北原白秋 邪宗門 正規表現版 日ざかり
日ざかり
嗚呼(ああ)、今(いま)し午砲(ごはう)のひびき
おほどかにとどろきわたり、
遠近(をちこち)の汽笛(きてき)しばらく
饑(う)うるごと呻(うめ)きをはれば、
柳原(やなぎはら)熱(あつ)き街衢(ちまた)は
また、もとの沈默(しじま)にかへる。
河岸(かし)なみは赤き煉瓦家(れんぐわや)。
牢獄(ひとや)めく工場(こうば)の奧ゆ
印刷(いんさつ)の響(ひびき)たまたま
薄鐵葉(ブリキ)切る鋏(はさみ)の音(おと)と、
柩(ひつぎ)うつ槌と、鑢(やすり)と、
懶(もの)うげにまじりきこえぬ。
片側(かたかは)の古衣屋(ふるぎや)つづき、
衣紋掛(えもんかけ)重き恐怖(おそれ)に
肺(はひ)やみの咳(しはぶき)洩(も)れて、
饐(す)えてゆく物のいきれに、
陰濕(いんしつ)のにほひつめたく
照り白(しら)み、人は默坐(もくざ)す。
ゆきかへり、やをら、電氣車(でんきしや)
鉛(なまり)だつ體(たい)をとどめて
ぐどぐどとかたみに語り、
欝憂(うついう)の唸(うなり)重げに
また軋(きし)る、熱(あつ)く垂れたる
ひた赤(あか)き滿員(まんゐん)の札(ふだ)。
恐ろしき沈默(しじま)ふたたび
酷熱(こくねつ)の日ざしにただれ、
ぺんき塗(ぬり)褪(さ)めし看板(かんばん)
毒(どく)滴(た)らし、河岸(かし)のあちこち
ちぢれ毛(げ)の瘦犬(やせいぬ)見えて
苦(くる)しげに肉(にく)を求食(あさ)りぬ。
油(あぶら)うく線路(レエル)の正面(まとも)、
鐵(てつ)重(おも)き橋の構(かまへ)に
雲ひとつまろがりいでて
くらくらとかがやく眞晝(まひる)、
汗(あせ)ながし、車曳(ひ)きつつ
匍匐(は)ふがごと撒水夫(みづまき)きたる。
三十九年九月
[やぶちゃん注:これはまさに映像にしてみたい強い欲求に駆られる。各連の対象のアップとそのモンタージュ、視聴嗅覚の総てが否応なしに動員されるカット・バック――これは他の追従を許さぬ、一見、強烈なリアリズムを持ったシュールレアリスムの映像と言ってもよいように私は感ずる。]