北原白秋 邪宗門 正規表現版 晝
晝
蜜柑船(みかんぶね)凪(なぎ)にうかびて
壁白き濱のかなたは
あたたかに物賣る聲す。
波もなき港の眞晝(まひる)、
白銀(しろがね)の挿櫛(さしぐし)撓(たは)み
いま遠く二つら三つら
水の上(へ)をすべると見つれ。
波もなき港の眞晝、
また近く、二つら三つら
飛(とび)の魚すべりて安(やす)し。
[やぶちゃん注:「飛(とび)の魚」「波もなき港の眞晝(まひる)」に「白銀(しろがね)の插櫛(さしぐし)」を「撓(たは)」ませて、「いま」、「遠く二つら」、「三つら」、「水の上(へ)をすべると見」た。また、「波もなき港の眞晝」に「また近く、二つら」、「三つら」、「飛(とび)の魚」が「すべりて安(やす)し」(如何にも気持ちよさそうに飛ぶ)というのである。大方の読者はこれを文字通りの「飛び魚」「とびうを」(本邦産代表種であり、南紀に分布する条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目ダツ目トビウオ科ハマトビウオ属トビウオ Cypselurus agoo agoo を挙げておく)として読むと思う。確かに紀州では本種を「とびのうを」と呼んでいることが、宇井縫藏著「紀州魚譜」(昭和七(一九三二)年淀屋書店出版部・近代文芸社刊)のトビウオの項標題に添えて「トビノウヲ」とあることからも、トビウオを「飛(とび)の魚」と呼ぶことに異論はない。しかし私は、「波もないすっかり凪いだ港から、十月(明治三九(一九〇六)年)という時期に、トビウオが港の近くや相対的に少し離れた近位置(そこも凪いでいるのでなくてはとても現認は出来ない)、あちこちで胸鰭を撓ませて何匹も飛ぶだろうか?」という強い疑問を持つ。そもそもが、トビウオ全体が沖合・外洋(遠洋)性の魚類である。飛翔にはエネルギを使うので、主に何らかの天敵その他からの逃走手段として飛ぶのであって、年柄年中、飛んでいるわけではない。宇井氏も述べておられるが、確かに沿岸に寄って来る時期はある。しかしそれは、初夏の産卵期である。また、トビウオは別名を「春飛び」とも呼び、春告魚とされるのだが、この南紀旅行とトビウオは時期の附合が甚だ悪いのである。「じゃあ、何だ?」と言われるだろう。私は一読、直ちに思い浮かべた映像は、ボラ目ボラ科ボラ属ボラ Mugil cephalus の群れのジャンプである。彼らはしばしば、海面上にジャンプし、時には体長の二倍から三倍もの高さまで跳躍する(ウィキの「ボラ」によれば、『跳びあがる理由は周囲の物の動きや音に驚いたり、水中の酸素欠乏やジャンプの衝撃で寄生虫を落とすためなど諸説あるが、まだ解明には至っていない』とある)。ボラは体側から腹側が銀白色で、ジャンプすると非常に目立ち(それを「白銀(しろがね)の挿櫛(さしぐし)撓(たは)み」と形容したとしても、私は、はなはだ腑に落ちる) 、大型(最大八十センチメートル(「トド」と呼ぶ)で標準成体は五十センチメートル前後)個体の場合は正直、吃驚するほどである。時にジャンプを数匹で何度も行うこともある。私は南の海沿いで暮らしたことがないから、トビウオの飛翔を実際に見たことは一度もない。しかし、ボラのジャンピングは六年間いた富山県高岡市伏木の港内で、何度も見た。ただ、白秋の詩語の内、「白銀(しろがね)の插櫛(さしぐし)撓(たは)み」という部分は、ボラの体側下部の輝きよりも、トビウオの開いた胸鰭に相応しい、詩語から現実にフィード・バックさせる点ではトビウオに軍配が挙がるとは思う(トビウオはまた南洋的な本詩集の持つ異国情緒幻想にも適合はする)。さても、これが間違いなくトビウオであるという断定は、南紀の現地の人にしか判らぬ。識者の御教授を乞うものである。]