北原白秋 邪宗門 正規表現版 華のかげ
華 の か げ
時(とき)は夏、血のごと濁(にご)る毒水(どくすゐ)の
鰐(わに)住む沼(ぬま)の眞晝時(まひるどき)、夢ともわかず、
日に嘆(なげ)く無量(むりやう)の廣葉(ひろは)かきわけて
ほのかに靑き靑蓮(せいれん)の白華(しらはな)咲けり。
ここ過(よ)ぎり街(まち)にゆく者、――
婆羅門(ばらもん)の苦行(くぎやう)の沙門(しやもん)、あるはまた
生皮(なまかは)漁(あさ)る旃陀羅(せんだら)が鈍(にぶ)き刄(は)の色、
たまたまに火の布(きれ)卷ける奴隷(しもべ)ども
石油(せきゆ)の鑵(くわん)を地に投(な)げて鋭(するど)に泣けど、
この旱(ひでり)何時(いつ)かは止(や)まむ。これやこれ、
饑(うゑ)に墮(お)ちたる天竺(てんぢく)の末期(まつご)の苦患(くげん)。
見るからに氣候風(きこうふう)吹く空(そら)の果(はて)
銅色(あかがねいろ)のうろこ雲濕潤(しめり)に燃(も)えて
恒河(ガンヂス)の鰐(わに)の脊(せ)のごとはらばへど、
日は爛(ただ)れ、大地(たいち)はあはれ柚色(ゆずいろ)の
熱黃疸(ねつわうだん)の苦痛(くるしみ)に吐息(といき)も得せず。
この恐怖(おそれ)何に類(たぐ)へむ。ひとみぎり
地平(ちへい)のはてを大象(たいざう)の群(むれ)御(ぎよ)しながら
槍(やり)揮(ふる)ふ土人(どじん)が晝の水かひも
終(を)へしか、消ゆる後姿(うしろで)に代(かは)れる列(れつ)は
こは如何(いか)に殖民兵(しよくみんへい)の黑奴(ニグロ)らが
喘(あへ)ぎ曳き來る眞黑(まくろ)なる火藥(くわやく)の車輌(くるま)
揭(かか)ぐるは危嶮(きけん)の旗の朱(しゆ)の光
絕えず饑(う)ゑたる心臟(しんざう)の呻(うめ)くに似たり。
さはあれど、ここなる華(はな)と、圓(まろ)き葉の
あはひにうつる色、匂(にほひ)、靑みの光、
ほのほのと沼(ぬま)の水面(みのも)の毒の香も
薄(うす)らに交(まじ)り、晝はなほかすかに顫(ふる)ふ。
四十年十二月
[やぶちゃん注:「旃陀羅(せんだら)」「栴陀羅」とも書く。梵語「チャンダーラ」の漢字音写で、語源的には「チャンダ」(「激しい・獰猛な・残酷な」の意)から来た語とみられる。中国では「厳熾執」(ごんししゅう)「暴悪人」「屠殺者」「殺者」(せっしゃ)などと訳されている。所謂カースト四姓外の最下級とされた階級で狩猟・畜などを生業とした。これは中国を経由して本邦にもそのままに伝わり、江戸時代には、このインドに起源をもつ「旃陀羅」と、その成立を異にするはずの中国の「屠者」と、日本の「穢多(えた)・非人(ひにん)」とが結びつけられて差別の合理化が謀られた。被差別部落の人々には、その死後に「桃源旃陀羅男」などの戒名をつけ、墓石にきざみつけて差別した事実がある。
「熱黃疸(ねつわうだん)」高い熱と、肝障害による黄疸を呈した病態。種々の疾患で見られる。黄熱病(事実、高熱が出て重症化すると黄疸が見られることによる命名)を想起されるかも知れぬ(或いは北原白秋はそれを念頭に置いたのかも知れぬ)が、黄熱病は熱帯アフリカと中南米に特徴的な風土病でインドは感染分布域に含まれない。]
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