北原白秋 邪宗門 正規表現版 狂人の音樂
狂 人 の 音 樂
空氣(くうき)は甘し……また赤し……黃(き)に……はた、綠(みどり)……
晚夏(おそなつ)の午後五時半の日光(につくわう)は晷(かげり)を見せて、
蒸し暑く噴水(ふきゐ)に濡(ぬ)れて照りかへす。
瘋癲院(ふうてんゐん)の陰欝(いんうつ)に硝子(がらす)は光り、
草場(くさば)には靑き飛沫(しぶき)の茴香酒(アブサント)冷(ひ)えたちわたる。
いま狂人(きやうじん)のひと群(むれ)は空うち仰ふぎ―
饗宴(きやうえん)の樂器(がくき)とりどりかき抱(いだ)き、自棄(やけ)に、しみらに、
傷(きず)つける獸(けもの)のごとき雲の面(おも)
ひたに怖れて色盲(しきまう)の幻覺(まぼろし)を見る。
空氣(くうき)は重し……また赤し……黃に………はた綠(みどり)……
* * * *
* * * *
オボイ鳴る……また、トロムボオン……
狂(くる)ほしき井゙オラの唸(うなり)……
一人(ひとり)の酸(す)ゆき音(ね)は飛びて怜羊(かもしか)となり、
ひとつは赤き顏ゑがき、笑(わら)ひわななく
音(ね)の恐怖(おそれ)……はた、ほのしろき髑髏舞(どくろまひ)……
彈(ひ)け彈(ひ)け……鳴らせ……また舞踏(をど)れ……
セロの、喇叭(らつぱ)の蛇(へび)の香(か)よ、
はた、爛(たゞ)れ泣く井゙オロンの空には赤子飛びみだれ、
妄想狂(まうさうきやう)のめぐりにはバツソの盲目(めしひ)
小さなる骸色(しかばねいろ)の呪咀(のろひ)して逃(のが)れふためく。
彈け彈け……鳴らせ……また舞踏(をど)れ……
クラリネットの槍尖(やりさき)よ、
曲節(メロヂア)のひらめき緩(ゆる)く、また急(はや)く、
アルト歌者(うたひ)のなげかひを暈(くら)ましながら、
一列(ひとつらね)、血しほしたたる神經(しんけい)の
壁の煉瓦(れんぐわ)のもとを行(ゆ)く……
彈け彈け……鳴らせ……また舞踏(をど)れ……、
かなしみの蛇(へび)、綠(みどり)の眼(め)
槍(やり)に貫(ぬ)かれてまた歎(なげ)く……
彈け彈け……鳴らせ……また舞踏(をど)れ……
はた、吹笛(フルウト)の香(か)のしぶき、
靑じろき花どくだみの鋭(するど)さに、
濁りて光る山椒魚(さんしようを)、沼(ぬま)の調(しらべ)に音(ね)は瀞(とろ)む。
彈け彈け……鳴らせ……また舞踏(をど)れ……
傷(きずつ)きめぐる觀覽車(くわんらんしや)、
はたや、太皷(たいこ)の悶絕(もんぜつ)に列(つら)なり走(はし)る槍尖(やりさき)よ、
窻(まど)の硝子(がらす)に火は叫(さけ)び、
月琴(げつきん)の雨ふりそそぐ……
彈(ひ)け彈(ひ)け……鳴らせ……また舞踏(をど)れ……
赤き神經(しんけい)……盲(めし)ひし血……
聾(ろう)せる腦の鑢(やすり)の音(ね)……
彈け彈け……鳴らせ……また舞踏(をど)れ……
* * * *
* * * *
空氣(くうき)は酸(すゆ)し……いま靑し……黃(き)に……なほ赤く……
はやも見よ、日の入りがたの雲の色
狂氣(きやうき)の樂(がく)の音(ね)につれて波だちわたり、
惡獸の蹠(あなうら)のごと血を滴(たら)す。
そがもとに噴水(ふきゐ)のむせび
濡れ濡れて薄闇(うすやみ)に入る……
空氣(くうき)は重し………なほ赤し………黃(き)に………また綠(みどり)………
いつしかに蒸汽(じようき)の鈍(にぶ)き船腹(ふなばら)の
ごとくに光りかぎろひし瘋癲院(ふうてんゐん)も暮れゆけば、
ただ冷(ひ)えしぶく茴香酒(アブサント)、鋭(するど)き玻璃(はり)のすすりなき。
草場(くさば)の赤き一群(ひとむれ)よ、眼(め)ををののかし、
躍(をど)り泣き彈(ひ)きただらかす歡樂(くわんらく)の
はてしもあらぬ色盲(しきまう)のまぼろしのゆめ……
午後の七時の印象(いんしやう)はかくて夜(よ)に入る。
空氣は苦(にが)し……はや暗(くら)し……黃(き)に……なほ靑く……
四十一年九月
[やぶちゃん注:かなりの通常と異なる点や不審点がある。
・第一パート第三連一行目のダッシュ一字分はママ(後の自身の編になる昭和三(一九二八)年アルス版「白秋詩集Ⅱ」では通常の二字分ある)。
・第一パート第四連(最終行)「空氣(くうき)は重し……また赤し……黃に………はた綠(みどり)……」の「黃に」の後のリーダ九点はママ。前記アルス版ではこの詩篇に限らず、殆んどの詩篇のリーダが八点で統一されてある。
・第二パート第二連三行目の「音(ね)の恐怖(おそれ)‥‥はた、ほのしろき髑髏舞(どくろまひ)……」の四点リーダはママ。実は「恐怖」の後には有意な半角空きがあるのだが、これは再現しなかった。半角分が二点リーダの脱活字と採れると言われる方がいるかも知れない。しかし、それは「そうかも知れない」し、「そうではなくて半角空けてある」という可能性が限りなくあるからである。何故かと言うと、本篇に限らず、実は、不規則な字空けが、一々挙げているときりがないほどに、本詩集には多数認められるからである。それら総てが白秋の指示や意図によるものとは、実は、到底、思えないことも事実である。だからと言って、植字ミスで済まされるかというと、実は前記の後発のアルス版では、この空きがもっと頻繁に随所に見られるという事実があるのである(国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを見られたい)。単にこうした植字のバラつきを彼自身が全く問題にしなかっただけだと考えるのが自然ではあろうが、ルビに異様に凝り、連構成にも拘っている白秋にして、そこだけが杜撰というのは、寧ろ、考え難い気もする。しかし、そこまで忠実に再現すると、実は寧ろ、読む際の音律上の躓き、障害になるばかりで、実は何の有益な効果もないように私には見られるのである。
・第三パート第四連単独一行の「空氣(くうき)は重し………なほ赤し………黃(き)に………また綠(みどり)………」のリーダが総て九点なのはママ。アルス版は他と同じ八点である。
「瘋癲院(ふうてんゐん)」精神病院。
「茴香酒(アブサント)」absinthe で、フランス語。音写するなら「アプサァント」。古くからフランス・スイス・チェコ・スペインなどを中心にヨーロッパ各国でニガヨモギ(双子葉植物綱キク亜綱キク目キク科キク亜科ヨモギ属ニガヨモギ Artemisia absinthium)・アニス(英語 anise。双子葉植物綱セリ目セリ科ミツバグサ属アニス Pimpinella anisum)・ウイキョウ(セリ科ウイキョウ属ウイキョウ Foeniculum vulgare)などを中心に複数のハーブやスパイスを主成分として作られてきたアルコール度の高い(四十~八十九%)薬草系リキュールの一つ。元はギリシア語の「ヨモギ」を意味する「アプシンシオン」に由来する。
「オボイ」管楽器のオーボエ(英語:oboe)。
「井゙オラ」弦楽器のヴィオラ(英語:viola)。
「バツソ」バッソ(イタリア語:basso)。最低音のバスのこと。
「月琴(げつきん)」は中国のリュート系の撥弦楽器で、満月のような円形の共鳴胴に短い首、琴杵(ちんがん)を持つ。弦数は時代や国によって異なるが概ね二弦から四弦。弦を親指以外の指先で押さえつけて弾片(ピック)で弦を弾いて音を出す。共鳴孔は無い。演奏時は椅子に座りながら月琴を腿の上に置き、胴を自分の体から少し離して弾く。胴内に不安定な金具が仕込んであり、それを振ったり、叩いて音を鳴らす、鳴り胴と呼ばれる機構を備えたものもある。起源は阮咸琵琶や阮と呼ばれるものであるとされているが、よくわかっていない。日本の明清楽でも使われるが、明楽の「月琴」が棹の長い「阮咸」であるのに対し、清楽の「月琴」は胴の丸い円形胴の月琴であり、両者は全く別の楽器である。明楽は清楽に押されて早くに衰退したこともあり、日本で単に「月琴」と言えば、清楽で使う月琴を指す。参照したウィキの「月琴」によれば、『清楽の月琴は長崎経由で中国から輸入されたが、ほどなく日本国内でも模倣製作され、清楽以外の俗曲の演奏にも用いられるようになった。江戸時代から幕末・明治期にかけて大いに流行し、演歌師や法界屋、更には瞽女等にも演奏された』。『司馬遼太郎の歴史小説』「竜馬がゆく」の『中で、坂本龍馬の妻・お龍』(りょう)『がつま弾く描写がある(現在の知名度の高さはそれによるところが大きい)。しかし日清戦争』(明治二七(一八九四)年七月から翌年にかけて起こった。当時、白秋は満九~十歳)『時に「敵性楽器」とされてからは廃れた』とある。リンク先で実物の画像が見られる。
「蹠(あなうら)」この「蹠」(音は「セキ・シャク」。この漢字もルビの「あなうら」も「足の裏」の意。「あ」が「足」、「な」は所有の格助詞「の」)は底本では、「庶」の部分が、「鹿」の「比」の代わりに「从」を入れた奇体な字体である。漢字字形自由共有サイト「グリフウィキ」の「蹠」の異体字にもない。最も近いのはこれである。表記出来ないことを正直示して「※」でやることも考えたが、それは如何にも詩全体の雰囲気を壊すので、ここは現行の正字であるこれで示した。なお、上記アルス版「白秋詩集Ⅱ」では「蹠」を使用している。]