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2020/10/03

畔田翠山「水族志」 (二) チダヒ (チダイ・キダイ)

 

(二)

チダヒ

形狀棘鬣ニ同乄鼻上骨隆起シ背紅色ニ乄斑㸃ナク腹淡紅色肉味棘鬣ニ次テ早ク餒ヤスシ八閩通志福州府志閩中海錯疏倶曰赤鬃似棘鬣而大鱗鬣皆淺紅色閩書ニ興化志曰赤鬃似棘鬣而大則二魚也ト云楊州𤲿舫錄紅多黑少曰紅綜ト云リ大者四五尺ニ至ル㋑コダヒ【日用襍字母ニ𩹁仔「マタヒ」ト云】紅翅 異魚圖贊𨳝集曰赤鯮小者名紅翅葢其子也

 

○やぶちゃんの書き下し文

(二)

チダヒ

形狀、棘鬣〔タヒ〕に同じくして、鼻の上の骨、隆起し、背、紅色にして、斑㸃なく、腹、淡紅色。肉味、棘鬣に次いで、早く餒〔あざ〕れやすし。「八閩通志」・「福州府志」・「閩中海錯疏」、倶に曰はく、『赤鬃〔セキソウ〕、棘鬣〔キヨクリヤウ/たひ〕に似にて、大なり。鱗・鬣、皆、淺紅色』と。「閩書に、『「興化志」に曰はく、「赤鬃、棘鬣に似て、大なり。則ち、二魚なり」』と云ふ。「楊州𤲿舫錄」、『紅、多く、黑、少なしを、紅綜〔コウソウ〕と曰ふ』と云へり。大なる者、四、五尺に至る。

コダヒ【「日用襍字母」に『𩹁の仔、「マタヒ」と云ふ』と。】・紅翅 「異魚圖贊𨳝集」に曰はく、『赤鯮の小者、紅翅と名づく。葢し、其の子なり』と。

 

[やぶちゃん注:本文はここ。これはマダイに似ており、鼻孔(通常は左右二対で四穴(入水孔と出水孔)あり、タイでは目のすぐ下方に位置する。なお、養殖されたタイでは、この左右にある一組の二つの穴が繋がってしまい、鼻の孔が左右一対しかないことが有意にあることが知られており、前にかれているマダイでは、鼻の穴が一対しかないものは養殖マダイと判別出来るとされる)の上(目の上と言った方が判りが早い)が有意に隆起していること、全体が赤い単色系で雜色が含まれていないことから、畔田が掲げる通り、

スズキ目スズキ亜目タイ科マダイ亜科チダイ属チダイ Evynnis tumifrons

でよい。或いは「稚鯛」と思っている方も多いだろうが(成魚は大きくても四十センチメートル程度)、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のチダイによれば、『鰓ぶたの後縁が血がにじんだように』『筋状に赤く血がにじんだように見える』『ので「血鯛」』と呼ぶとある(写真参照。事実、切れて出血しているかのようにさえ見える)。本種はマダイと異なり、『尾鰭の』『後ろ側の縁が黒く縁取りされない』ことと、『雄は大形になると』、『頭部が張り出してくる』とある(同サイトのマダイの写真と比較されたい。英語名もマダイが「Red sea-bream」(「赤いブルーム(タイ類)」)であるのに対し、チダイは「Crimson sea-bream」(「深紅のブルーム」)である。なお、英語の「bream」は特にタイ科 Sparidae のヨーロッパヘダイ Sparus aurata を指すようである)。異名では、特に関東の寿司屋でよく耳にする「カスゴ」(春日子:関東の魚河岸言葉では十センチメートル前後の本種の幼魚を指すが、時には成魚をもこう呼んでいる)や、成魚の♂の頭部前面が絶壁状に見えることによる「ハナオレダイ」(鼻折鯛)がよく知られる。江戸前を代表する魚の一つで、「春日子」は江戸前寿司の創生期以来のネタでもある、ともある。

「八閩通志」(はちびんつうし)明の黄仲昭の編になる福建省(「閩」(びん)は同省の略古称)の地誌。福建省は宋代に福州・建州・泉州・漳州・汀州・南剣州の六州と邵武・興化の二郡に分かれていたことから、かくも称される。一四九〇年跋。全八十七巻。

「福州府志」清の乾隆帝の代に刊行された福建省の地誌。

「閩中海錯疏」(びんちゆうかいさくそ)明の屠本畯(とほんしゅん 一五四二年~一六二二年)が撰した福建省周辺の水産動物を記した博物書。一五九六年成立。中国の「維基文庫」のこちらで全文が正字で電子化されている。そこでは「鯽(金鯽) 烏魚(金箍) 棘鬛(赤鬃、方頭、烏頰)」の項に(一部の表記を変更した)、

   *

棘鬛、似鯽而大、其鬛如棘、色紅紫。「嶺表異錄」、名「吉鬛」。泉州謂之鬐鬛、又名奇鬛。赤鬃、似棘鬛而大、鱗鬛者皆紅色。

   *

とある(「鯽」は鮒(フナ))。

「赤鬃〔セキソウ〕」「鬃」は「鬣」と同じ意。但し、これは本種として同定してよいかどうか、やや疑問がある。まず、本種チダイの分布域が問題で、現在は北海道南部以南の日本沿岸(琉球列島を除く)及び朝鮮半島南部に分布するとされるから、中国で本種を指したとは考えにくい点がまず一つ。また、調べてみたところ、中文版の「維基百科」の「赤鯮」の学名データを見ると――これ――おかしい――のである。そこでは、「赤鯮」を Dentex tumifrons とし、「異名」(この場合はシノニムとなるはず)として、Taius tumifronsChrysophrys tumifronsEvynnis tumifrons の三つの学名を置くのであるが、最後のそれは確かにチダイだが、Dentex tumifrons はチダイではなく、タイ科キダイ亜科キダイ属キダイ Dentex tumifrons で、後にあるTaius tumifronsChrysophrys tumifrons の二つのシノニムも、やはりキダイのシノニムなのである。これは、非常に悲しいことだが(私はウィキぺディアのライターでもある)、このページを書いた人物が、本邦で獲れるタイ類には詳しくなく、似たタイ科の種を同種として並べてしまった結果、とんでもないことになってしまったものと思われるのである(私はウィキペディアの致命的な誤りは通常、その場で直ちに修正するのだが、中文のそれまで直す気にはなれない。論争に展開しても中国語では話し合うことが出来ないからである)。さすれば、これは思った通りの誤認が、今も平然と行われている証左であり、ますますチダイではないという感じが確信的になってきたのである。そこでさらに調べて見たところが、台湾のサイト「宅魚」の「台灣的十大好魚(三)」に、「第七名 赤鯮」とあるのを見出した。そこには冒頭に、『赤鯮、學名為黄背牙鯛 (Dentex hypselosomus)』とあったのである。しかもこれもやはり思った通り、キダイ Dentex tumifrons のシノニムなのであった。データシステム「BISMaL」(Biological Information System for Marine Life)のこちらを見られたい。因みに、同じビスマルのチダイのツリーはここである。則ち、「赤鬃」は中国大陸沿岸には棲息しないチダイなんぞではなく、東シナ海大陸棚からその縁辺域に広く分布する「絵に書いたタイらしいタイ」であるキダイのことだということである。まんず、間違えても仕方ないかとは思うぐらい、両者は遠目にはよく似ているようには見える。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のキダイ(別名レンコダイもよく知られる)の画像を見られたい。

「閩書」明の何喬遠撰になる福建省の地誌「閩書南産志」。

「興化志」「興化府志」。明の呂一静らによって撰せられた現在の福建省の興化府(現在の莆田市内)地方の地誌。

「赤鬃、棘鬣に似て、大なり。則ち、二魚なり」これは以上から、キダイとマダイは別な種であると言っているのである。

「楊州畫舫錄」(ようしゅうがぼうろく)は清の旅行家李斗の撰になる、三十年余の間に見聴きしたしたものを集成した揚州の見聞録。一七九五年刊。早稲田大学図書館「古典総合データベース」にある原本を二度、縦覧したが、見当たらなかった。

「大なる者、四、五尺に至る」マダイの大物は一メートル二十センチメートルにも達する。寿命は十五年から二十年(一説に二十から四十年)程度と考えらえている。

コダヒ」マダイやこのチダイの幼魚ととってもいいのだが、先の注に挙げた、

タイ科キダイ亜科キダイ属キダイ Dentex tumifrons

を、高知や九州南部では「コダイ」と呼称する。畔田のいた和歌山は高知に近い。

「日用襍字母」「タヒ」にも出たが、不詳。以下の引用から見るに、本邦で作られた日用(といっても上流階級の)される雑字(「襍」は「雜」の異体字)義集か。識者の御教授を乞うものである。

「𩹁」「漢字林」によれば、音は「ヘイ・ビョウ」で「鮩」「鮊」と同字とし、『カワヒラ、別名「白魚(ハクギョ、パイユ)」、コイ科カワヒラ属の魚の総称、或いはカワヒラの類』とある。コイ目コイ科カワヒラ亜科 Xenocypridini Chanodichthys 属カワヒラ(パイユ・白魚)Chanodichthys erythropterus である。PRIVATE AQUARIUM」のパイユのページによれば、淡水魚で、中国全土・朝鮮半島・ベトナム・モンゴル・台湾・極東ロシアのアムール川などにも分布するが、本邦には棲息しない。『体は側扁していて細長く、頭部小さくて、口は上向きについている』。『背びれと腹びれは体の中央辺りについていて、尾びれは深く』二『叉している』。『体色は背面は灰色がかっているが腹面は銀白色で、斑などは見られない』。『河川や湖、貯水池や用水路などの淡水域に生息していて、湖では水深』二十メートル『位までのところに多く見られる』。『流れの緩やかなところに生息しているが』、『遊泳力は強く、小型の甲殻類や魚類などを食べるほか、水生昆虫や落下昆虫なども食べる』。『中国での繁殖期は』六~七月で、『大きいものでは全長』一メートル『を超え、体重は』十キログラム『程に成長する』。『寿命は長く、飼育下では』二十『年程の長さがあると言われている』。『また、中国ではケツギョやコイと並び、パイユは三名魚のひとつとして挙げられているが、重要な食用魚としても』『様々な料理に利用され、淡白な味で美味しいものとされている』とあり、それだけで十分と思うが、リンク先の写真も見られたい。チダイとは縁も所縁もない、文字通り、「赤」の他人である。こんなわけの判らぬ字を載せる「日用襍字母」、しかも、「コダヒ」『「日用襍字母」に『𩹁の仔、「マタヒ」と云ふ』っち、なんのこっちゃい!?! ますます気持ち、悪ッツ!

「紅翅」腑に落ちる異名ではある。

「異魚圖贊𨳝集」の「𨳝」は「閏」(ジュン)の誤り。「本来あるものの他にあるもの。正統でない余り物」の意。いわば、本巻に添えた「別集」の意。清の胡世安の魚譜「異魚圖贊補」の「閏集」。「漢籍リポジトリ」のこちら最初の[004-2a]から読め、原本画像も見られる。それは以下である(原本画像で自分の目で再校閲した)。

   *

  烏頰 赤鯮

二魚異産形味稍同色羣可辨或釣或罿

烏頰身㣣側視之則稍員厚鱗少骨多處水崖中漁人以釣得之色近黒脊上有刺數十枝長二三寸或亦藉此以防患者 赤鯮一名交鬛似烏頰而稍短結陣而至大小交錯因名交鬛色淺絳故又名赤

味不下烏頰黑赤之分衆寡之異小者名紅翅葢其子也

   *

これは「赤鯮」(キダイ)の幼魚となるとなるから、「コダイ」は別種記載として採れば、問題ないように見えるが、ここに出る「烏頰」というのは、実は本邦では、現在でも別名で「スミヤキダイ」と呼ぶ、タイではないスズキ目スズキ亜目イシナギ科イシナギ属オオクチイシナギ Stereolepis doederleini を指す漢字異名でもあり、悩ましい。

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