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2020/11/09

堀内元鎧 信濃奇談 卷の上 鸚鵡石

 

 鸚鵡石

 大草〔おほくさ〕に「鸚鵡石〔あうむいし〕」あり。人、其傍〔かたはら〕にて笑語〔せうご〕すれば、かならず、そのごとくに應ぜり。中尾村にも「木魂石〔こだまいし〕」と名付〔なづけ〕たる地ありて、是〔これ〕も、其聲、相〔あひ〕應ぜり。伊勢にも市野瀨谷に「鸚鵡石」あり。東涯翁の「遊勢志」に見へたり。唐〔とうの〕鄭常〔ていじやう〕が「洽聞記〔かふぶんき〕」に、「響石〔きやうせき〕」といへる、これと、またく、おなじ。又、按ずるに、「雲林石譜」に見えたる「鸚鵡石」は、「その形の似たるもて名付し」といふ儘〔まま〕に、「盍簪錄〔こふしんろく〕」に出〔いで〕たり。近頃、志摩國にても聲の應ずる石ありて、「新鸚鵡石」と名づけたる事、「囘國筆土產〔くわいこくふでみやげ〕」に見ゆ。

 

[やぶちゃん注:「鸚鵡石」の「石」は「せき」と読んでいるかも知れない。所謂、地形上の特質から、特定位置や範囲内で岩や岸壁に発声すると、それが反響したり、或いは増幅されて、少し離れた、本来ならば、聴こえてこない場所でその発声音がかなりはっきりと聴こえる、一種、山彦に類似した現象起こすことを述べている。これは例えば、柳田國男が『「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 隱れ里 一〇』で椀貸伝説を語っている最中、関連して、やや脱線する形で各地の「鸚鵡石」「木魂石」「ヨバリ石」「ホイホイ石」「物言石」「呼石」「言葉石」「答へ石」「三聲返しの石」と並べたてたのは微笑ましく、私も興味がある。こうした鸚鵡石のようなものが椀貸の際の取次ぎ役となっていたケースがあると柳田が言っているのは、椀貸伝承の多くが岩場の洞穴や石製の古塚などをその舞台としていることを考えると、反響音が特に生じやすい点で非常に腑に落ちるのである。ここで元恒の挙げている伊勢のそれ、現在の三重県度会郡度会町南中村に現存する「鸚鵡石」は俳人で作家の菊岡沾涼(せんりょう)が寛保三(一七四三)年に刊行した怪奇談への傾きが有意に感ぜられる俗話集「諸國里人談卷之二 鸚鵡石」にも出るので、それはそちらの私の注を読まれたい。また、金沢の伊勢派の俳人で随筆家(歴史実録本が多い)であった堀麦水(享保(一七一八)年~天明三(一七八三)年)の加賀・能登・越中、即ち、北陸の民俗・伝承・地誌・宗教等の奇談を集成した奇談集「三州奇談」の「卷之二 三湖の秋月」にも現在の石川県小松市大領中町にあった「鸚鵡石」の話がちらりと出る。ただ、ここは小高い部分ではあるが、原野で特定方向に向かって話すと、二度に亙って反響するという場所的には特異な例である。ともかくも、以上のリンク先で注したことをここで繰り返す気にはならないだけであるからして、まずはまそれらをお読みあれ。

「大草」向山氏補註に、『現、長野県上伊那郡中川村大草』とある。ここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)

「中尾村」同じく、『現、長野県上伊那郡長谷村中尾』とある。そこは現在の伊那市長谷中尾地区と思われる。

『伊勢にも市野瀨谷に「鸚鵡石」あり』瓢簞から駒が出たのだ! ここの注を先の柳田國男の「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 隱れ里 一〇へのリンクで簡略化しようと思って、再度、そこで二年九ヶ月前に自分で注した内容を確認して見たら、どうも「ヘン」なのである。そこで三時間ばかり調べてみて、私の注のそこでの「鸚鵡石」の現在地の同定比定は誤りであり(二年九ヶ月の間、誰もそれを指摘してはこなかった)、柳田が『鸚鵡石は伊藤東涯翁の隨筆で有名になつた伊勢度會郡市之瀨の石であるが、此附近にも尙二三の同名の石があつた』という謂いが正しかったことが(少なくとも、もう一つ、今も、ある、ということが)、この「信濃奇談」の元恒の謂いによってはっきりと調べ直せたのである。詳しくは、リンク先の改稿注(太字にした)を是非、読まれたいのだが(迂遠であるが、私の考証過程がよく判るように記載し、立証資料の細かなリンクも張ってある)、結論から言うと、ここで元恒が言っているそれは、三重県度会郡度会町南中村(グーグル・マップ・データ)にあり、国土地理院図の三百六十一メートルのピーク附近である。グーグル・マップ・データで切り替えて、同航空写真のここがそれで、そこで、ストリート・ビュー・マークを画面中央にスライドさせると、青いドットが四つほど点ずる。左上の三つ固まったそこにストリート・ビュー・マークを移すと、そこに巨大な岩壁が眼下に出現するが、それが正しく、ここで元恒が言う「市野瀨谷」の「鸚鵡石」なのである。実は、その群から少し離れた右にある点にストリート・ビュー・マークを落すと「おうむ石」と書かれた看板と、尾根の奥に続く階段の画像が出る。左角にある画像タイトルを見られよ。「おうむ石(鸚鵡石/オウムセキ)」と書いてある。実は当初、この「鸚鵡石」というのは現在の志摩市磯部町恵利原にある、知られた「鸚鵡岩」(ここ(グーグル・マップ・データ))であろう(ここも旧度会郡域ではある)と私は考えたのである。「伊勢志摩きらり千選」のこちらこちらでもここが「鸚鵡石」として詳しく説明されており、伊勢の鸚鵡石としては、現在はここがとみに知られているからであった。ところが、今日、再度、この同定を検証してみた。すると――どうもおかしい――のだ。何がおかしいかと言えば、この柳田の言う「度會郡市之瀨」という地名が旧地名として、現在の志摩市磯部町恵利原と一字一句として全く一致しないことなのである。都市辺縁部の急速な変化を示す場所や新興市街地ならいざ知らず、正直、このような山間部で、何もかも、ごっそり、地名が変わってしまうということは普通はあり得ない。加えて本篇の元恒の最後の『近頃、志摩國にても聲の應ずる石ありて、「新鸚鵡石」と名づけたる事、「囘國筆土產」に見ゆ』という言葉だったのだ!――ここのところ、元恒に対する批判ばかりしてきたが、今回は謝意を表したい気がした――ともかくも、以下、やはり、私のリンク先の改稿注を読まれんことを強くお薦めする。

「東涯翁」江戸中期の儒学者伊藤東涯(寛文一〇(一六七〇)年~元文元(一七三六)年)。名は長胤(ながつぐ)、東涯は号。知られた儒学者伊藤仁斎の長男で、その私塾古義堂二代目。古義学興隆の基礎を築き、父仁斎の遺した著書の編集・刊行に務め、自らも「訓幼字義」などを刊行した。中国語・中国制度史・儒教史などの基礎的な分野の研究にも力を入れ、また、新井白石・荻生徂徠らとも親交が深かった。

「遊勢志」書名は「勢遊志」が正しい享保一五(一七三〇)年序・刊の伊勢紀行。そのここ(国立国会図書館デジタルコレクションの百十一年後の天保一二(一八四一)年の再刻版)から(左頁四行目から次の頁とその次の頁にかけてで、東涯は漢詩も添えて、この現象を非常に面白がっている)。さてもその冒頭を見逃してはいけない! 「行くこと、二里許(ばかり)にして中村に至(いたる)。山川、紛紏(ふんきう)、所謂(いはゆる)鸚鵡石、有り」(原文は訓点附き漢文。訓読し、読みは私が推定で附した)とあるのだ。「中村」なのだ! 恵利原ではないのだ! 中村地区に或いは別に「鸚鵡石」がまだあった可能性がないとは言えぬが、まず、私はここが東涯の行ったそれである、と考えている。なお、同書の最後には、同行したと思しい漢詩人らの詩篇が添えられてあり、鸚鵡石の彼らに与えた感動が並々ならぬものであったことが判る。

「鄭常」(?~七八七年:盛唐末から中唐初期)撰の「洽聞記」は志怪小説集。「太平廣記」の「石」の部に「石響」として、

   *

南嶽岣嶁峯、有響石、呼喚則應、如人共語、而不可解也。南州南河縣東南三十里、丹溪之曲、有響石、高三丈五尺、闊二丈、狀如臥獸。人呼之應、笑亦應之、塊然獨處、亦號曰獨石也(出「洽聞記」)。

   *

と引かれてある。

「雲林石譜」宋の愛石家の杜綰(とわん)撰。その巻の下に「鸚鵡石」として、

   *

荆南府、有石、如巨碑、峙路隅、率皆方形。其質淺綠、不甚堅。名鸚鵡石。擊取以銅盤磨其色可靖。笙器皿紫色、亦堪作硯、頗緻發墨。

   *

しかし、ここには形状がオウムに似ていると直接には書いてはいない。しかし「率皆方形。其質淺綠、不甚堅」という部分には親和性があると言えるようには思われる。

「盍簪錄〔こふしんろく〕」(こうしんろく:「盍簪」とは「友人同士が寄り集まること」を謂う語)既出既注であるが、再掲する。先の伊藤東涯(寛文一〇(一六七〇)年~元文元(一七三六)年)は彼の記した漢文体の雑記随筆。抄写本を見たが、かなり雑然とした書き方である。【2020年11月10日改稿・追記】当初、原文に当たれないと記していたが、何時もお世話になるT氏が、「国文学資料館」にある同書の写本(画像)から、当該頁(ここの右頁三行目。直前が前に示した「鎌鼬」の記載である。第四巻の「雜載編」中)を指示して呉れた上、判読・電子化したものをも添えて下さった。以下に感謝して添付(一部に私が手を加えた)する。

   *

勢州山田西南四里許、沿宮川而上、有市瀨村、又行可半里、有巨石、長五六丈、人隔溪而言、或呼、則石亦作声相応擊鼓弾阮咸、石亦做其声応和、土人呼爲鸚鵡石、或云、石中空虛而待響、恐東坡所云石鐘之類、今人呼于大屋之中、則作䆖䆵之声、石之応人、或此理也【丙申三月

   *

しかし、これを見るに、元恒の言うようには(形が鸚鵡に似ているからかく呼称した)書かれていない。というより、既に見た通り、東涯は実際に現地に遊び、その反響現象を興味深く観察しているわけで、この部分の元恒の言い方は腑に落ちない。なお、「東坡所云石鐘」は、蘇東坡の「石鐘山記」という文を指す。個人ブログ「中国武術雑記帳 by zigzagmax」の「蘇東披『石鐘山記』」に原文と梗概が記されてある。石鐘山は鄱陽湖と長江の合流点にある海抜五十四mの岩山で、その形が鐘の形をしており、しかもそこの石を敲くと金属音がすることから、この名がついたという。

「囘國筆土產」ここで既注の「諸國里人談」の作者菊岡沾凉(延宝八(一六八〇)年~延享四(一七四七)年の随筆或いは紀行。原文に当たれないので確認は不能。]

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