梅崎春生の初期作品「英雄」について情報を求めます 《2020年11月3日追記有り・ほぼ解決》
梅崎春生の初期作品「英雄」について情報を求めます。初出誌・内容は勿論、ご記憶の中にあるなど、何でも結構です。私はブログ開設以来、コメントは、一切、拒絶していますが、これに就いては、特別にそれを解除しておきます(但し、無縁と思われる広告や、怪しいサイトへ誘導すると判断されるもの等々に就いては、即座に削除します)。よろしくお願い致します。
【2020年11月3日追記】実は、これは、ツイッターでフォローされている方からの質問を受けて立項した記事である。今、現在まで、コメントは皆無である。ただ、昨日、梅崎春生の「小さな町にて」を公開した際、底本の解説をちらと見た時、「英雄」という書名が眼についた。以下は、先ほど、その質問者に返信した内容の全文である。
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昨日、たまたま「梅崎春生全集」第一巻(昭和五九(一九八四)年五月刊)の本多秋五の解説を読んでいたところ、以下の一節がありました。
《引用開始》
梅崎春生は、いわゆる毛並のいい秀才や、人の上に立って指揮し、人を愛し、人にも愛されるといったタイプの人間を描いたことがない。絶対になくもなかったかも知れないが、いま私には思い出せない。思い出すのは、片意地で、不器用な、片隅の人間ばかりである。
これは制作の年代を無視していうことになるが、阿川弘之は海軍時代の経験をもとにして『山本五十六』を書いたが、梅埼春生は、たとえどんなに長生きしたとしても、あの種の作品を書くことがなかっただろう。書くとすれば、旅順港口で戦死したはずの杉野兵曹長がまだ生きているという『英雄』のような作品であった。もちろん生きている杉野兵曹長は贋物である。わびしく、愚かしく、哀しい話である。
私は『桜島』をはじめて読んだとき、吉良兵曹長は海軍のいやなところばかりを抽いて練り固めたような人物で、いかにもつくりものめいて観念的な人物だと思った。現在では、これが梅崎春生の人生認識の方法なのだと思っている。彼はイヤなもの、むかむかさせるもの、ひりひりするものに現実感を感じ、生き心地を感じるのである。イヤなものが好きなのである。
眼をとじたいようで眼の放せぬもの――恐ろしく、不快で、残酷なもの、そこに彼は生の感触をいきいきと感じるのである。お爺さんの首くくりの話がそれである。これは見張りの男が話す間接の話だが、この一篇のなかでそこがどんなに印象鮮明であることか。そういえば、ポケットのなかで法師蝉を握り潰すあのイヤな感覚。
メーデー事件のとき、彼の感覚が急に生き生きと目覚めたのは偶然でない。
戦争末期に海軍にとられ、否応のない労働と屈従を強いられたことは、彼にとって生涯忘れられぬ災難であった。しかし、そのことによって彼は人生の感触を濃厚痛烈に味わう機会をもった。軍隊生活は彼にとって不本意なものであったが、自発的には決してふるい起すことがなかったであろう緊張を彼によび覚ました。海軍の生活は、それなしには彼に欠けていた幾多の人生経験を豊富にもたらしたばかりでなく、もともと彼にあったもの(ニヒリズムもまたそうである)を堅い砥石にかけてはっきりと磨ぎ出した、と私は思う。
私はいつか太宰治について、戦争は彼に対して崩れる姿勢をしゃんと特ち直させるギプスのように作用した、と書いたことがあったが、それと同じ筆法でいえば、軍隊生活は梅崎春生に対して倦怠と無気力を吹きとばす覚醒剤のようにも、自身の本質をくっきりと磨ぎ出す堅い砥石のようにも作用したといえる、と思う。
《引用終了》
→「書くとすれば」← →「旅順港口で戦死したはずの杉野兵曹長がまだ生きている」← →「という」← →「『英雄』」← →「のような」←「作品であった。もちろん生きている杉野兵曹長は贋物である。わびしく、愚かしく、哀しい話である」――
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この本多の謂いを見るに、これは、
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仮に梅崎春生が「書くとすれば」、例えば「『英雄』」「という」皮肉な題名で、「旅順港口で戦死したはずの杉野兵曹長がまだ生きている」「という」「ような」部類の「作品」「であった」ろうと思う。「もちろん生きている杉野兵曹長は贋物で」、「わびしく、愚かしく、哀しい話」となるに違いなかろう――
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という意味のように私にはとれます。
但し、ここで悩ましいのは、『英雄』という書名に二重括弧が使用され、「のような作品」の表現部分が、恰も梅崎春生の著作に「英雄」という小説があり、それが「旅順港口で戦死したはずの杉野兵曹長がまだ生きているという」「作品で」、「もちろん」その主人公の「生きている杉野兵曹長は贋物で」、「わびしく、愚かしく、哀しい話」なの「である」と読めてしまうようにも思えなくもない、という点なのですが、正直、私は、芥川龍之介の「西郷隆盛」の二番煎じのような、有名人生存という噂話――都市伝説の真相暴き物の如きコントを梅崎春生が書くというのは、ちょっと私には、鼻白む感じが、なくもありません。
「廣瀬中佐」の「杉野はいずこ 杉野は居ずや」で知られる杉野孫七上等兵曹の生存説は、日露戦争直後から発生し、何度も繰り返し噂され、第二次世界大戦中や終戦直後にも頻繁に噂され、梅崎春生の死後の昭和五七(一九八二))年にも再燃していることが、ネットの複数の記載で確認出来、それを追った書籍も出されています。梅崎春生がもし贋杉野を扱った小説を書いていれば、その本で採り上げられているかとも思われます(「日露戦争秘話 杉野はいずこ―英雄の生存説を追う」林えいだい著・新評論・一九九八年刊)。
本多秋五氏に聴けば、一番、手っ取り早いのですが、残念ながら、彼は十九年前に亡くなっています。
あなたの、梅崎春生の初期作品に「英雄」という作品がある、という情報元は何でしょうか? それを知りたく思います。
私は、以上の手持ちの情報からは、『梅崎春生の「英雄」という作品は実在しないのではないか?』という印象を拭えません。
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――いや――ないとは断言できぬ――まだ、このコメントは有効にしておく――
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【同日午後四時三十分追記】
質問者から回答があり、古林尚氏が作成した年譜に『六月、「英雄」を「小説と讀物」に発表』とあること、私も所持する沖積舎版梅崎春生全集にある彼の日記の昭和二二(一九四七)年四月二十日の記載に『高鍋 六十枚 馬 六十枚 英雄 三十五枚 にて皆放棄す。造形と言うことのむつかしさ。今「外套」の下書き』とあることが根拠であるとあり、もし「英雄」が実在するとすれば、それは戦争小説、軍隊物である可能性が高いのではないでしょうか? という旨の内容であった。そこで、日記を全く忘れていた私自身のうっかりを含めて、返事を書きながら、書きながらもいろいろ全集をひっくり返しつつ、ネットの検索もして、調べてみた結果、遂にカタがついた。
結論から言うと、梅崎春生の「英雄」は実際に書かれ、上記の通り、発表されていた。
以下、質問者へ送った解決メールを示す。
《引用開始》
こりゃあ、「英雄」はあるね!
古林尚作成の年譜というのは、私は所持していない新潮社版全集か、或いは講談社文芸文庫「風宴・桜島・日の果て・幻化」辺りにあるものですか?(私は沖積舎の全集を買ってからは、彼の著作集は全く買っていません。大学時代に最初に読んだ新潮文庫は「猫の話」に感激した教え子に上げてしまいました)
それに、
『六月、「英雄」を『小説と讀物』に発表』(昭和二二(一九四七)年ですよね?)
と、あるからには、現存しますね。
しかも、私としたことが、梅崎春生の日記を見落としていました。私は沖積舎版の詩篇・エッセイ部の電子化を終わったところで、第七巻の電子化を、皆、終わったと、どこかで錯覚していた部分があり、日記がその後にあったことをすっかり忘れていました(日記は戦中・敗戦部分しか読んでいません)。先ほど確認、確かに昭和二十二年にあるね!
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四月二十日
高鍋 六十枚
馬 六十枚
英雄 三十五枚
にて皆放棄す。造形と言うことのむつかしさ。今「外套」の下書き。成功すればいいが。今日は土井氏等来る筈なり。
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この「放棄」とは「破棄した」の意ではなく、途中まで書いて気に入らず、途中放棄して篋底に仕舞い込んだという意味でよいでしょう。実際に沖積舎全集にも未完成で放棄し、完成させずに投稿した「生活」などが所載されているし、あなたの指摘する通り、「高鍋」は「無名颱風」の原型と考えられますが、「無名颱風」は昭和二五(一九五〇)年八月初出ですから、実に三年半かかって、原稿用紙の単純機械換算ですが、四十枚近くは書き足している感じです。
さらに、先ほど、沖積舎版の「別巻」最後にある年譜
(これは雑誌『南北』の元編集長常住郷太郎氏の編です。本巻七巻全部の編集解題を手掛けた古林尚氏では、ないのです。――これで腑に落ちました。――同全集編集解題を担当してきた古林尚氏は実は同別巻が刊行された翌月に亡くなっています。――もし、古林尚氏が年譜を担当していれば(同全集の挟み込みの栞では『解題・編集・解説 古林尚」』となっていて、彼がが全部を仕切るはずだったことが判ります。――「英雄」はちゃんと年譜内に記されたものと思うのです)
を見ながら、全集の中で殆んど読んでいないこの「別巻」の研究篇(私は作家研究評論が実はすこぶる嫌いです。特に評論家のそれは)を何気なく縦覧してみたところ、
――見つけました!――
「英雄」は確かに発表されています。
浅見淵氏の「梅崎春生の結婚祝賀会」(初出は講談社「昭和文壇側面史」昭和四三(一九六八)年二月)の最後の段落の冒頭で、
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梅崎君は結婚すると同時に、積極的にどんどん仕事をしだし、その年だけでも「崖」「紐」「英雄」「蜩」『日の果て』[やぶちゃん注:作品集。]「ある顚末」「贋の季節」「亡日」「蜆」「朽木」「麵麭の話」の十一篇を発表している。
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とあるからです。梅崎春生が山崎江津さんと結婚したのが、昭和二二(一九四七)年一月で、以下、
「崖」(三月) 【沖積舎版全集第1巻】
「紐」(六月) 【沖積舎版全集第2巻】
「英雄」
「蜩」(九月) 【沖積舎版全集第2巻】
『日の果て』(九月) 【沖積舎版全集第1巻】(標題作「日の果て」の所収巻)
「ある顚末」(十月) 【沖積舎版全集第2巻】
「贋の季節」(十一月)【沖積舎版全集第2巻】
「亡日」(十一月) 【沖積舎版全集第2巻】
「蜆」(十二月) 【沖積舎版全集第2巻】
「朽木」(十二月) 【沖積舎版全集第2巻】
「麵麭の話」(十二月)【沖積舎版全集第2巻】
が発表月で、「英雄」以外は総て沖積舎版全集に所収されています。同全集第1巻は、古林尚氏の解題冒頭で、「桜島」(昭和二一(一九四六)年九月)による実質的文壇デビュー以降、昭和四〇(一九六五)年『五月までに発表された小説中より、いわゆる「戦争文学」の系譜に属する二十四篇を選びだしたものである』(「選びだした」に注目)とあります。因みに第2巻は昭和一一(一九三六)年六月から昭和二四(一九四九)年『五月にかけて発表された小説中より、いわゆる「戦争文学」を除外した、自伝的要素の濃い初期短篇二十九をおさめた』とし、『初期短篇群のほとんどが網羅しつくされている』と自負しているのとは対照的です。即ち、「戦争文学」群には、かなり、選から漏れているものがあることが判り、それを意識して沖積舎版は当該全集の挟み込み栞の標題にわざわざ『第一期』と入れてあるのだと思います。古林氏は恐らく梅崎春生の第二期を出して全作品を網羅したいと考えていたのではないでしょうか?
さても。あなたの推理通り、「高鍋」は「無名颱風」でしょう。「外套」が「蜆」の原題とすれば、戦争物・日常的私小説風物を交互に出して模索していたと考えるなら、而して、本多秋五氏の例の解説はやはり小説「英雄」を指していると考えていいでしょう。
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これは制作の年代を無視していうことになるが、阿川弘之は海軍時代の経験をもとにして『山本五十六』を書いたが、梅埼春生は、たとえどんなに長生きしたとしても、あの種の作品を書くことがなかっただろう。書くとすれば、旅順港口で戦死したはずの杉野兵曹長がまだ生きているという『英雄』のような作品であった。もちろん生きている杉野兵曹長は贋物である。わびしく、愚かしく、哀しい話である。
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かくも本多が言い放つとならば、「英雄」のストーリーはやはり贋杉野を登場人物とした戦争文学であると考えていいでしょう。
後は、当該発表雑誌を探し出す以外にはありますまい。あなたの年譜に十月とあるのなら、『小説と読物』十月号でしょう。にしても、しかし、ブログもツイッターもフェイスブックに貼り出したのに、誰からも何も情報が入ってこないということは、私より若い世代の層では「英雄」を実際に読んだことがある人が、殆んどいないと言ってもいいように思われます。さすれば、そう簡単には見つからないということになるのかも知れません。まあしかし、いくら何でも、手に入らないことはないと思われます。
にしても最後に気になるのは、四月の段階で三十六枚と枚数が少ない点です……などと思いつつ……試みに……雑誌名で検索をかけてみたところ――思わぬ発見!!!
小嶋洋輔・西田一豊・高橋孝次・牧野悠『「中間小説誌総目次」――小説界」 「苦楽」 「小説と讀物」』(『千葉大学人文社会科学研究』二十六号・二〇一三年三月発行)
「千葉大学附属図書館デジタルコレクション」のこちらからダウン・ロード可能
その『小説と讀物』の部分を見ると――!
*
第二巻第六号昭和二十二年六月一日発行
*
のところに! あった!!!
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英雄……梅崎春生(三六)
《引用終了》
ページ数がランダムに見えるのだが、恐らく「映画時評……津村秀夫(四七)」が後らしいから、ページ数は十二ページ分以下。にしてもスゲえぞ! 目次に並んでるのは尾崎士郎「人生劇場」、室生犀星「瓦文」、林房雄「小説時評」、吉野秀雄の短歌、平山蘆江の随筆だぜ!
国立国会図書館に問い合わせて当該号があればよし、なければ、このデータを作った研究者の中の誰かに雑誌の所在を問い合わせればよろしいかと思います。これで、ケリがつきました。その日の内に誤認を修正した上に、実在する正規の書誌情報に巡り逢えたのは幸いでした。実は私は今朝から、梅崎春生の「B島博物誌」の電子化にとりかかっていたところなんですよ! これも何かの知らせだったのかも知れませんね! 読むことが出来たら、話の内容だけでも教えて下さい。
【追伸】なお、「英雄」の話の中身が判るまでは、コメント欄を生かしておくことにする。
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