭でなかった道理や意義を明らかにすること。

「教義を闡明する

「跨張」ママ。誇張。誤字か誤植か或いは思い込みの慣用かは判別出来ない。

「謬」「あやまり」と訓じておく。

「論ふ」「あげつらふ」。

「譏笑」「きせう」(きしょう)謗(そし)り笑うこと。嘲(あざけ)り笑うこと。

「非議」「誹議」とも書く。論じて非難すること。譏(そし)ること。

「安じ」「やすんじ」。

「羈絆」「きはん」。「牛馬を繋ぐ」の意から、足手纏(あしでまと)いとなる身辺の物事。

「掣肘」「せいちう」(せいちゅう)。脇から干渉して人の自由な行動を妨げること。「呂氏春秋」の「審応覧」の「具備篇」に出る、孔子の門人の宓子賤(ふく しせん 生没年未詳)はある村の長官となったが、魯の役人二人がやってきて文書を書こうとすると、肘を押さえて邪魔をし、「お前たちは上手く字が書けない」と役人を謗った。以上の報告を聞いた魯の君王は「これは宓が彼の村を治めるのを私に邪魔されたくないことを示したものだ」と悟ったという故事に基づく。

「蒲原有明」本邦の象徴主義詩人の一人として知られる蒲原有明(かんばらありあけ 明治八(一八七五)年(戸籍上は翌年)~昭和二七(一九五二)年)。私はブログ・カテゴリ「蒲原有明」で「有明集」(初版・正規表現版)の電子化注を終えている。

「鈴木皷村」(こそん 明治八(一八七五)年~昭和六(一九三一)年)は箏曲家で日本画家。宮城県生まれ。本名は映雄(てるお)。陸軍時代に箏曲・洋楽を学んだ。与謝野鉄幹・晶子夫妻・薄田泣菫・北原白秋らと交流し、彼らの詩に新形式の歌を作曲して、新箏曲を提唱、「京極流」を名乗った。日本音楽史に詳しかったが、晩年は大和絵の古土佐に専念した。別号で那智俊宣(なちとしのぶ)とも称した。著作に「日本音楽の話」、作曲に「紅梅」などがある。

「明治四十二年」一九〇九年。]

 

Masui

 

  魔   睡

 

[やぶちゃん注:左ページ。パート標題。赤字。石井柏亭の絵。この裏に、以下の長田(ながた)秀雄の私が「散文詩」と称した文章が中央に七行で載る。ポイントは小さい。繋がった内容であるから、底本を再現せず、ベタで流した。句点の後の有意な字間は再現した。]

 

余は内部の世界を熟視めて居る。 陰鬱な死の節奏は絕えず快く響き渡る……と神經は一齊に不思議の舞踏をはじめる。 すすりなく黑き薔薇、歌うたふ硝子のインキ壺、誘惑の色あざやかな猫眼石の腕環、笑ひつづける空眼の老女等はこまかくしなやかな舞踏をいつまでもつづける。 余は一心に熟視めて居る……いつか余は朱の房のついた長い剱となつて渠等の内に舞踏つてゐる………    長田秀雄

 

[やぶちゃん注:長田秀雄(明治一八(一八八五)年~昭和二四(一九四九)年)は劇作家・詩人。東京神田生まれ。医師であった父の跡を継げずに、中学時代から詩作を始め、同級の木下杢太郎とともに「新詩社」を経て、「パンの会」を設立、『スバル』や『屋上庭園』に詩と戯曲を発表していたが、明治四三(一九一〇)年発表の戯曲「歓楽の鬼」が自由劇場で上演され、劇作家の地位を築いた。イプセンの影響が顕著であるが、大正四(一九一五)年にはチェーホフ的な味わいを持った「飢渇」を発表、大正九(一九二〇)年には全五幕から成る大作史劇「大仏開眼(かいげん)」に仏師公麻呂と恋人葛城郎女(かつらぎのいらつめ)を主人公にした政治と芸術の葛藤を描き、好評を得た(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。なお、この引用が本詩集への書き下ろしなのか、既存の詩篇の援用なのかは、長田秀雄を全く読んだことがない私にはよく判らない。]

 

 

Jyasyuumonhikyoku1

 

[やぶちゃん注:この「邪宗門秘曲」前に挿絵がある。見開きで右ページにあり、左ページが「邪宗門秘曲」(ノンブル「一」)の第一連となっているので、本文体裁を見て戴くために、後者も含めた見開き画像を示した。]

 

 

  邪 宗 門 秘 曲

 

われは思ふ、末世(まつせ)の邪宗(じやしゆう)、切支丹(きりしたん)でうすの魔法(まはふ)。

黑船(くろふね)の加比丹(かひたん)を、紅毛(こうまう)の不可思議國(ふかしぎこく)を、

色(いろ)赤(あか)きびいどろを、匂(にほひ)鋭(と)きあんじやべいいる、

南蠻(なんばん)の棧留縞(さんとめじま)を、はた、阿刺吉(あらき)、珍酡(ちんた)の酒を。

 

目見(まみ)靑きドミニカびとは陀羅尼(だらに)誦(ず)し夢にも語る、

禁制(きんせい)の宗門神(しゆうもんしん)を、あるはまた、血に染む聖磔(くるす)、

芥子粒(けしつぶ)を林檎のごとく見すといふ欺罔(けれん)の器(うつは)、

波羅葦僧(はらいそ)の空(そら)をも覗(のぞ)く伸(の)び縮(ちゞ)む奇(き)なる眼鏡(めがね)を。

 

屋(いへ)はまた石もて造り、大理石(なめいし)の白き血潮(ちしほ)は、

ぎやまんの壺(つぼ)に盛られて夜(よ)となれば火點(とも)るといふ。

かの美(は)しき越歷機(えれき)の夢は天鵝絨(びろうど)の薰(くゆり)にまじり、

珍(めづ)らなる月の世界の鳥(とり)獸(けもの)映像(うつ)すと聞けり。

 

あるは聞く、化粧(けはひ)の料(しろ)は毒草(どくさう)の花よりしぼり、

腐(くさ)れたる石の油(あぶら)に𤲿(ゑが)くてふ麻利耶(まりや)の像(ざう)よ、

はた羅甸(らてん)、波爾杜瓦爾(ほるとがる)らの橫(よこ)つづり靑なる假名(かな)は

美(うつ)くしき、さいへ悲しき歡樂(くわんらく)の音(ね)にかも滿つる。

 

いざさらばわれらに賜(たま)へ、幻惑(げんわく)の伴天連尊者(ばてれんそんじや)、

百年(もゝとせ)を刹那(せつな)に縮(ちゞ)め、血の磔(はりき)脊(せ)にし死すとも

惜(を)しからじ、願ふは極秘(ごくひ)、かの奇(く)しき紅(くれなゐ)の夢、

善主麿(ぜんすまろ)、今日(けふ)を祈(いのり)に身(み)も靈(たま)も薰(くゆ)りこがるる。

四十一年八月

 

[やぶちゃん注:第三連二行目の「火點(とも)るといふ」の「とも」は「點」のみへのルビである。「波爾杜瓦爾」の「ほるとがる」のルビの「ほ」はママ。また、この「瓦」の活字は、漢字字形自由共有サイト「グリフウィキ」の「瓦」の異体字のこれであるが、表示出来ないので、通常の字で示した。以下ではこの「瓦」の異体字注は附さない。

 さて、本篇については先の吉田精一氏に鑑賞が非常に優れている。やや長いので気が引けるが(著作権存続であるから)、鑑賞文の後半部分を引用する。私がブツ切の語注をするよりも遙かに本詩篇を鑑賞出来る優れたガイドである。本篇の引用部に初版とはやや表記の異なる箇所があるのはママである。既にお判りかと思うが、吉田氏の当該原本は正字正仮名である。途中に私の語注を挟んだが、そこは太字にしておいた。

   《引用開始》

 第一聯は

  われは思ふ末世の邪宗、切支丹でうすの魔法。

が先づ切れる。それが以下の四聯迄の主題となる。この主題を樣々な形象によつて演繹したのが第四聯迄といふことになる。「でうす」は「でいうす」「天有主」「天主」等とも書かれる。神を意味する Deus といふラテン語であり、ポルトガル語でも同じ。日本の切支丹文獻に頻出する語であることはいふまでもない。

  黑船の加比丹(かひたん)を、紅毛の不可思議國を、

  色赤きびいどろを、匂鋭(と)きあんじやべいいる

  南蠻の棧留縞を、はた阿刺吉(あらき)、珍酡(ちんた)の酒を。

は何れも聯想の赴くまゝに、眼にし、耳に、又舌に訴へる南蠻傳來の品を並べたのであるが、「黑船の加比丹」(スペイン語の Capitain オランダ語の Kapitein から「紅毛」といふ聯想を起し、「色赤きびいどろ」から「あんじやべいいる」の深紅色の色合ひを引き出してゐるのは自然である。且つ黑と赤との色彩の强烈な對比を見のがせない。あんじやべいいるは蘭名 Anjebier 和漢三才圖繪に「阿無之也閉伊流」とあり、今日のカアネエションのことである[やぶちゃん注:所持する原本で確認したところ、「卷九十四之末」の「二」にある「瞿麥」(音「クバク」)の項(和名を「とこなつ」「なでしこ」「せきちく」と添える)の項の一番最後に、『阿蘭陀石竹 株・莖、大きく、葉、硬(こは)く、鼻花も亦、大きに、數品有り【阿無之也(アンシヤ)閉伊流名と名づく。】』(原文訓点附漢文)とあった。]。もとおらんだせきちくとも云つた。つゞいて「棧留縞」(印度東岸のサントメ San Tome から渡來したいはゆるたうざん、縞織の厚く美しい絹布、多くは赤又は淺黃を交へた縞)から、阿刺吉(あらき)(Arak)、珍酡(Vinho-tinto)の如き、オランダ、ポルトガルより渡來したといふ古渡りの洋酒の名を列擧してゐる。珍酡はポルトガルの赤葡萄酒の名、阿刺吉はオランダの火酒の類で、吉井勇の歌などにも愛用されてゐる。棧留縞も亦當時の頽唐詩人の情を刺激し、詩材となつたことが多い。いづれも内容以外に、語感の美しさが詩趣をそゝつたのである。

 かやうな感覺に訴へる物象よりして、所謂切支丹伴天連の徒が元龜天正の間渡來して新宗をひろめた時代のおどろきを第二聯に於て再現する。聯想の自然な發展といふべきであらう。

  目見(まみ)ドミニカびとは陀羅尼誦(ず)し夢にも語る、

  禁制の宗門神を、あるはまた、血に染む聖磔(くるす)、

  芥子粒を林檎のごとく見すといふ欺罔(けれん)の器(うつは)、

  波羅葦僧(はらいそ)の空をも覗く伸び縮む奇なる眼鏡を。

 ドミニカびとは Dominicain で、聖どみにく派の聖職者をさす。所謂耶蘇會(ゼスイツト)[やぶちゃん注:「Jesuit」。ジェスイットはイエズス会士のことで、ジェズイット教団、即ちイエズス会の異称である。への對立者であらう。陀羅尼は陀羅尼呪の略。佛語で呪文の意味だが、キリスト敎に轉用した。「陀羅尾誦し夢にも語る」は「目見(まみ)靑き」と對していかにエキゾティックな表現である。「夢にも語る」の對象は「禁制の宗門神」についで、「血に染む聖磔(くるす)」「けれんの器」「奇なる眼鏡」である。は聖磔この場十字架のこと。あとの二行は顯微鏡と望遠鏡をいつたもの。波羅葦僧 Paraiso (ポ語)卽ち天國で、切支丹文獻には常に見え、その實例は枚擧に遑がない。「世界とぱらいそとは誠に天地の懸隔也。(略)爰は聖人、凡夫の假屋也。かしこは善人と天人の本國也。爰は後悔とぺにてんしやの所也。かしこは快樂悅びの所也(ぎや・ど・べかどる、上、第八)「『パライソ』ト云ハ、日本ノ言葉ニナラバ極樂ト云心ニテ侍」(妙貞問答下卷)などとある。この聯の參考として伴天連オルガンチノの、織田信長に謁見した時の記述をあげて置く。

[やぶちゃん注:以下、底本では全体が二字下げ。前後を一行空けた。太字は底本では傍点「ヽ」。]

 

南蠻國の大王、宇留岸(ウルガン)に宣ふ樣は、我國今度貴僧に賴み、日本に渡て、破天聯の法を弘め、日本人を歸伏させ、其後に大軍を以て、日本を攻め隨へ、我等領になしたき望也。彼國小國と申せども、神國仁義の國なれば、中々通例の事にては、歸伏せまじ。隨分と道術を以て、人をなづけ給ふべし。日本の國へ捧物を遣はし申すべしとて、七種の寶物を用意したり。第一に七十五里を一目に見る遠目鏡第二は芥子を玉子の如く見する近眼鏡、第三は猛虎の皮、第四は四十五丈四方當辭[やぶちゃん注:意味不明。]なき鐡砲、第五は伽羅百斤、第六は八疊釣の蚊帳、たゝめば一寸八分の手箱に入る、弟七はこんたつといふ四十二粒の珠數、紫金にて作り、四二國を表したり。(切支丹宗門來朝日記)

 

 それにしてもこの後の二行の詞つかひは巧緻である。よく當時の人の驚歎の情をうつし得てゐる。

 第三聯の

 屋(いへ)はまた石もて造り、大理石(なめいし)の白き血潮は、

 ぎやまんの壺に盛られて夜となれば火點(とも)るといふ。

の「大理石(なめいし)の白き血潮」は服部謳香氏說の率うに白色の液體の燃料であらうか。「ぎやまん」はオランダ語の Diamant の訛で、元來は金剛石(だいあもんど)であるが、轉用されて硝子の意に用ゐらゐる。こゝでもそれであらう。(「大理石の白き血湖」は石油のことだらう。)

 かの美(は)しき越歷機(えれき)の夢は天鵝絨(びろうど)の薰(くゆり)にまじり、

 珍らなる月の世界の鳥獸映像(うつ)すと聞けり。

「越歷機」はえれきてる Electriciteit の訛で、電氣の意味である。この時分にえれきのあるはずはないが、或は幻燈機をさしたものでもあらうか。すべて第三聯は弟二聯をうけて好奇の眼と耳に映る奇怪さを誇張したいひ方で表現してゐる。

 第匹聯に入ると、更に不可思議のことを敍しつゝ、視野を轉じた。

 あるは聞く、化粧(けはひ)の科(しろ)は毒草の花よりしぼり、

 腐れたる石の油に𤲿くてふ摩利耶の像よ。

 「毒草の花よりしぼる」化粧料とは、蘆薈[やぶちゃん注:「ロクワイ(ロカイ)」で単子葉植物綱キジカクシ目ススキノキ科ツルボラン亜科アロエ属 Aloe のアロエのこと。]、麝香のたぐひをさすのであらう。蘆薈を化粧に用ゐたことは舊約聖書に見える。「腐れたる石の油」による繪とは、油繪具の類をさすか。當時の油繪は鉛を原料にし、白土、白蠟[やぶちゃん注:「びやくらう」(びゃくろう)。イボタ蠟。イボタノキ(水蠟樹。疣取木。キク亜綱ゴマノハグサ目モクセイ科イボタノキ属イボタノキ Ligustrum obtusifolium)に群生するイボタロウカイガラムシ(半翅目同翅(ヨコバイ)亜目カイガラムシ上科カタカイガラムシ科Ericerus 属イボタロウムシ(イボタロウカイガラムシ/イボタロウカタカイガラムシとも)Ericerus pela)が分泌するものを加工したもので、化粧品や医薬品(軟膏基剤)・光沢剤・蠟燭などに古くから利用されてきた。]などを混じたものといふ。

 はた羅甸(らてん)、波爾杜瓦爾(ほるとがる)らの橫つづり靑なる假名は

 美しき、さいへ悲しき歡樂の音(ね)にかも滿つる。

 この二行で感覺の交響をこゝみようとしてゐる。西洋文字に「靑なる」(或は靑インキで書かれてゐる爲とも解される)と感じ、その音を「歡樂の音」ときくのはかなり大膽な表現といふべきであらう。しかし「美くしき、さいへ悲しき歡樂」にこそ近代邪宗門の徒の憧憬がこもつてゐるのであり、この突飛な表現も、毒草の化粧料、腐つた油の繪具と並べて來ただけに目立つてをかしくない。

 最終聯に入つて、詩想ははつきりと限定される。

 いざさらばわれらに賜へ、幻惑の伴天油尊者、

 百年を刹那に縮め、血の磔(はりき)脊にし死すとも、

 惜しからじ、願ふは極祕、かの奇しき紅の夢。

 伴天連はポ語 Padre の訛で師父の意。はあてれとも訓じる。「天草本平家物語拔書」にはパードレとある。百年の生命を刹那にちゞめ、キリストの如く、又日本の邪宗門の徒の如く、血の十字架を背にして死なうとも、「願ふは極祕」自然、天地の極祕を啓示され「奇しき紅(くれなゐ)の夢」をわれらに賜へよ、さすれば生命を賭するも惜しからじ、と祈願する。「願ふは極祕」は、この詩の主題であり、「極祕」は作者によつて「奇しき紅(くれなゐ)の夢」と觀ぜられる。

 善主麿(ぜんすまろ)、今日を祈に身も靈(たま)も薰(くゆ)りこがるる。

 善主磨は普通ゼスス(Jesus)又はゼス・キリスト(Jeus Christo)とよばれが、善主麿といふ名も散見する。「身も靈(たま)も薰りこがるる」には、はげしい憧憬と共に、密室もしくは神前に立ちくゆる香煙のゆらめきの如きが想像される。「幻惑の伴天連尊者」といふ語と對應して、幻想と奇異に陶醉せんとする靑年の心情を巧みに表現した。

 一篇を通觀して見るに、聯想が聯想をよび、神祕をもとめる幻想がリアリスティックに展開してゐるのが特色である。豐富な語彙による形象の複誰雜多岐なことと、語法・措辭の自然で巧妙なことは、白秋の長所として誰にも認められる所であるが、この詩に於てもそれが目立つ。古語を多用しながらも、泣菫に見えるやうな擬古の弊がない。一刀一拜を偲ばせる苦行の影も見えず、斧鑿(ふさく)の痕(あと)をとゞめないで流れるやうに快適なリズムは、有明の詩と全く反對である。まさに鳥が歌ふやうに歌つてゐる。これはこの二家の理知的なのに對して、白秋の詩が感覺的であり、官能的であるからでもある。象徵詩として見れば、視念象徵の一體とも見られ得るが、必らずしもさう見なくてもよい。形式的にいへば外形と内容との層面の大いさの違ふ時、とくに内容が外形に勝つ場合をふつう象徵とよぶ。内容的には理念の世界を描いて超理念の姿とこゝろを内包する所に象徵がある。むしろ超理念に住して理念の世界を眺める所に象徵がある。とすれば白秋詩は眞の象徵詩とよばれるべきでなく、外面的な感覺・官能が、その精神的内包に對して過重であり過多であるのだから、感覺詩、官能詩とよぶべきで、この詩も亦その範圍に屬せしめてよい。

 たゞこの詩に於ては白秋の缺㸃といふべき言葉の上すべりがわりあひに感ぜられない。それだけの精神的重味をになはぬ形象が羅列されると、とかく言葉が浮き、浮華な官能と神經が徒らに舞ひ踊るのだが、この詩にはさうした弊も少い。形象の萬華鏡ともいふべく、あとからあとからとくり出される新奇な事物・内容は、讀者に眩暈をかんじさせるやうに、ちらちらしすぎる所はあるが、それがこの詩の主題、邪宗門といふ特異な詩趣と相俟つて、一種奇怪な幻想を生かしてゐる。この意味でこれは白秋の長所を打つて一丸となした趣きがあり、「邪宗門」中の絕墻唱たるのみならず、白秋の初期の詩中の一代表作だと信じるのである。且つ先にものべたやうに近代切支丹文學の一樣相として、さうした種類の一名作としても、文化史的意義を見出すのである。

 前にふれたやうに當時南蠻趣味や南蠻文學は文人詩人のみならず學者をも刺激し、村上直次郞を先達として、新村出、上田敏等に數々の勞作を殘さしめてゐる。白秋の詩が、どれほどの南蠻趣味を基礎にしてよまれたかは疑はしい。山田孝雄の「太平記拔書」新村の「ぎや、ど、ぺかどる」以下「懺悔綠」、「どちりな、きりしたん」、「金句集」、「平家物語抄」等の紹介は「邪宗門」出版以後であり、パヂエスの「日本切支丹宗門史」もまだ飜譯なく、それらの書物は容易に入手しがたかつた。クラッセの「日本西敎史」はあつたが、浩瀚なあの書を白秋が讀破したかどうか。要するにこの詩は多く長崎、天草の矚目風景、その他の些細な知識に刺激されて成つた空想の產物にほかなるまい。さうした意味でも白秋のこの詩は、かうした南蠻趣味、文學の先縱として注意されるのである。

 勿論文學作品としてはさやうな文化史的な意味よりも、頽唐精神の興味と志向を語るものとして、いはゆる頽唐派の藝術の一代表作としての意味を重視すべきである。たゞさうした時代の背景に於て見るとき、この詩の情趣が一層よく理解されることと思ふ。

   《引用終了》

吉田先生のこれに屋上屋は要らぬと思う。]

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