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2020/10/15

畔田翠山「水族志」 アマダヒ (アマダイ)

 

(七)

アマダヒ 一名ナベクサラシ【淡州北村】シラ【紀州田邊】クズナ【大和本草】ヲキツダヒ【本朝食鑑】コビル【物類稱呼出雲】方頭魚

華夷考閩中海錯疏漳州府志八閩通志俱曰方頭魚似棘鬣頭方味美閩書曰福州人謂之國公魚言其方如國公頭上冠也或云當作芳言芳香也華夷考曰其頭味芳香也本朝食鑑曰一種有頭角扁小而嘴尖鱗鬐淺紅者比タヒ則細小不過一尺餘許然味極甘美肉亦脆白名曰甘鯛或曰興津鯛是駿河興津多產也大和本草曰方頭魚鼻ノ上他魚ヨリ高シ目モ高ク付ケリ色ハ「タヒ」ノ如ニシテ長シ「タヒ」ヨリ性カロシ肉ヤハラカ也此魚紅白ノ二種アリ白色ニ乄微ニ淡紅色ヲ帶ルヲ白アマダヒ【紀州若山】ト云一名ドウマ【同上】本朝食鑑ニ或曰甘鯛之大者色帶白而味不美此謂白皮甘鯛云々白色ノ者味美乄魚價モ貴ク漁人甚賞之物類稱呼曰駿河興津ニテ多ク是ヲトル鱗ニ富士ノカタチ有ト云傳フ

 

○やぶちゃんの書き下し文

(七)

アマダヒ 一名「ナベクサラシ」【淡州北村。】・「シラ」【紀州田邊。】・「クズナ」【「大和本草」。】・「ヲキツダヒ」【「本朝食鑑」。】・「コビル」【「物類稱呼」。出雲。】・「方頭魚」

「華夷考」「閩中海錯疏」・「漳州府志」・「八閩通志」、俱〔とも〕に曰はく、『方頭魚、棘鬣〔タヒ〕に似て、頭、方〔はう〕なり。味、美〔よ〕し』と。「閩書」に曰はく、『福州の人、之れを「國公魚」と謂ふ。言〔いひ〕は、其れ、方にして、國公の頭上の冠のごとければなり』と。或いは云はく、『當〔まさ〕に「芳」に作るべし。言〔いひ〕は「芳しき香」あればなり』と。「華夷考」に曰はく、『其の頭の味、芳香あるなり』と。

「本朝食鑑」に曰はく、『一種、頭に角〔かど〕ありて、扁〔ひらた〕く、小にして、嘴〔くちばし〕、尖り、鱗・鬐〔ひれ〕、淺紅なる者、有り。「タヒ」に比するときは、則ち、細く小なり。一尺餘許りに過ぎず。然れども、味、極めて甘美なり。肉も亦、脆く、白し』。『名づけて「甘鯛」と曰ふ。或いは、「興津鯛」と曰ふ。是れ駿河の興津に多產するなり』と。

「大和本草」に曰はく、『方頭魚(クズナ)、鼻の上、他魚より高し。目も高く付けり。色は「タヒ」のごとくにして、長し。「タヒ」より、性〔しやう〕、かろし。肉、やはらかなり』と。

此の魚、紅白の二種あり、白色にして微〔かすか〕に淡い紅色を帶〔お〕ぶるを「白(しろ)アマダヒ」【紀州若山。】と云ふ。一名「ドウマ」【同上。】。

「本朝食鑑」に、『或いは、曰はく、甘鯛の大なる者は、色、白を帶びて、味〔あぢは〕ひ、美〔び〕ならず。此れを「白皮(しら)甘鯛」と謂ふ』云々。

白色の者、味、美にして、魚の價〔あたひ〕も貴〔たか〕く、漁人、甚だ之れを賞す。

「物類稱呼」に曰はく、『駿河興津にて、多く、是をとる。「鱗に、富士のかたち、有る」と云ひ傳ふ』と。

 

[やぶちゃん注:本文はここから次のページまで。これはアマダイで、京阪で「グジ」の名で親しまれ、西京漬けなどにされるスズキ目スズキ亜目キツネアマダイ(アマダイ)科アマダイ属 Branchiostegus のうち、本邦近海産は以下の四種。

アカアマダイ Branchiostegus japonicus

シロアマダイBranchiostegus albus

キアマダイ Branchiostegus auratus

スミツキアマダイ Branchiostegus argentatus

孰れも全長は二十~六十センチメートルほど。体は前後に細長く、側扁する。頭部は額と顎が角張った方形で、目は額の近くにあり、何となく、とぼけた、或いは、可愛らしい顔をしている。現行、食用ではシロアマダイを最美とする。畔田が人見必大の「本朝食鑑」に反論するように付け加えているのは賛同出来る。

「ナベクサラシ」「鍋腐らし」。これは実は不名誉な名前で、どうも、煮ると生臭くなり、勢い、誰も手を出さない結果、鍋をダメにしてしまう(生臭さが移る)という謂いらしい。特にアカアマダイを指すようである。カジカのような美味な魚をしばしば「ナベコワシ」(あまりの美味さに皆で鍋を突っく結果、鍋が壊れる」と異名するのと正反対であるのが面白い。コブダイ(ベラ亜目ベラ科コブダイ属コブダイ Semicossyphus reticulatus)の異名にも「ナベクサラシ」があった。調べてみるに、どうも旬の問題らしく、アマダイやコブダイは秋・冬・春が寒い時期が旬であり、夏場に獲れたそれらは美味くないことに由来するように思われる。これは、同種がもともと脂肪分が少なく、淡白であるかわりに、柔らかく、水っぽいという食感にも起因するのかも知れない。

「淡州北村」海浜で旧村名で「北村」を有するのは「草加北村」で、現在の兵庫県淡路市草香北(グーグル・マップ・データ)であるが、ここか。北を除く東村・西村・南村は「徳島大学附属図書館」の「貴重資料高精細デジタルアーカイブ」のこちらの古地図(寛永一八(一六四一)年頃)内に見つけたが、単独の「北村」は遂に見出せなかった。

「シラ」「白(しら)」でシロアマダイであろう。

「クズナ」シロだのアカだのを限定して指すという記載が散見されるが、アマダイの総称と考えてよい。古書には「屈頭魚(くずな)」とあり、頭がへこんだように見えることに由来していると考えられます。サイト「プライドフィッシュ」にまさに後に出る「コビル(アカアマダイ)」の標題で産地を島根県として出し、そこに『アマダイという名前の由来は、身に上品な「甘」みがあることや、横顔を見ると』、『頭を眼のすぐ前で切り落とした様な顔つきをしており、頬被りした「尼」僧に似ていることからきていると言われています』とし、『このアカアマダイのことを、島根県では「コビル」と呼んでいます。これは、アカアマダイが鯛と名前のつく他の魚に比べて大きくならないことからついたとされる呼び名。ほかに「クズナ」という地方名もありますが、古書には「屈頭魚(くずな)」とあり、頭がへこんだように見えることに由来していると考えられます』とある。今一つ、「コビル」の由来が判らぬので、さらに調べてみたところ、サイト「日本の旬・魚のお話」の「甘鯛(あまだい)」に、『島根の方言辞典に「コビル・コビリ、甘鯛をいう」とあり、また、「コビレル、発音』(「発育」の誤りか)『不全で大きくならないこと」としてある。鯛と呼ばれる他の魚に較べ、小型であることの呼名であろう』によって概ね了解できた。

「大和本草」江戸時代の儒者・医師で本草家の貝原益軒(寛永七(一六三〇)年~正徳四(一七一四)年:名は篤信。黒田侯祐筆職貝原寛斎の五男。長崎で医学を修め、明暦元(一六五五)年に江戸に出て,翌年より黒田光之に仕え、藩医となった。寛文四(一六六四)年、三五歳で福岡に帰り、藩儒の実務をとった。同五年から死に至るまでの五十年間に、全九十八部二四七巻の著述を成し、儒学・医学・民俗・歴史・地理・教育などの各分野で先駆者的業績を残した)が七十九歳の時に完成、翌年に刊行された。明の李時珍の「本草綱目収載品の中から、日本に産しないもの及び薬効性の疑わしいものを除き、七百七十二種を採って、さらに他書からの引用及び日本特産品と、西洋からの渡来品などを加え、実に千三百六十二種の薬物を収載している。全体としては博物学的な傾向にあるが、しばしば薬効にも触れており、「養生訓」とともに益軒の代表作とされる。但し、彼は生涯の大半を福岡藩で過ごしたことから、種同定に大きな誤りがあり、それに対する小野蘭山の批判が、蘭山の「本草綱目啓蒙」の成立の一因ともなった。「大和本草」の水族の部は、先般、その総ての電子化注を終えている。以上の引用部も「大和本草卷之十三 魚之下 棘鬣魚(タヒ) (マダイを始めとする「~ダイ」と呼ぶ多様な種群)」で電子化注してある。以下もそこで私が施した「○方頭魚(くずな)」の部分の訓読を参考にした。

「本朝食鑑」は医師で本草学者であった人見必大(ひとみひつだい 寛永一九(一六四二)年頃?~元禄一四(一七〇一)年:本姓は小野、名は正竹、字(あざな)は千里、通称を伝左衛門といい、平野必大・野必大とも称した。父は四代将軍徳川家綱の幼少期の侍医を務めた人見元徳(玄徳)、兄友元も著名な儒学者であった)が元禄一〇(一六九七)年に刊行した本邦最初の本格的食物本草書。「本草綱目」に依拠しながらも、独自の見解をも加え、魚貝類など、庶民の日常食品について和漢文で解説したものである。以上の引用部は、国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像の訓点に拠って訓読した。但し、二箇所に別けて出している。ここの左頁の五行目から十行目がそれであるが、畔田は途中の一部をカットしており、それをまた、本文内では分割して出している。省略部が判るように引用途中に二重鍵括弧を挿入してある。

「物類稱呼」江戸後期の全国的規模で採集された方言辞書。越谷吾山(こしがやござん) 著。五巻。安永四(一七七五)年刊。天地・人倫・動物・生植・器用・衣食・言語の七類に分類して約五百五十語を選んで、それに対する全国各地の方言約四千語を示し、さらに古書の用例を引くなどして詳しい解説を付す。「甘鯛」は巻二の「動物」の「棘鬣魚(たひ)」の小見出しに出る。以下の引用はPDFで所持する(岡島昭浩先生の電子化画像)昭和八(一九三三)年立命館出版部刊の吉澤義則撰「校本物類稱呼 諸國方言索引」に拠った。

   *

甘鯛、畿内西國、東武共に「あまだひ」と呼。出雲にて◦こびるといふ。關東にて◦興津鯛と呼(駿州興津にて多く是をとる。鱗に富士のかたち有と云つたふ)

   *

「華夷考」(かいかこう)以下、漢籍であるから、これは明の慎懋官(しん ぼうかん)撰になる「華夷花木鳥獣珍玩考」のことであろう。

「閩中海錯疏」(びんちゅうかいさくそ)明の屠本畯(とほんしゅん 一五四二年~一六二二年)が撰した福建省(「閩」(びん)は同省の略称)周辺の水産動物を記した博物書。一五九六年成立。

「漳州府志」(しょうしゅうふし)は、原型は明代の文人で福建省漳州府龍渓県(現在の福建省竜海市)出身の張燮(ちょうしょう 一五七四年~一六四〇年)が著したものであるが、その後、各時代に改稿され、ここのそれは清乾隆帝の代に成立した現在の福建省南東部に位置する漳州市一帯の地誌を指すものと思われる。

「八閩通志」明の黄仲昭の編になる福建省の地誌。福建省は宋代に福州・建州・泉州・漳州・汀州・南剣州の六州と邵武・興化の二郡に分かれていたことから、かくも称される。一四九〇年跋。全八十七巻。

「閩書」明の何喬遠撰になる福建省の地誌「閩書南産志」。

「國公の頭上の冠」中国の皇帝や国王(古くは本邦でも)が頭に被った冕冠(べんかん)。冠の上に冕板(延とも)と呼ばれる長方形の木板を乗せ、冕板前後の端には旒(りゅう:宝玉を糸で貫いて垂らした飾り)を垂らした。中文ウィキの画像(明朝定陵出土の十二旒冕冠)をリンクさせておく。

「駿河興津」現在の静岡県静岡市清水区興津本町はここ(グーグル・マップ・データ)。

「鱗に富士のかたち、有る」個人ブログ「世の中のうまい話」の「甘鯛(アマダイ)」に、『「駿河湾沿岸で獲れるアマダイのウロコは富士山の形をしている」と言い伝えられ、縁起物としてもてはやされた。しかし、一般的に何処で獲れてもウロコは山の形をしているようだ』とされ、『ちなみに、徳川家康が天ぷらの食べすぎで死んだと言う話は有名だが、アマダイの天ぷらだったと言うのが最も有力』で、『イワシであったとか、真鯛であったとか言う人もいるようです』とある。サイト「ORETSURI」の編集長であられる平田剛士氏の書かれた「アマダイの若狭焼きを上手につくるなんて10年早えよ」にあるこの画像がよい。確かに!🗻富士山🗻!]

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