北原白秋 邪宗門 正規表現版 地平
地 平
あな哀(あは)れ、今日(けふ)もまた銅(あかがね)の雲をぞ生める。
あな哀(あは)れ、明日(あす)も亦鈍(にぶ)き血の毒(どく)をや吐かむ。
見るからにただ熱(あつ)し、心は重し。
察(はか)るだにいや苦(くる)し、愁(うれひ)はおもし。
かの靑き國(くに)のあこがれ、
つねに見る地平(ちへい)のはてに、
大空(おほぞら)の眞晝(まひる)の色と、
連(つ)れて彈(ひ)く綠(みどり)ひとつら。
その綠(みどり)琴柱(ことぢ)にはして、
彈きなづむ鳩の羽の夢、
幌(ほろ)の星(ほし)、劍(つるぎ)のなげき、
淸搔(すががき)はほのかに薰(く)ゆる。
さては、日の白き恐怖(おそれ)に
靜かなる太鼓(たいこ)のとろぎ、
晝(ひる)領(し)らす神か拊(う)たせる、
ころころとまたゆるやかに。
また絕えず、吐息(といき)のつらね
かなたより笛してうかび、
こなたより絃(いと)して消ゆる、――
ほのかなる夢のおきふし。
しかはあれ、ものなべて壓(お)す
南國(なんごく)の熱病雲(ねつやみぐも)ぞ
猥(みだ)らなる毒(どく)の譃言(うはごと)
とどろかに歌かき濁(にご)す。
おもふ、いま水に華(はな)さき、
野(の)に赤き駒(こま)は斃(たふ)れむ。
うらうへに病(や)ましき現象(きざし)
今日(けふ)もまたどよみわづらふ。
あな哀(あは)れ、昨(きそ)の日も銅(あかがね)のなやみかかりき。
あな哀(あは)れ、明日(あす)もまた鈍(にぶ)き血の濁(にごり)かからむ。
聽くからにただ熱(あつ)し、心は重し。
思ふだにいやくるし、愁は重し。
四十年十二月
[やぶちゃん注:「淸搔(すががき)」「耽溺」に既出既注であるが、再掲する。幾つかの意味があるが、原義を当てる。和琴 (わごん) の手法の一つで、全部の弦を一度に弾いて、手前から三番目又は四番目の弦の余韻だけを残すように、他の弦を左指で押さえるもの。
「拊(う)たせる」「打たせる」に同じ。或いは「軽く叩かせる」の意でもある。遠い雷鳴と読むが、少なくとも、後の「ころころとまたゆるやかに」強烈に叩かせるようにの意ではない。]
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