北原白秋 邪宗門 正規表現版 「靑き花」パート・辞・靑き花
[やぶちゃん注:パート標題と石井柏亭の挿絵。]
靑 き 花
南紀旅行の紀念として、且はわが羅曼底
時代のあえかなる思出のために、この幼
き一章を過ぎし日の友にささぐ。
「四十年二、三兩月中作」
[やぶちゃん注:以上は、パート標題ページの裏(右ページ中央にごくポイント落ちで示されてある辞。底本ではクレジットとの間は辞の三行分ほどの行空けが施されてある。この「南紀旅行」というのは、年譜によれば、作詩された前年の明治三九(一九〇六)年十月に、與謝野鉄幹・吉井勇・茅野蕭々(明治一六(一八八三)年~昭和二一(一九四六)年:ドイツ文学者で歌人。長野生まれ。本名は儀太郎。東京帝大卒。「明星派」の新進歌人として注目され、『明星』廃刊後は白秋・啄木らと『スバル』に作品を発表した。後、三高・慶大・日本女子大の教授を務めた。著作に「ゲョエテ研究」・「独逸浪漫主義」が、訳書に「リルケ詩抄」などがある。私はカテゴリ「詩歌俳諧俳句」で彼のリルケの訳詩を幾つかランダムに電子化している)らとともに伊勢及び京都方面を歴遊しているので、その時のことを指しているものと推定される。
「羅曼底」恐らくは「ろまんちつく」(歴史的仮名遣)或いは、フランス語原音に近づけるならば、「ロマンテイク(ロマンティク)」と読んでいる。英語なら「romantic」であるが、ここはフランス語で「romantique」ととりたい。ここは、空想好きな、夢見がちな、「靑」くさい、若き日の放浪の「旅」の時代、ということになろうか。後に出る詩篇「羅曼底の瞳」では高い確率で「ロマンチツク」と読んでいる。
「過ぎし日の友」個人的には「天鵝絨のにほひ」の注で記した、白秋の親友で彼が愛し、自死して果てた中島鎭夫(なかじましずお(しづを) 明治一九(一八八六)年五月九日~明治三七(一九〇四)年二月十三日:ペン・ネームは白雨(はくう)。享年十九(満十七歳))を指しているものと私は読む。]
靑 き 花
そは暗(くら)きみどりの空に
むかし見し幻(まぼろし)なりき。
靑き花
かくてたづねて、
日も知らず、また、夜(よ)も知らず、
國あまた巡(めぐ)りありきし
そのかみの
われや、わかうど。
そののちも人とうまれて、
微妙(いみじ)くも奇(く)しき幻(まぼろし)
ゆめ、うつつ、
香(か)こそ忘れね、
かの靑き花をたづねて、
ああ、またもわれはあえかに
人(ひと)の世(よ)の
旅路(たびぢ)に迷ふ。
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