御伽比丘尼卷二 ㊁祈に誠あり福神 付リ 心の白鼠
㊁祈(いのる)に誠(まこと)あり福神付リ心の白鼠(しろねづみ)
かしう[やぶちゃん注:「加州」。加賀。]の金澤の邊(ほとり)に、甚六郞といふ商人あり。天性(てんしやう/むまれつき)、遊興に長じ、酒にふけりて、しかも、色の道、ふかし。かくあれば、家、貧くて、朝夕のけぶり、たえだえに、軒は葎(むぐら)に、雨もれとてや、あばらなるさま、實(げに)幽(かすか)なる世わたらひなりかし。されど、福(さいわひ)を祈(いのる)心ふかく、大黑天を勸請し、いつも、きのへ子[やぶちゃん注:「甲子(きのえね)」。]の日は、供物(ぐもつ)うずたかく、燈明をかゝげなぢ、誠におごそかなりけり。
ある月、又、きのへ子にあたりて、例(れい)のごとく、燈(ともし)かゝげて、一心に祈念するに、いづこともなく、白き鼠の大きなるが、忽然と顯れ出〔いで〕て、供物を食する。
亭主、是を見るより、
「有がたや。我、とし比〔ごろ〕日ごろ、念ずるの誠(まこと)、通じて、ふく神のかみのつかはしめ、今、爰〔ここ〕に、來現(らいげん)し給へり。」
など、よろこびあひて、其あけの日は、したしき友どち、よびあつめ、此事をかたり、ことぶきをなし[やぶちゃん注:祝いを催し。]、日くるゝ迄、酒のえんを、かさぬ。友どちの云〔いはく〕、
「げに。めでたき瑞(ずい)に侍り。されば、其白鼠とやらむは、名のみ聞〔きき〕て、未〔いまだ〕見たる事、なし。且は、物がたりのたねにも侍れば、こよひ、祈(いのり)て、一目、見せ給へ。」[やぶちゃん注:底本は「物がたりのたねにも侍れば」の後が一丁分丸々欠けている。他に見る画像がないので、仕方なく、以下は私が恣意的に、所持する西村本小説研究会編「西村本小説全集 下巻」(昭和六〇(一九八五)年勉誠社刊)の「御伽比丘尼」のそれを、概ね正字化して(ここまでの原本視認で正字でなかったものは略字とした)示したことをお断りしておく。]
など、いひあへるに、亭主、うけあひ、其夜、又、燈明をかゝげ、各(おのおの)集りうづくまりゐるに、案のごとく、白き鼠、出〔いで〕きたれり。
人々、見るより、
「あつ。」
と、いふて、立〔たち〕さはぐに、驚(おどろき)、此鼠、逃歸(にげ〔かへ〕)るを見れば、常の黑き鼠と成〔なり〕て失(うせ)ぬ。
各(おのおの)、怪(あやしみ)、鼠の逃し跡を見るに、うどんの粉(こ)、みちみちて、ありけり。
其かよひける壁のあなをもとめけるに、其となりに、めんるひを商(あきなふ)家(いへ)あり。此うどんの粉の中に、かくれ住(すみ)しが、すぐに、此所〔ここ〕へ來れるゆへ「白鼠」とは見えけり。
人々の、立さはぎけるに、驚(おどろき)、あはたゞしくかけりて、逃〔にげ〕かへりけるにぞ。
うどんのこは、落(おち)て、もとの鼠となれるにてありし、といふほどこそ、あれ。
大笑になりて、みなみな、別れ歸りけり。
亭主は、さしも賴もしく思ひしことの、化(あだ)になり行〔ゆき〕ければ、いと心うき事に思ひ、大黑神にむかひて、なくなく、恨(うらみ)申〔まうし〕けるは、
「我、此とし比、たうとひ[やぶちゃん注:ママ。]祈るかひもなく、などや、かく、貧(まづしき)身のほどを、守らせ給はぬ、つれなさよ。」
など、打〔うち〕なげき、まどろみけるに、大黑神、亭主の枕もとにたゝせ給ひ、いとけだかき御聲(〔おん〕こゑ)にて、
「誠(まこと)に。祈る所、あわれにも、不便にはおもへど、前世(ぜんぜ)の戒業(かいげう)、つたなふして、さいわひすべき物、更に、なし。たまたま神力を以〔もつて〕あたふれども、遊興にのみ、ふけりて、金銀の集れる期(ご)をしらず。されば、「長者敎(ちやうじやきやう)」に、
よき事のいつもあるとは思ふなよ
夏のあつきに冬の寒けさ
とよみし此心にて弁(わきま)へしるべし。又、いにしへの聖(ひぢり)の書にも、「寶(たから)さかりて、人ものは、又。さかりて出〔いづ〕」とも、かけり。此故に宵の鼠のうどんのこにまもれ[やぶちゃん注:ママ。]出〔いで〕たるも、汝(なんぢ)に富貴の道おしへむ方便にて、ありき。猶、鼠のかよひける跡を見よ。ふしぎ有〔ある〕べし。」
と、あらたなる告(つげ)、在〔あり〕て、夢、さめぬ。
夜明〔よあけ〕て、敎のごとく、みるに、うどんのこ、滿々(みちみち)て、鼠の足跡とみえしは、文字の形(かたち)也。
是をよむに、
祈ばぞかゝるしめしに大麥の
身を粉になしてかせげよの中
と、あり。
亭主、是より、改めて、遊興をとゞめ、一向(ひたすら)、賣買の業(わざ)をなしけるが、ほどなく富貴(ふうき)の家となりけるとぞ。
「人は神の德によつて運をそふ」といひしは、誠なる哉。
[やぶちゃん注:「長者敎」作者不明の仮名草子。寛永四(一六二七)年刊。一巻。小型の本で、巻末に「右しゃほんのごとく開板」とあるので、前に写本があったものと思われる。江戸初期の町人の興隆に合わせて、金持ちになる教訓を説いたもの。鎌田屋・那波(なば)屋・泉屋という三人の富豪を、賢い少年が訪ねて来たり、金持ちになる秘訣を聞く、という形式で、節約・才覚・家職を大切にせよ、というのが共通の教訓である(平凡社「世界大百科事典」に拠る)。]