御伽比丘尼卷一 ㊂あけて悔しき文箱 付リ 義に輕命
㊂あけて悔しき文箱付リ義に輕(かろき)命
東海道の、ある邊〔あたり〕に禪林寺あり。弘法(ぐほう)めでたくみえて、僧徒多く、小性(〔こ〕しやう)あまたある中に、美㙒戸(みのへ)庄の介といふ男色(なんしよく)、顏(かん)ばせ、ことにすぐれ、むかし、男の初(うゐ)かうぶりせし姿、鐵拐(てつかひ)がふき出〔いだ〕せし美童も、かくや、參學(さんがく)の窓に蛍(ほたる)を集め、才智、他にすぐれたれば、老和尙のおぼえ、あはれみ、殊にふかし。
同じ寺内に、眞悔(しんかい)とかやいへる牢人あり。去(さる)子細有〔あり〕て、弓矢の家を出〔いで〕、竹林院といへるは、母がたの伯父なりければ、是につきて、顯性成仏(けんしやうじやう〔ぶつ〕)の心法(しんぱう)をまなぶ。されど、やめがたき情(なさけ)の道、若きも老(をい)たるもと、書〔かき〕たる、實〔げに〕、さる事ぞかし。
ある夕暮、庄之介をかゐまみてより、思ひの火をむねにたき、夜はすがらにいねもやらず、やるかたなさ、此まゝに思ひ死(しに)なんも、さすがなれば、
『ゆめ計〔ばかり〕なりとも、しらせばや。』
と思ひ入日のかげたのむ、同宿の僧に、
「かうかう。」
とかたれば、いとやすく、事うけしぬ。
眞悔、限(かぎり)なくうれしさあるは、詩(からうた)に思ひをのべ、ある時は和歌の文字をつらねて、恨(うらみ)かこち、いひ送りけるほどに、庄の介も、又なく、哀(あわれ)にたへで覺えければ、是より、ま見えそめて、限(かぎり)なき情(なさけ)をかさねけり。
又、ある夜、少年の部(へ)やに、しのび行〔ゆき〕て、雨のつれづれをかたるつゐで、少年のいふ、
「かく此日比〔このひごろ〕の御情(〔おん〕なさけ)、淺からぬに、此身を任せまいらせながら、我〔われ〕計〔ばかり〕こそ、あすをも期〔ご〕せぬにて候へ」
など、思ひしほれ語るを、眞悔、打聞〔うちきき〕て、
「何とや、かく心ぼそくもの給ふにはあらん。我、かく兄弟(はらから)の約(やく)をなし、二世〔にせ〕かけて思ひ侍る上は、假(たとひ)一命(めい)は、わぎみ故〔ゆゑ〕朽果(くちはつ)るとも、いとふべき物かは。南無弓や神〔がみ〕大ぼさち、ゆめゆめ、變じ申〔まうす〕べきに非ず。いかならん大事にてもあれ、是迄、隔(へだて)給ふは情(なさけ)なし。」
など、打恨(〔うち〕うらめ)ば、少年、世に心よげに、
「扨〔さて〕は、うれしや。賴もしく社(こそ)候へ。今は何をか包(つゝみ)侍らん、我は、是、大事の親の敵(かたき)をねらふ事、久し。敵、此國にすむよし、しりて、朝夕、尋ね候へども、我、五才の春の暮に、父を討(うた)せぬれば、敵の㒵(かほ)もさだかならず、むなしく月日を送るに侍り。」
と、淚、袖に餘りてかたれば、
「扨は。左(さ)にて侍るか。我、かくて在〔ある〕からは、御心〔みこころ〕やすかれ。扨、其かたきの假名(けめう)は。」
と、
「相〔あひ〕かまへて外〔ほか〕へもらし給ふな。敵の名は竹尾武右衞門(たけをぶ〔ゑもん〕)、只今は名をかへて隱住(かくれすみ)侍るよし、爲方(せんかた)なき次第にこそ。」
と、いへば、眞悔、ほゝえみ、
「其武右衞門は、我、ほのかに聞〔きき〕し事、あり。此上は、いかならん謀(はかり)をもなし、一たび、かれにめぐりあはせ、本望(ほんもう)をとげさせ申さん事、何のうたがひかあらん。」
など、いと賴母敷(たのもしく)、こしかた語りあひけるほどに、山寺の嵐(あらし)、こと更にけうとく、かねの聲、ふけ過(すぐ)るまでにきこゆれば、いとまこひて、わが宅(たく)に歸りぬ。
其あけの日、
「眞悔のもとより。」
とて、文箱(〔ふみ〕ばこ)にふうつけたる、あはたゞしく持來(もち〔きた〕)れり。心ならず、ひらけば、
[やぶちゃん注:以下、底本では書信本文全体は一字半ほど下げとなっており、最後の「一」を打って二つ続く添書はそれぞれの「一」(「ひとつ」と読んでおく)のみが行頭にあり、二行目以降は孰れも一字下げとなっている。底本原本(ここと、ここ。後者には右手に挿絵がある)を見られたい。ここでは無視し、その代わりに前後を一行空けた。文(ふみ)の雰囲気を出すために句読点ではなく、字空けで処理した。]
書置(かきおき)申一通
あだしのゝ露とりべ山の煙立さらぬ世のためし 一代敎主(〔いち〕だいきやうしゆ)だにのがれ給はぬ此みち まゐて愚なる此身に於てをや 誠にいかなるえにしにや在〔あり〕けむ かりそめに見初(〔み〕そめ)てより 心も空(そら)になるとなる あはぬつらさを とやかくと なげき やうやう 心も白雪の とけて互(たがひ)のいと惜(をし)み 又 あるべき事かは 哀(あはれ) いかならんふしぎもあれかし 「命(いのち)を君に參らせなん」と 日比 思ひ川の かく迄深き心とは いかで人はしり給ふべしや 夕べ 承り候ひしわぎみが親の敵 武右衛門 只今は 真悔 我にて 侍り 根(ね)をたつて 葉をからす敵の末にしあれば うち申さん事 籠鳥(ろうてう)のごとく やすく覺へ侍る されど 我が手にかけて いかでか君をころし申べきや 誠に 人 多(をほき)中に かたきと敵〔てき〕めぐりあひ 兄弟(きやうだい)の約(ちぎり)をなす事 爲(ため)しなき因果の道理にこそ侍れ 其上 我 「一命にかけても敵をうたせ申さん」と誓ひを立〔たて〕し事あり 此故に かく思ひ定(さだめ)ぬ 急ぎ くびうつて おやの教養に手向(たむけ)給へ 實(げに)はらからの契り朽(くち)ずは 一返(〔いつ〕ぺん)のゑかうをも よのかたの百千(もゝち)にもまさり申べく候
一 此事 夢(ゆめ)計〔ばかり〕もしらせ申さぬ御恨(〔おん〕うらみ) かゞみにかけ覺へ候 かくと申〔まうし〕侍らば いかで我が望(のぞみ) 叶ひ侍らん 此所〔このところ〕 よく御弁(〔お〕わきま)へありて可給候〔たまふべくさふらふ〕
一 思ひ置(おく)事もあらず候 見苦敷(みぐるしき)物は はや とく仕舞(しまひ)申候 大小と小袖は住持へ御つかはし可給候 自筆の歌仙一卷(まき) 黑髮は そのかたへ送り申候 朽(くち)ぬは筆の跡とかや承り置候まゝ遣し申候以上
春の花秋の紅葉の一葉たに
うき世に殘る色は非じな
十月三日夜染ㇾ之 眞 悔
美㙒邊庄の介どのヘ
[やぶちゃん注:辞世の一首はベタ一行であるが、上句と下句を分離して示した(表記は底本のままとした)。「美㙒邊」の表記はママ。「染ㇾ之」は「之れを染む」で、原本に「そむ」の読みが振られてある。]
と書〔かき〕たる。
少人〔せうじん〕、此一通に驚(おどろき)はしり、つきてみるに、かひがひ敷〔しく〕、腹、十文字に切〔きり〕、心もとを、つらぬき、臥(ふし)ぬ。
あたりの僧、出合(いであい)て、事のやうを聞〔きく〕に、少人、
「かうかう。」
と語り、
「我、夢にもしりなば、かやうには非(あら)じ物を。」
と、死骸にいだき付〔つき〕て、歎き悲しめども、歸らず。
「命(めい)は義によつてかろし」といひしは、かゝる事にや、と、各(おのおの)すみ染の袖をぬらし、其夜、僧徒、打〔うち〕より、葬(はうふり)の式、おごそかに取行(〔とり〕おこない)ぬ。
其後、一七日〔ひとなぬか〕の夕〔ゆふべ〕、庄の介、仏前に、押(おし)はだぬぎ、既に自害に及(およぶ)を、同宿ども、見つけ、とりつきたれば、和尙も御出〔おで〕ましまし、さまざま、敎訓あそばし、
「惜(おし)きかな、十六の秋、其日、則(すなはち)發心(ほつしん)して、なき人の跡、父の尊靈(そんれう)ぼだひ、ともに一蓮詫生の追善ゑかうをなし給ひけるが、世にたぐいなき道人(どうにん)にて在〔あり〕ける。」
とぞ。
[やぶちゃん注:挿絵は少年の自害を描いたものであるから、最後に配した。今回は「西村本小説全集」のそれの、上下左右の罫線を除去して示した。
「男の初(うゐ)かうぶりせし姿」「伊勢物語」の「初冠(うひかうぶり)」(元服)の美少年の映像をダブらせる。
「鐵拐(てつかひ)がふき出せし美童」李鉄拐は中国の代表的な仙人を指す「八仙」の一人。しばしば口から魂のような気を吐いている画像(事実、彼が自分自身を口から吹き出したと記される)で描かれる。医術を司り、やはり八仙の一人である呂洞賓(りょどうひん)の弟子とされる。名はアイテムとして鉄の拐=杖を持つことから(片足が不自由であったとも言われる。後述。今一つ瓢簞を持つのも定番)。本邦では蝦蟇仙人とペアで描かれることが多い。魂だけを離脱させて自在に往き来出来たとする。中文サイトに、『稱其爲呂洞賓的弟子。傳稱李凝陽應太上老君與宛丘先生之約、魂游華山。臨行、囑咐其守魄(軀殼) 七日。無奈其徒之母突然急病而欲速歸 、遂於第六日化師之魄。李凝陽游魂於第七日回歸時、無魄可依、即附於一餓殍之屍而起、故其形醜陋而跛右脚』とあった。荒っぽく訳してみると、「ある時、鐵拐は仙界へと呼ばれ、立つに先立って、弟子に『七日間、私の魄(魂が空の肉体)を見守っておれ』と言ったが、その弟子の母が急病となったため、すぐに帰郷したくなった。遂に弟子は六日目に鉄拐の魄を別なところに移して出発してしまった。七日目に鉄拐の魂が戻ってきた時、魄がないため、仕方なく、近にころがっていた行路死病人の遺体に入った。それ故にその容貌は醜く、右足は跛(びっこ)を引いている」といった感じか。なお、鉄拐の話というのでは知らぬが、仙人や妖術使いが口から、バカスカ、人を次々と出して、それらが連鎖して話となるという幻術談は志怪小説ではかなりオーソドックスなものである。私の「柴田宵曲 續妖異博物館 吐き出された美女」が纏まっており、私が原話も注で附しているので、参照されたい。
「牢人」「浪人」に同じ。
「竹林院」不詳。
「顯性成仏」「見性成佛」の表記が一般的。本来的に各人が持っている自身の本性や仏心を見極めて悟ること。全ての人が本来的に仏であることを体感として正しく認知し得ることを指し、特に禅宗で頻繁に用いる認知法である。
「心法(しんぱう)」仏教に於ける心の在り方を指す語であるが、仏教用語の場合は、「法」は歴史的仮名遣を、本来の「はふ」ではなく、「ほふ」で読むという慣用例式があるので、厳密には「しいぱふ」と読むのが正しい。但し、一般名詞として「心や精神の修養法」の用語も既に存在したし、意味もそれで通るので問題はない。
「やめがたき情(なさけ)の道、若きも老(をい)たるもと、書〔かき〕たる」まず、教科書には載らないから(性的である上に女性に対して偏見的差別的だからな。「土佐日記」は知らぬ者はないが、一月十三日の条の終わりの「何(なに)の葦蔭(あしかげ)にことづけて、老海鼠(ほや)の交(つま)の胎貝鮨(いずし)、鮨鮑(すしあはび)をぞ、心にもあらぬ、脛(はぎ)に上げて、見せける」というお下劣な場面を知ってる人は殆どいないようなもんさ。私は大学二年の中古文学演習でこれを論文として提出し、担任でもあった教授に「君は変なところに拘るね」と言われつつも、「優」を貰ったのを思い出す)、意外に知られていないが、「徒然草」第九段の以下。
*
女は髮のめでたからむこそ、人のめだつべかめれ。人のほど、心ばへなどは、物うち言ひたるけはひにこそ、ものごしにも知らるれ。事に觸れてうちあるさま[やぶちゃん注:ちょっとした素振り。]にも、人の心を惑はし、すべて、女(をんな)のうちとけたる、いもねず[やぶちゃん注:しかし、気を許して寝るということもせず。]、身を惜(を)しとも思ひたらず、堪ゆべくもあらぬわざにもよく堪へしのぶは、ただ色を思ふがゆゑなり。まことに愛著(あいぢやく)の道、その根、深く、源(みなもと)、遠し。六塵[やぶちゃん注:清浄な心を穢す六種の知覚感覚刺激(色(しき)・聲(しょう)・香・味・觸(そく)・法(意識の中で対象となるように感じられる「概念」のこと))。]の樂欲(げうよく)[やぶちゃん注:たまさかに心を樂しましせる欲。]多しといへども、皆、厭離(えんり)しつべし。その中に、たゞかの惑ひ[やぶちゃん注:色欲。]のひとつ、止めがたきのみぞ、老いたるも若きも、智あるも愚かなるも、變る所なしとぞ見ゆる。されば女の髮すぢを縒(よ)れる綱には、大象(だいざう)もよくつながれ、女のはける足駄(あしだ)にて造れる笛には、秋の鹿、必ず寄ると、いひ傳へはべる。みづから戒(いまし)めて、恐るべく愼むべきは、この惑ひなり。
*
「南無弓や神〔がみ〕大ぼさち」「南無弓矢神大菩薩」。弓矢の神である八幡大菩薩であるが、これは、武士が誓約する際の常套句で「八幡大菩薩にかけて誓って」の意から、「神かけて・誓って」の意で用いる。
「變じ」心変わりする。
「假名(けめう)」通称・俗称。
「あだしのゝ露とりべ山の煙立さらぬ世のためし」よほど、筆者は「徒然草」が好きらしい。芥川龍之介曰はく、『わたしは度たびかう言はれてゐる。――「つれづれ草などは定めしお好きでしせう?」しかし不幸にも「つれづれ草」などは未嘗愛讀したことはない。正直な所を白狀すれば「つれづれ草」の名高いのもわたしには殆ど不可解である。中學程度の教科書に便利であることは認めるにもしろ。』。私の『芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) つれづれ草』をどうぞ。
「一代敎主(〔いち〕だいきやうしゆ)」阿弥陀や釈迦を除き、現世で宗派等を創始した開祖。「いと惜(をし)み」表記はこうだが、意味は「愛(いと)ほしむ」。
「日比 思ひ川の かく迄深き心とは いかで人はしり給ふべしや」「ひごろ、おもひかはの」の「かは」は、係助詞の「か」+「は」であるものの、変則的用法である(圧倒的に反語で用いられるが、ここは稀な疑問の意であるからである)。而して、その「かは」が「川」に掛けられて、「かくまで」も「深き心」であった「とは、いかで人はしり給ふべしや」と続いた最後で反語の意味となる。寧ろ、前の「かは」は凡そそのように感じてはいなかったという驚きを示す語として機能しているが、それが思いもしなかったという反語的ニュアンスとして現れたものとも言える。
「かたきと敵〔てき〕めぐりあひ」後を「かたき」と訓じると、私は意味上の澱みが生じると感じたので、かく訓じておいた。あくまで宿命の対関係としても、「庄の介」の立場に立って思いやりを持って眞悔は文を記している。その思いからも「かたき」とは私は到底、読めぬのである。
「ゑかう」「囘向」。
「かゞみにかけ覺へ候」古語に「鏡を掛く」の語があり、これは「鏡に映して見るように、はっきり知っている」の意であるから、「重々承知しておりまする」の意。
「大小」刀と脇差。
「春の花秋の紅葉の一葉たにうき世に殘る色は非じな」整序すると、
春の花秋の紅葉(もみぢ)の一葉だに
うき世に殘る色はあらじな
似たものに、江戸初期の近江の知られた陽明学者中江藤樹(慶長一三(一六〇八)年~慶安元(一六四八)年)の一首に、
春の花秋の紅葉とうつりゆく
色は色なき根にぞあらわる
がある。
「心もとを、つらぬき」心の臓を一突きにし。
「命(めい)は義によつてかろし」掛け替えのない命(いのち)も、正義のために捨てるのであれば、少しも惜しくなくなる。「後漢書」の「朱穆(しゆぼく)傳」に基づく。
「ぼだひ」「菩提(ぼだい)」。
「一蓮詫生」「一蓮托生」が正しい。
この手の男色絡みの仇討譚の類話は意外と多いが、男色の恨みは、男女のそれよりも強烈な傾向があり、大抵は凄惨な修羅場の展開となる。例えば、「老媼茶話巻之五 男色敵討」である。他に私の電子化の中には、シチュエーションも酷似して、寺に居住まいする少年が、仇相手と知らずに寺内の浪人の男に懸想され、それを知って切り殺して逃げる話があるはずだが、思い出せない。発見したら、リンクさせる。それらに比すと、エンディングは哀れを誘うが、本篇は男色の誓詞を守って美しい一篇と言える。少年の父を何故に殺害したかという部分に及んでいないことも、本映像が透明で美しく保存されている理由のような気もする。]
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