北原白秋 邪宗門 正規表現版 ひらめき
ひらめき
十月(じふぐわつ)のとある夜(よ)の空。
北國(ほつこく)の郊野(かうや)の林檎
實(み)は赤く梢(こずゑ)にのこれ、
はや、里の果物採(くだものとり)は
影絕えぬ、遠く灯(ひ)つけて
ただ軋(きし)る耕作(かうさく)ぐるま。
欝憂(うついう)に海は鈍(にば)みて
闇澹(あんたん)と氷雨(ひさめ)やすらし。
灰濁(はひだ)める暮雲(ぼうん)のかなた
血紅(けつこう)の火花(ひばな)ひらめき
燦(さん)として音(おと)なく消えぬ。
沈痛(ちんつう)の呻吟(うめき)この時、
闇重き夜色(やしよく)のなかに
蓬髮(ほうはつ)の男蹌踉(よろめ)き
落淚(らくるゐ)す、蒼白(あをじろ)き頰(ほ)に。
三十九年八月