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2020/11/28

御伽比丘尼卷一 始動 / 序・志賀の隱家 付リ 尺八の叟

 

[やぶちゃん注:「御伽比丘尼」(おとぎびくに)の電子化注を始動する。本書は所謂、「西村本」の一つで、貞享四(一六八七)年二月に板行された怪奇談集である。筆者は西村嘯松子(板元主人である西村市郎右衛門のペン・ネーム。以下の「序」では清雲という尼僧が過去の行脚の際に見聞した話を高貴な夫人に語ったが、それを、その夫人の女房である「菅(すげ)のかた」なる女性が綴ったとしているが、無論、仮託である。太刀川清氏の論文「『諸国新百物語』と『御伽比丘尼』」(『長野県短期大学紀要』・一九七五年十二月・PDF)を参照されたい)。本書は後の元禄五(一六九二)年正月に「諸國新百物語」(こちらの筆者名は「洛下俳林子」)と改題され、百物語系の装いにされたものがよく知られ、現代語訳なども無料・有料でネットに馬糞のように転がっている。そもそもこの安易な改題板行は江戸時代には盛んに行われ、手数の掛からない(中身は殆んど変わらぬものも有意に多い)お手軽なリバイバル術で、この改題名は、延宝五(一六七七)年四月に刊行された、全五巻各巻二十話からなる、正味百話構成の真正の「百物語」怪談集である「諸國百物語」(リンク先はブログの独立カテゴリで二〇一六年に私が完遂した電子化注)のヒット後、雨後の筍のようにうじゃうじゃと登場した百物語を名打った怪談集の柳の下の数十匹目の泥鰌として跳ねたものに過ぎないのである(言っておくと、江戸期の百物語を名乗る怪談集でちゃんと百話で構成されている怪談集は実はその「諸國百物語」ただ一作のみで、他は百話に遙かに届かぬものばかりであることは覚えておかれるとよい)。しかし、原本の本家本元の「御伽比丘尼」は、真正の原本でありながら、「諸國新百物語」の陰に隠れて活字化されているものは少ない。

 底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの原版本の画像を用い、所持する西村本小説研究会編「西村本小説全集 下巻」(昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊)の「御伽比丘尼」をOCRで読み込んだものを加工用に用いた。また、不審な箇所は、所持する改題本の方の「諸國新百物語」(一九九三年国書刊行会刊叢書「江戸文庫」の「続百物語怪談集成」)を参考にもした。原本は崩し字で、正字か略字か迷った箇所は正字表記とした。原本はベタであるが、読みにくいので、濁点・句読点・記号等を独自に打ち(原本には「。」が打たれているが、現在なら読点とすべきところが多い)、また、シークエンスごとに改行して段落を成形した。一部の読みの中途半端なものや、読み間違えようがないものは、省略した。逆に必要と判断した部分には推定で、歴史的仮名遣で〔 〕で読みを添えた。踊り字「〱」は正字化するか、或いは「々」にした。読みで(△/◇)とあるのは、前が右に振られた読み、後が左に振られた読みを示す。

 挿絵であるが、いろいろと試みた結果、補正を加えて最もクリアーに見えるものとしては、「西村本小説全集 下巻」の添えられた画像写真がよいと判断したので(底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像は絵は綺麗なのだが、裏の写り込みが激しい)、それをトリミング補正(かなり清拭した)して使用した。

 なお、以下の「序」の後にある「目次」は最後に回す。【20201128日 藪野直史】]

 

   御伽比丘尼

 

御伽比丘尼序

此物がたりは、中比(ごろ)、山城(〔やま〕しろ)木幡(こばた)のさとに、淸雲(せいうん)といへる尼のいまそかりけり。氏姓(じしやう)、つたなからず。唐(もろこし)の書(ふみ)に心をすまして、みぬ世の人を友とし、大和歌(やまとうた)のふかき道をわけて、心ざまも、やさしかりし。しかはあれど、幼(いとけなき)より、ぼだひの心つよく、仏(ほとけ)の敎(をしへ)を學びて、夫(をつと)の家に、いらず。になき修行(すぎやう)の身となり、西海の浪にたゞよひて、つながぬ船のあだなる世をおもひ、南(みんなみ)の御山(み〔やま〕)のさがしきにたどりては、岸のひたひに、根をはなれたる草枕、覺行(さめ〔ゆく〕)夢の、ゆめなることをさとり、ある時は越路(こしぢ)の雲わけて、降(ふり)つむ雪の消(きえ)やすき人の身を觀(くはん)じ、是より、心の行〔ゆく〕に任せ、いたらぬさと、みぬ所もなく、靈寺・靈社・名所・古跡を尋(たづね)まうで、ひとつの所さだめず、五十(いそぢ)の比は、又、東(あづま)のかたにさそらひ、むさしの江戶の御榮(さかへ)、ながれの末もにごらず、淸きすみだ川のかた邊(ほとり)に、柴のとぼそをしめて、暫(しばし)の休(やすら)ひとし、ゐけり。其比、去(さる)やごとなきかたの御母(〔ご〕ぼ)公、淸雲尼の德を、ほのきかせ給ひ、めしよせられて、御法(みのり)の有(あり)がたきことなど聞召(きこしめし)けるつゐで、此尼、諸國にて見聞(けんもん)しける事、すぜうなるより始(はじめ)て、哀(あはれ)なる事、おかしき事、あるは、えんなるしな、又は、恠(あやし)く、妙(たへ)なるなど、ひとつひとつ、よりより、物がたりけるを、御そばちかき女房「菅(すげ)のかた」とやらん、かきとゞめ置〔おき〕て、獨(ひとり)、灯(ともしび)の下(もと)にひらき見れば、誠に雨の夜のつれづれを慰(なぐさむ)る、ひとつのよすがなめりとて、「御伽比丘尼」とは、彼(かの)女中のつけ給ひける題號なりしとかや。茲(こゝ)に書林某(それがし)乞(こひ)うけ、五(いつゝ)の卷(まき)をわかち、繪をなして、もつて世にひろむる事、しかり。

   貞享第四丁卯
    仲春の初の日
     洛下書肆
        西村嘯松子序

 

[やぶちゃん注:「山城木幡」原本は「こはた」と清音。現在の京都府宇治市木幡(こばた)附近(以下同じ)か。

「氏姓、つたなからず」氏・素性は明らかにはせぬが、決して下賤の者のそれではないという謂い。

「ぼだひ」ママ。「菩提」。

「になき」「二無き」で「比べるものがない・この上ない」の意。

「さがしき」「嶮しき」「險しき」。山が険阻であるさま。

「いたらぬさと」「到らぬ里」。

「つゐで」ママ。本書は全体に歴史的仮名遣の誤りが多いが、面倒なだけなので、以下では原則、示さない。悪しからず。

「すぜう」「素性」で「尼の生い立ち」から語り始めたものか。しかしその場合の歴史的仮名遣は「すじやう」である。「數條」だとしても、「すでう」で違う。後者ではあまり意味のある感じがしないから、前者で読む。

「えんなるしな」「艷なる品」。好色なる話柄。この辺りが私が尼の話を仮託とする所以である。

「妙なる」玄妙な。前の「恠く」とは並列であって、切るべきである。

「菅(すげ)のかた」不詳。「御母公」なる貴婦人付きの女房の名。

「獨、灯の下にひらき見れば」主格が一瞬、それを手に入れた現在の西本自身に転じているようにも見える書き方で、仮託とは言え、上手い手法である。]

 

 

  御伽比丘尼卷之一 

Siganokakurega

[やぶちゃん注:「西村本小説全集 下巻」のもの。尼の顔などが激しく汚損していたので、強力に清拭してある。底本の画像はこちら

 

  ㊀志賀の隱家(かくれが)付〔つけた〕リ尺八の叟(おきな) 

 江州志賀のさとは、往昔(そのかみ)、景行帝、大和の國纒向(まきむく)の珠城(たまき)の宮より此所にうつし給ひし舊都の跡にて、「さゞ波やしがの都はあれにしを」と讀(よみ)しも、此邊(あたり)の事なりしとかや。

 去(いん)じ年、修行(すぎやう)しける比(ころ)ほひ、此山もとに、柴のとぼそをしめて、世をかろくわたると見えし人あり。髮をかぶろにし、身には白き衣(ころも)をかけたり。實(まことに)異(こと)なるかたち、是なん「有髮(うはつ)の僧」といふべしや。

 方一間(けん)餘(よ)の庵室(あんじつ)に仏壇をかまへ、ゑざうの釋迦をかけて、松の、眞(しん)靑く、供(くう)じ、傍(かたへ)に。尺八二管、置(おけ)り。昔、長明がおり、琴・びわをならべし方丈も、かくや。

 庵(いほ)の外面(そとも)に出〔いで〕て、浦の名所、目の下に辛崎(からさき)の松・かたゞのうら・鹽津・海津・瀨田の橋、遠く詠(ながむ)れば、竹生嶋(ちくぶしま)も霞の内にたちこめて、いとたとく見ゆ。往來の旅船(りよせん)、「平㙒(ひらの)ねおろし」にさそはれ、よるべさだめぬさまげに、人の身の、うき世の浪にたゞよひ劔(けん)も、と思ひ合(あはす)るに、いとゞ常なき心出來(いでき)て、庵(いほ)の内をさし覗(のぞけ)ば、僧、尺八とりて、ね、とり、しめやかに吹(ふき)しらぶるに、あたりの鳥獸(てうじう)、翅(つばさ)をやすめ、手足(しゆそく)をつかねて聞〔きき〕ゐるさま、かゝる類(たぐい)さへ、かくあれば、身もやすく、心もすみて、彳(たゝずむ)に、此僧、尺八をやめて、

「ふしぎや、此調子に、人の音なひの聞へ侍るが、たれ人にや。」

と、いほの外(ほか)を見出したるに、やおら立〔たち〕よりて、

「是は、宮古(みやこ)がたの尼にて侍り。御僧の德を、ほの聞〔きき〕、法(のり)の道のめでたき事をも承はり候はんと、まうで侍〔はべら〕ふ。扨〔さて〕も、かくれたる御住居(すまゐ)有(あり)がたくこそ候へ。」

と、いへば、僧、打笑(えみ)、

「よく社(こそ)來り給へ。されば、人閑(〔ひと〕しづか)なる所に住(すみ)て、心をすますは、隱逸の至れるには、あらず。只、市中(しちう)に在〔あり〕ても、心動(うごか)ざれば、身も靜なり。此故に、

 世の中はあるに任せてあられけりあらんとすれはあられざりけり

遠きさと・深き山にかくれても、心かくれざれば、市中にもおとり侍らん。此心を、

 世を遁(のが)れ山にいる人山とてもなをうき時はいつちゆかまし

などゝも讀(よめ)り。されば、予(われ)、此尺八に心をすまして世の憂(うれへ)を忘(わす)る事とし、久し。こゝに天然の妙を得て、此調子に種々のきどくを見聞(みきく)事、あり。今、暫(しばし)、待給へ。」

と、尺八とり、吹出(ふきいだ)す中(うち)に、色鳥(いろどり)三羽、飛來(とび〔きた〕れり。

 此時、僧、尺八を止(やめ)て、

「今、此鳥の鳴(なく)音(ね)を聞〔きく〕に、喧(かまびすしき)聲、あり。何さま、餌(え)を諍(あらそふ)の事、あらん。見給へ。」

と言下(いふした)、忽(たちまち)、鳥が音(ね)、かしかましく、ひとつのこのみをうばひつゞき、狂(くるひ)あひけるが、自(おの)が羽(は)かぜにおどろき、いづこともなく、とびさりぬ。

 其跡に、大きなる猿、木ずゑに在〔あり〕て、叫(さけぶ)聲、腸(はらわた)をたつかと、物がなし。

 此時、僧、語(かたつ)て、

「世の人は、たゞ猿のなく音〔こえ〕と計〔ばかり〕ぞ聞(きゝ)給ふらめ。此さる、ひとつの子あり。雄猿(めざる)におくれて、又、後の雄猿(めざる)をもてり[やぶちゃん注:二箇所の読みはママ。漢字の方の雄(♂。「をざる」)でとる。]。此さる、始(はじめ)の子をにくむ事、甚しく、いがある栗をくらはしめ、忽(たちまち)咽(のんど)にたちて苦(くるし)む。かゝるちくるひだに、繼(まゝ)しき中のたくみは愧(をそろしき)事ぞかし。親猿、是を口說(くどき)、悲しみ、我に、『たすけよ』と、なげくに侍り、と、いひもあへぬに、此猿、ちいさき子を、肩にのせ來て、血なる淚をぞ、ながしゐける。僧、加持し呪念すれば、咽(のんど)の栗、飛出(とび〔いで〕)ぬ。時に、ふたつの猿、再拜(さいはい)して行〔ゆく〕がた、しらず。」

 僧の云〔いふ〕、

「かゝる事はめづらしくも侍らず。いで、都の客人(まろうど)に、おかしきわざして、見せ申さん。」

と、又、尺八をとり出〔いだし〕、春の調子を吹出〔ふきいだ〕せば、あたりの木ずえ、色めき、時ならぬ櫻花、藤山ぶきの色、深し。

「ふしぎや。」

と詠〔ながむ〕るに、夏の吟(ぎん)を吹〔ふき〕なせば、峯の櫻もちりしきて、靑葉の木々の茂みより、蟬の嗚音(なくね)も、いと凉し。

 秋の調子、物がなしく、庭の草葉の露ながら、虫のかれ聲、物淋しく、鹿笛(しかふえ)にはあらねども、鹿のもろ聲、ほのかにて、誰(たれ)か玉章(たまづさ)をかけて來し雁(かり)、南(みんなみ)に羽(は)をつらぬ。

 冬の吟にうつり行〔ゆけ〕ば、嵐(あらし)・凩(こがら)し、空、寒み、山邊は雪の白妙に、高炉峯(かうろはう)もかくやあらん、摧敗零落(さいはいれいらく)の時をかんじ、樹木(じゆぼく)、しぼみかれて、色をうしなひ、千草(せんさう/ちくさ)消(きへ)て、かたちなく、盛者必衰(じやうしやひつすい)のことはり、生死無常(しやうじむじやう)を一時にあらはし給ひしにぞ、いとゞ、すじやうに覺えける。

「さるにても、御名は。」

と尋(たづね)まいらするに、さだかにも答(こたへ)給はねば、やみぬ。

 かくて、日も、いたうたけて覺へければ、いとま申〔まうし〕て、都へ歸りぬ。

 此僧の德、なを、ゆかしく、此のち、彼(かの)所を尋〔たづぬ〕るに、はや、僧は、見えずなりき。

 いかなる人の、世を遁(のがれ)、住(すみ)給ひけんと、いと不審(〔い〕ぶかし)こそ覺へ侍れ。

 

[やぶちゃん注:まっこと、この猿の話は断腸の思いを惹起させる!

「江州志賀のさと」現在の滋賀県大津市木戸附近。

「景行帝」第十二代天皇。日本武尊(やまとたけるのみこと)の父。

「大和の國纒向(まきむく)の珠城(たまき)の宮」垂仁天皇が造営したのが「纒向珠城(たまき)の宮」で、景行天皇の時の名は「纒向日代(ひしろ)の宮」であったから、混同誤認がある。この中央附近にあった。景行天皇は晩年に近江国に行幸し、「志賀高穴穂宮(しがたかあなほのみや)」に滞在すること三年にして崩御したとも伝える。但し、「古事記」には景行天皇の近江行幸は記載がなく、志賀高穴穂宮は次代の成務天皇の都と記してある。

「さゞ波やしがの都はあれにしを」この上句で最も知られるのは、かの平忠度(ただのり)が都落ちの際に藤原俊成に託した次の一首、

   故鄕花といへる心をよみ侍(はべり)ける

 さざ浪や志賀の都は荒れにしを

       昔ながらの山櫻かな

で、「平家物語」(巻第七「忠度都落」)や「千載和歌集」(上記はそれ。巻第一の「春歌上」にあるが(六十六番)、「よみ人知らず」と伏せる)に載るが、実際には先行する「久安五年右衛門督家成歌合」(一一四八年)での藤原清輔の、

 さざ浪や志賀の都は荒れにしを

       まだ澄むものは秋の夜の月

がある。

「かぶろ」禿(はげ)頭をかく呼ぶが、「有髮(うはつ)の僧」と称しているから、本来は子供の髪形に用いるそれで、髪を短く切り揃えて垂らした髪型を言っている。

「方一間餘」一メートル八十二センチメートル強。

「ゑざう」「繪像」。

「眞(しん)靑く」正色の真青な。

「供(くう)じ」供え物として捧げ。

「長明がおり」鴨長明が存命であった時の。

「辛崎(からさき)の松」滋賀県大津市唐崎にあるが、琵琶湖に近い位置のように読め、挿絵も湖岸である。以下もそうだが、志賀からは孰れもとても見えるものではない。一種の琵琶湖歌枕の名数として並べた字面上の景観である。

「かたゞのうら」「堅田の浦」。滋賀県大津市堅田

「鹽津」滋賀県長浜市西浅井町塩津浜。琵琶湖の北の奥の東奥。

「海津」滋賀県高島市マキノ町海津海津。琵琶湖の北の奥の西奥。

「瀨田の橋」滋賀県大津市瀬田の宇治川に架かる「瀬田の唐橋」

「竹生嶋」琵琶湖北の湖上にある竹生島(滋賀県長浜市早崎町)。地図上で見るに、志賀からは物理的に見えない。

「平㙒ねおろし」不詳。ただ、滋賀県の比良山地東麓に吹く局地風は古来、「比良颪(ひらおろし)」と呼ばれる。特に毎年三月末に行われる天台宗の行事「比良八講」の前後に吹くものを「比良八講」「荒れじまい」「比良八荒(ひらはっこう)」と呼び、本格的な春の訪れを告げる風とされている。それを指しているか。作品内時制も春らしいので、それととってよいだろう。或いは「比良(ひら)の峯(み)颪(おろし)」を、かく書いてしまったものか。

「劔(けん)」単なる過去推量の「けむ」。草書崩しが続いて見た目の張りがなくなるのを避けただけのことのように思われる。明らかに本当の筆者が男性ならではの仕儀である。

「宮古(みやこ)がた」「都方」。

「ほの聞」「仄(ほの)聞き」。

「世の中はあるに任せてあられけりあらんとすれはあられざりけり」歌は全てそのままに引いてある。整序すると、

 世の中はあるに任せてあられけり

    あらんとすればあられざりけり

この道歌は、「沙石集」の作者として知られる鎌倉後期の無住一圓(嘉禄二(一二二七)年~正和元(一三一二)年の一首であるらしい。宇都宮頼綱の妻の甥で、臨済僧とされることが多いが、当時は八宗兼学で、真言宗や律宗とする説もある。出典不詳であるが、個人サイト「江戸期版本を読む」の「道歌心の策 8 無住一円 世の中は」を見るに、江戸期には彼の作として認識されていたことが判る。

「世を遁(のが)れ山にいる人山とてもなをうき時はいつちゆかまし」凡河内躬恒の一首を弄(いじ)ったもの。原歌は「古今和歌集」の巻第十八の「雜歌下」(九五六番)に所収する。正しくは、

   山の法師のもとへ、遣しける

 世をすてて山に入る人(ひと)山とても

    猶(なほ)うき時はいづちゆくらむ

である。

「ちくるひ」「畜類(ちくるゐ)」。畜生の類い。

「繼(まゝ)しき」血が繋がっていない。義理の関係の。

「たくみ」「巧み」。悪巧み、虐待のこと。

「親猿、是を口說(くどき)、悲しみ、我に、『たすけよ』と、なげくに侍り」この遁世僧は動物の言葉が判るのである。

「誰か玉章(たまづさ)をかけて來し雁(かり)」「玉章(たまづさ)」は手紙。蘇武の故事にある「雁書」に掛けた、謂わば、序詞的用法である。

「高炉峯」「香爐峯」(かうろほう)の誤り。中国江西省北端にある廬山の一峰。形が香炉に似る。「枕草子」でとみに有名な白居易の「香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁(香爐峰下、新たに山居を卜(ぼく)し草堂初めて成り、偶々(たまたま)東壁に題す)」其三で知られるそれ。

「摧敗零落」砕け破れ、衰えて枯れ落ちる。「零」は「草が枯れる」、「落」は「落葉すること」を指す。

「いとゞ、すじやうに覺えける」「すじやう」は「素性」で、家柄・來歷の意。「これはもう、かなり相応の家柄を出自とされる方とお見受けした」というのである。

「不審(〔い〕ぶかし)」底本では「ふかし」とルビする。]

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