フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 御伽比丘尼卷之二 ㊄初聲は家の榮 付リ 夜啼の評 / 卷之二~了 | トップページ | 御伽比丘尼卷三 ㊀ぼだひは糸による縫の仏付リ遊女のさんげ咄 »

2020/12/08

南方熊楠 本邦に於ける動物崇拜(7:野猪)

 

 ○野猪、嬉遊笑覽附錄に云く、蛇の怖るゝ歌「あくまだち、我たつ道に橫へば、山なし姬にありと傳へん」こは北澤村の北見伊右衞門が傳への歌なるべし、其歌は、「此路に錦まだらの蟲有ば、山立姬に告て取せん」四神地名錄、多摩郡喜多見村條下に、此村に蛇除伊右衞門とて、毒蛇に喰れし時に咒ひをする百姓あり、土人の言るには、蛇多き草中に入るには、伊右衞門伊右衞門と唱へて入れば毒蛇に食れずと云ふ、守りも出す、蛇多き所時には三里も五里も守りを受に來との事也、奇と謂可べしと、扨彼の歌は、其守りなるべし、「アクマダヂ」は赤斑[やぶちゃん注:「あかまだら」。]なるべく、山なし姬[やぶちゃん注:底本「山なし蛇」。初出で訂した。]は山立姬なるべし、野猪を云ふとなん、蛇を好で食ふ、殊に蝮[やぶちゃん注:底本「蛇」。同じく初出で訂した。]を好む由也と、熊楠在米の頃、ペンシルバニヤ州え[やぶちゃん注:ママ。]蛇を除んが爲に、歐州の野猪を移し放ちしと聞く、‘Diary of Richard Cocks’, ed. Thompson, 1883, vol.ii, p. 87 に、コツクス元和中、江戶愛宕權現と、愛宕八幡像を拜せしに、何れも野猪に騎せり、愛宕權現社の登り口に、大なる野猪を圈[やぶちゃん注:「をり」。]に飼えり[やぶちゃん注:ママ。]と有り、勝軍地藏も、摩利支天と同く、此獸を使者とし、マルス嫉妬の餘り、自ら野猪と成りて女神ヴヰヌス所嬖[やぶちゃん注:「しよへいの」。寵愛するところの。]の少年アドニスを殺せし事、沙翁の戲作に由て名高し、印度にもヸシユニユ神」野猪の形を現する誕有り、帝釋生れて直ちに野猪形を現ぜりと云ふ、Gubernatis, op. cit. vol. ii P7 Seqq.)。

[やぶちゃん注:この終わりの方の『ヸシユニユ神」』とあって鍵括弧の開始部がなく、また最後に丸括弧閉じるがあるもののそれに対応する開始の丸括弧がなかったりするのはママである。どうも本文の流れも微妙におかしいので、以下に初出に従った本文のコックスの箇所の部分から最後までを示す。底本と異なる箇所を太字で示した(欧文の細部(斜体表記等)も含む)。

   *

‘Diary of Richard Cocks, ed. Thompson, 1883, vol.ii, p. 87 に、コツクス元和中、江戶愛宕權現と、愛宕八幡像を拜せしに、何れも野猪に騎せり、愛宕權現社の登り口に大なる野猪を圈に飼えりと有り、勝軍地藏も、摩利支天と同く、此獸を使者とするにや、(古え[やぶちゃん注:ママ。]歐州にも、野猪をマルスの使者とし、マルス嫉妬の餘り、自ら野猪と成りて女神ヴヰヌス所嬖の少年アドニスを殺せし事、沙翁の戯作に由て名高し。印度にも井゙シユニユ神、野猪の形を現する誕有り、帝釋生れて直ちに野猪形を現ぜりと云ふ、Gubernatis, op. cit. vol. ii p.7 seqq.)。

   *

なお、平凡社「選集」版では、丸括弧の開始位置を「Gubernatis,」の前に配しており、その方が、本文が痩せずに済むのでいいとは思うし、前例に徴して見ても、奥州のケースを総て丸括弧で附録みたようにするのは、南方熊楠らしくない。「Gubernatis」はイタリアの文献学者コォウト・アンジェロ・デ・グベルナティス(Count Angelo De Gubernatis 一八四〇年~一九一三年)で、著作の中には神話上の動植物の研究などが含まれる。

「嬉遊笑覽」国学者喜多村信節(のぶよ 天明三(一七八三)年~安政三(一八五六)年)の代表作。諸書から江戸の風俗習慣や歌舞音曲などを中心に社会全般の記事を集めて二十八項目に分類叙述した十二巻付録一巻からなる随筆で、文政一三(一八三〇)年の成立。以下、当該部を所持する岩波文庫版第五巻(長谷川強他校注・二〇〇九年刊・新字)を基礎データとし、国立国会図書館デジタルコレクションの成光館出版部昭和七(一九三二)年刊の同書の下巻(正字)の当該部で校訂し、読点・記号等を変更・追加した。但し、孰れにも疑義のある表記個所があったが、取り敢えず、よりよく意味が通ずると考えた方、ダブりを厭わず有意な情報のある方を採り、一部に記号を添えた。則ち、以下はその二種の合成版であり、以上の二書の孰れでもないことをお断りしておく

   *

○『萩原隨筆』に、蛇の怖るゝ歌とて、「あくまたち我たつみちによこたへばやまなしひめにありとつたへん」といふことを載たり。こは北澤村の北見伊右衞門が傳への歌なるべし。其歌は「此路に錦まだらの蟲あらば山立姬に告てとらせん」。『四神地名錄』に、「多磨郡喜多見村條下に蛇除伊右衞門とて、毒蛇に喰れし時に呪ひをする百姓あり。此邊、土人のいへるには、虵多き草中に入るには、『伊右衞門々々々々』と唱へて入れば、毒虵に喰はれずと云ふ。守りも出す。虵多き所は三里も五里も、守りを受に來るとのことなり。奇といふべし。」と云へり。予が聞けると件(くだん)の歌は異也。「此路に錦まだらの蟲あらば山立姬に告てとらせむ」といふ歌也。いづれよきとにはあらねども、「あくまだち」は「赤まだら」の誤(あやまり)、「山なし姬」は「山立姬」なるべし。野猪をしかいふとなん。これ蛇を好みて喰ふとぞ。殊にまむしを好むよしなり。

   *

この「山立姬」(やまたちひめ)はイノシシの異名と辞書に載るが、宮武外骨編「日本擬人名辞書」(大正一〇(一九二一)年半狂堂刊)によれば(国立国会図書館デジタルコレクションの同書の当該画像)、

   *

山立姫(やまたちひめ)

 「毒虫に刺されたる時、蒼耳葉の汁をしぼりて胡椒の粉をときて傷所に塗るとき唱ふる歌あり

 「此路に錦まだらの蟲(蛇)あらば

     山立姬に告げてとらせん」

山立姫とは野猪を云ふなり、野猪は蛇を好みて食す」と『嬉遊笑覽』にあり、野猪を「山立姬」と呼ぶは美名に過ぎたるが如しといへども、「やまたち」とは山賊をも云ふなり、「姬」とは女性的動物としての名なるべし

   *

とあった。「蒼耳葉」は「をもなみ(おもなみ)」と読み、キク目キク科キク亜科オナモミ属オナモミ Xanthium strumarium のことである。知らない? いやいや! 知ってるよ! 最初の担任の時、草取りの最中、僕の背中に君らがびっしりつけた「ひっつき虫」の本体さ!

「北澤村」以下で「多摩郡喜多見村」とあるから、これは東京都世田谷区北沢と南西に五キロメートル弱離れた世田谷区砧(域内の一部の旧村名は喜多見である)(或いはこの二つを含む広域)が候補地と考えてよかろう。されば、「北見」は地名に基づく呼称で姓ではないないようである(以上のリンクはグーグル・マップ・データで以下同じ)。

「四神地名錄」は江戸後期の旅行家で地理学者であった古川古松軒(享保一一(一七二六)年~文化四(一八〇七)年:本名は正辰。岡田藩(現在の岡山県倉敷市真備町岡田に藩庁を置いた)の町人の出)が寛政六(一七九四)年、老中戸田氏教より武蔵国地誌編纂を命ぜられ、役人とともに江戸郊外を廻って完成させた江戸及びその周辺の地誌。その巻六の多摩郡の「㐂多見村」の条のこちら(国立国会図書館デジタルコレクションの画像。写本)の右頁の六行目下方から左頁の二行目までに記されてある。

『「アクマダヂ」は赤斑』(あかまだら)『なるべく』有鱗目クサリヘビ科マムシ亜科マムシ属ニホンマムシ Gloydius blomhoffii は、背面に楕円形の暗色班が並び、「赤まだら」は腑に落ちる。但し、単純な音変化とは思われない。「あかまだらぢ」(赤斑地)がもとではなかろうか。

「ペンシルバニヤ州え蛇を除んが爲に、歐州の野猪を移し放ちしと聞く」イノシシは雑食性で、ヘビも食べる。「シートン動物記」の中にはガラガラヘビを食べるイノシシの話が載っている、とQ&Aサイトの回答にあった。

「‘Diary of Richard Cocks, ed. Thompson, 1883, vol.ii, p. 87」イギリスの貿易商人で江戸初期に平戸にあったイギリス商館長(カピタン)を務めたリチャード・コックス(Richard Cocks 一五六六年~一六二四年)が、在任中に記した詳細な公務日記「イギリス商館長日記」(Diary kept by the Head of the English Factory in Japan: Diary of Richard Cocks:一六一五年~一六二二年)の一節。「Internet archive」のこちらで原本の当該部分を確認出来る(右ページ)。一六一八年(元和四年)の記事である。十月二十四日であるが、当時の商館長らは西暦で記すので、旧暦に直すと、九月六日のことと思われる。

   *

   October 24. — Not having busynes to doe by meanes the Councell were abcent about seremones of the ould Emperours mortuary, we went and vizeted the pagod of Otongo, which these people hould to be the god of darknes (or hell), as the antientes called Pluto.  It standes on the topp of a hill which overlooketh all Edo, and the idoll (or picture) of Otongo is made in forme lyke a devil, with a hooked nose and feete lyke a griffon, and riding upon a wild boare. He was painted after severall forms, but allwais monted upon a wild boare, which the people say was his blason or armes. And for that entent there is a greate wild boare alive kept in a cage (or frank) at the foote of the hill, which I saw at my entrance. And there goeth an upright peare of [s]ton staie[r]s of 69 stepps, of a lardg breadth, leading directly up to the pagod ; but an easier way is to goe compas about the hill.  There was many people went to vizet that place, and their use is to goe 3 tymes rownd about the pagod mumbling out serten prayers.  This I marked of dyvers.

   *

英語の綴りがやや古くて読み難いが、「pagod of Otongo」が旧「愛宕山権現社」である。

「江戶愛宕權現」現在の東京都港区愛宕一丁目にある愛宕神社(あたごじんじゃ:ここ)の前身。ウィキの「愛宕神社(東京都港区)」によれば、『山手線内では珍しい自然に形成された山である愛宕山』(標高二十五・七メートル)『山頂にあ』り、『天然の山としては』二十三『区内で一番の高さ』とあり、コックスの江戸の町を見晴らす感じが腑に落ちる。

「愛宕八幡像」これは嘗てあった勝軍地蔵菩薩像のことであろうか(騎馬のそれは同じ軍神である八幡大菩薩と混同されやすい感じはする)。同じくウィキの「愛宕神社(東京都港区)」によれば、慶長八(一六〇三)年に、『徳川家康の命により』『家康が信仰した勝軍地蔵菩薩を勧請し、愛宕神社を創建』して勝軍地蔵菩薩を『同神社の本地仏として別当寺の円福寺に祀った』が、『明治の廃仏毀釈により円福寺が廃寺になると、勝軍地蔵菩薩像は近くの真福寺に移された』ものの、『関東大震災で焼失』してしまった。現在は一九三四年に銅製で復元されものが祀られているという。但し、愛宕権現も将軍地蔵菩薩も通常は馬に跨っており、猪ではない。或いはコックスはデフォルメされた馬を猪と誤認したか、或いは本当にこの愛宕権現社や、その別当寺である円福寺の将軍地蔵像は猪に跨っていたものか? 愛宕権現はしばしば天狗信仰と集合し、烏天狗は猪を乗り物とするから、或いはそうした像を見間違えたものか? この辺り、よく判らない。

「勝軍地藏」「蓮華三昧経」に基づくとも、一説に坂上田村麻呂が東征した際に戦勝を祈って作ったことから起こったともされる、地蔵菩薩の一種。鎧・兜を着け、右手に錫杖、左手に如意宝珠を持し、軍馬に跨っている。これを拝むと、戦いに勝ち、宿業・飢饉などを免れるとされる。

「摩利支天」仏教の守護神である天部の一柱。サンスクリット語「マリーチ」の漢音写。古くは一群の風神マルトの主といい、また、創造主プラジャーパティの一人ともする。「陽炎」「日の光」を意味する言葉で、そうした自然の神格化でもあり、漢訳経典でも「陽炎」「威光」と訳す。昔、帝釈天が阿修羅と戦った際に日と月を守ったとされる。自らは陰形(いんぎょう)で、姿を見せないが、この神を念ずると、他人はその人を見ず、知らず、害することなく、欺くことなく、縛することなく、罰することがない、とされる。日本では武士の守護神とされ、護身・陰身・遠行・保財・勝利を齎すとされた。形像は通常、三面(各三眼で一面は猪の顔をしている)八臂で金剛杵と弓箭などを持ち、猪に乗る姿で示されるが(猪の背に乗る護法神はこの摩利支天のみ)、時に天女像の場合もある。長野県飯田市にある臨済宗開善寺公式サイト内の飯田市美術博物館学芸員織田顕行氏の「イノシシに乗った女神」(全三回)が摩利支天と猪の関係を読み解いておられ、素晴らしい。必見。それによれば、猪にシンボライズされたものは(一部の誤った表字を訂した)、

   《引用開始》

摩利支天の素早く疾駆するさまをイノシシに喩えたというのが一見まっとうな理由のように思える。現に各寺院でもイノシシは摩利支天の眷属であり、智慧の迅速さや勇敢さをあらわすものと説明される。しかし経軌の中には「猪車に乗りて立つこと舞踏の如し(『大摩里支菩薩経』)などと説明されることもあるが基本的にあまりイノシシのことは詳しく記されていない。摩利支天が日本にもたらされた後にこのように理解されていったのかもしれない。

おそらく両者のつきあいは経典の成立よりもはるかに時代を遡らなければその源泉に辿り着くことはできないのではないか。それに多くの日本人が抱くイノシシのイメージが普遍的なものであるとも限らない。そこでもう少しこの問題を掘り下げてみよう。

摩利支天のふるさとインドや西アジアでもイノシシ(野猪)は古くからなじみの深い動物だったようで、森に住むイノシシは古くから狩猟の獲物とされ、しばしば神話や美術工芸品のモチーフにも登場する。古代インドでは、イノシシ(ヴァラーハ)は根本神ヴィシュヌの化身のひとつでもあった。さまざまな姿に変化したヴィシュヌはイノシシに姿を変え、海に沈んでいた大地を救いあげたという。マーリーチー(摩利支天)は、このヴィシュヌのへそに芽生えた蓮から生まれた創造神ブラフマー(梵天)の子だといわれる。イラン神話の英雄神ウルスラグナ(バフラーム)もまたヴィシュヌのようにイノシシに姿を変えて光明神ミスラを先導したといわれる。こうした偉大な神の化身と摩利支天とを結びつけることで暗にその出自の正統性を強調しようとしていたのかもしれない。あるいは摩利支天が光明を司ることから西アジアの光明神との関わりが深く、またヴァラーハという語が水に関わる神を指すことなどから摩利支天とイノシシとは水と光明を通じて結ばれたのではないかとの指摘もある。このように摩利支天とイノシシとのつきあいは古く、古代インドやイラン神話にまで遡っていくのである。

 

摩利支天のかたちに込められた意味

 

摩利支天の像を造るにあたっては、経軌にもとづくかたちの制約はそれほど受けなかったようで、その姿は多様である。七頭のイノシシの背に坐る場合もあればただ一頭のイノシシにまたがったり三日月の上に立つこともある。三面六臂(さんめんろっぴ)あるいは八将という異形のすがたであらわさたり、我々と同じように二本の腕と一つの顔を持つ摩利支天もいる。さらに女神でなく男神のすがたであらわされることも少なくない。

宗教に関わるイメージ(偶像)にはそれぞれのかたちに意味があり、イメージの出自や役割などが注意深く細部に到るまで反映されている。それを読み解く方法論をイコノグラフィー(図像学)とよぶ。こうした手法によって摩利支天とイノシシとの関わりを考えてみたわけだが、それ以外にも摩利支天のかたちにはさまざまな意味が込められている。例えば、摩利支天のアトリビュート(持物)である針と糸は、『大摩里支菩薩経』に悪口や讒言を縫い込めるための道具であると説かれており、そこには懲罰者としてのイメージが投影される。

弓矢は暗黒を引き裂いて光明をもたらす象徴とも解釈されている。古くは太陽神スーリヤのアトリビュートとして知られており、七頭のイノシシに乗ることも含め、摩利支天のイメージ形成の源泉にはこのスーリヤの存在があったことは複数の研究者の指摘するところである。

イノシシの七頭という数についてもゆえなき数字ではない。これについて言及している研究者たちは太陽神スーリヤや大日如来といった太陽に関わる神仏がいずれも七頭の動物に乗ることに着目している。スーリヤは七頭の馬に乗り、インドの一部のマーリーチー像にはイノシシの代わりに馬に乗る作例がある。マーリーチーとスーリヤとは密接な繋がりがあると指摘されていることは先にも述べた。また我が国の大日如来像の中にも七頭の獅子に乗る作例がある。七という数字は秩序や完全性や全体性を象徴するものとされている。王権の象徴たる太陽とゆかりあるこれらの神々にとってはきわめてふさわしい、聖なる数字なのである。

[やぶちゃん注:中略。以下は「清拙正澄ゆかりの摩利支天をたずねて -京都編-」の京都東山の南禅寺の塔頭寺院聴松院に関わる一部。]

聴松院の山門と摩利支天堂の門とは別々になっていて、堂の前には狛犬の代わりに阿吽のイノシシが構えている。ここの摩利支天像は秘仏でありその姿を拝することは叶わないが、由緒によってそのすがたが伺える。少し細かくなるが主だった特徴を記すと、三面六臂で正面の顔は三眼で右面を猪面とし、頭上には宝塔を載き、手にはそれぞれ宝剣、無憂樹、弓矢、針と糸を執る。輪宝をあしらう火焔光背を背にし、七頭のイノシシを配した台座に坐している。

[やぶちゃん注:中略。以下は、「鎌倉の摩利支天を訪ねて -禅居院-」の一節。禅居院は建長寺の向かいにある。鎌倉史を研究して四十数年になるが、有り得ないことと思ったが、私はこの寺に実は行ったことがないような気がする。]

ここの摩利支天像は、三面六臂で正面および右面は菩薩相で三眼、左面を金猪とし、手にはそれぞれ剣、天扇、金剛鈴、金剛杵、弓矢を執る。そして三頭の金猪を配した。二重蓮華歴に坐している。比較的経軌に忠実なすがたであるが、左面を猪面とする点、台座のイノシシの数が三頭という点は他像との図像的な大きな違いであり、実見した像の中では最も大きく、ふくよかな女神像の雰囲気を醸し出している。制作年代は中世まで遡るものではないが、後述する元禄五年という年号からそれほど遠からぬものであろうか。

興味深いのは、台座の内部にもう一体、10センチにも満たない小さな摩利支天像が納められていたことである。いまは厨子に納められており、三面六臂だが顔はすべて正面を向いており一頭のイノシシの上に半跏している。なお厨子の底には元禄五年(1692)の朱書銘があるが、清拙自刻の摩利支天像とはこのようなものであったかと思わせるような素朴な小像である。

   《引用終了》

「マルス」ローマ神話に於ける戦いと農耕の神であるマァルス(ラテン語:Mārs)。英語では「Mars」で読みは「マーズ」。しかし、マァルスの使者は一般には狼(おおかみ)である。不審。

「ヴヰヌス」ローマ神話に愛と美の女神ウェヌス(ラテン語:Venus)。日本語では英語読みの「ヴィーナス」の方が知られる。

「アドニス」(ラテン語:Adōnis)はギリシア神話に登場する、美と愛の女神アプロディテ(ヴィーナス相当)に愛された美少年。フェニキアの王キニュラースと、その娘である王女ミュラーの息子。ウィキの「アドーニス」によれば(下線太字は私が附した)、『キニュラースの家系は代々、アプロディーテーを信仰していた。しかし、王女ミュラーはとても美しく、一族の誰かが「ミュラーは女神アプロディーテーよりも美しい」と言ってしまった。これを聞いたアプロディーテーは激怒し、ミュラーが実の父であるキニュラースに恋するように仕向けた。父親を愛してしまい、思い悩んだミュラーは、自分の乳母に気持ちを打ち明けた』。『彼女を哀れんだ乳母は、祭りの夜に二人を引き合わせた。顔を隠した女性が、まさか自分の娘だとは知らないキニュラースは、彼女と一夜を共にした。しかし、その後、明かりの下で彼女の顔を見たキニュラースは、それが自分の娘のミュラーだと知ってしまった。怒った彼は、ミュラーを殺そうとした。しかし、彼女は逃げのび、アラビアまで逃げていった』。『彼女を哀れに思った神々は、ミュラーをミルラ(没薬)の木に変えた。やがて、その木にがぶつかり、木は裂け、その中からアドーニスが生まれた。そのアドーニスにアプロディーテーが恋をした。やがてアプロディーテーは赤ん坊のアドーニスを箱の中に入れると、冥府の王ハーデースの妻で、冥府の女王のペルセポネーの所に預けた。彼女はペルセポネーに、けっして箱の中を見るなと注意しておいた。しかし、ペルセポネーは好奇心に負け、箱を開けてしまった。すると、その中には美しい男の赤ん坊のアドーニスが入れられていて、彼を見たペルセポネーもアドーニスに恋してしまった。こうしてアドーニスは』、『しばらく』、『ペルセポネーが養育することになった』。『アドーニスが少年に成長し、アプロディーテーが迎えにやって来た。しかし、ペルセポネーはアドーニスを渡したくなくなっていた』。二『人の女神は争いになり、ついに天界の裁判所に審判(ゼウスあるいはカリオペー)を委ねることにした。その結果』、一年の三分の一は『アドーニスはアプロディーテーと過ごし』、三分の一は『ペルセポネーと過ごし、残りの』三分の一は『アドーニス自身の自由にさせるということとなった。しかし、アドーニスは自分の自由になる期間も、アプロディーテーと共に過ごすことを望んだ。ペルセポネーは、アドーニスのこの態度に、大いに不満だった』。『アドーニスは狩りが好きで、毎日狩りに熱中していた。アプロディーテーは狩りは危険だから止めるようにといつも言っていたが、アドーニスはこれを聞き入れなかった。アドーニスが自分よりもアプロディーテーを選んだことが気に入らなかったペルセポネーは、アプロディーテーの恋人である軍神アレース』(マァルス相当)『に、「あなたの恋人は、あなたを差し置いて、たかが人間に夢中になっている」と告げ口をした。これに腹を立てたアレースは、アドーニスが狩りをしている最中、猪に化けて彼を殺してしまった』。『アプロディーテーはアドーニスの死を、大変に悲しんだ。やがてアドーニスの流した血から、アネモネの花が咲いたという』とある。

「沙翁の戲作」「戲作」(戯曲)とするが、詩の誤り。ウィリアム・シェイクスピアの三つの長編叙事詩の一つである「ヴィーナスとアドーニス」(Venus and Adonis:初版一五九三年刊行)。素材は帝政ローマ最初期の詩人プーブリウス・オウィディウス・ナーソー(Publius Ovidius Naso 紀元前四三年~紀元後一七年或いは一八年)のローマ神話原典の一つに数えられる「変身物語」(Metamorphoses:メタモルポーセース)の第十巻に依拠する。

「ヸシユニユ神」ヒンドゥー教の神ヴィシュヌ。ブラフマー(古代インドにおいて万物実存の根源とされた「ブラフマン」を神格化したもの。ヒンドゥー教では創造神ブラフマーはヴィシュヌ(維持する神)・シヴァ(破壊する神)とともに三大神の一人に数えられた)及びシヴァとともに「トリムルティ」の一柱を成す重要な神で、特にヴィシュヌ派の宗教的信仰の中心として崇拝される。古くは太陽の活動を象徴する自然神であったが、次第に神としての地位を高め、三界を支配する諸神の最高神となった。宇宙を維持し、世界を救済するため、魚・亀・猪・ナラシンハ(人とライオンが合体した獣人)・小人(こびと)・パラシュラーマ(斧を持った男の仙人)・ラーマチャンドラ(「ラーマーヤナ」の主人公の男の王)・クリシュナ(怪力の牧童)・仏陀・カルキ(白い駿馬に跨った英雄)の十種に姿を変えて現われ、慈悲を以って人々を導くとされる(これらを「ビシュヌ・アバターラ」 (ビシュヌの化身) という。ヒンドゥー教美術の主題として石窟寺院などで盛んに彫刻され、その姿は武器などを手にした幾本もの腕を四方に伸ばしているのを特徴とする(以上の主文は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「誕」「たん」或いは「はなし」。

「帝釋」仏教の守護神である天部の一神である帝釈天のこと。バラモン教・ヒンドゥー教・ゾロアスター教の武神(天帝)で、インドラと同一神。妻は阿修羅の娘であるシャチー(舎脂)。梵天(天部の一柱。古代インドの神ブラフマーが仏教に取り込まれたもの。「brahman」の漢音写)と一対の像として表わされることが多く、両者を合わせて「梵釈」とも呼ぶ。本邦の図像では白い象に乗っていることが多い。但し、先の摩利支天が帝釈天の眷族であるから、猪との親和性はあるように思われる。

Gubernatis, op. cit. vol. ii p.7 seqq.」「op. cit.」 はラテン語の「opus citatum」或いは「opere citato」の省略形で、「提示した作品」或いは「提示した作品より」の意で、脚注や尾注や引用や参考文献に於いて既出の文献と同じ著者の出典から参照する際に使用する。則ち、これは「狼」に出たイタリアの文献学者コォウト・アンジェロ・デ・グベルナティス(Count Angelo De Gubernatis 一八四〇年~一九一三年)の著「Gubernatis, ‘Zoological Mythology’, 1872, vo1. ii」を指している。「Internet archive」のこちらで当該原本が見られ、そこの右ページ中央に、

   *

   As to the wild boar, its character is generally demoniacal ; but the reason why the Hindoo gods were invested with this form was in a great degree due to equivocation in language. The word vishnus means he who penetrates ; on account of its sharp tusks, in a Vedic hymn, the wild boar is called vishnus, or the penetrator. Hence, pro bably, by the same analogy, in another hymn, Eudras, the father of the Marutas, the winds, is invoked as a red, hirsute, horrid, celestial wild boar, and the Marutas are invoked when the thunderbolts are seen in the form of wild boars running out from the iron teeth and golden wheels ;  that is, carried by the chariot of the Marutas, the winds, who also are said to have tongues of fire, and eyes like the sun.

   *

とあるのがそれである。]

« 御伽比丘尼卷之二 ㊄初聲は家の榮 付リ 夜啼の評 / 卷之二~了 | トップページ | 御伽比丘尼卷三 ㊀ぼだひは糸による縫の仏付リ遊女のさんげ咄 »