北原白秋 邪宗門 正規表現版 凋落
凋 落
寂光土(じやくくわうど)、はたや、墳塋(おくつき)、
夕暮(ゆふぐれ)の古き牧場(まきば)は
なごやかに光黃ばみて
うつらちる楡(にれ)の落葉(らくえふ)、
そこ、かしこ。――暮秋(ぼしう)の大日(おほひ)
あかあかと海に沈めば、
凋落(てうらく)の市(いち)に鐘鳴り、
絡繹(らくえき)と寺門(じもん)をいづる
老若(らうにやく)の力(ちから)なき顏、
あるはみな靑き旗垂れ
灰濁(はひだ)める水路(すゐろ)の靄に
寂寞(じやくまく)と繫(かか)る猪木舟(ちよきぶね)、
店々の裝飾(かざり)まばらに、
甃石(いしだたみ)ちらほら軋る
空(から)ぐるま、寒き石橋。――
鈍(にぶ)き眼(め)に頭(かしら)もたげて
黃牛(あめうし)よ、汝(な)はなにおもふ。
三十九年八月
[やぶちゃん注:「絡繹(らくえき)と」人馬の往来などが、絶え間なく続くさま。
「猪木舟(ちよきぶね)」現代仮名遣「ちょきぶね」の「ちょき」は「猪牙」と書くのが一般的。舳先が細長く尖って、猪の牙のように見える、屋根無しの小さな舟の名称。主に江戸市中の河川で盛んに使われたが、浅草山谷(さんや)にあった吉原遊廓に通う遊客が、これをよく使ったため、「山谷舟」とも呼ばれた。長さが約三十尺(九・〇九メートル)、幅四尺六寸(一・三九メートル)と細長く、また、船底を絞ってあるため、左右に揺れやすい欠点があるが、逆に櫓で漕ぐ際の推進力が十分に発揮され、速度が速く、狭い河川でも動き易く、特に小回りが利いた。参考にしたウィキの「猪牙舟」によれば、『語源は、明暦年間に押送船の船頭・長吉が考案した「長吉船」という名前に、形が猪の牙に似ていることとをかけて猪牙と書くようになったという説』『と、小早いことをチョロ・チョキということからつけられたとする説』の二つがある、とある。
「黃牛(あめうし)」「あめうじ」とも呼んだ。飴色或いは黄色の毛色の牛で、古くは神聖にして立派な牛として貴ばれたというのが辞書的解説であるが、飴色の「あめ」とは「雨」で、大陸では雨乞いの際、天空の神に神聖な黄色の牛を生贄として捧げたことに由来するようである。]