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2020/11/16

堀内元鎧 信濃奇談 卷の下 鸂鷘

 

 鸂鷘

 むかし、いづれの頃にや、貝沼の里に、一人の武夫〔ぶふ〕ありて、ある日、鸂鷘〔をしどり〕一つがひ居〔ゐ〕たるを見、弓もて、その雄鳥〔をどり〕を射取〔いとり〕けり。

 程經て後〔のち〕に、また、䳄鳥〔めどり〕を捕〔とらへ〕けるに、あな、あはれや、はじめに取〔とり〕ける雄鳥の首と見へて、翼の中に、いだきて、あり。

 「鸂鷘は、必〔かならず〕、かくあるものなり」と貝原翁の說にも見ゆ。

 彼〔かの〕武夫、是を見て、大〔おほき〕に感悟〔かんご〕し、弓矢、捨てゝ、僧となれり。後に一寺を建立す。今の鴛鴦山東光寺、是なり、といふ【おしどりは漢名「鸂鷘」なるを、本邦にては往古より「鴛鴦」の字をもちひ來れるなり。】。

 䳄鳥の讀〔よめ〕る歌とて、

 日暮なはいさとさそひし貝沼の

    眞菰かくれのをしのひとり寢

といひ傳ふるは、「著聞集」の、みちのくの國、「あかぬま」にて、おしとりの讀る歌に、

 日暮なはさそひしものをあかぬまの

    眞菰かくれのひとり寢そうき

といふを剽竊〔ひやうせつ〕したるなり。歌の樣〔さま〕も殊に拙〔つたな〕し。「沙石集〔させきしふ〕」および「故事因緣集」等に載〔のり〕たるを見れば、この歌の事、下野國、近江國などにも見えたり。たゞ「著聞集」を正說とすべし。貝沼の歌、とるに足らず。

[やぶちゃん注:以下、全体が二字下げでポイント落ち。原本にはない。全漢文なので、そのままに示す。]

〔元恒補註-成化六年十月淮安鹽城大湖漁人見鴛鴦交飛獲其雄享之䳄戀々飛鳴竟救沸湯中而死漁人悲其意爲弃羹不食人稱之曰列鴛〕

 

[やぶちゃん注:「鸂鷘」主文話柄中の舞台は日本であり、されば、これはカモ目カモ科オシドリ属オシドリ Aix galericulata としてよい。博物誌は私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鴛鴦(をしどり)」を見られたいが、実は良安は続けて「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鸂𪄪(おほをしどり)〔オシドリの大型雌雄個体か〕」を別項立てしている。中国にオシドリ属の別種が絶対いないとも断定は出来ないが、私は本邦には同属別種はいないと思うので、特にそれを問題にしないでよい(寺島良安は標題に反して本草系の部分は「三才図会」ではなく、明の李時珍の「本草綱目」を基本として記しているために、このような二項立てとなってしまっているのだが、後者では良安自身が最後に『按ずるに、鸂𪄪【鴛鴦の類の大なる者。】未だ之れを見ず』と言い添えているぐらいで、しかも、その際にも私は調べてみたが、現在、鳥類学に於いて中国に本邦にいる上記オシドリ以外の種は認められてない、存在しないことになっている(向後、DNA解析等でどうなるかは判らぬが)。但し、ここで雰囲気をぶち壊すことは覚悟の上で言い添えておくと、オシドリは「おしどり夫婦」ではない。彼らは冬毎に、毎年、パートナーを替えるし、抱卵も雛を育てるのも総て♀のみが行い、♂が協力することはないのである。なお、この見かけない「鸂鷘」(「鸂」は音「ケイ」、「鷘」は「チョク」)という漢字であるが、個人ブログ「動植物の漢字―漢和辞典は正しいか」の『鳥の名の漢字(33)「鸂」』によれば、

「新字源」(角川書店)『鸂鷘(けいちょく)は、おしどりに似てやや大きく、美しい色彩のある水鳥。紫鴛鴦。』

「新漢語林」(大修館書店)『鸂鷘(ケイチョク)は鳥の名。むらさきおしどり。』

「漢辞海」(三省堂)『鸂鶒は、鴛鴦に似て紫色の水鳥。紫鴛鴦。』

「漢字源」(学研)『鸂鶒(ケイチョク)とは、水鳥の名。オシドリに似るが、やや大きい。羽は紫色。いつもカップルをなして水に浮かぶ。別名、紫鴛鴦シエンオウ。▽今名は未詳。一説では、カワアイサ、または、キンクロハジロに当てる。』

と引用された上で、以下のように考察されておられる(学名は斜体に代え、欧文の一部の前後に半角空けを施し、省略を示す「・」の三点は三点リーダに代えた。アラビア数字は半角に代えた)。

   《引用開始》

「おしどりに似た水鳥」で四辞典が一致。ただし新漢語林は「むらさきおしどり」とするが、こんな和名の鳥がいるのか疑問。漢辞海ではカワアイサまたはキンクロハジロの一説を付す。

鸂鶒(鷘)で一語。ただしもとは[式+鳥]の一語で、後に棲息場所を示す渓をかぶせ、鳥偏をつけて鸂鷘・鸂鶒・鸂䳵となったと思われる。鸂鶒は古典に頻出するが、いまだに正体が不明である。

『臨海異物志』(三国呉・沈瑩)に「鸂鶒は水鳥。毛、五色有り。短狐を食ふ。其の渓中に在れば、毒気無し」とある。ついで六朝の文献に出る。左思・呉都賦に「渓䳵…其の上に泛濫す」とあり、李善の注に「鸂鶒は水鳥なり。色は黄赤。斑文有り。短狐を食ふ。虫水中に在れども毒無し。江東の諸郡皆之れ有り」とある。

唐代では紫鴛鴦の別名でも盛んに詩文に登場する。また唐代から本草にも入れられた。実在の鳥であることは疑いない。

同定には三つの説がある。

(1)『中国動物志・鳥綱』では、Mergus merganser に同定する。これはカモ科ウミアイサ属のカワアイサである。中国名は普通秋沙鴨。70センチほど。頭と頸は緑黒色、胸と腹は白色。

(2)リードや鄭作新らは Aythya fuligula に同定する。これはカモ科ハジロ属のキンクロハジロである。中国名は鳳頭潜鴨。43センチほど。頭部は紫色の光沢があり、頭頂から冠羽が垂れ下がる。

(3)『中国動物志・鳥綱』では繁殖中の鴛鴦とも推測している。そうすると鸂鶒もオシドリということになる。オシドリの雄は繁殖期には色が変わるという。

『本草綱目』で述べられている「首に纓(ひも)有り」という特徴に注目するとキンクロハジロの可能性がある。キンクロハジロの英語名は tufted(ふさ状の) duck である。

[正しい語釈](案)

鸂鶒(鸂鷘)。カモ科ハジロ属の鳥の名。河川・湖沼に棲息。頭部は紫色の光沢があり、頭頂から冠羽が垂れ下がる。昆虫や甲殻類などを食べる。キンクロハジロ。別名、紫鴛鴦・渓鴨。Aythya fuligula

典拠:『臨海異物志』(三国呉・沈瑩)「鸂鶒は水鳥。毛、五色有り。短狐を食ふ。其の渓中に在れば、毒気無し」、『本草綱目』巻四十七「形小にして鴨の如し。毛、五采有り。首に纓有り。尾に毛有り船の柁の如し」

   《引用終了》

最後に掲げられた「鸂」をカモ目カモ科ハジロ属キンクロハジロ Aythya fuligula に比定同定するのは、ちょっと留保したい気がする。属が異なるものの、オシドリと確かに「形」は似ている。しかし、オシドリより大きくはならない。同じくらいである。ところが、「本草綱目」では「其形大于鴛鴦而色多紫。亦好並遊、故謂之紫鴛鴦也」と言い、「人家宜畜之。形小如鴨毛。有五采。首有纓、尾有毛、如船柁形」(最後の部分は確かにキンクロガジロの繁殖期の♂の後頭に出る羽毛の伸長した冠羽をよく説明しているようには見える)とあって、羽毛が五彩に彩られているとあるのは、「臨海異物志」でも同じであるのだが、キンクロハジロ(金黒羽白:この漢字名は目が黄色いことを含むが)は白黒のツートン・カラーであって、画像検索で同学名でいくら見ても、世界中の同種の写真を見たが、そのような多彩色の個体変異は一枚も認められないからである。キンクロハジロは本邦の近くではユーラシア大陸北部のシベリア等で繁殖し、冬季になると、九州以北に越冬のために冬鳥として飛来し、北海道では少数が繁殖する。「日本野鳥の会」のデータでは長野県で三例の撮影例がある)因みに、カモ目カモ科ウミアイサ属カワアイサ Mergus merganser はオシドリに似ていないと言わぬが、嘴が有意に尖っており、混同する可能性は私はあり得ないと思う(私は鴛鴦に似ているとは決して言わないだろうということである。因みにカワイアイサの現代中文名は「普通秋沙鴨」である。本種は本邦の近くではユーラシア大陸中北部で繁殖しているが、本邦へは冬鳥として九州以北に渡来するものの、北日本の方が渡来数が多い。北海道では留鳥として少数が繁殖している。「日本野鳥の会」のデータでは長野県で五例の撮影例がある)。私が下線を引いたのは、それほど稀だという意味であり、私はこの話が事実として、信濃で信じられたとせば、それは、キングロハジロでも、カワアイサでもなく、正真正銘のオシドリだったと言いたいからである。

 なお、ブログ主も疑義を述べておられるように、ムラサキオシドリなどというケッタイな種は存在しない。

 さて。本篇は一読、読まれたことがある方が多い動物奇譚であろう。私が最初に読んだのは、小学校三年生の時、小泉八雲の「怪談・奇談」の一つとしてであった。私の「小泉八雲 をしどり (田部隆次訳) 附・原拠及び類話二種」を見られたい。そこで私は八雲が原拠とした「古今著聞集」(ここんちょもんじゅう:鎌倉中期の説話集。全二十巻。橘成季(たちばなのなりすえ)の編。建長六(一二五四)年成立。平安中期から鎌倉初期までの日本の説話約七百話を、「神祇」・「釈教」・「政道」など三十編に分けて収める)の「卷第二十 魚虫禽獸」の「馬允某(むまのじようなにがし)、陸奥國赤沼の鴛鴦(をしどり)を射て出家の事」を電子化し、さらに先行する類話である、平安末に成立した「今昔物語集」の巻第十九の「鴨雌見雄死所來出家語第六」(鴨(かも)の雌(めどり)、雄(をどり)の死せる所に來たるを見て出家する語(こと)第六)及び、逆に「古今著聞集」を下敷きとしたものと考えられる「沙石集」(鎌倉時代の仏教説話集。全十巻。無住一円著。弘安六(一二八三)年成立)の「鴛の夢に見ゆる事」を電子化してある。元恒は伝承が焼き直しで如何にも出来が拙(まず)いと文句を言っているが、では、そうさ、私の「谷の響 五の卷 二 羽交(はがひ)に雄の頸を匿す」は如何かな? 恐らくは元恒が気に入らないのは、彼が排仏派で、主人公があっさり出家するのが気にくわないだけだろうと思うがね。

「貝沼の里」向山氏の補註に、『現、長野県伊那市貝沼』とある。現在は長野県伊那市富県貝沼(とみがたかいぬま)で、同地区内に限定すると、グーグル・マップ・データ航空写真では、ここの山中に、ロケーションに持ってこいな有意な大きさの池はあるんだけど、後の記載(東光寺)からは、ここではないんだな、残念ながら。

「武夫〔ぶふ〕」武士。

「䳄鳥」♀の鳥。

『「鸂鷘は、必〔かならず〕、かくあるものなり」と貝原翁の說にも見ゆ』「大和本草」巻之十五の「水鳥」の部には、やはり良安と同じく「鴛鴦」と「鸂鷘」が並んで項立てされてある。訓読し、カタカナの一部をひらがなに代え、一部に記号や送り仮名を施した。中村学園大学図書館の「貝原益軒アーカイブ」の「大和本草」のそれPDF)の12から13コマ目にかけてを用いた。〔 〕は私が推定で読みを附した。

   *

鴛鴦(ヲシ) 雌雄、相ひ愛して、相ひ離れず、他鳥に異れり。東垣曰はく、『其れ、一を失へば、則ち、朝夕、思慕し、憔悴して死す。昔、獵夫、弓を以つて、其の雄の首を射切る。其の翌年、又、其の水邊を通る時、䳄、只、一隻あるを、射殺して、見るに、翅の内に、去年、射たりし雄の首を、いだけり』。○尾の羽は舩のかぢの如くなり。頭に白き長毛ありて、尾に至る。○東垣曰はく、『其の肉を食へば、人をして大風[やぶちゃん注:「たいふう」で、ハンセン病の古名。]を患はしむ』。

鸂鷘(オホヲシドリ) 「本草」に、『形、小、鴨(アヒル)のごとし。毛に五采有り。首に、纓〔えい〕、有り。毛、有り、舩の柁(かぢ)の形の如し。 今、按ずるに、鸂鷘は世俗に所謂、「ヲシドリ」なり。鴛鴦より大なり。一類、別種なり。雄の形、水草。言ふ所の如し。五采、處々にあり。首に靑白の長毛、後ろに埀る。腹、白し。わきに長毛あり。觜、雁のごとく、脚、赤く、水かき、あり。尾の羽、舩の柁のごとし。是れ、俗に「思羽〔おもひばね〕」と云ふ。翅の末、翠(みどり)なり。小鳧〔こがも〕より大なり。䳄〔めどり〕は、文采〔もんさい〕なし。翅も翠羽〔みどりば〕あり。頭〔かしら〕、雁のごとく、背の色、灰黒色。腹、白く、思羽、なし。

   *

「日暮なはいさとさそひし貝沼の眞菰かくれのをしのひとり寢」和歌は特異的にそのまま表記した。整序しておく。

日暮なばいざとさそひし貝沼の

   眞菰(まこも)隱(がく)れの鴛鴦(をし)の獨り寢

「日暮なはさそひしものをあかぬまの眞菰かくれのひとり寢そうき」同前。

日暮なばさそひしものをあかぬまの

   眞菰隱れの獨り寢ぞ憂き

和歌嫌いの私にはインキ臭い原恒の優劣の比較感覚が――とんと――判りませぬわ――

「鴛鴦山東光寺」長野県伊那市富県貝沼に現存する(グーグル・マップ・データ)。曹洞宗。Jing氏のサイトの「昔むかしのお話し」の「真菰ヶ池の鴛鴦」によれば、この寺の下に「眞菰ヶ池(まこもがいけ)」という池があり、それが本作のロケーションとする(この池は、グーグル・ストリート・ビュー他で見る限り、現存しないようである)。また、個人ブログ「壁紙自然派」の『地名こぼれ話17(4)・沙石集と下野の国の「おしどり物語」』では、この類話を蒐集しておられるようだ(ただ、『長野県伊那市富県の鴛鴦山東光寺も曹洞宗寺院で、前日のブログで紹介した』とあるのだが、その「前日」の記事の検索が上手くできない)。

『おしどりは漢名「鸂鷘」なるを、本邦にては往古より「鴛鴦」の字をもちひ來れるなり』しっっ知ったかぶるんじゃねえよ! 元恒! 白居易の「長恨歌」は、どう、な、る、ん、だ、よ、ッツ!?!

「故事因緣集」説話集「本朝故事因緣集」。元禄二(一六八九)年刊。著者未詳。当該話は巻之五の冒頭の「百十七 阿曽沼氏因果」。場所は「安藝國」で主人公は「中村城主阿曽」とする。「国文学研究資料館」のオープン・データの同書のここで読める。

「下野國」先の私の「小泉八雲 をしどり (田部隆次訳) 附・原拠及び類話二種」で示した「沙石集」版のそれが、下野の「阿曾沼」を舞台とする。

「近江國」の類話譚は知らない。識者の御教授を乞う。

「成化六年」明の憲宗の治世の元号で、一四七〇年。以下は、明末清初に張潮が撰した文言短編小説集「虞初新誌」の「鴛鴦」。

   *

成化六年十月、鹽城天縱湖漁父、見鴛鴦甚多。一日、弋其雄者烹之。其雌者隨棹飛鳴不去。漁父方啓釜、卽、投沸湯中死。

   *

「鹽城」は現在の江蘇省塩城市で、「天縱湖」は恐らく現在の鹽都縣大縱湖のことではないかと思われる(孰れもグーグル・マップ・データ)。]

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