山中笑「本邦に於ける動物崇拜」(南方熊楠の「本邦に於ける動物崇拜」の執筆動機となった論文)
[やぶちゃん注:本作は『東京人類学会雑誌』(二百八十八号二一六ページから二二九ページ)に論文パートではなくして『雜錄』とするパートに発表された。これが南方熊楠の興味を惹き、現在、私がブログ・カテゴリ「南方熊楠」で電子化注を進行中の熊楠版「本邦に於ける動物崇拝」が書かれる元となった論考である。筆者山中笑(えむ 嘉永三(一八五〇)年~昭和三(一九二八)年)は改名後の本名で、ペンネームは山中共古。牧師で民俗学者・考古学者。幕臣の子として生まれ、御家人として江戸城に出仕し、十五歳で皇女和宮の広敷添番に任ぜられた。維新後は徳川家に従って静岡に移り、静岡藩英学校教授となるが、明治七(一九七四)年に宣教師マクドナルドの洗礼を受けてメソジスト派に入信、同十一年には日本メソジスト教職試補となって伝道活動を始めて静岡に講義所(後に静岡教会)を設立、帰国中のマクドナルドの代理を務めた。明治一四(一九八一)年には東洋英和学校神学科を卒業、以後、浜松・東京(下谷)・山梨・静岡の各教会の牧師を歴任したが、教派内の軋轢が遠因で牧師を辞した。その後、大正八(一九一九)年から青山学院の図書館に勤務、館長に就任した。その傍ら、独自に考古学・民俗学の研究を進め、各地の習俗や民俗資料・古器古物などを収集、民俗学者の柳田國男とも書簡を交わしてその学問に大きな影響を与えるなど、日本の考古学・民俗学の草分け的存在として知られる。江戸時代の文学や風俗にも精通した(以上は日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」に拠った)。
底本は、「j-stage」にある原雑誌画像抜粋(当該論考全文が載る)の「本邦における動物崇拜」(PDF)で視認した。
南方熊楠の「本邦に於ける動物崇拜」は本論文に喚起されただけでなく、それを補足し、補填する内容をも持っており、篇中で、本山中の「本邦に於ける動物崇拜」を指示注している箇所があるため、急遽、電子化することとした。そのような背景から、急に必要性が出てきたものなので、今回は私の注はなし(ごく一部の読者が戸惑う部分にのみ短く添えた)で電子化する。後に落ち着いたら、注を添える予定である。但し、本文には読点が一切なく、句点も少なく、やや読み難いので、禁欲的に句読点を打った。「こと」の約物は正字に直した。【2020年12月1日 藪野直史】]
○本邦に於ける動物崇拜
山 中 笑
何れの民族も、其幼稚宗敎として、動物崇拜の思想を有せざるはな、く宗敎進化の順序、此如き信念を生ぜしこは免がれざることなるが、予が記せんとするは、一般の動物崇拜にあらずして、本邦に於ける、現時、動物崇拜に就て、動物の如何なる種類が崇拜さるゝか、又は、宗敎的信念を以て取扱れてあるか、又、何んに因て、此の如き信念を生ぜしやを記し、諸氏の敎示を乞ふこととす。
崇拜さるゝ動物の種類
哺乳類
獅子 虎
象 馬
牛 兎
鹿 犬
狼 狐
狸 猪
猫 鼠
猿 貘
白澤(ハクダク) 雷獸
虁 水虎
以上二十種、其中、十五は實在、五は想像上のものなり。
[やぶちゃん注:「貘」(ばく)は本邦では、専ら、悪夢を食って呉れるとされる、中国起原(性質が本邦とは異なる)の仮想幻獣。「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 貘(ばく) (マレーバク・ジャイアントパンダその他をモデルとした仮想獣)」を参照されたい。
「白澤(ハクダク)」人語を解し、万物に精通するとされる中国の仮想聖獣であるが、「はくたく」と濁らない方が通常の読み。私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 白澤(はくたく) (仮想聖獣)」を参照されたい。
「雷獸」落雷とともに地上へ落ちて来て、人畜を殺傷したり、樹木を引き裂いたりするとされた想像上の動物で、基本的には本邦産の幻獣。中国のそれは、一種の雷撃の激烈印象から平行進化した産物であって、本邦のそれの起原とは私は思わない。私の電子化では多数の記載があるが、今は急ぐので、一つだけ、「耳囊 卷之六 市中へ出し奇獸の事」をリンクさせておく。
「虁」(き)は中国神話上の龍の一種、或いは、牛に似たような一本足の妖獣、或いは妖怪の名。詳しくは私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 犛牛(らいぎう) (ヤク)」の「犩牛(き〔ぎう〕)」の注の引用を読まれたい。
「水虎」(すいこ)で河童の異名。私の「柴田宵曲 妖異博物館 河童の藥」の注に引いた山崎美成の随筆「三養雜記」などを参照されたい。なお、私は河童は、基本、本邦独自の仮想幻獣と認識している。]
鳥類
鴉 鷄
鳩 鷲
鴻 雷鳥
白鳥 鷽
姑獲鳥(ウブメ) 鴟鵂
鷺 鵜
以上十二、其中、姑獲鳥は想像上の鳥。此等の鳥は鳴聲又は其擧動によりて人事の吉凶を豫知するものと信ぜらる。
[やぶちゃん注:「鴻」(こう)は大型の水鳥、特に種としてはオオヒシクイ或いはオオハクチョウを指すことが多いが、後で山中が指すそれはコウノトリである。私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鴻(ひしくひ)〔ヒシクイ・サカツラガン〕」を参照されたい。
「鷽」「うそ」と読む。種としてのウソ。「和漢三才圖會第四十三 林禽類 鸒(うそどり) (鷽・ウソ)」を参照されたい。
「姑獲鳥(ウブメ)」:妖怪にして妖鳥の「姑獲鳥(うぶめ)」で「産女」「憂婦女鳥」等とも表記する。但し、鳥形象のそれは極めて少なく、概ね、下半身が血だらけの赤子を連れた人形(ひとがた)の妖怪であることが多い。私のブログ記事では「怪奇談集」を中心に十数種の話を電子化している、最も馴染み深く、産婦の死して亡霊・妖怪となるという点で個人的には非常に哀れな印象を惹起させる話柄が多いように感ずる。私の「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 姑獲鳥(うぶめ) (オオミズナギドリ?/私の独断モデル種比定)」も参考にされたい。
「鴟鵂」「みみづく」と読む。種群としてのミミヅク類。「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鴟鵂(みみづく) (フクロウ科の「みみづく」類)」を参照されたい。]
匐匍類
龍 蛇
[やぶちゃん注:「匍匐」(ほふく)「類」ではなく「匐匍」(ふくほ)「類」となっているので注意。或いは、ただの誤植かも知れぬ。]
魚類
鯉 鯛
鯖 白鰻
鯰魚 鰶(コノシロ)
虎魚(オコゼ)
[やぶちゃん注:「白鰻」(ウナギ類のアルビノ)を挙げるなら、同じアルビノの白蛇のように各地で神使に引き上げられている他の類も立項しなくては嘘になるので、今一つ、しっくりこない。鰻は通常の鰻を食べることがない集落で鰻を祀っているのを知っている。されば、この「白」は除去すべきであろう。]
以上七種の魚類に加ふべきは、
章魚(タコ) 蟹
田螺(タニシ)
虫類
蟻 蠶
蝶 蜈蚣
如何に此等の動物が崇拜されてあるか。
動物を崇拜するは、動物中に人類に利盆を與る[やぶちゃん注:「あづかる」。]あり、危害を蒙すあり。故に利あるは、迎ゐ[やぶちゃん注:ママ。]、害あるは除かん爲に崇拜するは蠻野[やぶちゃん注:「ばんや」。未開地域。]の地に行はるゝ動物崇拜の主要なるが、本邦のは、直接、動物其物を拜するは希にして、多くは、神佛其他の緣故により崇拜せるにて、後方にある神佛の威力によりて、特種の權[やぶちゃん注:「けん」。権威。]を有すると信せる[やぶちゃん注:「しんぜる」か。]による者なり。前記の動物に就て云へば、
獅子 惡魔を追彿ふ權威あるものとす。
神輿の先に持行く獅子頭。
獅子舞。
神社の左右に置かるゝもの。
虎 疾病を除き佛天の使命をなすと、
毘沙門天の使者又は好み給ふもの。
藥師佛の十二神將中の一。
阪地道條町神農祭所出、張子虎。
[やぶちゃん注:「道條町神農祭」これは「薬の町」として知られる大阪府大阪市中央区道修町(どうしょうまち)の誤植であろう。そこにある日中の薬の神を祀った少彦名(すくなびこな)神社で行われる神農祭のことである。緑の「五葉笹」につり下げた黄色い張り子の虎のお守りで知られる。]
象 象頭山信仰に關し。
[やぶちゃん注:「象頭山」(ざうずさん)は香川県琴平町の象頭山に鎮座する金刀比羅宮(ことひらぐう)の神仏分離以前の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の御神体。信仰の元になったその山の原型はインドにあり、訳せば。やはり「象頭山」である。]
馬 神馬。
𤲿馬。
[やぶちゃん注:「𤲿馬」「ゑま」。]
馬頭觀音に關し。
古蹄鐵、及、馬わらじ。
牛
牛頭天王。
牛の宮。
牛の御前。
牛天神。
羽黑山の牛。
淸澄山の牛。
善光寺の牛。
撫牛。
牛石。
兎 因幡國白菟神。
鹿 春日の神鹿。
鹿嶋の神使。
犬及狼 火防盜人を除き、及、小兒を保護す。
上州椿埜山の神犬。
[やぶちゃん注:「上州椿埜山」不詳。識者の御教授を乞う。以下、今は注さないが、総てが既知のものであるわけではない。]
武州御嶽の大口眞神。
備後木野山の御犬。
相甲境王瀨龍の御犬。
秩父三蜂の犬。
[やぶちゃん注:「蜂」は「峰」の誤植であろう。]
南都法華寺の犬守。
犬張子。
上總海岸に流行神とせられし死犬の靈。
狐 稻荷の神使として。
稻荷社へ納めし土燒製の狐。
狸 おたぬき樣。
猪 摩利支天信仰に關し。
猫 阪地天王寺の守猫。
肥前杵島郡の猫大明神。
招猫(マネギネコ)
[やぶちゃん注:「ネ」は「子」を当ててある。]
鼠 大黑天の神使。
子の聖權現。
猿 日吉山王の神使。
帝程天の使猿。
庚申尊の猿。
甲州猿橋の猿の社。
貘 惡夢を喰ふと信ぜらるゝもの。
白澤 招福避惡を與ふると。
雷獸 電雷中雲に乘りて恐るべき力を有すと。
虁(キ) 甲斐東山梨郡鎭目村虁の神。
水虎 祈願する者には水難を免かれしむと。
次に鳥類に就て云へば、
鴉 熊野の牛王、及、神使として。
鳴聲によりて吉凶を豫知さするものと。
鷄 荒神の好み給ふものと。
火災を知らすものと。
山城伏見觀音所出、鷄の書。
鳩 八幡宮の神使。
山城虫八幡の土鳩。
東京淺草觀音の豆鳩。
鷙 酉の市鳥大明神に關し、招福の鳥とす。
[やぶちゃん注:「鷙」「わし」。「鷲」に同じ。「酉の市」の行われる神社は鷲神社である。]
鴻 下總鴻の巢神社の鴻。
[やぶちゃん注:神社の公式サイトを見る限り、伝説のそれは社名通り、コウノトリである。]
雷鳥 除雷。
白鳥 武尊の故事により。
[やぶちゃん注:「武尊」やまと「たけるのみこと」。]
鷽(ウソ) 天滿宮鷽替の神事の鷽。
姑獲鳥(ウブメ) 產婦死して此鳥になると。
鴟鵂 鳴聲、凶事を知らす。
鷺 鷺大明神として疱瘡を輕くす。
鵜 伊賀島ケ原村鵜宮の神使として。
鳥類に就て、迷信、大略、右の如くなれば、龍蛇龜魚の類を記るさん。
龍 乞雨防火として。
龍神。
九頭龍權現。
白蛇 辨才天の使又は化身として。
北辰妙見の使。
宇賀神として。
海蛇 出雲大社の龍蛇。
龜 延命長壽を祈願し、生き龜を放すことゝす。
京都松尾明神の神使。
鯉 年歷經たる鯉、池の主となると云ふこと。
鯛 夷與神の好まるゝ魚と。
安房鯛の浦の日蓮上人に關する鯛。
[やぶちゃん注:「夷與神」「ゑびす神」のことであろうが、こんな表記は見たことがない。]
鯖 東京芝の鯖稻荷、鯖の繪馬。
鰻 虛室藏菩薩を信ずる者、又は
其佛を守佛とする者は鰻を食せず。
河野家の者、これを食せず。
鯰 地震を起す大鯰魚、地中にありと。
遠江の鴨江の辮天。澱風(ナマヅ)を
病む者。鯰魚の額を納め。鯰を食せず
と誓願す。
[やぶちゃん注:「澱風(ナマヅ)」皮膚表面に斑点を生じる皮膚病。表皮が癜風 (でんぷう) 菌という真菌に感染することで発症し、冒された皮膚の色により、「白なまず」・「黒なまず」と称する。]
鰶(コノシロ) 駿河山宮の淺間の氏子、
鰶を食せず。
鰶を身代に葬禮して病氣快復を祈願す。
虎魚(オコゼ) 日向奈須の山村。おこぜを
祭りて獵を祈ること、柳田國男氏の
後狩詞記に載す。
鱏(アカヱ) 阪地今宮の森廣神社に鱏の
繪馬を納め又は鱏をたちて痔疾を祈る。
章魚 章魚藥師に關し、禁食、又、繪馬とし、
納む。
蟹 安房地方、蟹の繪馬を地藏尊に納めて
手足の痛を治すべく祈願す。
田螺 藥師佛に眼病を祈る者、食せず。
蟲類に關するは、多くあらず。
蟻 紀州及泉州にある蟻通明神に關し。
蠶 養蠶家は蟲の稱をなさず、人の稱を
以てす。蠶神とし、蠶祭りをなす。
蝶 人の魂魄、蝶に乘り移り來り、又は
化身すと信ぜらる。
蜈蚣 昆沙門天の神使として。
此等動物崇拜、及、信念は、動物地理上の分布に關せず。又、其者の實在の有無に關せず。又、甲地にては崇拜信念を以てこれに對するも、乙地には何等の信念をも拂はざるあり。丙人、或動物を崇拜するも、丁人、之に向て更に何等の信念を有することなし。
此等の動物崇拜さるゝ原因
其一 各自に就て
獅子 總て、動物其者を直接崇拜するは、至て希にして、神佛の威力により特種の權力を有すと信ぜらるゝにより崇拜さるゝにて、獅子の如き、それなり。故に實物の獅子に對して何等の信念も起さゞるが、山王神田の祭に於て、神輿に先立つ獅子頭には、諸人、賽錢を投じて、これを拜す。元來、獅子は支那朝鮮に產せず、西域より漢土に渡りしにて、南史梁武帝時、波斯國獻生獅子と、又、司馬虎の續漢書に章和元年安息國献上子と。此等の記錄によれば、漢土へ渡來の年代を知り得べし。此頃より繪𤲿彫刻織物等に獅子の圖形を用ひ、宮殿の裝飾、墳墓の石獸等に獅子を作るに到れるなり。
天智以下、元明帝の頃、唐代の文化、輸入され、宮殿、大寺の飾り、織物の紋樣にも獅子形を用ひ來り、戶扉を留める爲の鎭子(オサエ)として製作されしもありしなり。東大寺南門の石獅子、筑前宗像神社の石獅子、其他、諸國神社に存する古き石獅子等、何れも其始め、鎭子より起り、倂て裝飾となされしことなり。近世、獅子より轉じて石狐、石牛、石猿等を神社の左右に作れるに到れり。
佛敎傳來とゝもに、獅子舞の、隨唐を經て、本邦に傳はり、雅樂の一となり、東大寺、興福寺等に獅子舞ありしより、諸國神社に行はるゝ獅子舞となり、伊勢、尾張の太神々樂となり、又、田舍獅子、角兵衞獅子等を出せるなり。
此等、建築上よも飾りとし、又、鎭子として作られしものと、雅樂舞より來りし獅子頭とは、獅子崇拜の重なる原因となれるにて、神社を離れて神視さるゝものにはあらず[やぶちゃん注:原本の「す」を濁音化した。]。夫故、活き獅子には崇拜の念、起らぬことなり。
虎 古くは韓國の虎ちふ神と萬葉集によまれ、又、四神の白虎、藥師十二神將の眞達羅大將、寅童子、昆沙門天、藥師佛の緣日等になされてあれど、虎に對する信念は至ら希にて[やぶちゃん注:ママ。「至つて希にて」の誤植ではなかろうか。]、大阪道條町神農祭の張子の虎が惡疫を除けると信ぜらるゝにすぎず。支那は虎を崇び、神仙張、天師虎に乘り來るを信じ、虎は惡人を喰殺せど、善人には危害をなさず、と云へど、本邦には虎に就ての信念なきは、鬼將軍淸正の虎狩、俗信を破りて力ありしことと思はる。
象 象形の歡喜天を信ずる者あれど、生象を拜する者なく、普賢、白象に乘り居るを信ずるも、象を崇拜せず。維新前、象頭山金比羅を信仰せし者、象形の上に神號を朱印せし御影を信ぜし者あり。元來、象形の歡喜天は婆羅門敎の加那沙と稱する神の佛敎に移りて、密家の祕神大聖歡喜天となりしもの。又、普賢の象、金比羅の象頭山等は、只、夫等の佛神に緣あと云ふのみなり。
馬 神佛の乘り玉ふ馬は、或特別なる權を有すと信じ、神馬に豆を與へては、小兒頭瘡を治すべく祈願す。これ馬は草を食す故に、小兒の頭瘡を「クサ」と云へば、馬に「クサ」を食はせて治す、との俗信より起りしなり。淺草觀音の白馬の如き好例なり。
馬崇拜に關し、馬頭觀音を信ずる者あれど、馬に關せる佛尊にあらず。華嚴鳳潭撰觀音纂玄紀に、馬頭尊に就て諸經を引て說かれたるも、馬に關することはあらず、此の尊の權威を如下輪王馬巡二履四洲一一切時處去心不ㇾ息上云云と說きあるのみなり。
𤲿馬は、馬を紳社へ奉る代りに、馬を𤲿きて納めしより起りたる納物なるが、一度納めし繪馬を借り受け來りて、守札となせる地方あり。武藏比企郡岡村の馬頭尊の繪馬の如き一例なり。
古き鐵蹄を戶口に掛けて守りとする信仰は、北歐人の、三日月信仰より三日月形を崇拜せる歐洲迷信の入り來りしなり。
[やぶちゃん注:これはちょっと私には信じられない。]
馬の草鮭を戶口に掛けて疱瘡又は惡病除けとなすものあり。夫には、馬の草鞋の新しき片足を拾ひしに限る、と馬草鞋の片足、未だ土につかぬのは、落す者に希にてあれば、殊に希の物を得たるを以て、禁咒の類とせしにすぎず。
牛 素盞鳴尊を祀れる神社を佛家祇園精舍の守護神牛頭天王の垂迹し玉ふとせしより、牛頭人身の御影を出し、土牛を作りて守りとせし等より、牛の繪馬、牛の玩具などを此等の神社に納め、又は、受け來りて守とせるなり。
牛天神は管公[やぶちゃん注:「菅公」の誤植。以下の「管神社」も同じ。]の牛に乘られしとの傳說より管神神に牛を彫し置かるゝより、牛名[やぶちゃん注:ママ。「名」は意味不明。]を崇拜する者あり。龜戶天神、及、牛天神等の牛石、其例なり。
羽黑山の牛の圖は、火防として受ける者あり。羽黑山建築の時、材木を曳し牛と云ふ。
安彥淸澄山火防の牛と云ふ圖は、此等に存する左甚五郞の彫刻の牛を圖𤲿として出せるなり。
善光寺の牛は、佛者の善巧方便より起りたる說にて、牛の縁起などもあり。
撫牛(ナデウシ)は、寬政年間、上方より流行して、一時、盛に崇拜されしものにて、頭に大黑天をつけたる牛なり。木彫、又は、土燒にて作らる。
兎 因幡の白兎は大穴牟遲神の故事により、白菟神社として因幡國氣賀郡内海(ウツミ)に祀られてあり。
鹿 春日の神、鹿島の神使として、之を殺傷するを禁じ[やぶちゃん注:清音を濁音化した。]、鹿を殺す者は死刑にされしと云はるゝ程なりし。今は囿を設けて、之を飼養し居れり。徂徠の南留別志には鳰を八幡の使者、猿を山王の使者といへるも、八幡のハ山王のサをとりていへる事成るべし。鹿を春日と云も、カ、もじ成るべし、記されたるが。緣語より出たるにあらず、神社の在る地に生活する動物を神使などゝ云へるにて、奈良春日の地、神社無き時より、群鹿、住たる地なるべし。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「○」である。]
犬と狼 御嶽三峯、金峯椿埜、其他、諸國に犬を書きたる戶守を出す神社あり。犬の門戶を守るよう、盜賊、火災を知らず、と信じたるより起りしなれど、狼は門を守る如き獸にもあらぬに、武藏御嶽より出す札守には、狼を𤲿き、其上に大口眞神と記せり。萬葉集に「大口の眞神(マガミ)の原に」と云へるあれど、狼の口、大きなるをいふにて、まがみは眞神(マガミ)の意にあらず。嚼(カム)にて、眞に甚敷[やぶちゃん注:「はなはだしき」。]を云ふにて、神のことにあらず。此の如き誤りより、狼の𤲿、守を信ず者あるに到れり。
若狡三方郡向陽寺より出す狼の守は、住職が狼の咽喉にたちし骨をぬきやりし恩返しに與へし守札と云へり。
越前今立郡上池田日野宮神社の神使は狼なりと信ずるより、此狼、盜人除をなす、と信ぜり。之前に云へる犬の門を守るより、移り來りし誤りなり。
犬守、犬張子等、犬の子育、丈夫なるより來れる俗信なり。犬の死靈、魚漁の幸を與へしとて、上總より安房の海岸に流行神となりしことあり。偶然の出來ごと[やぶちゃん注:濁音化した。]を迷信せしより起りしなり。
孤 稻荷の神使として狐を崇拜するの起りの、山城稻荷山に登宇女の社、又、命婦の社と稱して、三つの狐を祭りあるより、神使などゝ言ひ出せしことなり。夫に又、佛敎天部の吨枳尼天は稻荷神の本地と云へるより、此佛天の、天狐に乘りたまへる御影などゝ、孤を命婦と稱せしより、稻荷神を女性と誤信し、狐崇拜を高めしことなり。京の吉田山、伏見の稻荷山、其他、此神を祭れる地に、狐穴、多くあるより、神使などゝ俗信するに到りたるなり。
[やぶちゃん注:「吨枳尼天」は荼枳尼天(だきにてん)のことだが、こんな字は見たことがない。「吒」の誤植であろう。]
狸 狐狸とならび稱さるれど、狸崇拜は、後だての神力なき故に、至て憐れなる者なりし。江戶時代、本鄕大根畑、及、下谷御、徒町邊に、お狸樣とて、小さき土燒の狸を出したる家ありしが、今は絕えたり。之を受る者、布團を敷き、招福の迷信を以て、崇拜せしなり。
猫 猫崇拜は花柳社會に行はるゝ招き猫とて、手を耳の上にあげ、手招く如き樣したる玩具の猫の、布團を重ね神酒、燈明を供じて、來客を招き込むべく祈願す。此の起り、近年のことなるが、招猫は諸國に廣まれり。こは、文政の末年、淺草觀音境内に老婆あり、今戶燒の招き猫の玩具を賣れり。此猫の印しに[やぶちゃん注:手書きの組み込みなので、以下に原本を拡大したものをスクリーン・ショットしてトリミングしたものを掲げた。]、
を附たり。「九る〆に招き込」の吉語、人氣を得て、流行せしより、今に及びしなり。酉陽雜爼[やぶちゃん注:底本は「酉」が「西」になっている。特異的に訂した。]に猫洗面而過耳則客至と。之によりて作りしか。
猪 魔利支天の乘り玉ふ獸としてあれど、崇拜する者なし。此天を信ずる者、猪肉を食せざるのみ。
鼠 白鼠は大黑天の神使、福を持來るものと信ずる者あり。古事記に鼠が鳴鏑(ナリカブラ)を食ひし故事も大國主神に就てのことなれば、神使と信ぜしことと見ゆ。又、武藏秩父の子聖(ネノヒジリ)權現の使者も、鼠なゐ[やぶちゃん注:「なり」の誤植か。]と信ずる者あり。其他、賴豪の靈、鼠となりしを祀れる社、叡山に在りと云へば、鼠に關し、或一種の崇拜を起せしなり。
猿 猿を日吉山王の神使と俗信せるは、叡山に多く住居たる野猿と、傳敎大師の不見不聞不言の三猿說等より、庚申尊、帝繹天等、猿を使者となさるゝとのことも、傳敎の三猿說より出たることならん。
甲斐猿橋の猿の社は、猿の藤曼を傳ふて向岸へ達せし智を學び、掛橋せしより、其猿を崇拜せると云ふ。
獏(バク)惡夢を喰ふとの想像上の動物なり。本草に獏之主治辟邪氣と。又、年中風俗考に、白氏文集、獏屏贊序を引きて、寢二其皮一辟ㇾ瘟圖二其形一辟ㇾ邪云々。これらの文によれば、獏の皮を敷ば、瘟疫を辟くの功あり、と云はれしより、惡夢を食ふ、との說も出しと見ゆ。
白澤(ハクダク) 總身に眼あり。白長毛、人面、三目、六角馬足の怪獸。此圖を室内に掛置ば[やぶちゃん注:濁音化した。]、妖怪も災をなすこと能ず、と支那傳來の俗信なり。
雷獸 電雷、大樹を裂き、落雷の跡を殘すを、雷獸の瓜にてさきたるものと信じ、恐るゝ者あり。雷神は此獸を神使し玉ふと信ず。
虁(キ) 此獸を神視し、除雷開運守護として崇拜するは、甲斐東山梨郡鎭目村山梨岡神社あるのみ。徂徠の峽中紀行の山梨神社を記せし條に、有二木刻獨足獸一一祠祝不ㇾ識爲二何獸一問ㇾ祠奉二何神一卽大山祇命也。傳云山之怪虁魍魎豈是耶、と記せる、之なり。元來、社前に、年經し木彫の高麗犬の、後部と前足の一つ、缺とれ、一足獸の如くなりしを、徂徠の紀行文により、虁神と名付、雷除などゝ云ひ出せしことにて、嘉慶板の增補萬寳全書に、東海有獸其狀如牛蒼身首無角一足出入有風雨其音如雷名曰虁と、其音如雷などより、雷除と云へるならん。
水虎(カツパ) 享和の初年、江戶南八丁堀の漁師十右衞門なるもの、川童(カツパ)の御影を出し、水難除と信ぜし者ありしが、今は絕えたり。只、夏日、兩國、又は、永代の橋上より、黃瓜を川水に投じて水虎に祈願し、水難を免かるべく祈る者あり。
鴉 熊野の牛王と關係して鴉は神使とされ、牛王に書きし誓文を破れば、鴉の一羽、死す、と云はれたり。熊野の山に、山鴉、多く住むより、神使なり、と云へるならん。夫に又、牛王の文字、書體、大師樣より、鴉の如く見なせしによるとならんが、熊と鴉の黑色の關係もありしことと見ゆ。
加州白山に白鴉あらはれ、此鳥の𤲿を門戶に張り置けば、惡疫を免かる、との迷信は、天保の頃より、云ひ出せり。
鶴[やぶちゃん注:「鷄」の誤植。] 鷄、夜鳴すれば、火災あり、と信ぜらる。塒に居る鷄、深夜、火光を見て、東明と誤り、鳴立しことなどありしならん。爲めに、火災を防ぎなど致せしより、荒神、鷄を以て使者とし玉ふ說の出しとならん。
鳩 八幡神社の神使とし、白鳩、旗の上に飛べば[やぶちゃん注:濁音化した。]、勝軍の吉兆なり、と源氏武士の喜びしことは、今に存し居るなり。八幡宮の社地、多く鳩住みたる故に、神の好み玉ふ鳥とし、使者なりしと、土製の鳩を納め、鳩の𤲿馬を納めて、祈願なす者あり。
鳩は、豆を吞下すに、喉に閊へることなきとて、土燒の豆鳩を箸箱に入れ置く、とあり。淺草觀音堂より、此類の鳩を出す。
鷲 酉の市とて、東京各所の鷲大明神の市ある。熊手を買ひ求めて、招幅のものとす。鷲の瓜[やぶちゃん注:「爪」の誤植であろう。]と、熊手の形ち、摑み、搔込むゆゑに、拜金宗の我欲者、酉の市の熊手を喜ぶなり。
鴻 下總鴻巢神社の故事に、鴻の、蛇神を殺せしより、神に祀れり、との說あり。此地の者、鴻を神視するあり。
雷鳥 加州白山に雷鳥と云ふ鳥住むと、此鳥の形を𤲿き置かば、落雷の難なしと信ず。
白鳥 武尊の靈、白鳥となられしとの傳說あり。
鷽 天滿宮鷽替の神事、虛言(ウソ)と鷽と、邦音、通する故に、一年中の虛を鷽に代て、眞に致す、との意あり。此神事をなす。
姑獲鳥 佛者の方便より出たるならん。
鴟鵂 夜中、此の鳥の鳴聲、淋しものゆゑ、不吉と云へるならん。
鷺 庖瘡の守神に、鷺大明神と云ふあり。此神の愛で玉ふ鳥と云ふ。
鵜 鵜宮の神使なりと。
龍蛇崇拜は支那傳來と本邦古代よりのと原因をなせしと見ゆ。神代卷、素盞鳴尊の蛇(オロチ)を可畏(カシコ)之神と曰へる、とあり。古語(ミ)[やぶちゃん注:ルビではなく、本文。]は蛇なり。和名抄に水神、又、蛟、和名、美豆知、と云ふは、水中蛇なり。書記[やぶちゃん注:ママ。]に云ふ、靇の字は龍なり。萬葉に、吾岡之於可美爾言而令落雪之摧之彼所爾塵家武(ワガヲカノオカミニイヒテツラセタルユキノクダケシソコニチリケム)。此等の語、龍蛇を神視せしを證すに足れり。漢土傳來の龍、及、佛敎の龍王說等、亦、此崇拜を高めしことなり。
龍 龍騨、雨を降らすの信仰は古く、請雨經曼茶羅など有しによつて、知らる。龍は水を自由になすの權ありと信ぜられしにより、水の火を消す故に、火防の祈願をなすものあるに到れるなり。
白蛇 辨才天の使者、又は、化身として崇拜さるれど、經文に、其證、無し。頓得如意寳珠陀羅經上略其形如天女頂上有寳冠中有白蛇中略此神王身如白蛇如白玉下略とあれども[やぶちゃん注:「あれども」は底本では「あれとも」。]、此經、僞經なること、沙門浮嚴の大辨才天秘訣に、詳に辨明あり。淨嚴は、最勝王經の大辨才天品は眞經なれど、自餘、悉く僞經なり、と說けり。大辨才天品には、白蛇に關せる文、なし。されば、白蛇崇拜は僞經より出たる、となり。白蛇の宇賀神說も、前記の僞經より、起りしなり。
海蛇 此崇拜の著き者は、出雲佐田社の神事なり、舊曆十月十一日より十五日迄の間に、錦紋の小蛇、海上に浮み來るあり。神官、其來るを待て、海藻を以て之を受け、神前に奉ず。此蛇、火災水難を除くと信ぜられ、崇拜さる。予、之を見しに、鰻の如き尾を有す、海蛇なり。之と同し海蛇、駿河沼津の海岸に流れつく、とあり。漁夫は龍宮の御使なりとて、尊敬し、大切に致し置くこととす。
龜 龜を放ちて長生を求め、龜の長壽說を信じて、死を嫌ふの情より、かゝることをなす者あり。又、松尾明神は壽命の神にて、龜を神使となし玉ふとて、信ずる者あり。
魚類、蟲類に就ては、取り立て記すべき程のことも無き故に、大體につきて、云はんのみ。
鯉 古池の主に年經たる鯉魚なり居る、との俗信あり。
鯛 房州鯛浦の鯛は、日蓮上人、漁を禁じたるとて、今に漁せずと云ふ。之を漁すれば、火災ありと信ず。
鯖 芝の鯖、稻荷の好み玉ふとて、之を供じ、又、繪馬とす。
鰻 虛空藏を信ずる者、之を食せず。又、河野家にては、祖先が、戰諍中、船の穴に、鰻、這り居りて、難を免かれしとありとて、食せぬこととす。
鯰 鹿島の要石(カナメ)は、地震を起す大鯰を抑へをると云はれ、又、澱風(ナマヅ)と鯰と、國音、通ずる故に、鯰魚を禁食し、澱風を治すべく祈る者あり。
鰶(コノシロ) 子(コ)の代(シロ)として、小兒成長を祈願し、鰶を身代りに、葬式する者あり。又、駿河富士郡大宮、及、山宮淺間の氏中は、鰶を食せぬ者あり。神女の身代りになりし魚と云ふ傳說ありて、食せぬなり。
虎魚(オコゼ) 此魚を祭る日向奈須山村の奇風俗に就ては、柳田國男氏の後狩詞記に「海漁には山おこぜ、山獵には海おこぜを祭る。効驗多し、と云ふ。其方法は、おこぜを一枚の白紙に包み、告げて曰はく、おこぜ殿、おこぜ殿、近々、我に一頭の猪を獲させ玉へ。さすれば、紙を解き開きて、世の明りを見せ參らせん、と。次て、幸に一頭を獲たるときは、又、告て、前の如く云ひて、幾重にも包み置と」ぞ[やぶちゃん注:鍵括弧閉じるの位置はママ。]。之、おこぜを欺きつゝ、崇拜する奇風と云ふべし。
此等の他、章魚、田螺、及、蟲類に關する迷信上の崇拜は、格別に記るす程のことも無ければ、略す。
其二 一般の原因に就て
以上、各自に於て記せし如く、單に動物を崇拜するは、殆ど無之、何者か動物の後方に立つ者ありて、信念を起さするにて、本邦の動物崇は、神佛を離れて成立つものにあらず。偖、此等、崇拜の一般原因として見るべきは、
一本邦古代の傳說より
二近世神道者流の說より
三佛敎中の傳說より
四僞經の文より
五神使說より
六緣日より
七支那傳來の說より
本邦神代の白菟美豆知等より來れるのと、宣長翁の玉鉾白首に「神といへばみなひとしくや思ふらん、鳥なるもあり、蟲なるもあり」「いやしけど、いかづち、こたま、きつね、とら、龍のたぐひも、神のかたはし」稻掛大平の、之を解して云へるに、鳥獸鍛魚のたぐひまでも、あやしく、くすしき勢ひ、しわざある者は、みな、神なり」と國學者宣長の如き、大平の如き此等の動物を、神の片端と云ふに至りては、思想、卑き劣れる者、如何で此等を崇拜せずに居るべき。此慮に於いて、大口眞神(狼)を拜み、命婦(狐)を神使視するに到れるなり。前にも云へる如く、山王の猿、春日の鹿、八幡の鳩、熊野の鴉、稻荷の狐などの類、其社の所在地に多く住む處の禽獸を、神使などゝ信ぜしより、起り、又、佛家緣日と云へる者より起りしもあることにて、藥師佛の寅辨財天の巳の如き、此等も正しき經典には見へぬとなり。巳の日の如き、最勝王經卷第七、大辨財天女品第十五に、黑月九日十一日於此時中當供養の文あれど、巳の日のとなし、寅の日の藥師佛に就て、天野信景は、鹽尻に云ヘり、日本紀略に、山城太秦藥師は長和三年甲寅五月五日甲寅安置、とあるより出るならんと。然らん。此等の外に、支那傳來のもの、道敎より導かれし龍の、又は、佛敎の雨乞などより、龍蛇崇拜も起りしことなり。以上、要するに、人心、無形的思考せる神を、覺性的に見んことを欲し、而て、之を、見らるべき外界に求め、神佛無形の權は、動物有形の灌を通じて、人に其意を告知すと信じ、種々の動物を神視し、迷信して、崇拜をなすに至れるなり。
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