北原白秋 邪宗門 正規表現版 靑き光
靑 き 光
哀(あは)れ、みな惱(なや)み入る、夏の夜(よ)のいと靑き光のなかに、
ほの白き鐵(てつ)の橋、洞(ほら)圓(まろ)き穹窿(ああち)の煉瓦(れんぐわ)、
かげに來て米炊(かし)ぐ泥舟(どろぶね)の鉢(はち)の撫子(なでしこ)、
そを見ると見下(みおろ)せる人々(ひとびと)が倦(う)みし面(おもて)も。
はた絕えず、惱(なや)ましの角(つの)光り電車すぎゆく
河岸(かし)なみの白き壁あはあはと瓦斯も點(とも)れど、
うち向ふ暗き葉柳(はやなぎ)震慄(わなな)きつ、さは震慄(わなな)きつ、
後(うしろ)よりはた泣くは靑白き屋(いへ)の幽靈(いうれい)。
いと靑きソプラノの沈みゆく光のなかに、
饐(す)えて病むわかき日の薄暮(くれがた)のゆめ。――
幽靈の屋(いへ)よりか洩れきたる呪(のろ)はしの音(ね)の
交響體(ジムフオニ)のくるしみのややありて交(まじ)りおびゆる。
いづこにかうち囃(はや)す幻燈(げんとう)の伴奏(あはせ)の進行曲(マアチ)、
かげのごと往來(ゆきき)する白(しろ)の衣(きぬ)うかびつれつつ、
映(うつ)りゆく繪(ゑ)のなかのいそがしさ、さは繰りかへす。――
そのかげに苦痛(くるしみ)の暗(くら)きこゑまじりもだゆる。
なべてみな惱(なや)み入る、夏の夜(よ)のいと靑き光のなかに。――
蒸し暑(あつ)き軟(なよ)ら風(かぜ)もの甘(あま)き汗(あせ)に搖(ゆ)れつつ、
ほつほつと點(と)もれゆく水(みづ)の面(も)のなやみの燈(ともし)、
鹹(しほ)からき執(しふ)の譜(ふ)よ……………み空には星ぞうまるる。
かくてなほ惱み顫(ふる)ふわかき日の薄暮(くれがた)のゆめ。――
見よ、苦(にが)き闇(やみ)の滓(をり)街衢(ちまた)には淀(よど)みとろげど、
新(あらた)にもしぶきいづる星の華(はな)――泡(あわ)のなげきに
色靑き酒のごと空(そら)は、はた、なべて澄みゆく。
四十一年七月
[やぶちゃん注:第一連「穹窿(ああち)」アーチ。Arch。橋下の下部のそれ。
第一連「泥舟(どろぶね)」泥や土砂を積んで運ぶ荷船。土船(つちぶね)。これはそうした舫(もやい)に揺られる生業(なりわい)に生きる者たちが、その船の一角に家族で住んでいる。炊ぐのは妻か娘か。小さな小さな「撫子」の鉢植えの一輪のピンクだけが、モノクロームの画面にぼぅっと発色する。一九八一年公開の小栗康平監督の名品「泥の河」を髣髴させる一行である。
第二連「惱(なや)ましの角(つの)光り電車すぎゆく」パンタグラフのスパーク。
第二連「瓦斯」「がす」或いは「ガス」。ガス灯。]
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