北原白秋 邪宗門 正規表現版 晩秋
晚 秋
神無月、下浣(すゑ)の七日(しちにち)、
病(や)ましげに落日(いりひ)黃ばみて
晚秋(ばんしう)の乾風(からかぜ)光り、
百舌(もず)啼かず、木の葉沈まず、
空高き柿の上枝(ほづえ)を
實はひとつ赤く落ちたり。
刹那(せつな)、野を北へ人靈(ひとだま)、
鉦(かね)うちぬ、遠く死の歌。
君死にき、かかる夕(ゆふべ)に。
三十九年五月
[やぶちゃん注:一行目は、「下浣」は「かくわん(かかん)」(「げかん」とも読む)で「下澣」とも書き、毎月の二十日以後の当該月の下旬を指す。従って、これは十月二十七日を指示する。但し、これは最後に登場するかのように見える「かかる夕」べ「に」「死」んだ「君」という具体な特定の誰かを指すものではないようである(当時までの白秋の関係者にこの忌日を確認出来ない)。則ち、この導入の一行自体が「晩秋」という絵に最初の放たれた一筆であって、「神無月」(神のいない月)「下浣(すゑ)」(末世)「の七日」(終末期・仏教の地獄の審判の「七」を含む月の最後)という心理的に閉塞された条件が成形されたと言ってもよいのである。そうした観点から見ると、この一篇は一行読み進めるごとに驚くべき重層性で我々を晩秋の奈落に引きずり込んでゆくのである。]