北原白秋 邪宗門 正規表現版 汝にささぐ
汝にささぐ
女子(をみなご)よ、
汝(な)に捧(ささ)ぐ、
ただひとつ。
然(しか)はあれ、汝(な)も知らむ。
このさんた・くるすは、かなた
檳榔樹(びろうじゆ)の實(み)の落つる國、
夕日(ゆふひ)さす白琺瑯(はくはふらう)の石の階(はし)
そのそこの心の心、――
えめらるど、あるは紅玉(こうぎよく)、
褐(くり)の埴(はに)八千層(やちさか)敷ける眞底(まそこ)より、
汝(な)が愛を讃(たた)へむがため、
また、淸き接吻(くちつけ)のため、
水晶の柄(え)をすげし白銀(しろかね)の鍬をもて、
七つほど先(さき)の世(よ)ゆ世を繼(つ)ぎて
ひたぶるに、われとわが
採(と)りいでし型(かた)、
その型(かた)を
汝(な)に捧(ささ)ぐ、
女子(をみなご)よ。
[やぶちゃん注:「檳榔樹(びろうじゆ)」単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科ビンロウ属ビンロウ Areca catechu。本邦の南日本に植生する同じヤシ科ビロウ属ビロウ Livistona chinensis とは異なる植物なので注意が必要(同じ「檳榔」と漢字表記するが別種である)。
「白琺瑯(はくはふらう)」白い琺瑯(ほうろう)引きの(琺瑯を焼き付けた)石段。琺瑯は鉄やアルミニウムなどの金属材料表面にシリカ(二酸化ケイ素)を主成分とするガラス質の釉薬を高温で焼き付けたもの。英語では「Enamel」(エナメル)。「琺」は「釉薬」の、「瑯」は「金属や玉が触れ合う音」或いは「美しい石」の意である。金属材由来の機械的耐久性と、ガラス質由来の化学的耐久性を併せ持ち、食器・調理器具・浴槽などの家庭用品・屋外広告看板・道路標識・鉄道設備用品・化学反応容器などに用いられる。工芸品の琺瑯は「七宝」或いは「七宝焼き」と呼ばれ、工芸品としてのそれらの素地には主に銅・銀・金が使われる。その歴史は古く、紀元前一四二五年頃に製作されたと推測される世界最古の琺瑯製品とおぼしき加工品が、エーゲ海中部のキクラデス諸島に属するギリシャ領のミコノス島で発見されている。その後、この技術が、ヨーロッパ方面とアジア方面に伝播し、十六世紀頃には朝鮮半島に流れ、そこを経て、日本へと渡ってきたと考えられている。また、ツタンカーメンの黄金のマスクの表面には琺瑯加工が施されてあった(以上はウィキの「琺瑯」に拠った)。
「紅玉(こうぎよく)」ルビー(英語:Ruby)ダイヤモンドに次ぐ硬度を持つ。
「褐(くり)の埴(はに)」肌理(きめ)の細かい黄赤色の粘土で作った褐色の瓦或いは陶板。
「八千層(やちさか)」贅沢に何層にも積み重ねた。
「世(よ)ゆ」の「ゆ」は上代の格助詞で、動作の起点を示す「~から・~以来」、或いは経由点を示す「~を通って」。上代の歌語で、本詩集の使用の特異点。類義語に「ゆり」「よ」「より」があったが、中古に入り、「より」に統一され、歌語のみで辛うじて生き残った。]