北原白秋 邪宗門 正規表現版 顏の印象 六篇
[やぶちゃん注:詩篇群「顏の印象 六篇」の冒頭。石井柏亭の挿絵とともに。ご覧に通り、「六篇」の文字はポイント落ちでやや右寄りである。
以下、「顏の印象」六篇は纏めて電子化し、各篇の間は三行空けた。これは、各篇が総て、右ページ始まりに整除されているからである。標題の字下げが、「A」のみ三字下げで、後は総て四字下げであるのもママである。]
顏 の 印 象 六 篇
A 精 舍
うち沈む廣額(ひろびたひ)、夜(よ)のごとも凹(くぼ)める眼(まなこ)――
いや深く、いや重く、泣きしづむ靈(たまし)の精舍(しやうじや)。
それか、實(げ)に聲もなき秦皮(とねりこ)の森のひまより
熟視(みつ)むるは暗(くら)き池、谷そこの水のをののき。
いづこにか薄日(うすひ)さし、きしりこきり斑鳩(いかるが)なげく
寂寥(さみしら)や、空の色なほ紅(あけ)ににほひのこれど、
靜かなる、はた孤獨(ひとり)、山間(やまあひ)の霧にうもれて
悔(くい)と夜(よ)のなげかひを懇(ねもごろ)に通夜(つや)し見まもる。
かかる間(ま)も、底ふかく靑(あを)の魚盲(めし)ひあぎとひ、
口そそぐ夢の豹(へう)水の面(も)に血音(ちのと)たてつつ、
みな冷(ひ)やき石の世(よ)と化(な)りぞゆく、あな恐怖(おそれ)より。
かくてなほ聲もなき秦皮(とねりこ)よ、秘(ひそ)に火ともり、
精舍(しやうじや)また水晶と凝(こご)る時(とき)愁(うれひ)やぶれて
響きいづ、響きいづ、最終(いやはて)の靈(たま)の梵鐘(ぼんしよう)。
以下五篇――四十一年三月
[やぶちゃん注:「秦皮(とねりこ)」「陰影の瞳」の私の注を参照されたい。
「斑鳩(いかるが)」スズメ目アトリ科イカル属イカル Eophona personata のことであるが、ウィキの「イカル」によれば、この漢字表記は正しくないとし、「鵤」「桑鳲」が正しいとする。同種は『木の実を嘴(くちばし)で廻したり』、『転がしたりするため』、『古くは「マメマワシ」や「マメコロガシ」、木の実を好んで食べるため「まめうまし」、「豆割り」などと呼ばれた。イカルという名の由来は』、『奈良県の斑鳩とも』、『鳴き声が「イカルコキー」と聞こえるからとも言われるが、定かではない。また「イカルガ(斑鳩)」と呼ばれることもあるが』、『厳密には「斑鳩」の文字を使うのは誤用であり、「鵤」は角のように丈夫な嘴を持つ』こと『に由来する』とある。但し、聖徳太子の宮があったとされる斑鳩の里に、この鳥が多くいたことによる古名とする説はある。ただ、その「斑鳩」に多くいたとする鳥が現在のイカルであるという確証はなく、大修館書店「廣漢和辭典」では「斑鳩(ハンキュウ)」をハト目ハト科キジバト属ジュズカケバト Streptopelia risoria としてあり(『いかる』とも記しているものの、解説は明らかにジュズカケバトのものである)、明の李時珍の「本草綱目」の「禽之三」の頭に「斑鳩」を出すが、その記載は、『鳩也』と始まっており、「廣漢和辭典」の比定根拠として挙げているのも、「本草綱目」である。因みに、寺島良安の「和漢三才図会」でも、巻第四十三「林禽類」冒頭に「斑鳩」として出すのはハトであって、イカルではない(リンク先は私の電子化注)。良安はイカルは同巻に「桑鳲(まめどり・まめうまし・いかるが) (イカル)」として出しており、その本文では、わざわざ最後の部分で『「倭名抄」に『鵤【伊加流加〔(いかるが)〕。】・斑鳩【同。】』〔とあれど〕、共に誤りなり』と書いてさえいる。また、現代中国語では、「斑鳩」をハト目ハト科キジバト属 Streptopelia の中文属名「斑鳩属」としていることが、中文ウィキのこちらで判る。されば、やはりイカルを斑鳩に比定同定するの甚だ無理であると言わざるを得ないと私は思う。以下、ウィキの「イカル」から引く。『ロシア東部の沿海州方面と日本で繁殖し、北方の個体は冬季に中国南部に渡り』、『越冬する』。『日本では北海道、本州、四国、九州の山林で繁殖するが』、『北日本の個体は冬季は本州以南の暖地に移動する』。『全長は約』二十三センチメートルで、『太くて大きい黄色い嘴を持つ。額から頭頂、顔前部、風切羽の一部が光沢のある濃い紺色で体の上面と腹は灰褐色で下腹から下尾筒は白い。初列風切羽に白斑がある。雌雄同色である』。『主に樹上で生活するが、非繁殖期には地上で採食している姿もよく見かける。木の実や草の種子を採食する。時には、昆虫類も食べている』。『繁殖期はつがいで生活するが』、『巣の周囲の狭い範囲しか縄張りとせず、数つがいが隣接してコロニー状に営巣することが多い。木の枝の上に、枯れ枝や草の蔓を組み合わせて椀状の巣を作る。産卵期は』五~七月で、三~四個の『卵を産む。抱卵期間は約』十四『日。雛は孵化してから』十四『日程で巣立つ』。『非繁殖期は数羽から数十羽の群れを形成して生活する』。『波状に上下に揺れるように飛翔する』。以下「聞きなし」の項。『各地に様々な聞きなしが伝わ』り、「比志利古木利(ひしりこきり)」(これは白秋の『きしりこきり』のオノマトペイアに酷似する)、「月日星(つきひほし)」とも成し、『月・日・星と囀ることから三光鳥とも呼ばれている』とある。YouTube の野鳥動画図鑑Wild Bird Japanの「イカル(1)さえずり(戸隠)」をリンクさせておく。]
B 狂 へ る 街
赭(あか)らめる暗(くら)き鼻、なめらかに禿(は)げたる額(ひたひ)、
痙攣(ひきつ)れる唇(くち)の端(はし)、光なくなやめる眼(まなこ)
なにか見る、夕榮(ゆふばえ)、のひとみぎり噎(むせ)ぶ落日(いりひ)に、
熱病(ねつびやう)の響(ひびき)する煉瓦家(れんぐわや)か、狂へる街(まち)か。
見るがまに燒酎(せうちう)の泡(あわ)しぶきひたぶる歎(なげ)く
そが街(まち)よ、立てつづく尖屋根(とがりやね)血ばみ疲(つか)れて
雲赤くもだゆる日、惱(なや)ましく馬車(ばしや)驅(か)るやから
靈(たましひ)のありかをぞうち惑(まど)ひ窓(まど)ふりあふぐ。
その窓(まど)に盲(めし)ひたる爺(をぢ)ひとり鈍(にぶ)き刄(は)硏(と)げる。
はた、啞(おふし)朱(しゆ)に笑ひ痺(しび)れつつ女(をみな)を說(と)ける。
次(つぎ)なるは聾(ろう)しぬる淸き尼(あま)三味線(しやみせん)彈(ひ)ける。
しかはあれ、照り狂ふ街(まち)はまた酒と歌とに
しどろなる舞(まひ)の列(れつ)あかあかと淫(たは)れくるめき、
馬車(ばしや)のあと見もやらず、意味(いみ)もなく歌ひ倒(たふ)るる。
[やぶちゃん注:第一連三行目の「なにか見る、夕榮(ゆふばえ)、のひとみぎり噎(むせ)ぶ落日(いりひ)に、」の「夕榮」の後の読点は、音数律から見ても明らかに誤植であるが、そのままに再現した。後の昭和三(一九二八)年アルス版「白秋詩集Ⅱ」では、正しく除去されている。
「ひとみぎり」聴いたことのない語である。小学館「日本国語大辞典」にも載らない。しかし、後に出る「浴室」や「華のかげ」にも出現し、詩集「東京景物詩及其他」の中の「靑髯」の「畜生」にも出現する。それらを並べて見ても、しかし、今一つ、意味が判然としない。個人的には「砌 (みぎり) 」(時節・折り・頃)に、不特定の一時期や大体の範囲などを表わす接頭語の「ひと」が附いたもので、「丁度、その折の辺りに」の意であろうか。]
C 醋 の 甕
蒼(あを)ざめし汝(な)が面(おもて)饐(す)えよどむ瞳(ひとみ)のにごり、
薄暮(くれがた)に熟視(みつ)めつつ撓(たわ)みちる髮の香(か)きけば――
醋(す)の甕(かめ)のふたならび人もなき室(むろ)に沈みて、
ほの暗(くら)き玻璃(はり)の窓ひややかに愁(うれ)ひわななく。
外面(とのも)なる嗟嘆(なげかひ)よ、波もなきいんくの河に
旗靑き獨木舟(うつろぶね)そこはかと巡(めぐ)り漕ぎたみ、
見えわかぬ惱(なやみ)より錨(いかり)曳(ひ)き鎖(くさり)卷かれて、
伽羅(きやら)まじり消え失(う)する黑蒸汽(くろじようき)笛(ふえ)ぞ呻(うめ)ける。
吊橋(つりばし)の灰白(はひじろ)よ、疲(つか)れたる煉瓦(れんぐわ)の壁(かべ)よ、
たまたまに整(ととの)はぬ夜(よ)のピアノ淫(みだ)れさやげど、
ひとびとは聲もなし、河の面(おも)をただに熟視(みつ)むる。
はた、甕(かめ)のふたならび、さこそあれ夢はたゆたひ、
内と外(そと)かぎりなき懸隔(へだたり)に帷(とばり)墮(お)つれば、
あな悲し、あな暗(くら)し、醋(す)の沈默(しじま)長くひびかふ。
[やぶちゃん注:「漕ぎたみ」「たみ」は「囘む・𢌞む」で「ぐるりと漕ぎ廻る」・「迂回すして漕ぐ」の意。
「伽羅(きやら)」梵語の漢訳。狭義には香木として有名な沈香(じんこう:例えばアオイ目ジンチョウゲ科ジンコウ属アクイラリア・アガローチャ Aquilaria agallocha 等)の別名。]
D 沈 丁 花
なまめけるわが女(をみな)、汝(な)は彈(ひ)きぬ夏の日の曲(きよく)、
惱(なや)ましき眼(め)の色に、髮際(かうぎは)の紛(こな)おしろひに、
緘(つぐ)みたる色あかき唇(くちびる)に、あるはいやしく
肉(ししむら)の香(か)に倦(う)める猥(みだ)らなる頰(ほ)のほほゑみに。
響(ひび)かふは呪(のろ)はしき執(しふ)と欲(よく)、ゆめもふくらに
頸(うなじ)卷く毛のぬくみ、眞白(ましろ)なるほだしの環(たまき)
そがうへに我ぞ聽(き)く、沈丁花(ぢんてうげ)たぎる畑(はたけ)を、
堪(た)へがたき夏の日を、狂(くる)はしき甘(あま)きひびきを。
しかはあれ、またも聽く、そが畑(はた)に隣(とな)る河岸側(かしきは)、
色ざめし淺葱幕(あさぎまく)しどけなく張りもつらねて、
調(しら)ぶるは下司(げす)のうた、はしやげる曲馬(チヤリネ)の囃子(はやし)。
その幕の羅馬字(らうまじ)よ、くるしげに馬は嘶(いなな)き、
大喇叭(おほらつぱ)鄙(ひな)びたる笑(わらひ)してまたも挑(いど)めば
生(なま)あつき色と香(か)とひとさやぎ歎(なげ)きもつるる。
[やぶちゃん注:「髮際(かうぎは)」「かみぎは」の音変化で中世以降の古文に既に見られる。意味は無論、「髪の生え際(ぎわ)」。現代仮名遣は「こうぎわ」となる。
「ほだし」「絆し」。人の心や行動の自由を縛るもの、手かせ・足かせの意であるが、ここは愛人から貰った指輪であろう。
「曲馬(チヤリネ)」「秋の瞳」の「曲馬師(チヤリネし)」の私の注を見られたい。]
E 不 調 子
われは見る汝(な)が不調(ふてう)、――萎(しな)びたる瞳の光澤(つや)に、
衰(おとろへ)の頰(ほ)ににほふおしろひの厚き化粧(けはひ)に、
あはれまた褪(あ)せはてし髮の髷(まげ)强(つよ)きくゆりに、
肉(ししむら)の戰慄(わななき)を、いや甘き欲(よく)の疲勞(つかれ)を。
はた思ふ、晚夏(おそなつ)の生(なま)あつきにほひのなかに、
倦(う)みしごと縺(もつ)れ入るいと冷(ひ)やき風の吐息(といき)を。
新開(しんかい)の街(まち)は鏽(さ)びて、色赤く猥(みだ)るる屋根を、
濁りたる看板(かんばん)を、入り殘る窓の落日(いりひ)を。
なべてみな整(ととの)はぬ色の曲(ふし)……ただに鋭(するど)き
最高音(ソプラノ)の入り雜(まじ)り、埃(ほこり)たつ家(や)なみのうへに、
色にぶき土藏家(どざうや)の江戶芝居(えどしばゐ)ひとり古りたる。
露(あら)はなる日の光、そがもとに三味(しやみ)はなまめき、
拍子木(へうしぎ)の歎(なげき)またいと痛(いた)し古き痍(いたで)に、
かくてあな衰(おとろへ)のもののいろ空(そら)は暮れ初む。
F 赤き恐怖
わかうどよ、汝(な)はくるし、尋(と)めあぐむ苦悶(くもん)の瞳(ひとみ)、
秀でたる眉のゆめ、ひたかわく赤き唇(くちびる)
みな戀の響なり、熟視(みつ)むれば――調(しらべ)かなでて
火のごとき馬ぐるま燃(も)え過ぐる窓のかなたを。
はた、辻の眞晝(まひる)どき、白楊(はこやなぎ)にほひわななき、
雲浮かぶ空(そら)の色生(なま)あつく蒸しも汗(あせ)ばむ
街(まち)よ、あな音もなし、鐘はなほ鳴りもわたらね、
炎上(えんじやう)の光また眼(め)にうつり、壁ぞ狂(くる)へる。
人もなき路のべよ、しとしとと血を滴(したた)らし
膽(きも)拔(ぬ)きて走る鬼、そがあとにただに饑(う)ゑつつ
色赤き郵便函(ポスト)のみくるしげにひとり立ちたる。
かくてなほ窓の内(うち)すずしげに室(むろ)は濡(ぬ)るれど、
戶外(とのも)にぞ火は熾(さか)る、……………哀(あは)れ、哀(あは)れ、棚(たな)の上(へ)に見よ、
水もなき消火器(せうくわき)のうつろなる赤き戰慄(をののき)。
[やぶちゃん注:第一連末の「火のごとき馬ぐるま燃(も)え過ぐる窓のかなたを」というのは、現実としては、軒に吊るした走馬燈の目くるめく回転がそのイメージのもとにはありながら、それがしかし、詩想の中では完全に後退して走馬燈の形象は分解され、再構築されて、実際の炎を上げて馬と馬車が燃えつつ窓の彼方を走り過ぎてゆく、という慄然とさせる観念的なメタモルフォーゼを起こしているように私には読める。
「白楊(はこやなぎ)」「下枝のゆらぎ」の私の「白楊(はくやう)」の注を参照されたい。]