北原白秋 邪宗門 正規表現版 軟風
軟 風
ゆるびぬ、潤(うる)む罌粟(けし)の火は
わかき瞳の濡色(ぬれいろ)に。
熟視(みつ)めよ、ゆるる麥の穗の
たゆらの色のつぶやきを。
たわやになびく黑髮の
君の水脈(みを)こそ身に翻(あふ)れ。――
うかびぬ、消えぬ、火の雫(しづく)
匂の海のたゆたひに。
ふとしも歎(なげ)く蝶のむれ
ころりんころと……頰(ほ)のほめき、
觸(ふ)るる吐息(といき)に縺(もつ)るれば、
色も、にほひも、つぶやきも、
同じ音色(ねいろ)の搖曳(ゆらびき)に
倦(うん)じぬ、かくて君が目も。――
あはれ、皐月(さつき)の軟風(なよかぜ)に
ゆられてゆめむわがおもひ。
四十年六月