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2020/10/10

北原白秋 邪宗門 正規表現版 魔國のたそがれ

 

   魔 國 の た そ が れ

 

うち曇(くも)る暗紅色(あんこうしよく)の大(おほ)き日の

魔法(まはふ)の國に病(や)ましげの笑(ゑみ)して入れば、

もの甘(あま)き驢馬(ろば)の鳴く音(ね)にもよほされ、

このもかのもに惱(なや)ましき吐息(といき)ぞおこる。

 

そのかみの激(はげ)しき夢や忍(しの)ぶらむ。

鬱黃(うこん)の百合(ゆり)は血(ち)ににじむ眸(ひとみ)をつぶり、

人間(にんげん)の聲(こゑ)して挑(いど)み、飛びかはし

鸚鵡(あうむ)の鳥はかなしげに翅(つばさ)ふるはす。

 

草も木もかの誘惑(いざなひ)に化(な)されつる

旅のわかうど、暮れ行けば心ひまなく

えもわかぬ毒(どく)の怨言(かごと)になやまされ、

われと悲しき歡樂(くわんらく)に怕(おそ)れて顫(ふる)ふ。

 

日は沈み、たそがれどきの空(そら)の色

靑き魔藥(まやく)の薰(かをり)して古(ふ)りつつゆけば、

ほのかにも誘(さそ)はれ來(きた)る隊商(カラバン)の

鈴(すず)鳴る……あはれ、今日(けふ)もまた恐怖(おそれ)の豫報(しらせ)。

 

はとばかり默(つぐ)み戰(をのの)くものの息(いき)。

色(いろ)天鵝絨(びろうど)を擦(す)るごとき裳裾(もすそ)のほかは

聲もなく甘く重(おも)たき靄(もや)の闇(やみ)、

はやも王女(わうぢよ)の領(し)らすべき夜(よ)とこそなりぬ。

四十一年八月

 

[やぶちゃん注:「鬱黃(うこん)」「鬱金」はこうも書く。ウコン色。鮮やかな黄色。黄金色(きんいろ)。

「怨言(かごと)」「託言(かごと)」。古語で「不平・愚痴・恨みごと」の意がある。]

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