北原白秋 邪宗門 正規表現版 蟻
蟻
おほらかに、
いとおほらかに、
大(おほ)きなる鬱金(うこん)の色の花の面(おも)。
日は眞晝(まひる)、
時は極熱(ごくねつ)、
ひたおもて日射(ひざし)にくわつと照りかへる。
時に、われ
世(よ)の蜜(みつ)もとめ
雄蕋(ゆうずゐ)の林の底をさまよひぬ。
光の斑(ぶ)
燬(や)けつ、斷(ちぎ)れつ、
豹(へう)のごと燃(も)えつつ濕(し)める徑(みち)の隈(くま)。
風吹かず。
仰ふげば空(そら)は
烈々(れつれつ)と鬱金(うこん)を篩(ふる)ふ蕋(ずゐ)の花。
さらに、聞く、
爛(ただ)れ、饐(す)えばみ、
ふつふつと苦痛(くつう)をかもす蜜の息。
樂欲(げうよく)の
極みか、甘き
寂寞(じやくまく)の大光明(だいくわうみやう)、に喘(あへ)ぐ時。
人界(にんがい)の
七谷(ななたに)隔(へだ)て、
丁々(とうとう)と白檀(びやくだん)を伐(う)つ斧(をの)の音(おと)。
四十年三月
[やぶちゃん注:第四連「光の斑(ぶ)」の「ぶ」はママ。現行、ここは「ふ」とルビされている。しかし、原本を見て戴きたい(赤い矢印は私が打った)。
このページの前にある明らかなルビの濁音表記である「ご」、「ざ」、「ず」と比較しても、この「ふ」は印刷のスレなどではない、正真正銘の「ぶ」という濁音表記である。勿論、正規の「斑」とい漢字には「ブ」という音はない。しかし、「ぶち」という訓はあり、本詩集で北原白秋は音数律から自在に読みを変形させていることは既に見てきた通りである。彼が《光りの斑模様》(まだらもよう)を「光の斑(ぶち)」と表現し、韻律からそれを「ひかりのぶ」と読んだとしても、私は何ら違和感を感じない。いや、寧ろ、これに違和感を覚えるという御仁は、本詩集に散在する他の奇妙な短縮音や清音・濁音を問題にすべきであろう。さらにあなた方には困ったことに、後発の白秋自身の編集になる昭和三(一九二八)年アルス刊の「白秋詩集Ⅱ」(国立国会図書館デジタルコレクション当該詩篇の画像)では、悩ましくもこの「ふ」のルビにカスレが生じてしまっているのである。但し、当該書籍の活字の様態からは「ふ」の第一画のすぐ右側に濁点はあるはずであるから、これは「ふ」と執ってよいとは思う。されば、少なくとも、アルス版では白秋は「ふ」と読ませていると譲ってよいと思うものの、それを以って、私はこの「ぶ」を単なる現行の誤記或いは植字工・校正者の誤植であると断ずることは出来ないのである。見た目を重視し、しか「ぶ」の読みが私には不自然とは思われない以上、ここは上記の通り、「ぶ」で示した。当時の有意な数の読者も書かれた通りに「ぶ」で読んだと私は思うからである。]
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