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2020/11/28

片山廣子 地山謙

 

[やぶちゃん注:片山廣子の随筆集「燈火節」(昭和二八(一九五三)年暮しの手帖社刊)の中の「地山謙」(ちざんけん:易占の卦(け)の名称)を電子化する。同作は当該随筆集のための書下ろしであるようで、月曜社の片山廣子の「野に住みて 短編集+資料編」の書誌を調べても、初出は見当たらない。

 昨日公開した「新版 片山廣子 芥川龍之介宛書簡(六通+歌稿)」の「□片山廣子芥川龍之介宛書簡【Ⅲ】 大正一四(一九二四)年二月十一日附」の注で、本作の一部を電子化したが、抄出というのが、どうにも気持ちが悪いので、ここに新たに全文を電子化することとした。

 歴史的仮名遣の誤りはママである。五月蠅くなるので、その注記はしていない。傍点は太字に代えた。

 なお、先ほど調べたところ、「青空文庫」にあることが判ったが、新字に直された方であるから、参考にせず、所持する上記底本をもとに完全に私がOCRで原本を読み取ったものであって、そちらの電子データ(同一の出版社ではあるが、先行する出版物で私の底本(正字正仮名版)とは異なる)は一切全く使用していないので特にお断りしておく。私はネット上の他者のものを安易に加工データにしておいて――しかも杜撰な電子データにしておいて――知らんぷりするような卑劣なことはしない。どこかの誰彼のようには、である。]

 

   地山謙

 

 Tが私のために筮竹(ぜいちく)や筭本(さんぎ)を買つて来て、自分で易を立てる稽古をするやうすすめてくれたのは、もうずゐぶん古い話であつた。お茶やお花のやうに易のお𥡴古をするといふのも變(へん)な言ひかたであるけれど、初めのうち私はほんとうに熱心にその稽古を續けてゐた。易の理論は何も知ら、内卦(くわ)がどうとか外卦(くわ)がかうだとか豫備(よび)知識をすこしも持たず、ただ敎へられたまま熱心にやつてみた。

 そのずつと前から、払は易を信じて事ある時には大森のK先生のお宅に伺つて占斷(せんだん)をお願ひしてゐたので、とかとか、や、も、さういふ象(かたち)だけはどうにか知つてゐて、おぼつかない素人易者はただもう一心に筮竹を働かしたが、そのうちに筮竹をうごかすことが非常に骨が折れて来て、人に敎へられたまま小さい十錢銀貨三つを擲(な)げてその裏面と表面で陰と陽を區別し、六つの銀貨を床(ゆか)に並べてその象(かたち)が現はれるままをしるした。この方が大そうかんたんであつた。

 自分自身の身上相談をしたり、他人の迷ふことがあれば、それについて敎へを伺ふこともあつて、私のやうなものがめくら滅法に易を立てて見ても、ふしぎに正しい答へが出た。また或るときはどうにも解釋のむづかしい答へもあつた。ある時、自分の一生の卦(け)を伺つてみようと思つたが、何が出るかその答へには好奇心が持てた。若い時から中年までの私の仕事はおもに病氣と鬪(たたか)ふことであつたから(自身の病氣でなく、良人の父の病氣、良人の長い病氣、義妹の長い病氣、義弟の病氣、それにともなふ經濟上の努力、私はまるで看護帰の仕事をしに嫁に來たのだと、それを一種の誇りにも思つて殆ど一生そんな方面の働きばかりしてゐた。)たぶん私の一生の卦は「地水帥(ちすいし)」が出るのではないかと心に占つてゐた待、意外にも答へは「地山謙(ちざんけん)」であつた。私はおもはずあつと驚いて、頭を打たれたやうに感じたのである。

 「謙(けん)は亨(とほ)る。君子終り有り吉(きつ)。○彖傳(たんでん)に曰く、天道は下(くだ)り濟(な)して光明。地道は卑(いやし)くして上行す。天道は盈(みつ)るを虧(か)きて謙に益(ま)し、地道は盈るを變(か)へて謙に流(なが)し、鬼神は盈るを害して謙に福(さいは)ひし、人道は盈るを惡みて謙を好む。謙は尊くして光り、卑(いやし)くして踰(こ)ゆべからず。君子の終りなり。」

 謙は卽ち謙遜、謙讓の謙(けん)で、へりくだることである。高きに在るはづの艮(ごん)の山が、低きに居るべき坤(こ)んの地の下に在るのである。たぶん私は一生のあひだ地の下にうづくまつてゐなければならない。「勞謙す、君子終り有り吉」といふのは地山謙の主爻(しゆかう)言葉である。頭を高く上げることなく、謙遜の心を以て一生うづもれて働らき、無事に平和に死ねるのであると解釋した。何よりも「終り有り吉」といふ言葉は明るい希望をもたせてくれる。何か困るとき何か迷ふ時、私は常に護符(ごふ)のやうに、謙(けん)は亨る謙は亨るとつぶやく、さうすると非常な勇氣が出て來てトンネルの路を掘つてゆく工夫のやうに暗い中でもコツコツ、コツコツ働いてゆける。この信仰は迷信ではない、むしろ常識であると思ふが、私のやうにわかい時から夢想をいのちとして來た人間がこの平凡な敎訓を一日も忘れずにゐられるのはさいはひである。六十四卦の中でこの「地山謙」だけがどの爻(かう)にも凶が出ず、その代りどの爻(かう)も謙を守つて終りをまつたくするといふ約束を持つてゐる。その堅實な地味な約束が、およそ堅實でない私のための一生の救ひでもあるのだらう。私のためにはもなくもなくもないのである。それで滿足してゐよう。

 

[やぶちゃん注:易学の熟語や古文引用部は私の手に負えない(というよりも易学には全く興味がないので調べる気が起こらない)ので注さない。

「T」この随筆の刊行時の時制だと、不詳だが、「もうずゐぶん古い話」とある。そうすると、堀辰雄がまず挙げられるか。または、廣子の子息の文芸評論家であった故片山達吉(ペン・ネームは吉村鉄太郎 明治三三(一九〇〇)年~昭和二〇(一九四五)年:東京帝国大学法科卒業後、川崎第百銀行に就職、堀辰雄・神西清・川端康成らと、『文學』の創刊に参加。同誌の発行元であった第一書房の立て直しに奔走していた昭和二〇(一九四五)年、馬込にあった彼の自宅で心臓病で倒れ、四十五歳で急逝した)かも知れない。私は後者っぽい気はする。

「筭本(さんぎ)」通常は「算木」と書くが、「筭」は「算」の異体字。易で卦を表す四角の棒で、一本の長さは約九センチメートルで、六本あり、おのおの四面の内の二面は爻(こう)の「陽」を表し、他の二面は「陰」を表わす。

「大森のK先生」熊崎健翁(くまざきけんおう 明治一五(一八八二)年~昭和三六(一九六一)年)であろう。アルマ氏のサイト「Witch Doctor's Garden」の「占術師列伝~東洋編」によれば、熊崎は『姓名判断を一般に流通させた元新聞記者』本名は『健一郎。出身は岐阜県。熊﨑式姓名学の創始者。教員を務めた後、中京新聞社に入社。その後も三重成功新聞』(調べてみたが、この名の三重の地方紙は見当たらなかった)、『伊勢新聞、大阪新報、時事新報などでジャーナリスト(記者)として活躍し、熊﨑』(表記はママ)『式速記を発表』し、昭和三(一九二八)年には、東京大森に『「五聖閣」という総合運命鑑定所を設立。ジャーナリスト時代から研究していた易学の理論を核として、姓名による吉凶禍福を鑑定する「熊﨑式姓名学」を考案。「主婦之友」において発表し公表を博し、この理論が一般に広く浸透することとなり、日本における姓名判断の普及に大きく貢献することとなった』。『その著書、知識は現代でも多くの占術家の手本書として広く流通している』とある。イニシャルと地名から推定した。本書刊行時も存命である。

「主爻(しゆかう)」占われた卦の中心となる爻の組み合わせ。]

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