北原白秋 邪宗門 正規表現版 夢の奧
夢 の 奧
ほのかにもやはらかきにほひの園生(そのふ)。
あはれ、そのゆめの奧(おく)。日(ひ)と夜(よ)のあはひ。
薄(うす)あかる空の色ひそかに顫(ふる)ひ
暮れもゆくそのしばし、聲なく立てる
眞白(ましろ)なる大理石(なめいし)の男(をとこ)の像(すがた)、
微妙(いみ)じくもまた貴(あて)に瞑目(めつぶ)りながら
淸(きよ)らなる面(おも)の色かすかにゆめむ。
ものなべてさは妙(たへ)に女(をみな)の眼(め)ざし
あはれそが夢ふかき空色(そらいろ)しつつ、
にほやかになやましの思(おもひ)はうるむ。
そがなかに埋(う)もれたる素馨(そけい)のなげき、
蒸(む)し甘き沈丁(ぢんてう)のあるは刺(さ)せども
なにほどの香(か)の痛(いた)み身にしおぼえむ。
わかうどは聲もなし、淸(きよ)く、かなしく。
薄暮(たそがれ)にせきもあへぬ女(をんな)の吐息(といき)
あはれその愁(うれひ)如(な)し、しぶく噴水(ふきあげ)
そことなう節(ふし)ゆるうゆらゆるなべに、
いつしかとほのめきぬ月の光も。
その空に、その苑(その)に、ほのの靑みに
靜かなる欷歔(すすりなき)泣きもいでつつ、
いづくにか、さまだるる愛慕(あいぼ)のなげき。
やはらかきほの熱(ほて)る女の足音(あのと)
あはれそのほめき如(な)し、燃(も)えも生(あ)れゆく
ゆめにほふ心音(しんのん)のうつつなきかな。
大理石(なめいし)の身の白(しろ)み、面(おも)もほのかに、
ひらきゆくその眼(め)ざし、なかば閉ぢつつ、
ゆめのごと空仰(あふ)ぎ、いまぞ見惚(みほ)るる。
色わかき夜(よる)の星、うるむ紅(くれなゐ)。
四十一年七月
[やぶちゃん注:第二連の「女」を「をみな」とルビし、第三連のそれを「をんな」とし、第四連に振らないのはママ。これでは第四連のそれをどう音読すればよいか、朗読では迷う。後のある選集では前二箇所を「をんな」として第四連に振らない。個人的にはしかし、幻想性を保持するために「をみな」で統一したくなる私がいる。
「素馨(そけい)」被子植物門双子葉植物綱シソ目モクセイ科ソケイ属 Jasminum 或いは狭義には同属ソケイ Jasminum grandiflorum を指す。属名(ヤスミヌム)から判る通り、幾つかの種が例の強い芳香を放つ花を持つジャスミン(英語:jasmine)類及びその一種である。南アジアのインドやパキスタンの高地に自生するが、本邦へは恐らくは種としてのソケイが江戸後期に中国から琉球を経て、薩摩に伝来したものかと思われる。素馨は漢名で。五代十国時代の劉隠(りゅういん 八七四年~乾化元(九一一)年:晩唐の節度使で後梁の南海王。十国南漢の基礎を作り上げた)の侍女に「素馨」という名の少女がおり、死んだ彼女を葬った場所にこの素馨の花が咲き、何時までも香りがあったという伝説が由来という説がある。
「沈丁(ぢんてう)」双子葉植物綱フトモモ目ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属ジンチョウゲ Daphne odora。花が強い芳香を放つ。属名「Daphne」はギリシア神話でアポロンの求愛を拒んで月桂樹に変じた女神ダフネに因み、種小名「odora」は「芳香がある」の意である。ここの部分、幻想の庭園の孤独な青年像とその恋の、心内の美妙な哀しき葛藤を、二つの強い芳香を発する二種を掲げて拮抗させ、嗅覚的なイリュージョンとして表現した卓抜なシークエンスと言えよう。
「そことなう節(ふし)ゆるうゆらゆるなべに」「其處と無く、節、緩く緩らゆる奈(那)邊に」で「どこと確かに示すことはできないけれど、女の吐息が、艶なる、あたかもある音曲の節(ふし)のように、行き去り難くとどまっているような、それが、あの辺りに」という意味で私は採った。]