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2020/10/28

北原白秋 邪宗門 正規表現版 「天草雅歌」パート 辞・角を吹け

 

Mahiru-amakusagaka

 

[やぶちゃん注:「天草雅歌」パート標題ページ(解説はご覧の通り、実際にはポイント落ちで下方に記されてある)。上に画像を示した。活字ポイントの違いを判って戴くために前の「外光と印象」パート最後の「眞晝」との見開き画像で示した。絵は石井柏亭のタッチであるから、白秋がスケッチしてきたものをもとに石井氏が描いたものと思われる。]

 

   このさんたくるすは三百年まへより大江村の切支

   丹のうちに忍びかくして守りつたへたるたつとき 

   みくるすなり。これは野中に見いでたり。      

             天草島大江村天主堂秘藏  

 

 

   天草雅歌

 

 

[やぶちゃん注:以下は、上記パート標題ページの裏に記されてある。クレジット(実際には画像の通り、二行書きの辞の後に凡そ四行分の行空けがある)も含めて、底本では有意にポイントが小さい。その左ページの挿絵とパート標題再表示と、その上に石井柏亭の挿絵があり、第一篇「角を吹け」が始まる。両開きの画像で添える。]

 

Amakusagakaji-tunowohukeboutou

 

 四十年八月、新詩社の諸友とともに遠く    

 天草島に遊ぶ。こはその紀念作なり。 

 

                    「四十年十月作」

 

[やぶちゃん注:以上の明治四〇(一九〇七)年八月の旅については、既に詩集巻頭の「邪宗門扉銘」で引用した吉田精一氏の解説に出るが、ここでは個人サイト「天草探見」の「五足の靴文学碑」をリンクさせておく。この旅を記念した各種文学碑の画像と説明板が電子化されている。中でも木下杢太郎歌碑の記載が詳しく、杢太郎が『東京帝大医学部一年の』時、明治四十年八月、『新詩社主幹の与謝野寛、北原白秋(早稲田大文科一年)』、『吉井勇(早稲田大文科一年)』、『平野万里』(ばんり 明治一八(一八八五)年~昭和二二(一九四七)年:化学者・官僚で歌人・詩人。農商務省・商工省に勤めた。大正一〇(一九二一)年に第二次『明星』創刊に参画して後、与謝野夫妻が没するまで協力し、作品を発表した。大正一二(一九二三)年には「鷗外全集」の編集も務めた)『(東大工学部一年)の五人が九州のキリシタン遺跡探訪の旅をした』。『約一ヶ月ほどの日程で、一行が天草の土を踏んだのは』八月八日、『長崎県茂木港から天草下島の富岡港に上陸して一泊し』、翌九日には『天草町大江まで』、『炎天下』三十二キロメートルの『険阻な山道を歩いた。其の夜は海岸近くの木賃宿に一泊』し、翌十日、『大江教会で』フランス『人司祭のガルニエ神父から話を聞き』、『深い感銘を受けた。このガルニエ神父との会見が旅の中核となっている。この九州旅行の後、五人の文芸活動は噴出し、異国情緒の漂った南蛮文学が展開した』とある。与謝野寛がこの旅を紀行記録「五足の靴」として、少し遅れる形のルポルタージュ風の記事として同年八月七日から九月十日にかけて『東京二六新聞』紙上に連載したことから、この旅を「五足の靴」と呼ぶ。この旅を特集した旅行サイトのこちらの「五足の靴」文学碑の説明板によって、旅自体は同年七月三十一日から八月十七日までであったことが判る。]

 

 

   天艸雅歌

 

   角 を 吹 け

 

わが佳耦(とも)よ、いざともに野にいでて

歌はまし、水牛(すゐぎう)の角(つの)を吹け。

視よ、すでに美果實(みくだもの)あからみて

田にはまた足穗(たりほ)垂れ、風のまに

山鳩のこゑきこゆ、角(つの)を吹け。

いざさらば馬鈴薯(ばれいしよ)の畑(はた)を越え

瓜哇(ジヤワ)びとが園に入り、かの岡に

鐘やみて蠟(らふ)の火の消ゆるまで

無花果(いちじゆく)の乳(ち)をすすり、ほのぼのと

歌はまし、汝(な)が頸(くび)の角(つの)を吹け。

わが佳耦(とも)よ、鐘きこゆ、野に下りて

葡萄樹(じゆ)の汁(つゆ)滴(した)る邑(むら)を過ぎ、

いざさらば、パアテルの黑き袈裟(けさ)

はや朝の看經(つとめ)はて、しづしづと

見えがくれ棕櫚(しゆろ)の葉に消ゆるまで、

無花果(いちじゆく)の乳(ち)をすすり、ほのぼのと

歌はまし、いざともに角(つの)を吹け、

わが佳耦(とも)よ、起き來れ、野にいでて

歌はまし、水牛(すゐぎう)の角(つの)を吹け。

 

[やぶちゃん注:この詩篇、読みを除去すると、一行字数をかなり意識して合わせるようにしていることが判る。

   *

 

   角 を 吹 け

 

わが佳耦よ、いざともに野にいでて

歌はまし、水牛の角を吹け。

視よ、すでに美果實あからみて

田にはまた足穗垂れ、風のまに

山鳩のこゑきこゆ、角を吹け。

いざさらば馬鈴薯の畑を越え

瓜哇びとが園に入り、かの岡に

鐘やみて蠟の火の消ゆるまで

無花果の乳をすすり、ほのぼのと

歌はまし、汝が頸の角を吹け。

わが佳耦よ、鐘きこゆ、野に下りて

葡萄樹の汁滴る邑を過ぎ、

いざさらば、パアテルの黑き袈裟

はや朝の看經はて、しづしづと

見えがくれ棕櫚の葉に消ゆるまで、

無花果の乳をすすり、ほのぼのと

歌はまし、いざともに角を吹け、

わが佳耦よ、起き來れ、野にいでて

歌はまし、水牛の角を吹け。

   *

「佳耦(とも)」二字へのルビ。「耦」(音「グウ」)は「二人がならぶこと・向きあうこと・類(たぐ)い・連れ合い」の意がある。

「パアテル」先の注の旅行サイトのこちらによれば、大江天主堂に到着した五人は『大江教会で、地元信者から「パアテルさん」と呼ばれるフランス人宣教師ガルニエ神父に対面し』たとある。「パアテル」はラテン語「pater」で「父・神父」の意である。彼のウィキ他によれば、パリ外国宣教会所属のフランス人カトリック司祭フレデリック・ルイ・ガルニエ(Frederic Louis Garnier 一八六〇年~昭和一六(一九四一)年:なお、彼はフランスから送られてくる一時帰国費用も蓄え、全ての財産を大江天主堂の建設に投じ、この地で亡くなった)はオート=ロワール県ル・ピュイ=アン=ヴレ市出身。明治一三(一八八五)年十二月、二十四歳の時に来日、京都での日本語修得を経て明治一九(一八八六)年長崎県伊王島の大明寺教会、二年後には上五島の魚の目教会、明治二五(一八九二)年に天草のこの大江教会に司祭として赴任した(昭和二(一九二七)年まで崎津教会司祭を兼任)。以来、同地に没するまでの四十九年間、質素な生活を送りながら、天草島民への布教に従事した。この間、昭和八(一九三三)年には私費を投じて大江教会の現会堂(通称「大江天主堂」)を完成させている。ロマネスク様式の同会堂は、ガルニエ司祭の布教に捧げた生涯の記念碑であると同時に、日本の大工職人がヨーロッパの教会建築の技術を摂取して明治から昭和期の日本各地に建てた、いわゆる「天主堂」の作例として、近代建築史上でも重要なものである。]

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