御伽比丘尼卷一 ㊁夢の通ひ路 付リ ねやの怪
㊁夢の通ひ路付リねやの怪(あやしみ)
世に氣づまりなる物。しゆんだる上戶(じやうご)のざしきに、下戶(げこ)の交(まじは)りゐたる。能き事でも、親の異見。扨は、奧女郞なるべし。少納言は、いかにして是を筆には洩(もら)し置〔おき〕けん。上のゝ花も、よそにのみ盛(さかり)を聞〔きき〕て、見ぬ人のため、枝折(し〔をり〕)もとめむ使(よすが)もなく、「千(ち)さとの外迄」と讀(よみ)し秋の月も、隅田川・しのばずが池に滿(みつ)る影は夢にもしらず、永き日、雨の夜は、歌がるた・謎合(なぞ〔あひ〕)などこそ、せめて心を慰(なぐさむ)るわざなれ。
爰に、あるかたの息女、としは十六の、月におなじく、かたち、らうたけて、心ざまもやさしければ、吳を傾(かたぶけ)し西施の姿もかくやと、あやし。父母(たらちね)の御もてなし、いと惜(をし)み、いはんかたなし。
ある夕ぐれの、風、一とをり、御身にしみてより、御こゝろつねならず、かほばせ、さうさうとおもやせ、朝夕のかれゐも、おさおさきこしめさねば、
「かくては、玉のをのむすびとゞめん事も危し。」
と、寺社に祈(いのり)、醫師を招き、藥術(やくじゆつ/くすり)、手を盡(つくす)に、驗(しるし)もなく、人々、悲しみあひける。
日比、あはれみふかく思召ける、「おさごのかた」といふ女房、御そばぢかく、ゐよりて、
「いかなる事にか、かく、うかうかしう見えさせ侍ふ。たとへ外ざまには御つゝみ候とも、自(みづから)には何の憚(はばかり)か、おはし侍らん。命にかへても、御心ざし、はるけさせ參らせん物を。」
と、こまやかに物すれば、扨は、「いろに出〔いで〕て物やおもふ」と、とひ給ふにこそ、
「今は何をか包(つゝみ)侍らん、去〔いん〕じ月、十日の夜、やごとなき美少年、自(みづから)がねやに忍び、
『此とし比の、物おもひ、ある時は恨(うらみ)、あるはなげき給ひしほどに。いは木ならねば、人に心をくれ竹の、一夜ばかり。』
と、なびき初(そめ)て、いとおしさ、やるかたなく、夕べには、はやくいねて、わがせこがくべき夢路を待〔まち〕、更行(ふけ〔ゆき〕)、かねに、あかぬ別(わかれ)の覺行(さめ〔ゆく〕空をなげく。
それさへあるに、ひとひ・ふつか、待(まち)わびても、かよひ給はぬ夜半(〔よ〕は)もあり、一向(ひたすら)「戀のやつこ」となりて、かく迄心ちは、なやみ侍る。」
と打〔うち〕かこち給へば、「さごのかた」も、いと不審(いぶかしく)、其部屋のくちに、ねぬ夜の番、つけて、守らせけれど、あへてかよふ人もなければ、
「此上は、たとき聖(ひじり)・巫(かんなぎ)に仰〔おほせ〕て、御祈(いのり)あるべし。」
とて、その比、安倍の何がしとやらん、めいよのはかせ、召〔めし〕よせられ、右のあらまし、仰〔おほせ〕あれば、畏(かしこまつ)て、うらかたを考(かんがへ)、御心ちの事、やすくうけあひて、まかでぬ。
其あけの日、參りて、
「御きたう、いたし侍りぬ。夕べ、ゆめの少人〔せうじん〕は來りけるや。」
と、とふ。
「來りぬ。」
と、こたへ給ふ。
又、其あけの日、參りて、とふ。
「來らず。」
と。
かく、とふ事、五たびにおよびて、安倍氏(あべうぢ)、姬の御部屋の内外(ないげ/うちと)をめぐり、加持護念(〔か〕ぢご〔ねん〕)する事、又、五度、やしきの裏の茂みより、いくとしふともしらぬ猫、からめ出〔いだ〕し、
「此猫の所爲(しよゐ)なり。」
と云〔いふ〕に、人々、たゝき殺し、大河(〔たい〕が)に流し捨しが、此のち、夢のかよひぢも絕〔たえ〕、御心〔おんここ〕ち、いさぎよく、めでたきよはひをかさね給ひしとぞ。
我〔われ〕、きく、もろこしに独(ひとり)の女、かゝるやまひある事、日比〔ひごろ〕へたり。白き裝束(さうぞく)したる美少年、かよひ來る事、夜ごとなり。其比、「天民」といへる名医を招(まねき)、藥をふくする事、四、五日、ある時、天民、彼(かの)病家(びやうか)に行〔ゆく〕に、白き狗(いぬ)、門の敷居を枕にして臥しゐぬ。則(すなはち)、内に入〔いり〕て、
「夕べ、白衣(はくゑ)の少年、來(きた)るや。」
と、とふ。
「來(きたれ)り。」
と。爰〔ここ〕に於て狗の所爲なる事をさとり、彼(かの)狗をとらへ、殺し、其肝(きも)を取〔とり〕て丹(たん/くすり)に揀合(ねりあはせ)、女にあたへ、のましむるに、こ心ち、淸靜(いさぎよ)く、何の子細もなかりけるとぞ。
あべ氏も此故事を能(よく)覺へて、かくは、ふるまひ劔(けん)、誠にきとくなりかし。
[やぶちゃん注:「世に氣づまりなる物。……」言わずもがな、以下は「枕草子」の、物尽くしの章段の「すさまじきもの」や「にくきもの」のインスパイア。
「しゆんだる上戶のざしき」「しゆんだる」は「駿だる」か。所謂、名にし負う大酒のみの家の(それも酒豪が集まっている)座敷に。
「奧女郞」禁裏や大名などの奥向きに勤める女房や局 (つぼね) 。
「上のゝ」上野。
「よそにのみ盛(さかり)を聞て、見ぬ人」お判りと思うが、ここから「枕草子」から「徒然草」の著名な百三十七段「花は盛りに、月はくまなきものをのみ見るものかは」には、へとスライドさせてゆく。
『「千(ち)さとの外迄」と讀(よみ)し秋の月』「徒然草」の同前の章段中にある、『よろづのことも、始め終りこそをかしけれ。男女の情も、ひとへに逢ひ見るをば言ふものかは。逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明し、遠き雲井を思ひやり、淺茅が宿に昔を偲ぶこそ、色好むとは言はめ。望月の隈なきを千里の外まで眺めたるよりも、曉近くなりて待ち出でたるが、いと心深う靑みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の影、うちしぐれたる村雲隱れのほど、またなくあはれなり』を受け、しかも、本話の異類婚姻の「恋」を仄めかす役割も担っていることに注意せねばなるまい。
「謎合(なぞ〔あひ〕)」「謎謎合(なぞなぞあはせ)」。左右に分れて互いに謎々を掛け合い、その謎や解答の優劣を争う遊び。「歌合わせ」を伴う場合もあった。既に「枕草子」に出現している。
「かれゐ」「餉」であるが、歴史的仮名遣は「かれひ」である。原義は「乾飯(かれいひ)」の縮約で、旅などの際に携帯した炊いた米を乾燥させたもの(「ほしいひ」とも呼ぶ)であるが、ここは「食事」の意。
「玉のをのむすびとゞめん事も危し」「玉(魂)の緖の結び留めん事も危(あやふ)し」で、古来の神道の生命維持の祭りに基づき、「命を救うことさえも難しい」で、「死ぬ」の忌み言葉である。
「おさごのかた」「さごのかた」これは恐らく「御散供の方」「散供の方」であろう。神仏に参った際に供える米或いは祓(はらい)や清めのために米をまき散らす儀式があるが、その米のことを「さんご」(散供)、或いは「おさご」(御散供)と呼ぶからである。既にして、脇役の名が呪的システムの導入を予告しているのである。
「御そばぢかく」「ぢ」の濁点はママ。
「うかうかしう」しっかりした心構えが見えず、何かぼんやりとしている様態。或いは、心ここにあらずで浮き立ちがかって落ち着かぬさま。軽い見当識消失といった感じの病的状態に見えることを指している。民俗社会では物の怪による憑依状態や憑依されやすいプレ状態に当たる。
「いろに出〔いで〕て、物やおもふ、と」言わずもがな、「小倉百人一首」四十番の、平兼盛(?~正暦元(九九一)年)の一首(「拾遺和歌集」の「戀一」所収。六二二番)、
しのぶれど色に出(い)でにけりわが戀は
ものや思ふと人の問ふまで
に基づく。
「更行(ふけ〔ゆき〕)、かねに、あかぬ別(わかれ)の覺行(さめ〔ゆく〕空をなげく」「かねに」は当初「更け行き兼ねに」の意でとろうとしたが、どうも腑に落ちない。結局、暁を知らせる寺の「鐘に、倦(あ)かぬ別れの、覺め行く空を歎く」の意でとった。
「戀のやつこ」「戀の奴」であるが、認識を「恋の奴隷」と思い込んでいる若い人が多いので一言言っておくと、これは、思いのままにならぬ恋を擬人化した「恋という奴(やつ)め!」の謂いなしである。
「巫(かんなぎ)」神道や修験道の男性の巫術者・修験者。
に仰〔おほせ〕て、御祈(いのり)あるべし。」
「安倍の何がし」本朝最高のゴースト・バスターたる陰陽師安倍晴明(延喜二一(九二一)年~寛弘二(一〇〇五)年)。彼は五十歳頃に天文博士に任ぜられている。
「うらかた」「占方」。呪法の選択。
「來りぬ」と娘は答えているが、番をしていた男の発言や行動が示されない。挿絵を見るに、実は番の男たちには、少年の姿は見えていなかったという字背(というか絵背)の事実がここに示されていることを読み取らなくてはなるまい。
「いくとしふともしらぬ猫」「幾年、經(ふ)とも、知らぬ猫」。
「我、きく、もろこしに独の女、かゝるやまひある事、日比へたり。……」如何にも唐代の伝奇や、それ以降の有象無象に志怪小説などに普通に出てきそうな話であるが、天民という名で検索しても、出てこない。見つけたら、追記する。
「其肝(きも)を取〔とり〕て丹(たん/くすり)に揀合(ねりあはせ)、女にあたへ、のましむるに、こ心ち、淸靜(いさぎよ)く、何の子細もなかりけるとぞ」毒を持って毒を制すである。ここでもそれを援用するシーンを作ればよかったのにと思うのだが。
「劔(けん)」既出既注。]
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