北原白秋 邪宗門 正規表現版 惡 の 窓 斷篇七種 (全)
[やぶちゃん注:以下で冒頭に掲げたのは、「惡の窓」パート冒頭見開き。右にパート標題と石井白亭の挿絵。左ページは挿入画で、これは、本詩集の最後(奥附の前の前)に配されてある装幀・挿絵その他のリストにある、『太田正雄』(木下杢太郎)の「私信『四十一年七月廿一日便』」とするものと思われる。ご覧の通り、太田の北原白秋宛書簡(葉書であろう)を写真版に起こしたものである。奇体な絵の四隅の文面は、やや読み難いが、右上→左上→右下→左下の順に(私が判読できなかったものは□で示した)、
*
僕ハ六五日頃一たん帰岡
しやうと思つてゐる。
九月にどういふ
事でもどつ
てくる
かわ
らぬ
也國の実□
と、我を以て家を建て
それまで、一𢌞あつて
また「美き日の歌」
でも歌はふ
て□返るかも知れない
*
か。「帰岡」杢太郎の故郷は静岡である。左上の二行目は「國の実兄」と読みたかったが、「兄」の崩しではない。或いは「國」は「圓」ではないかとも思った。彼の次兄は太田圓三(土木技師・鉄道技師)という名であるからである。最終の左下も存外に読めなかった。「て(で)も」「ち(ぢ)き」等を考えたが、崩しが合わない。識者の御教授を乞う。
全七断篇を纏めて電子化注する。総標題下の「斷篇七種」は底本では御覧の通り、右寄りである。各断篇は一作毎に改ページ開始で整序されているので(「五」と「六」は見開き左右に各篇分置)、各篇の間を三行空けた。]
惡 の 窓 斷篇七種
一 狂 念
あはれ、あはれ、
靑白(あをじろ)き日の光西よりのぼり、
薄暮(くれがた)の燈のにほひ晝もまた點(とも)りかなしむ。
わが街(まち)よ、わが窓よ、なにしかも燒酎(せうちう)叫(さけ)び、
鶴嘴(つるはし)のひとつらね日に光り悶(もだ)えひらめく。
汽車(きしや)ぞ來(く)る、汽車(きしや)ぞ來(く)る、眞黑(まくろ)げに夢とどろかし、
窓もなき灰色(はひいろ)の貨物輌(くわもつばこ)豹(へう)ぞ積みたる。
あはれ、はや、燒酎(せうちう)は醋(す)とかはり、人は轢(し)かれて、
盲(めし)ひつつ血に叫ぶ豹(へう)の聲遠(とほ)に泡(あわ)立つ。
二 疲 れ
あはれ、いま暴(あら)びゆく接吻(くちつけ)よ、肉(ししむら)の曲(きよく)。……
かくてはや靑白く疲(つか)れたる獸(けもの)の面(おもて)
今日(けふ)もまた我(われ)見据(みす)ゑ、果敢(はか)なげに、いと果敢(はか)なげに、
色濁(にご)る窓硝子(まどがらす)外面(とのも)より呪(のろ)ひためらふ。
いづこにかうち狂(くる)ふ井゙オロンオロンよ、わが唇(くちびる)よ、
身をも燬(や)くべき砒素(ひそ)の壁(かべ)夕日さしそふ。
三 薄 暮 の 負 傷
血潮したたる。
薄暮(くれがた)の負傷(てきず)なやまし、かげ暗(くら)き溝(みぞ)のにほひに、
はた、胸に、床(ゆか)の鉛(なまり)に……
さあれ、夢には列(つら)なめて駱駝(らくだ)ぞ過(す)ぐる。
埃及(えじぷと)のカイロの街(まち)の古煉瓦(ふるれんが)
壁のひまには砂漠(さばく)なるオアシスうかぶ。
その空にしたたる紅(あか)きわが星よ。……
血潮したたる。
[やぶちゃん注:「古煉瓦(ふるれんが)」のルビはママ。]
四 象 の に ほ ひ
日をひと日。
日をひと日。
日をひと日、光なし、色も盲(めし)ひて
ふくだめる、はた、病(や)めるなやましきもの
窻ふたぎ窻ふたぎ氣倦(けだ)るげに唸(うな)りもぞする。
あはれ、わが幽欝(いううつ)の象(ざう)
亞弗利加(あふりか)の鈍(にぶ)きにほひに。
日をひと日。
日をひと日。
五 惡 の そ び ら
おどろなす髮の亞麻色(あさいろ)
背(そびら)向け、今日(けふ)もうごかず、
さあれ、また、絕えずほつほつ
息しぼり『死』にぞ吹くめる、
血のごとき石鹼(しやぼん)の珠(たま)を。
六 薄 暮 の 印 象
うまし接吻(くちつけ)……歡語(さざめごと)……
さあれ、空には眼(め)に見えぬ血潮(ちしほ)したたり、
なにものか負傷(てお)ひくるしむ叫(さけび)ごゑ、
など痛(いた)む、あな薄暮(くれがた)の曲(きよく)の色、――光の沈默(しじま)。
うまし接吻(くちつけ)……歡語(さざめごと)……
七 う め き
暮(く)れゆく日、血に濁る床(ゆか)の上にひとりやすらふ。
街(まち)しづみ、窻しづみ、わが心もの音(おと)もなし。
載(の)せきたる板硝子(いたがらす)過(す)ぐるとき車燬(や)きつつ
落つる日の照りかへし、そが面(おもて)噎びあかれば
室内(むろぬち)の汚穢(けがれ)、はた、古壁に朽ちし鉞(まさかり)
一齊(ひととき)に屠(はふ)らるる牛の夢くわとばかり呻(うめ)き悶(もだ)ゆる。
街(まち)の子は戱(たはむ)れに空虛(うつろ)なる乳(ち)の鑵(くわん)たたき、
よぼよぼの飴賣(あめうり)は、あなしばし、ちやるめらを吹く。
くわとばかり、くわとばかり、
黃(き)に光る向(むか)ひの煉瓦(れんぐわ)
くわとばかり、あなしばし。――
惡の窻畢――四十一年二月
[やぶちゃん注:最後のクレジット注記の「惡の窻」の「窻」はママ。冒頭のパート総標題は『惡の窓』である。]
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