北原白秋 邪宗門 正規表現版 暮春
暮 春
ひりあ、ひすりあ。
しゆツ、しゆツ……
なやまし、河岸(かし)の日のゆふべ、
日の光。
ひりあ、ひすりあ。
しゆツ、しゆツ……
眼科(がんくわ)の窓(まど)の磨硝子(すりがらす)、しどろもどろの
白楊(はくやう)の温(ぬる)き吐息(といき)にくわとばかり、
ものあたたかに、くるほしく、やはく、まぶしく、
蒸し淀(よど)む夕日(ゆふひ)の光。
黃(き)のほめき。
ひりあ、ひすりあ。
しゆツ、しゆツ……
なやまし、またも
いづこにか、
なやまし、あはれ、
音(ね)も妙(たへ)に
紅(あか)き嘴(はし)ある小鳥らのゆるきさへづり。
ひりあ、ひすりあ。
しゆツ、しゆツ……
はた、大河(おほかは)の饐(す)え濁(にご)る、河岸(かし)のまぢかを
ぎちぎちと病(や)ましげにとろろぎめぐる
灰色(はひいろ)黃(き)ばむ小蒸汽(こじようき)の温(ぬ)るく、まぶしく、
またゆるくとろぎ噴(ふ)く湯氣(ゆげ)
いま懈(た)ゆく、
また絕えず。
ひりあ、ひすりあ。
しゆツ、しゆツ……
いま病院(びやうゐん)の裏庭(うらには)に、煉瓦のもとに、
白楊(はくやう)のしどろもどろの香(か)のかげに、
窓の硝子(がらす)に、
まじまじと日向(ひなた)求(もと)むる病人(やまうど)は目(め)も惱(なや)ましく
見ぞ夢む、暮春(ぼしゆん)の空と、もののねと、
水と、にほひと。
ひりあ、ひすりあ。
しゆツ、しゆツ……
なやまし、ただにやはらかに、くらく、まぶしく、
また懈(た)ゆく。
ひりあ、ひすりあ。
しゆツ、しゆツ……
四十一年三月
[やぶちゃん注:「しゆツ、しゆツ……」の「ツ」は明らかにポイントが落ちて右方に打たれて、明白な促音表記がなされてあるようにしか見えない。しかし、実際には「狂人の音樂」で使用された「クラリネット」の促音表記は明白な右肩小文字のそれであり、これはそれと比較するならば、促音表記の小さな「ツ」ではないことになる。そしてそれは「狂人の音樂」の直前にある平字の促音でない「バツソ」の「ツ」と同じ活字なのである。私の言っている意味が判らない方のために、画像で示す。まず、本篇「暮春」の冒頭部(「ツ」の部分に赤い矢印を附した。次も同じ)
次に同サイズでスキャンした「狂人の音樂」の「バツソ」と「クラリネット」の現われる部分。
次に、「暮春」の「しゆツ」の「ツ」をトリミングして示す。
次に同サイズでスキャンした「狂人の音樂」の「バツソ」の「ツ」を示す。
御覧の通り、同じポイントの活字「ツ」であることが判る。これは例えば、後発の昭和三(一九二八)年の自身の編に成る「白秋詩集Ⅱ」で、先の「狂人の音樂」の平字の「バツソ」の「ツ」と「クラリネット」の「ツ」を比較して見る(国立国会図書館デジタルコレクションの画像。左ページ中央と左ページ後ろから三行目)と、後者が明らかにやや小さな別の活字の「ツ」を使用していることで明らかである。而して、この後発のそちらの「暮春」の「ツ」と、前に示した同じ後発の「狂人の音樂」の「バツソ」(同前。左ページ中央)の「ツ」の両者を拡大して比較して見ても、誠に残念なことに、同じ大きさの「ツ」であることが判るのである。しかしながら、私は見た目上の印象を大事にしたい。そこで、本篇では「ツ」のポイントを落した。なお、現行詩集類に見る「暮春」の「しゆツ」の「ツ」は促音ではないものが殆んどであると思われる。
さて、この「ひりあ、ひすりあ。」「しゆツ、しゆツ……」は非常に手の込んだ(或る意味で「やや意地の悪い」と評してもよい)オノマトペイアであることが判る。無心に読んだ時は、誰もが「この音は何だろう?」と惑うと思われる。第六連まで読んで、「これは、この『小鳥ら』の囀りかしら?」と一瞬、思うのだが、にしては、何か気に障る厭な印象が、囀りとは思われない。それが、第八連に来て、実はそれは眼科医院の傍らを流れる川、或いは白秋の故郷柳川の運河を行き来する小蒸汽船の立てる発動機の音(或いはその船の運航に付随する水切音などを含む)であることが判明する。ここまで不明に眩暈されて少し憎くなるまでに味な用法なのである。
「白楊(はくやう)」「下枝のゆらぎ」の私の「白楊(はくやう)」の注を参照されたい。]