北原白秋 邪宗門 正規表現版 ただ秘めよ
ただ秘めよ
曰(い)ひけるは、
あな、わが少女(をとめ)、
天艸(あまくさ)の蜜(みつ)の少女(をとめ)よ。
汝(な)が髮は烏(からす)のごとく、
汝(な)が唇(くち)は木(こ)の實(み)の紅(あけ)に沒藥(もつやく)の汁(しゆ)滴(したた)らす。
わが鴿(はと)よ、わが友よ、いざともに擁(いだ)かまし。
薰(くゆり)濃(こ)き葡萄の酒は
玻璃(ぎやまん)の壺(つぼ)に盛(も)るべく、
もたらしし麝香(じやかう)の臍(ほぞ)は
汝(な)が肌の百合に染めてむ。
よし、さあれ、汝(な)が父に、
よし、さあれ、汝(な)が母に、
ただ秘(ひ)めよ、ただ守れ、齋(いつ)き死ぬまで、
虐(しひたげ)の罪の鞭(しもと)はさもあらばあれ、
ああただ秘(ひ)めよ、御(み)くるすの愛(あい)の徵(しるし)を。
[やぶちゃん注:「沒藥(もつやく)」ムクロジ目カンラン科カンラン科 Burseraceae のコンミフォラ(ミルラノキ)属 Commiphora の樹木から分泌される赤褐色の植物性ゴム樹脂を指す。ウィキの「没薬」によれば、『スーダン、ソマリア、南アフリカ、紅海沿岸の乾燥した高地に自生』し、『起源についてはアフリカであることは確実であるとされる』。『古くから香として焚いて使用されていた記録が残され』、『また殺菌作用を持つことが知られており、鎮静薬、鎮痛薬としても使用されていた。古代エジプトにおいて日没の際に焚かれていた香であるキフィの調合には没薬が使用されていたと考えられている。 またミイラ作りに遺体の防腐処理のために使用されていた。ミイラの語源はミルラから来ているという説がある』とある。
「汁(しゆ)」小学館「日本国語大辞典」の「汁」の方言欄に『島原方言』として「シュル」を載せる。これは直に発音を聴かないと判らぬが、「しゅる」の摩擦音「しゅ」の後の「る」は脱落表記されても、強ち、不自然ではない。]