北原白秋 邪宗門 正規表現版 夕日のにほひ
夕日のにほひ
晚春(おそはる)の夕日(ゆふひ)の中(なか)に、
順禮(じゆんれい)の子はひとり頰(ほ)をふくらませ、
濁(にご)りたる眼(め)をあげて管(くだ)うち吹ける。
腐(くさ)れゆく襤褸(つづれ)のにほひ、
酢(す)と石油(せきゆ)……にじむ素足(すあし)に
落ちちれる果實(くだもの)の皮、赤くうすく、あるは汚(きた)なく……
片手(かたて)には嚙(かぢ)りのこせし
林檎(りんご)をばかたく握(にぎ)りぬ。
かくてなほ頰(ほ)をふくらませ
怖(おづ)おづと吹きいづる……………珠(たま)の石鹼(しやぼん)よ。
さはあれど、珠(たま)のいくつは
なやましき夕暮(ゆふぐれ)のにほひのなかに
ゆらゆらと圓(まろ)みつつ、ほつと消(き)えたる。
ゆめ、にほひ、その吐息(といき)……
彼(かれ)はまた、
怖々(おづおづ)と、怖々(おづおづ)と、………眩(まぶ)しげに頰(ほ)をふくらませ
蒸(む)し淀(よど)む空氣(くうき)にぞ吹きもいでたる。
あはれ、見よ、
いろいろのかがやきに濡(ぬ)れもしめりて
圓(まろ)らにものぼりゆく大(おほ)きなるひとつの珠(たま)よ。
そをいまし見あげたる無心(むしん)の瞳(ひとみ)。
背後(そびら)には、血しほしたたる
拳(こぶし)あげ、
霞(かす)める街(まち)の大時計(おほどけい)睨(にら)みつめたる
山門(さんもん)の仁王(にわう)の赤(あか)き幻想(イリユウジヨン)……
その裏(うら)を
ちやるめらのゆく……
四十一年十二月
[やぶちゃん注:リーダ数は一箇所を除いてママ。実は第一連最終行末の「汚(きた)なく……」のリーダは五点しかない。しかし、後ろの二点は有意に右方向に曲がっており、恐らくは三点リーダの植字不全のミスと受け取れることから、特異的に推定で六点リーダとした。五点リーダにするのであれば、そのひしゃげたものも再現せねばならぬと思うたが、それはあまりにも無体なことと考えたからである。
本篇は「邪宗門」の中でも忘れ難い一篇である。私はこの巡礼の少年の姿に不思議に強い既視感(déjà-vu:デジャヴュ:フランス語)を感ずるからである。振り返った彼は――或いは――私自身――なのかも知れない……………]
« 都賀庭鐘 席上奇観 垣根草 巻之五 松村兵庫古井の妖鏡を得たる事 | トップページ | 甲子夜話卷之六 20 松平幸千代元服のとき有德廟上意 »