堀内元鎧 信濃奇談 卷の上 いはな
いはな
[やぶちゃん注:底本の挿絵。原本(早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単一HTML画像)はこちらで、後者の方が遙かに細部が見える。後者を必ず見られたい。]
伊那郡〔いなのこほり〕の人、或時、木曾へ行〔ゆく〕とて、萱平〔かやひら〕といふ所を通りけるに、すゞ竹、いくらとなく生ひ茂り、木曾川の流れを、おほへり。
其竹の一葉、枝ながら、「いはな」といふ魚に化したる有〔あり〕。
其人、折取〔をりとり〕て持歸〔もちかへ〕りけり。いとめづらかなる事なれば、そこ爰〔ここ〕にがり、傅へて、我家にも持來〔もちきた〕れり。
「いはな」は鰧魚(あめ)の類〔るゐ〕にて、山深き川に生ずめり。是〔これ〕、無情の有情〔うじやう〕と變るものにして、陳麥〔ひねむぎ〕の蝶となり、稻米〔こめ〕の蠹〔きくひむし〕となり、薯蕷〔やまいも〕の鰻鱺〔うなぎ〕となり、腐草〔くされぐさ〕の螢となり、爛灰〔らんばひ〕の蛇となるの類〔たぐひ〕なるべし。友人安田氏、「栗の枝の、垣に用ひたるが、土に付〔つき〕たる所、虫に化したるを見たり」と、なん。【山蓼〔やまたで〕は和名「わくのて」なり。是も時には石龍子〔とかげ〕に化しぬ。よりて、又、「とかげ草」ともいふと、なん。朽瓜〔くちうり〕の魚と化しぬる事は「列子」にも見えたり。】
[やぶちゃん注:底本は何箇所かに歴史的仮名遣の誤りがあるが、原本を見ると、正しいので、そちらを採用した。仏教では「四生」(ししょう:歴史的仮名遣:ししやう)と称して、生き物の生れ方を以下の四類に分類した。「胎生」(たいしょう:母胎中で体を形成して生れた生き物) ・「卵生 」(らんしょう:卵の形で生れて発生する生き物)・「湿生」 (しっしょう:湿気(しっけ)のある場所でその湿気(しっき)から生れた生き物)・「化生」 (けしょう:過去世の業(ごう)の力によって生れた生き物で、天・地獄・中有(ちゅう)の時空間に存在する天人・餓鬼その他の存在体を指す) である。この考え方は江戸以前の本草学にも強い影響を与え、母胎や卵などからでなく、見かけ上、何もない時空間に忽然として生まれたり、本来は無情である植物や、無生物である物質、或いはある動物が変化して全く別の動物に変化する場合があると考え、それが一種の広義の「化生」(けしょう:歴史的仮名遣:けしやう/或いは「かせい」)という概念を捨てられなかった本草学者が近世末まで有意に多く存在した(無論、そうした非科学的な認識を否定した学者もいる)。ここもその広義の「化生(けしょう/かせい)説」に基づいた記載である。本草学者でさえそうなのだから、伝承や俗説には無数にこの記載が見られる。ここではまず、主文で植物の「すゞ竹」(実は底本・原本ともに「すゝ竹」であるが、これだと、植生した竹ではなく、屋根裏などに使用された竹材が年経て黒く煤けた状態になったものを指す一般名詞となるが、底本は濁音表記が殆どないこと、実際に生えている竹であることから、濁音化させ、種としての日本固有種の単子葉植物綱イネ目イネ科タケ亜科スズタケ属スズタケ Sasamorpha borealis に比定同定してよい。漢字では「水篶」「美篶」と書き、「みすず刈る」は「信濃」の枕詞である(但し、近世以降)。スズダケは信濃(長野県)の南部に多く植生するから、ロケーションとしても問題ない訳である)が淡水魚の「いはな」(岩魚(いわな)。本邦には硬骨魚綱サケ目サケ科イワナ属イワナ Salvelinus leucomaenis・日本固有亜種ニッコウイワナ Salvelinus leucomaenis pluvius・日本固有亜種ヤマトイワナ Salvelinus leucomaenis japonicus が棲息する)に化生したとするのであるが、実はイワナの変化(へんげ)は、これまた、枚挙に暇がない。竹がイワナになるどころか、イワナが人に化けるのである。その最たるものは、「想山著聞奇集 卷の參 イハナ坊主に化たる事 幷、鰻同斷の事」であろう。そこで私が注した内容が、かなりここでの内容と重なるので、一読されたい。私の好きな話である。なお、私は当初、この話を読んだ時、昆虫類に寄生し(特にカマキリに高い頻度で寄生しており、私が以前に読んだものでは、七割以上が寄生されている)、その中間宿主としてイワナにも寄生する脱皮動物上門類線形動物門線形虫(ハリガネムシ)綱 Gordioidea が弱ったイワナの肛門から出て、川流れに浸っていたスズタケの葉に巻き付いたものであろうか、と考えた。しかし、底本のぼやけた薄いそれでは判らぬが、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単一HTML画像の挿絵を見ると、イワナは尾を下にしてぶら下がっていることが判る。されば、仕切り直しで、これは恐らくイワナがスズタケに止まっていた昆虫類を摂餌しようとして飛び上がったものの、スズタケの枝の節か何かを、一緒に呑み込んでしまい、そのまま引っ掛かってぶら下がったものと考える。カラスなどがその頭部を突っつき、そこが壊死して笹の葉に癒着すれば、一丁上がり! イワナは摂餌対象を選ばず、意外にも貪欲なことで知られ、陸生昆虫や小・中型の蛇などにも食らいつくことで知られる(小学生の時にぼろぼろになるまで愛読していた「魚貝の図鑑」に、蛇を飲み込でいるイワナの肛門から蛇の前部が飛び出している図を今も忘れられない)。また、テレビ番組で、古式のイワナ漁を見たことがあるが、昆虫(何だったかは忘れたが、恐らくはトンボかガガンボではなかったかと思う)を釣り針の先に引っ掛け、渓流の水面より十センチメートルほど上げた位置に差し出してイワナを狙っている映像を見たことがあり(確か掛からなかったが)、イワナ釣りのサイトを見ると、事実、コオロギ・バッタ・トンボなどを餌に使うと記されてあった。
「萱平〔かやひら〕」向山氏の補註に、『現、長野県木曾郡楢川村萱平』とある。現在は塩尻市内で、この付近に転々と旧地名楢川を冠した施設が並ぶ(グーグル・マップ・データ)。
「木曾川」同前で『木曾の川の意。現、奈良井川』とある。前のリンク先を拡大すると、楢川地区の南西直近で木曽川に合流する奈良井川を確認出来る。
「鰧魚(あめ)」珍しい原本のルビ。但し、「鰧」は本邦では海産のゴッツう怖い(が美味い)条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目カサゴ目カサゴ亜目フサカサゴ科(或いはオニオコゼ科)オニオコゼ亜科オニオコゼ属オニオコゼ Inimicus japonicus を筆頭としたオコゼ類を指す漢字で不審であるが、しかし、貝原益軒はこれを「大和本草」で、琵琶湖にのみ棲息する本邦固有種の条鰭綱サケ目サケ科サケ亜科タイヘイヨウサケ属サクラマス(ヤマメ)亜種ビワマス Oncorhynchus masou rhodurus に使用している(私の「大和本草卷之十三 魚之上 鰧魚 (ビワマス)」を参照)。而して、そこで私が注したように、これは彼が明の李時珍の「本草綱目」に依拠して考証しているための錯誤と私は考えている(彼に限らず、江戸以前の本草学者の殆んどは「本草綱目」をバイブルのように崇め祀っていた)。調べてみるに、「本草綱目」のの「鰧魚」は「鱖魚」の附録に含まれており、現代中国語では全く別種の淡水魚、鰭上目スズキ目スズキ亜目 Percichthyidae 科ケツギョ属ケツギョ Siniperca chuatsi を指し、本邦にはいないのである。ウィキの「ケツギョ」の写真を見て貰うと判るが、体側の紋といい、背鰭の棘といい、かなり淡水魚離れした恐ろしげな魚体である。さすれば、これがイワナの仲間ではないし、そんなのはイワナに可哀そうなのだ。ここでは益軒も元恒も所謂、広義のマス或いはサクラマスの仲間を総じて「鰧魚」と言っているととるべきであろう。而して、「あめ」とは「あめのうを」の略で、これは現行でも条鰭綱サケ目サケ科タイヘイヨウサケ属サクラマス亜種サツキマス Oncorhynchus masou ishikawae の河川残留型(陸封型)であるアマゴの異称であり、先に示したビワマスの別称でもあるのである。
「陳麥〔ひねむぎ〕」前の年以前に収穫されて保存された古いムギのことを指す。「ひね」は「陳(ひね)ねこびる」のそれで「いかにも古びている」の意である。以下、変ずる前の対象が、年を経ていたり、虫が湧いたり、古かったり、腐ったりしたものであるという通属性を持つのが、古人が、見かけ上、それらが変じたとするの認識に腑に落ちるものではあるのである。
「蠹〔きくひむし〕」音は「ト」だが、これは流石にルビを振らないのはダメ。何故なら、複数の昆虫を指すからである。第一義としては現行の昆虫学で言うところの昆虫綱鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目 Cucujiformia 下目ゾウムシ上科キクイムシ科 Scolytidae に属する「木喰虫」を指す。次に第二義としてシミ目 Thysanura のシミ類を指すのだが、しかし、問題は狭義のキクイムシ類は殆どが木材に貫入して食害し、米にはたからないし、シミも書物や衣類にたかるばかりで、米の中に見ることはない。さすれば、これは米の中にいるキクイムシのような虫、即ち、本種は所謂、「穀象虫」、即ち、コクゾウムシである(本邦に棲息する種としては鞘翅(コウチュウ(甲虫))目多食(カブトムシ)亜目ゾウムシ上科オサゾウムシ科オサゾウムシ亜科コクゾウムシ族コクゾウムシ属コクゾウムシ Sitophilus zeamais 及びココクゾウムシ Sitophilus oryzae の二種が代表)。しかし、流石にこれを「こくぞう」と読む気には、私は、なれない。されば、通常のそれで読んだ。
「薯蕷〔やまいも〕の鰻鱺〔うなぎ〕となり」これも超有名な化生例の一つである。私は「譚海 卷之一 榮螺海老に化し山の芋うなぎに化せし事」の注で、『ものの本には、古くから鰻は幼魚や卵が発見されず、生活史が謎であったことからこうした伝承が生まれたとするが、如何? この言い伝えは古くからあり、古えの人々は大概の生物の細かなライフ・サイクルには興味もなかったから、あえて鰻を特定して言上げする必要はあるまい。近代以降、成魚が淡水魚でありながら、東シナ海の深海底で卵を産み、幼体が遠距離を遊泳して本邦の河川に立ち戻るという驚くべきウナギの生態に接した者が、その驚愕を「山の芋鰻になる」というあり得ないことを指す諺の由来に、まことしやか付会させたに過ぎないというのが私の主張である。ここにある化生過程の実物というのも、案外、例の人魚の木乃伊(ミイラ)――猿の上半身と鯉辺りの下半身の干物を接合したような代物――よろしく、枯れた山芋に干した鰻を繫いだ木乃伊であったのではあるまいか?』と述べた、ミミクリーからの同情不能な化生説である。
「腐草〔くされぐさ〕の螢となり」これは根が深い。「七十二候」の「第二十六候」として「芒種」の「次候」五月節(旧暦四月後半から五月前半)頃を、本邦では「腐草爲螢」(ふそういけい:腐れたる草、螢と爲(な)る)とするからである。現在の六月十日から同十五日相当。古くは暑さに蒸れて腐った草や竹の根が蛍になると信じられていたことによる。これは彼らが完全変態をし、しかも幼虫が似ても似つかない不気味な形をした水棲であることが、古えの人々の認識としては、寧ろ、トンデモない法螺話にしか思われなかったに違いないからであろう。
「爛灰〔らんばひ〕の蛇となる」古い灰の山から蛇が抜け出てくれば、そうも言われよう。
「安田氏」不詳。
「栗の枝の、垣に用ひたるが、土に付〔つき〕たる所、虫に化したるを見たり」どんな虫か言うて呉れんと同定出来へんがな。
『山蓼は和名「わくのて」なり』ナデシコ目タデ科ミチヤナギ亜科Persicarieae 連 Persicariinae 亜連 Persicarieae 連イヌタデ属 Persicaria に属するタデ類の総称。「わくのて」はしかし、小学館「日本国語大辞典」では「わくのて」はキンポウゲ目キンポウゲ科センニンソウ属ボタンヅル Clematis apiifolia(牡丹蔓)の方言とする(仙台・駿河)。前者の代表種はイヌタデ属イヌタデ Persicaria longiseta・ハナタデ Persicaria posumbu で、私両者の画像を見るに、前者のタデ類が蜥蜴(とかげ)にはなりそうだと思う。
「石龍子〔とかげ〕」爬虫綱有鱗目スキンク下目 Scincomorpha トカゲ科 Scincidae のトカゲ類。現代中国語ででも同科を「石龍子科」とする。
『朽瓜〔くちうり〕の魚と化しぬる事は「列子」にも見えたり』戦国時代(紀元前四七五年~紀元前二二一年)の道家の思想家列子(生没年未詳:名は禦寇(ぎょこう)。鄭(てい:河南省)の人。「荘子」中に説話が見え、「呂氏春秋」によれば虚を尊んだとされ、唐代には「沖虚真人」(ちゅうきょしんじん)と追号された)が書いたとされる道家思想書。八編。但し、現行本は前漢末から晋代にかけて成立した偽書とされる。故事・寓言・神話を多く載せ、唐代には道教教典として尊ばれ、「沖虛眞經」(ちゅうきょしんけい)と別称された。その「天瑞」篇に以下のように出る。訓読と補注は一九八七年岩波文庫刊小林勝人(かつんど)訳注「列子」を参考にした(同書は新字・現代仮名遣)が、必ずしもそれに従ってはいない。
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子列子適衞、食於道。從者見百歲髑髏、攓蓬而指、顧謂弟子百豐曰、「唯予與彼知而未嘗生未嘗死也。此過養乎。此過歡乎。種有幾、若䵷爲鶉、得水爲藚、得水土之際、則爲䵷蠙之衣。生於陵屯、則爲陵舄。陵舄得鬱栖、則爲烏足。烏足之根爲蠐螬、其葉爲胡蝶。胡蝶胥也、化而爲蟲、生竈下、其狀若脫、其名曰鴝掇。鴝掇千日、化而爲鳥、其名曰乾餘骨。乾餘骨之沫爲斯彌。斯彌爲食醯頤輅。食醯頤輅生乎食醯黃軦、食醯黃軦生乎九猷。九猷生乎瞀芮、瞀芮生乎腐蠸。羊肝化爲地皋、馬血之爲轉鄰也、人血之爲野火也。鷂之爲鸇、鸇之爲布穀、布穀久復爲鷂也。鷰之爲蛤也、田鼠之爲鶉也、朽瓜之爲魚也、老韭之爲莧也。老羭之爲猨也、魚卵之爲蟲。亶爰之獸、自孕而生、曰類。河澤之鳥、視而生、曰鶂。純雌其名大腰、純雄其名稺蜂。思士不妻而感、思女不夫而孕。后稷生乎巨跡、伊尹生乎空桑。厥昭生乎濕、醯雞生乎酒。羊奚比乎不筍久竹生靑寧、靑寧生程、程生馬、馬生人。人久入於機。萬物皆出於機、皆入於機。
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子列子(しれつし)、衞に適(ゆ)き、道に食す。從(かたは)らに百歲の髑髏(どくろ)を見る。蓬(よもぎ)を攓(ぬ)きて指(ゆびさ)し、顧みて弟子(ていし)百豐(ひやくほう)に謂ひて曰はく、
「唯だ、予と彼とのみ知れり、未だ嘗つて生きず、未だ嘗つて死せざるを。此れ、過(はた)して養(うれ)ふるか、此れ過して歡べるか。種(しゆ)には幾(き:変転する霊妙な働き)有り、䵷(かはづ:カエル)の鶉(うづら)となるがごとし。水を得ば、藚(けい:微塵の水垢)と爲(な)り、水土の際(きは)を得ば、則ち、䵷蠙(あひん:水生の青苔の一種)の衣(い)と爲り、陵屯(をかのうへ)に生ぜば、則ち、陵舄(りやうせき:水草のオモダカ)と爲る。陵舄、鬱栖(うつせい:腐った土)を得ば、則ち、烏足(うそく:草の名。具体種は不詳)と爲り、烏足の根は蠐螬(せいさう:地虫。カブトムシ・コガネムシの幼虫)と爲り、其の葉は胡蝶と爲る。胡蝶は胥(しばら)くするや、化して蟲と爲り、竈(かまど)の下に生ず。其の狀(かたち)は脫(ぬけがら)のごとく、其の名は鴝掇(くたつ:虫の名。具体種は不詳)と曰ふ。鴝掇、千日にして、化して鳥と爲る。其の名は乾餘骨(かんよこつ)と曰ふ。乾餘骨の沫(よだれ)は斯彌(しび:虫の名。微細なヌカカの類とされる。以下の変態後のそれも同じく小さな虫)と爲り、斯彌は食醯頤輅(しよくけいろ)と爲り、食醯頤輅は食醯黃軦(しよくけいこうきよう)を生じ、食醯黃軦は九猷(きうゆう)を生ず。九猷は瞀芮(歴史的仮名遣不詳。小林氏は「ぼうぜい」とする)を生じ、瞀芮は腐蠸(ふくわん:瓜の中の黄色い虫)を生ず。羊(ひつじ)の肝(きも)は化して地皋(どろつち)と爲り、馬の血の轉鄰(ひのたま:燐火)と爲る。人の血の野火(おにび)と爲る。鷂(たか)の鸇(はやぶさ)と爲り、鸇の布穀(ふふどり:カッコウ)と爲り、布穀は久しくして復た、鷂と爲る。鷰(つばめ)の蛤(はまぐり)お爲り、田鼠(もぐらもち)の鶉と爲り、朽ちたる瓜の魚なり、老いたる韭(にら)の莧(ひゆ:ナデシコ目ヒユ科 Amaranthaceae の類。観賞用に栽培されたケイトウやハゲイトウの起原植物)と爲る。老いたる羭(めひつじ)の猨(さる:テナガザル)と爲り、魚の卵(たまご)の蟲と爲る。亶爰(せんゑん:山の名)の獸、自(おのづ)ら孕みて生むを、類(るゐ)と曰ひ、河澤(かたく)の鳥、視るのみにて生むを、「鶂(げき)」と曰ふ。純雌のみなるは、其の名を大腰(たいよう:カメの一種)とし、純雄のみなるは、其の名を稺蜂(ちほう:腰の部分が締まったスマートなハチ)とす。思士(しし:思い詰めた男)は妻あらずして感じ、思女(しぢよ)は夫あらずして孕む。后稷(こうしよく:周王朝の始祖とされる伝説上の農業神の男性。母親の姜原 (きょうげん) が巨人の足跡を踏み、妊娠して生まれたとされる)は巨(おほ)きなる跡(あしあと)に生まれ、伊尹(いゐん:殷王朝初期の伝説的宰相。湯王を助け、夏の桀王を討って天下を平定した。彼は有莘氏(ゆうしんし:殷の湯王の妃の氏族)の女が桑を摘んだ際、空ろな桑の中から(或いは大洪水の際に彼女自身が桑の大木と化し、その洞(ほら)の中から)嬰児を得、その子が王に献じぜられ、後の伊尹となったという伝説がある)は空(うつろ)なる桑(くは)に生まる。厥昭(けつせう:ホタル或いはトンボ)は濕(しつ)に生じ、醯雞(けいけい:虫。ヌカカ或いはブヨの類)は酒に生じ、羊奚(ようけい:草の名という)は、筍(たけのこ)のはえざる久しき竹に比(つる)みて、靑寧(せいねい:虫の名という)を生じ、靑寧は程(てい:豹。ヒョウ)を生じ、程は馬を生じ、馬は人を生む。人、久しくして機に入る。萬物、皆、機より出でて、皆、機に入る」と。
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