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2020/10/09

北原白秋 邪宗門 正規表現版 濁江の空

 

   濁 江 の 空

 

腐(くさ)れたる林檎(りんご)の如き日のにほひ

圓(まろ)らに、さあれ、光なく甘(あま)げに沈む

晚春(おそはる)の濁(にごり)重(おも)たき靄の内(うち)、

ふと、カキ色(いろ)の輕氣球(けいききう)くだるけはひす。

 

遠方(をちかた)の曇(くも)れる都市(とし)の屋根(やね)の色

たゆげに仰(あふ)ぐ人はいま鈍(にぶ)くもきかむ、

濁江(にごりえ)のねぶたき、あるは、やや赤(あか)き

にほひの空のいづこにか洩(も)るる鐵(てつ)の音(ね)。

 

なやましき、さは江(え)の泥(どろ)の沈澱(おどみ)より

あかるともなき灰紅(くわいこう)の帆のふくらみに

傳(つた)へくる潜水夫(もぐりのひと)が作業(さげふ)にか、

饐(す)えたる吐息(といき)そこはかと水面(みのも)に黃(き)ばむ。

 

河岸(かし)になほ物見(ものみ)る子らはうづくまり、

はや倦(う)ましげに人形(にんぎやう)をそが手に泣かす。

日暮(ひくれ)どき、入日(いりひ)に濁る靄(もや)の内(うち)、

また、ふくらかに輕氣球(けいききう)くだるけはひす。

四十一年八月

 

[やぶちゃん注:第一連の「靄」にルビなく、最終連にあるのはママ。

「カキ色」カーキ色。英語「Khaki」。黄色系の砂や土っぽい色であるが、特に軍服に用いられる淡い茶系色を指す。この英語はヒンディー語で「土埃色の」を意味する語が元であるが、そのヒンディー語も元はペルシャ語の「土埃」から借り入れた語である(ウィキの「カーキ色」に拠る)。

「沈澱(おどみ)」「澱(よど)み」に同じい。但し、歴史的仮名遣は「をどみ」が正しいようである。]

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