北原白秋 邪宗門 正規表現版 懶き島
懶 き 島
明けぬれどものうし。温(ぬる)き土(つち)の香を
軟風(なよかぜ)ゆたにただ懈(たゆ)く搖(ゆ)り吹くなべに、
あかがねの淫(たはれ)の夢ゆのろのろと
寢恍(ねほ)れて醒(さ)むるさざめ言(ごと)、起(た)つもものうし。
眺むれどものうし、のぼる日のかげも、
大海原(おほうなばら)の空燃(も)えて、今日(けふ)も緩(ゆる)ゆる
縱(たて)にのみ湧(わ)くなる雲の火のはしら
重(おも)げに色もかはらねば見るもものうし。
行きぬれどものうし、波ののたくりも、
懈(たゆ)たき砂もわが惱(なやみ)ものうければぞ、
信天翁(あはうどり)もそろもそろの吐息(といき)して
終日(ひねもす)うたふ挽歌(もがりうた)きくもものうし。
寢(ね)そべれどものうし、圓(まろ)に屯(たむろ)して
正覺坊(しやうがくばう)の痴(しれ)ごこち、日を嗅(か)ぎながら
女らとなすこともなきたはれごと、
かくて抱けど、飽(あ)きぬれば吸ふもものうし。
貪(むさぼ)れどものうし、椰子(やし)の實(み)の酒も、
あか裸(はだか)なる身の倦(た)るさ、酌(く)めども、あはれ、
懶怠(をこたり)の心の欲(よく)のものうげさ。
遠雷(とほいかづち)のとどろきも晝はものうし。
暮れぬれどものうし、甘き髮の香(か)も、
益(えう)なし、あるは木を擦(す)りて火ともすわざも。
空腹(ひだるげ)の心は暗(くら)きあなぐらに
蝮(はみ)のうねりのにほひなし、入れどものうし。
ああ、なべてものうし、夜(よる)はくらやみの
濁れる空に、熟(う)みつはり落つる實のごと
流星(すばるぼし)血を引き消ゆるなやましさ。
一人(ひとり)ならねど、とろにとろ、寢(ね)れどものうし。
四十年十二月
[やぶちゃん注:「正覺坊(しやうがくばう)」「大酒呑み」を言う隠語。カメ目ウミガメ科アオウミガメ亜科アオウミガメ属アオウミガメ Chelonia mydas の異名でもあり、俗に「靑海龜」は、酒が好きで、与えると、多いに飲むことから出るなどと言われるが、元は酒好きの破戒僧を揶揄する語から転じたもののように思われる。
「益(えう)」この読みは当て字。「益」には「エキ・ヤク」しかない。類似語意を持つ「要」の字音の歴史的仮名遣「エウ」を当てたものであろう。
「流星(すばるぼし)」小学館「日本国語大辞典」は「すばるぼし」に昴(すばる)、則ち、プレアデス星団と同義として、まさに本詩篇のこの詩句を使用例として引いているが、この用例指示は誤りである。「濁れる空に」「血を引き消ゆるなやましさ」を持つ「流星」であるからには、これは固定した星群ではなく、流れ星であることは明白である。「すばる」は「集まって一つになる」の意の「統ばる」の意で、「星団」の意として腑に落ちるが、白秋はその派生語である「統べる」(多くの物を一つに纏める)の「すべる」を「滑・辷(すべ)る」の意に恣意的に転訛して使用したものと私は採る。プレアデス星団を貫く流星などという牽強付会(空は濁っているのだ)には私は、到底、組み出来ない。 ]