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2020/10/16

北原白秋 邪宗門 正規表現版 下枝のゆらぎ

 

   下枝のゆらぎ

 

日はさしぬ、白楊(はくやう)の梢(こずゑ)に赤く、

さはあれど、暮れ惑(まど)ふ下枝(しづえ)のゆらぎ……

 

  水(みづ)の面(も)のやはらかきにほひの嘆(なげき)

  波もなき病(や)ましさに、瀞(とろ)みうつれる

  晚春(おそはる)の窻閉(とざ)す片側街(かたかはまち)よ、

  暮れなやむ靄の内(うち)皷(つづみ)をうてる。

 

  いづこにか、もの甘き蜂の巢(す)のこゑ。

  幼子(をさなご)のむれはまた吹笛(フルウト)鳴らし、

  白楊(はくやう)の岸(きし)にそひ曇り黃(き)ばめる

  敎會(けうくわい)の硝子窻(がらすまど)ながめてくだる。

 

日はのこる兩側(もろがは)の梢(こずゑ)にあかく、

さはあれど、暮れ惑(まど)ふ下枝(しづえ)のゆらぎ……

 

  またあれば、公園(こうゑん)の長椅子(ベンチ)にもたれ、

  かなたには戀慕(れんぼ)びと苦惱(なやみ)に抱く。

  そのかげをのどやかに嬰兒(あかご)匍(は)ひいで

  鵞(が)の鳥(とり)を捕(と)らむとて岸(きし)ゆ落ちぬる。

 

  水面(みのも)なるひと騷擾(さやぎ)、さあれ、このとき、

  驀然(ましぐら)に急ぎくる一列(ひとつら)の郵便馬車(いうびんばしや)よ、

  薄闇(うすやみ)ににほひゆく赤き曇(くもり)の

  快(こころよ)さ、人はただ街(まち)をばながむ。

 

燈(あかり)點(とも)る、さあれなほ梢(こずゑ)はにほひ、

全(また)くいま暮れはてし下枝(しづえ)のゆらぎ……

四十一年八月

 

[やぶちゃん注:「白楊(はくやう)」後の「冷めがたの印象」では白秋「白楊(やまならし)」と読んでいる。これは音数律の関係上での読みの違いであると考えられ、後に引用で示すように、他にも「白楊」を用いて「ぽぴゆら」「はこやなぎ」ともルビするのであるが、これはまず、キントラノオ目ヤナギ科ヤマナラシ属ヨーロッパヤマナラシ変種ヤマナラシ Populus tremula var. sieboldii と採って問題ないと思う。「ヤマナラシ」は「山鳴らし」で、葉がわずかな風にも揺れて鳴ることに由来する標準和名なのだが(この「さざめき」は本篇の「下枝のゆらぎ」と親和性があり、また、白秋好みであるように私は思う)、ヤマナラシは木製の箱の材料にするところ「ハコヤナギ」(漢字表記は「箱柳」「白楊」)の別名がある。但し、白楊には、今一種、同じヤマナラシ属ドロノキ Populus suaveolens の別名としてもあるから、それを同定候補と挙げぬわけにはゆかぬ。ドロノキは水分の多い土壌を好み、よく川岸や湿地などに生えている点では、第二連の光景との親和性を持つとも言える。但し、ドロノキは日本では北海道から中部地方かけてに分布が限定される点では、「邪宗門」総体の空間的な漠然とした南蛮・南方といった属性とは、ややズレがあるように思われる。両者は孰れも属名は「ポピュラス」であるから、言い換えだけを採り上げる限りは、圧倒的にヤマナラシが有利で、白秋が熊本生まれで福岡の柳川育ちであることからも、ヤマナラシの方に遙かに分(ぶ)がある。但し、以前に示した、今野真二氏の論文「イメージの連鎖―詩的言語分析の覚え書き―」(『清泉女子大学人文科学研究所紀要』第三十七号・二〇一六年三月。PDFでダウン・ロード可能)の最後には、『『邪宗門』には、「白楊(はくやう)」(下枝のゆらぎ・暮春)「白楊(ぽぴゆら)」(月の出)「白楊(やまならし)」(冷めがたの印象)「白楊(はこやなぎ)」(赤き恐怖)のように漢字列「白楊」がしばしば使われている。漢字列「白楊」は』、『「ハクヨウ」「ポピユラ」「ヤマナラシ」「ハコヤナギ」といった異なる語にあてられているのであって、白秋の意識は語そのものではなく、漢字列側にあったようにもみえなくはない。そうであるとすれば、語を離れた漢字列そのものが表現の手段であったとみることができ、きわめて興味深い』と記されてあることを考えると、この「白楊」を植物学的に特定種に規定すること自体は、或いは詩想の解析には重要な意味を持たないとも言えるのかも知れない。白秋の詩語への独特のフェティシズム的嗜好は確かにある。]

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