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2020/11/01

堀内元鎧 信濃奇談 卷の上 狐の玉

 

 狐の玉

 我藩士に岡田の某〔なにがし〕といふ人あり。秋の末つかた、網もて、三峯川の邊りを行〔ゆき〕けるに、白き狐の、あこがれて、右に左に飛〔とび〕て戲るるを見て、ためらひ寄〔より〕て、網、打懸〔うちか〕ければ、おどろき、あはてゝ逃失〔にげう〕せぬ。跡を見れば、光ある玉〔たま〕あり。拾ひ取〔とり〕て見れば、白き毛もて、作れるやうの、玉なり。今に、その家にひめ置〔おき〕ぬ。

 「五雜俎」には、蜘珠(くも)、蜈蚣(むかで)、蛇(へび)の類〔たぐひ〕にも玉ある事をいへり。また、吉田氏にも「狐の玉」あり。その玉を得しやうは岡田氏と同じ。猶、他州にも是に類〔るゐ〕する事あり、と聞〔きき〕ぬ。

 

Kitunenotama

 

[やぶちゃん注:上に示したものは底本の挿絵。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の版本の画像HTML)も示しておく。さても、これは何か? 真っ先に想起したのは、「ケサランパサラン」である。知らない方は、ごく簡単にはウィキの「ケサランパサラン」がよかろう。一般的に知られた多くのケースでは植物(タンポポやガマ)の冠毛の塊りか、或いは動物の抜け毛が鞠状になった軽い毛玉で、この挿絵ともそれらはよく一致すると言える。但し、かなり有力な別説に動物の体内に発生した奇形異物(猫が自身の毛を嘗めて食い、生じたところの毛玉も含む)とする考え方がある。本話では、驚いて狐が逃げ去った後にあったというところで、狐の体内から出た可能性で親和性がある。実は、私はケサランパサラン・フリークで、今までに、何度か、膨大な注を附しており、ここでそれを繰り返す気にはならない(また注が膨大になってしまう)。古い記載から並べると、

「耳 卷之四 牛の玉の事」

「耳囊 卷之九 蜘蛛の怪の事」

「想山著聞奇集 卷の壹 毛の降たる事」

「和漢三才圖會卷第三十七 畜類 鮓荅(へいさらばさら・へいたらばさら) (獣類の体内の結石)」

で、これらを総て読めば、あなたもケサランパサランのプロフェッショナルになれると言えるぐらいの自信はある。

「我藩」高遠藩。信濃国(南信地方)伊那郡高遠(現在の長野県伊那市高遠)を領した。本書執筆当時は第七代藩主で高遠藩内藤家第十二代内藤頼寧(よりやす 寛政一二(一八〇〇)年~文久二(一八六二)年)。元恒を流謫・蟄居させたのも、この藩主であるが、ウィキの「内藤頼寧」によれば、『博学多彩で』、『書画や謡曲・能楽・茶道に通じていた』。『藩政では、産物会所設置による産業奨励、学問の奨励、新田開発計画、藩直営の桑園経営などに手腕を発揮して藩政改革を進める。しかし百姓一揆が発生するなど、藩政は不安定であった。幕末期に政情が不安定になると、頼寧は幕府に日米関係に関する上申書を提出し』、『また』、『松平慶永や島津斉彬、藤堂家など多数の大名との交際もあった。日本の軍備の遅れを痛感し、江川英龍らの助けを得て』、『藩の軍備を西洋式に改めて領内で訓練もした。他にも文人や武人を多く招聘して藩の文武の発展に寄与した』。『自らは魚釣りが趣味で、深川の下屋敷の池に海水を注入して多くの魚類を育てて楽しみ、親交の深い諸大名も自らの屋敷に魚を放って来訪を待った。だが』、『頼寧より権力のある大名の来訪する際には事前に魚に餌をやり、魚がかからないようにしていたというエピソードも伝わる』。天保一二(一八四一)年七月十二日、『若年寄を辞任』し、安政六(一八五九)年に『隠居し、七男・頼直に家督を譲』った。『多くの才能や学識を持った名君と伝わる』とある。

「岡田の某」不詳。

「三峯川」前話に出た入野谷地区を南北に走る三峰川(グーグル・マップ・データ)。

「ためらひ寄て」奇妙な言葉遣いである。やや躊躇しながらも、戻り寄って、の意であろう。

「五雜俎」書誌は前話の私の注を参照されたい。以下は、巻十二の「物部四」の以下。

   *

龍珠在頷、鮫珠在皮、蛇珠在口、鱉珠在足、魚珠在目、蚌珠在腹。又蜘蛛・蜈蚣、極大者、皆有珠、故多爲雷震者、龍取其珠也。幾珠、龍爲上、蚌次之。今海南所出者、皆蚌珠也。海中諸物、蜃・蛤・蜆・蠣之屬、皆有珠、但不恆有耳。萬歷初、吾郡連江人剖蛤得珠、不識也。烹之、珠在釜中跳躍不定、火光燭天。鄰里驚而救之、問知其故、啓視已半枯矣、徑一寸許。此眞夜光明月之質也、而厄於俗子、悲夫。

   *

さても「ケサランパサラン」体内奇形異物説を否定する人はこれらを説明出来まいよ。

「蜘珠」「耳囊 卷之九 蜘蛛の怪の事」の私の注を見られよ。これはクモ類の幼虫や一部の成虫が糸を使って空を飛ぶ「Ballooning」(バルーニング)を言っている可能性が高い。

「蜈蚣」これは恐らく発光するムカデのことを指していよう。節足動物門多足亜門ムカデ上綱唇脚(ムカデ)綱ジムカデ目 Geophilomorpha とオオムカデ目オオムカデ科オオムカデ属 Scolopendra オオムカデ の中に発光する種がいる。体内に発光バクテリアを共生させている種や、発光液を体表から放出したり、滲ませて光る種がいるようである。

「蛇」これは思うに、龍の仲間ということからの連想であろう。

「吉田氏」不詳。

「他州にも是に類する事ありと聞ぬ」ケサランパサランに国境は、ない。いや、UFOが発生させたという「エンゼル・ヘア」(angel hair)なんて宇宙人由来説の事件もある。もっともよく知られたそれは、一九五二年十月に南フランスのオロロン=サント=マリー(Oloron-Sainte-Marie)で起こった。円盤を伴った円筒形の飛行物体が飛来し、雲一つない空から、不思議な繊維状の髪の毛のような白い物質を発生させ、それらが地上に降った。しかし、暫くすると、それは蒸発して消えてしまったというのである。私は昔、UFOの研究もしていたのだった。]

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